気になるクラスメイト

気になるクラスメイトがいた。それは恋愛の類ではなくて、純粋な興味関心である。最近、隣の席になってから彼の違和感というか独特の雰囲気を感じ取るようになって、どうにも気にかかっていた。私の席の周りに集める友達は、その彼が学校にギリギリまで来ないのをいいことに、彼の席を占領した。別に私の周りにいつも人がいるわけではないけれど、席を使うことのできる利便さに味を占めたのか、席替えをしてからというものの、このあたりで駄弁るのが常となっていた。彼は彼でそんなに気にしていないようだった。基本的には私たちが解散するタイミングを計ったように教室へ入ってくる。あまりにも時間いっぱいまで話していると「ちょっといい」と軽く声をかけてくる、それだけだった。派手な見た目や性格ではないけれど、目を引く美しさがあると思う。それに気付いたのも最近だ。今まではただのクラスメイトでしかなくて、まるで関心がなかったから。彼と仲の良い人に嵐山という、とても有名な人がいるからというのもある。だいたい女子は多かれ少なかれ嵐山を意識していて噂するものだったから。同学年の私たちだけでなく先輩や後輩からも話題の上がる、ちょっとした、というには名が知れ渡りすぎている著名人だ。ボーダーという組織の。数年前にここ三門市が悲劇に襲われた際のヒーロー。嵐山はそのなかでも特にヒーロー然としていた。迅もボーダーらしい。らしい、というのはボーダーであることがよく分からないからだ。一般人からすればそもそも謎の多い組織であるし、嵐山は何度も言うようにメディアにも出ていて学校外でも名の知れた人であるのに反して、彼は特にそういうことはしなかった。ただ、ボーダーの人と仲良くしているし、防衛任務と言って授業を早退したり遅刻したりするから、そうなんだろうな、というだけ。それを知ったときは意外だな、と思った。何も知らない分際であれど、少なくともあまり知らない私からすればとても正義に燃える熱血漢には見えなかったし、内に秘める思いがあるようにも見えなかった。これを嵐山に言ったら多分怒られそうだと思った。彼は真実、迅と友人であるようだったから。嵐山と私は知人程度の仲だ。一応、顔見知りではある。何の因果か3年間同じクラスだったから、否応なしにも関わりがあった。私が彼に特に関心がないことを友人たちは正しく理解していて、知らない女子生徒との接点を増やすくらいなら私と接点を持たせておこうという意図も働いていた。私の末っ子基質と彼の長子としての性質が会ったのか、少しは居心地の良いものだった。おそらく私の気質に関係なく、嵐山が底抜けに良い奴だったから、が一番の理由だろう。本当に人当たりの良い奴だった。私が彼を知人と呼ぶのは、私が彼に必要以上に関わろうとしておらず、また彼も積極的に私に関わってこないからだ。きっとお互いが関わりすぎることのデメリットを常に頭に置いていた。聡い人だと思う。賢く聡い、彼がヒーローである理由の一端を知った。それでやっぱり私は彼が好ましかった。人として尊敬できる人だと思っていたから、私もできうる限り敬意をもって接したかった。高校を卒業してしまえば二度と交流することのないであろうこの人物が、私の人生で関わった人のうち最も偉大な人間のうちの一人になるであろうことを私は確信していた。そういうわけで彼にまで意識が割かれなかったのだ。私は嵐山を詳細に知りたいわけではなかったから。彼は寂かな人だった。空気が凪いだような、そういう雰囲気だ。そんな彼から、視線を感じることがあった。顔には出していないつもりで、かつ、その視線を追うようなこともしないけれど恐らく。何故だろう、と初めは思った。しかし次第に彼の“癖”みたいなものだと気付いた。何となく、人のことをぼーっと見ていることがあるようだった。人間は多かれ少なかれ人を観察する癖があると認めて、すぐにこの疑問は解消された。ちょっと浮世離れな彼の俗っぽさを垣間見て、安堵していた。ありえないことだと頭ではわかっていても、どうにも私たちと違う人間である感覚が拭えなかったのだ。言葉では言い表しようのない、自分とは違う世界を見て生きているような。色盲の友人から、自分が生きている世界を聞いた時の感覚に近かった。私はそのとき確かに、人によって生きている世界が違うことを感覚的に理解したのだ。その解離性が大きすぎると、そのうち生きている世界線ごと乖離してしまうような錯覚に陥ることがあった。その友人とは差異もあるが共通した部分もあると納得し、違った世界を生きながら時間を共有できていた。私の中では迅もそういう分類だった。勝手に離別感からくる寂寥みたいなものを抱いておきながら、親近感がわいて安心するという本人からするとはた迷惑な考えを抱いていた。これはきっと墓場まで持っていく私の感情だろうと思う。そういう、自分の中にある感情を自分で咀嚼して胸の内に秘めておく感覚が私は嫌いではなかった。彼を等身大の人だと認識できるようになってから、自然と話せるようになっていた。知人、と呼ぶにも他人行儀だけれど。私の人生で他愛もない、されど大切に抱えたい、触れたら消えていくような淡い思い出だ。卒業後に彼を街で見かけたことが何度かある。一方的に見かけただけだから、もちろん何れの時も声は掛けなかった。ふと、高校生の頃を思い出すだけ。だから驚いた。

「ごめん。ちょっといいかな」

彼の世界と、私の世界が、再び交わっていた。

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