過大な才能、多大な副作用


「かわいそうね、迅」
天賦の才に恵まれた女が笑った。

名字名前は天才だった。しかし、副作用ではない。彼女に初めから与えられた、「副作用」と名の付かない、多大な副作用をもたらす過大な才能だ。彼女を初めて「視た」とき、彼女がボーダーの技術に革新的な進歩をもたらす未来が確定的に示された。それと同時に、時期こそ違えど、これもまた確率の高い未来として映し出されたのは、ボーダーの破滅だった。初めはボーダー秘術の進歩によって近界のどこかの国に目を付けられたのかと思った。直ぐに違うと分かる。名前だった。名前がボーダーに入る決断をしたとき、それを上層部が認めたとき、その二つの未来は、はっきりと迅に示されてしまった。上層部に相談することも考えたが、すると名前はどこからそれを悟るのか、ボーダーの壊滅が早まるだけだった。迅はその二つの未来の可能性を抱えながら生きるしかなかった。名前はボーダーの発展に必要不可欠な人間だ。迅の副作用はそれをはっきりと迅に伝えてくる。名前を警戒しつつ、しかし警戒されていることは悟られないように。今の名前にボーダーを滅ぼす気などないようだった。ただ、真新しい技術に興味があるのだと、そう言っていた。戦闘面でも予想外に腕を上げたが、やはり彼女の真髄はその頭脳にある。何年も先に触れてきた数多の技術者を唸らせるアイデア、そしてそれを実行するだけの力、それだけのものが彼女には備わっていた。能ある鷹は爪を隠す、と言うが、隠すどころの話ではない。名前は才能だけではなく、顔や体型といった視覚的な災害をも与えられており、息を潜めていても目を惹かれるような人間だった。どうしてここまでの人間が平然と息をしていたのか、分からないほど。
名前がボーダーで活躍を遂げてしばらく、ボーダーの技術は繁栄を遂げ、初期とは比べ物にならないほど発展した。片方の未来は未来視を裏切ることなく、必然的にやってきたのだ。そうしてもう一つの未来を回避するための道筋を探っていたとき、ひとつだけ見つけたそれは、あまりに予想外の対策だった。名前がボーダーに愛着を持てば、この未来は回避できる。それは分かっていた。名前がボーダーの技術に飽いたとき、それが終わりのときだ。何にも執着しない名前がボーダーに肩入れしてくれれば。それはそう簡単なことでなく、隊も組まず、親しい友達も、恋人も、師匠も、弟子も、何もかもを持たない名前は、ボーダーに骨を埋める気がさらさらないようだった。ただ、今見えた未来は。それに、辿り着くためには。

***

「名前さん」
名前は家族を亡くしてから一人暮らしをしている。ボーダーが提携しているところではなく、自分で探し出して気に入っている物件なのだと聞いたことがある。アパート内にボーダー関係者いなくて丁度良いよ、と笑っていた。大学が近いのだとも。迅はそんな名前の家を訪ねていた。インターホンから迅の姿を確認したのか、少ししてから扉があけられる。神経質で潔癖のきらいがある名前は普段から手袋を着けていたが、扉を開けた名前の手にはいつもの手袋はなかった。それほど親しいわけでもない迅が突然訪ねてきたことに疑問は抱いたが、名前は迅を部屋に通した。迅の副作用は知っていた。
「急にどうしたの、迅」
「…名前さん。ごめん」
迅はここに来るまでに覚悟を決めていた。進んでしまえば戻れない。名前と迅にとってはきっと最悪の、しかし、ボーダーの最善を選び取る。
迅は名前の腕をそれぞれ手で掴むと、そのまま名前に口付けた。名前は驚いて、動けなかったようだった。
「な、んで」
「……ごめんね、好きだよ」
迅はそう嘯いた。名前はまるで信じた様子もなく、眉間にしわを寄せて迅を見ていた。そうして突然、顔を顰めながら笑った。
「迅、あなた、かわいそうにね。私のことを好きでもないのに、こんなことをしなくちゃならないなんて。もう少し、自分を顧みた方が良いんじゃない?」
迅は名前が笑う未来は見えていたが、声までは聞こえない。何故、そんなことを言われているのか、見当もつかない。今度は迅が訝しがっていると、名前はますます笑みを深めた。苦い笑いだ。迅の目には変わらず、迅と名前が寝る未来が示されている。確定した未来だ。
「私と寝たいんでしょ?ああ、迅の意志ではないんだろうけど、まあ便宜上ね。というか、…へえ、私ってそんなに人でなしだったんだ」
知らなかったな、とつぶやく。迅は何かがおかしいと思っていた。
「するなら、はやく終わらせてくれない?課題やんなきゃだからさ」
その違和感を流すように、今度は名前の方から迅に口付ける。迅は確定させた未来をなぞった。これで良い、はずだ。

「かわいそうね、迅」
行為を終えて気怠げに名前が言う。迅の手を手持ち無沙汰になぞらえている。名前本人にその気はないのだろうが、迅としてはもう一度を強請られている気分になった。名前はこう見えて経験がなかったのだから、その気はない、はずだ。無意識でやっているとしたら魔性の女すぎる。
「そう?」
「うん。好きでもないひとを抱かなきゃいけないなんて」
「…おれ、名前さんが好きだって言ったよね?」
「そんなばればれの嘘言われて、誰が信じるの」
「じゃあ何で……」
「かわいそうだから。迅が」
「憐れんでくれたんだ?」
「そう。あと、」
「うん」
「未来の私に代わって謝罪というか、贖罪?みたいな」
迅の目には先ほどまでとは大きく異なる未来が示される。まだ名前がボーダーを壊滅させる未来は消えてはいないが、名前が迅を憐れんで枕を共にすればするほど、薄くなってゆくだろう。
名前は快楽に弱い。それが未来視の示したものだった。意外に思いつつ、そういえば彼女は目新しい、飽きない何かを常に探している人間だと思えば、自然なことなのかもしれない。名前は更に意外なことに一途なようで、はじめに迅と寝れば、あとは迅に求めるばかりでボーダーを食い荒らすこともないようだった。これだけ魅力溢れる彼女が口説けば、大半の男は靡いてしまうだろうから。
「名前さん、なんかするの」
「それは迅が一番良く知ってるんじゃないの?」
「おれには、名前さんが何かする未来は視えてないけど」
「ほんと、あんたって嘘ばっかり!ベッドでまで適当言わないでよ。いや、ここだから適当言ってるの?」
「ちょっと待ってよ、」
名前は呆れたような顔をして、ベッドから起き上がると、服を着始めた。迅は反射的に名前を引き留めたが、どう言ったら良いか分からなかった。
「だから嫌だったの。私だって女なんだから、一回寝たら好きになっちゃうでしょ」
はあ、もうやだやだ。ため息をつきながら素早く着替えた名前さんは部屋を出て行ってしまった。ただ、襖は開けられたままなので、居間にいる名前の様子ははっきり見える。通学のカバンからパソコンを取り出す。課題があるのは本当だったようだ。迅も服を着ると居間に向かう。
「どうして信じてくれないの」
「申告してないけど、私副作用があるの」
「え?」
「触れると心の声が聞こえるの。直に触らなければある程度は遮断できるというか、コントロールできるけど、触っちゃうと勝手に全部聞こえてくる」
迅は言葉を失った。迅はこのシーンで自分が詰められると思っていたのだ。実際にはとんでもない事実をカミングアウトされている。なるほど、彼女の手袋は潔癖ではなく、それの遮断用だった。
「未来の私、ボーダー滅ぼしてんだ?すごいね、大罪人じゃん」
無感動に、いや、少し呆れたように笑いながら言う。課題のレポートを進める手は止めない。むしろその手は慌てたように素早く動いていく。
「…なんで、全部分かって、おれと寝たの」
名前は迅から読み取った情報で全てを補完した。彼女の頭脳をもってすれば造作もないことだったのだろうか。迅は名前が快楽に弱く、誰かと関係を持てばその関係に依存することが分かっていた。だから自分がその役を買うことにしたのだ。それが一番、名前をコントロールしやすかったから。誰がその役を担ったって、どうせいつか名前に惚れてしまうのだ。初めから自覚ある迅がやった方がましだ。
「興味があったから」
名前はそれだけ言った。迅を好きになると言っていたくせに、まるで迅を見ることはなかった。迅は自分が嫌われたと思った。心の声が聞こえるという事は自分の打算も、下心も全部筒抜けだったというわけで。
「名前さん」
だが、名前に嫌われたにしては、未来視はずっと迅と名前の未来を映している。
「ん?」
迅は後ろから名前の首に手を回すとこめかみあたりにキスをした。少し逃げ腰になった名前を逃がさないように、片手で顔を固定すると、次は唇にキスを落とす。名前は腰を引きそうにはなっても、大きな抵抗は見せなかった。
「言ったでしょ。私もう迅のこと好きになっちゃったから。嫌いになりようがない」
迅にはそれが本当かどうかの峻別はつかなかったが、それが迅に抱かれ続ける未来の理由と思えば、多少は納得できた。名前にメリットはないからだ。今日だって、迅から襲ったようなものだ。
「というか、別に元々、良いなって思ってたよ?迅は私のこと嫌いだっただろうけど」
「えっ。嫌いじゃないよ」
「でもずっと見張ってたし、良い視線じゃなかったよ。ま、理由分かったら、なるほどなと思ったけど」
「それは…うん、ごめん」
「別に良い。そりゃ今の私にそんな気がなくても警戒するでしょ。というか、私も納得したもん。あー、私やりそうだって」
つまり、迅との未来が一番制御しやすそうだったのは、名前からの好感度が一番高かったからという訳だ。こんな簡単なことを見落とした自分を恥じたが、名前の普段の態度からそんなものが分かるはずもなかったので、まあ仕方がない。
「私が仮に迅に溺れて使い物にならなくなったとしても、私のこの才能が花開いてボーダーの敵で活躍するよりは、敵の誰の手にも渡らない方が圧倒的に得だもんね。そりゃ引き留めるか」
名前はつまらそうにそう言った。迅はそれだけだったら良かったと思った。名前が女であるのと同じように、迅は男なのだ。こんな魅力的で誰にも靡かない女が自分にだけ心を傾ける姿勢を見せられれば、ぐらっときてしまう。これさえ名前の狙いなんじゃと疑うくらいには。この部屋の扉をくぐる前までは、いや、名前と寝たときまでは、名前を好きではなかったことが当然で、それをどう悟られないようにするかを考えていたのに、今はこの気持ちの移り変わりをどう誤魔化すかで頭を巡らせるくらいには。
「私ってラッキーだよね。迅がボーダーのことを想う間は、絶対私と寝てくれるってことでしょ」
名前はそこでようやくパソコンから手を離した。名前の頬に当てられた迅の手に、上から手を重ねる。今日一番魅力的な顔で迅に笑いかける。勝ちを確信した傲慢で生意気な顔つきではなく、嬉しくて堪らないというように、顔を蕩けさせて。
「迅は、どうしたら私をもっと好きになってくれる?」
そして迅の努力は無に帰す。名前にはそんな迅の想いや葛藤が、文字通り手に取るように分かるのだから。

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