NOTE



いつさく

※R15/途中

ずっと好きだったと告白したのは紗玖だったが、彼女は付き合ったその先について、なにか考えている様子はなかった。というよりも、好きだと伝え合って恋人になる、というところで紗玖の中では終わってしまっているのだろうというのが樹の見解である。
手を繋ぐのは兄妹だった頃からしていた。ハグも樹が本調子でないときに紗玖がしてくれていた。そのせいで、恋人同士がするものであるという意識が紗玖の中で薄れてしまっている気配がある。そうなってしまうと恋人らしい行為といえばキスくらいだ。
頬を撫でて、鼻先を擦り合わせて、柔らかく唇を重ねれば紗玖は照れたように笑う。樹がキスをすれば、白い頬をほんのりと桃色に染めながら、樹を真似るように紗玖からも唇を押し当ててられる。確かめるように触れ合うだけのキスを繰り返して、その先に、進んだことはない。
唇が触れ合うだけで幸せそうに笑う姿を見ると、自分の欲だけでその先に進むことがどうにも躊躇われたのである。樹がすることを、紗玖が拒むことはないだろう。キスの合間に甘やかな吐息をこぼすその隙間に舌を捻じ込んで咥内を荒らしたとしても、紗玖が樹を拒絶することはない、はずだ。互いに正気を失っていたときに、紗玖の小さな口の中を欲のままに蹂躙したことがある。そのときも、紗玖は甘く濡れた声で樹を許容した。
付き合って早数ヶ月、いわゆるそういう雰囲気になったのはその一度きりだ。
今にして思えば、あの瞬間が一線を超えるチャンスだったのかもしれない。しかし、あのときは樹も紗玖もそれどころではなかった。それに、ずっと大切にしていた相手を抱くのだから、可能な限り、大事にしたいと思う。怯えさせることなく、ただ、大切にしてやりたいと。
「……いちゃん、おにいちゃんってば。ぼんやりしてどうしたの?」
「え、あ、紗玖ちゃん?」
樹のまとまりのない思考を、心配そうな紗玖の声が遮った。見ていたはずのニュースはいつの間にか終わり、よく知らない芸能人たちが雑談をしている。
紗玖は樹の足元にしゃがみ込み、心配そうに顔を覗き込んでいた。樹の顔を覗き込むのは、紗玖の癖だ。隣に並ぶと必然的に紗玖が樹を見上げることになるために、見下ろすよりも見上げるほうがしっくりくるらしい。だからこうして座ってる樹に話しかけるとき、彼女は樹の足元に身を屈め、樹の太腿に片手を添えながら顔を覗き込んでくる。
「好きな芸能人でも出てるの?こういうの見てるの珍しいね」
「あー、いや、ぼんやりしてたら変わってた、みたい」
まさか邪なことを考えていたと告白できるはずもなく、曖昧な言葉を返す。
風呂から出たばかりらしい紗玖の髪は濡れていて、肌が火照って少し赤みを帯びている。身を屈めているせいか襟元が前に垂れるように開き、そこから僅かに胸元が覗いていた。それに気付いた樹は思わず凝視ししてから、すぐにハッとして目を逸らす。直前までの考え事さえなければなんでもない顔もできただろうが、そうすることもできない。
一番の毒は、彼女の服の下に隠された身体を、妄想ではなく想像できてしまうことだ。樹の手が柔らかな肌を撫でるだけで恥ずかしげに身を捩り、頬を染め、くすぐったげに落とされる甘く湿った吐息を、知ってしまっている。樹を見上げる羞恥に潤んだ瞳も、ただの妄想ではない。
「怖い顔してどうしたの?……何か気になるニュースでもしてた?」
心配そうな顔をする紗玖に少しだけ胸が痛む。「大丈夫だよ」といつも通りを装って笑い返すも、紗玖の瞳は不安げに揺れていた。
誤魔化すために膝上に招こうとして、思い止まる。スキンシップの一環として違和感のないことではあるが、今、紗玖の体温をダイレクトに感じるのはまずい。だからと、いつまで足元に屈ませているわけにもいかない。
「髪、乾かしておいで。風邪引いちゃうよ」
濡れたままの紗玖の髪に指を差し入れて撫でてやる。梳かすだけで絡む水滴が彼女の肩にかけられたタオルに染み込んでいった。
怪訝そうな顔をしていた紗玖も、素直に頷いて立ち上がる。そして、彼女は洗面所へと歩いていった。
その背中を見送って、樹は気を落ち着かせようと大きく息を吐き出した。
付き合い始めてからずっと、いつかはそういうことをしたいと思っていた。好きな女の子に触れたいと思うのは、男として当然の欲求だろう。それでも機会がなかったのは、紗玖がこういったことに恐ろしく鈍かったからだ。遠回しに部屋に行っていいかと尋ねるだけでは、紗玖は一緒に寝るものだと思ってしまう。そうではないと否定して組み敷くことを考えなかったわけではない。しかし、眠そうにしながらも慈しむような目で樹を見て両腕を広げる紗玖に、無理を強いることはできなかった。
付き合ってからも、樹をおにいちゃん≠ニして見ている紗玖の気持ちを無視することは、どうしてもできない。異性として好きなのだとはじめに切り出したのは紗玖だ。紗玖から言ったのにと思わないわけではない。しかし、6年間ずっと樹を思い続け、諦めようと、兄妹≠フ枠にいることを決めた紗玖の心情を思うと、癖が抜けないのも仕方がないとも思ってしまう。自分の気持ちを殺して、紗玖は樹の拘る家族で居続けた。一度も気持ちを悟らせることなく、彼女は樹の妹≠ナいた。それだって、たしかに、紗玖が樹を愛していた証だ。
それでも。
好きだと伝え合って、唇を合わせる。おままごとみたいな恋愛で満足してやることはできなかった。知ってしまった彼女の温度をなかったことにできるほど、樹は淡白な人間ではない。
「あ゛ー、……抱きたい、」
顔を両手で覆って思わず落ちた言葉に、返事があるとは思っていなかった。
「――えっ」



樹の様子がどこかおかしいということには気が付いていた。家族同然に共に過ごしてきた相手だ。些細な変化もなんとなく気付くことがある。それだけではなく、紗玖も探偵の娘だ。人間観察をすることは癖になっていた。もっとも、意図的に樹の行動を観察して分析しようなどとしていたわけではない。紗玖は、樹のことをずっと見てきた。だから、わかる。
様子がおかしいということに気付いていながらも何もできなかったのは、原因がわからなかったからだ。何かに怯え、不安がっているようには見えなかった。実際、紗玖は樹の望むように過ごしていた。ひとりで外出することはなく、出掛ける必要があるときには、必ず樹に声をかけた。たとえ、それが軽微な用事であっても、だ。樹がどうしても家を空けなくてはならないときだって、言いつけに従って家から出ていない。
樹が不安になる原因は、紗玖が彼の目の届かない場所に行くことだ。それを、紗玖はしっかりと理解している。だから、樹の不安が少しでも和らぐようにと、彼の目の届く範囲にいた。そうしている限り、樹はふつうであるはずだった。樹が懸命に取り繕って装うふつう≠ナあったとしても。少なくとも、表面上の平穏は取り繕えているはず、だった。
原因を突き止めようと試みたこともある。しかし、樹に聞いてみても「なんでもない」とはぐらかされてしまう。様子を観察するように見つめていても、何か原因になるようなものがあるようにも思えなかった。
誰かに相談しようにも、紗玖には気軽に連絡を取れる相手として思い浮かぶのは歩汰しかいない。紗玖の身の上をある程度把握したうえで、それらは些事だとばかりに気にしていない唯一の存在だ。歩汰に相談をしたところで、ろくなアドバイスは返ってこないだろう。根本的に、他人に興味がない人だ。話こそ聞いてくれるかもしれないが、改善策を親身になって考えてくれるとは思えなかった。そもそも、誰かに会おうとしたとき、樹も必ず一緒についてくる。樹の前で、「おにいちゃんの様子が変なんだよね」などと相談できるはずもない。
今日も今日とて、樹の様子がおかしかった。風呂を出たと伝えても反応がなく、リビングを覗けばソファに座ってどこか上の空でテレビを眺めていた。テレビから聞こえてくる会話にも、流れている映像にも、樹が反応を示す様子はない。考えをしている、らしかった。
物思いに耽っている樹に話しかければ返事こそあったものの、露骨に顔を背けて遠ざけられてしまった。髪が濡れたままでは風邪を引いてしまうという心配が樹の本音であることはわかっている。しかし、いつもなら「紗玖ちゃんは甘えただね」と笑って、膝の上に招いて髪を乾かしてくれる。不器用な手付きで、それでも、丁寧に、髪を拭いてくれる樹のことが好きだった。子どもみたいと恥じる気持ちがないわけではなかったが、紗玖は「仕方がないなぁ」と言わんばかりに笑って甘やかしてくれる樹が、好きだった。
自分が樹に何かしてしまったのだろうか。懸命に記憶を辿ってみても、思い当たるものはない。樹に何も言わずいなくなるようなことはしていない。隠し事だってしておらず、怪我だってしていない。一緒にいないほうがいいのだろうか。それなら、今日は早めに寝てしまおう。
どこか沈んだ気持ちで乾いた髪を手櫛で撫でつける。ドライヤーの電源を切って、浮かない顔で鏡に映る自分を見詰めた。こんな顔では樹に余計な心配をかけてしまうだろうと、深呼吸をひとつしてから、リビングへ向かう。樹に「おやすみ」と一言告げようと、顔を覗かせた、ときだった。
「あ゛ー、……抱きたい、」
「――えっ」
聞こえてしまった樹の声に、思わず驚いたような声をあげてしまった。両手で顔を覆っていた樹の顔が咄嗟に紗玖に向けられる。しまった、という顔をしたのはお互い様だったのだろう。
「……聞こえちゃった?」
「う、うん」
「あー……、いや、ごめん。忘れて、って言っても無理だよね。ごめん、でも、気にしないでくれていいから」
気まずそうに視線を逸らし、樹は言葉を探しながら気遣うように連ねていく。困ったように眉を下げて笑う樹に、紗玖は二の句も告げず、その場で立ち止まったまま動けなかった。
そういうことを想像したことがない、わけではない。樹は紗玖を子どもだと思ってる節があるが、紗玖だって無知な子どものままでいるわけではない。実際にそういった経験があるわけではないものの、形ばかりとはいえ恋人がいたことだってある。そうすれば、必然的に友人との会話はそういったものへと普及し、女同士ともなれば包み隠すことなく露骨な物言いで話すことだってある。だから、付き合ったということは、いつかはそういうこともあるのかもしれない、くらいの考えはあった。とはいえ、経験も興味もさほどなかったこともあり、いまいち想像ができずにいたのも事実だ。実感もわかなかったせいで、気付けば、意識の外に追いやってしまっていた。
それに加え、樹からそういう目で見られているとは思っていなかった。長年、樹は紗玖を妹≠ニして見ていた。だから、樹にとっては女である前に、妹であったとしても不思議ではない。そこに抱く不満や不安もなかった。疑問に思うことこそあっても、紗玖は樹がいてくれるだけでよかった。好きだと想いを通じ合わせて、ときどき、唇を柔く触れ合わせる。誰かが聞いたらおままごとのようだと揶揄されそうな恋愛であっても、紗玖はそれだけでじゅうぶん満たされていた。
しかし、どうやら、樹はそうではなかったらしい。
すぐに現状への理解が追い付かず黙ってしまった紗玖に、樹の表情がどんどん暗くなっていた。瞳に罪悪感が滲み、泣き出しそうに顔が歪む。
「ごめん。……紗玖、ごめん」
繰り返される謝罪を聞いて、紗玖はようやく我に返った。顔を隠すように俯いてしまった樹の顔を覗き込もうと、いつもと同じように、樹の足元にしゃがみ込む。
「そんな顔しないで、樹くん」
足の上できつく握りしめられた樹の手で、両手で包み込む。手のひらに爪が食い込んでしまっては痛いだろう。無理に解かせようとはせず、それでも、少しでも緩めさせることはできないかと柔く擽るように撫でてみる。
後悔するような、苦しそうな顔に、紗玖は困ったように眉を下げた。それを見た樹の表情がますます歪んでいく。何かを言わなければと思っているのはどちらも同じだ。そんな顔をさせたいわけではないと思っているのも。しかし、何をどう言葉にすればいいのかが、わからない。
その中で、先に口を開いたのは、紗玖だった。
「いやだと、思ったわけじゃないよ」
「……ほんとに?」
「ほんとに。いやだったわけじゃなくて、……えっと、びっくりしちゃって」
きゅ、と樹の眉間が寄せられる。
「今まで、そういう雰囲気もなかったから。樹くん、そういうことがしたいわけじゃないのかなって」
「そんなわけ、……そんなわけ、ないだろ」
感情を押し殺すような、震えた声で樹はどうにか否定だけを返す。
なにも知らない紗玖を、邪な目で見ていた。その肌に触れて、彼女を暴いて。己の手で乱れて喘ぐ姿を妄想していた。いつか、いつかと望みつつ、紗玖の中にある自分を崩してしまうことも怖かった。心のどこかで、知られたくないとも思っていた。紗玖にとっての樹は、優しくて頼りになるおにいちゃん≠セ。紗玖が樹に男性を見るたび、どこか戸惑うような顔をしていたことに、樹は気付いていた。自分が男であるということを感じさせて、怖がらせてしまうことを恐れていた。
紗玖にとって樹がおにいちゃん≠ナあるように、樹にとって紗玖も、守ってやるべき妹≠ナあるという認識が抜けきっていないのだ。
唇を噛み締めようとする樹に気付いたのか、伸ばされた紗玖の指先に制するように撫でられた。ぞわり、と。たったそれだけのことに、背筋が粟立つ自分に嫌気がさす。一度抱いてしまった欲を、すぐに押し殺すのは難しい。どうにか、紗玖をこの場から遠ざけようと言葉を探した。
明日になれば、何でもない顔でいつも通りに振る舞えるはずだ。少し気にしたようにこちらを窺う紗玖に、大丈夫だと笑って頭を撫でてやろう。そうすれば、紗玖だって安心したように樹が好きなふにゃりと緩んだ笑顔を見せてくれるはずだ。
そう思って開いた樹の口からこぼれ落ちたのは「は?」という間の抜けた声だった。
樹が考え込んでいる間に、紗玖は何かしらの答えを導き出していたらしい。樹が気付いたころには、紗玖は樹の足を跨いでソファに膝立ちをし、樹の顔を見下ろしていた。
「紗玖ちゃん?」
自分の欲求を誤魔化そうという意識が勝り、妹として紗玖を呼ぶ。それを拒むように、紗玖は「樹くん」と名前を呼んだ。
樹の顔を見下ろす紗玖の頬は赤らんでいて、瞳が僅かに濡れている。泣き出しそうな顔をしている、と思ってすぐに違うと気が付いた。少ししつこいくらいのキスをして、悪戯に彼女を撫でたときにする、顔だ。
「わ、たし、……はじめて、だから。雰囲気、とか。どうしたらいい、とか。わかんない、けど」
ぽかんとした顔で樹が紗玖を見上げている間にも、紗玖は途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「樹くんと、……え、っと、……えっち、したくない、ってことは、なくて」
徐々に紗玖の言葉が尻すぼみになり、ゆっくりと樹の足の上に腰が落とされた。向かい合うように樹の膝上に座った紗玖は、ついには俯いてしまう。樹から見えるのは彼女の旋毛と、いつもと違って下ろされた髪から覗く、可哀想なほどに赤く染まった耳の先だ。
樹の想像を裏切って語られる言葉の数々に、思考が追い付かない。紗玖が言わんとしていることも、伝えようとしてくれていることも理解はしている。しているが、思考に、気持ちが追い付いていなかった。
そんな樹を置いて、意を決したように顔を上げた紗玖が、樹の瞳を覗き込んだ。
「……私も、樹くんと、えっち、したい、よ」
恥じらいながら、紗玖が言う。顔を赤く染めて、羞恥に瞳を潤ませて。小さな声で、甘く、囁く。
その言葉を理解するなり、ぶわりと樹は自分の身体が熱くなるのがわかった。全身に血が駆け巡り、鼓動が早まっていく。行き場を失っていたらしい紗玖の手が、意図なく樹の太腿を柔らかく撫でる。たったそれだけの刺激で重くなる下腹部に、樹は咄嗟に紗玖の手首を掴んでいた。
「ま、って、紗玖。ごめん。いや、嬉しい。嬉しいんだけど。……抑えられなくなっちゃうから」
「ん、……いい、よ」
どうにか自制しようとする樹の心情を知ってか知らずか、紗玖は樹の理性を崩していく。紗玖に、その意図はないだろう。わかっている。わかっていても、樹からしてみれば、煽られているのと変わりがない。
体中を巡る熱を少しでも逃そうと大きく息を吐き出して、改まって、紗玖の顔を見下ろした。涙を溜めて艶めく彼女の瞳に、自分はどう映っているのだろうか。少なくとも、兄としての顔はできていないのだろう。
「本当にいいの?」
確かめるように、紗玖の逃げ場を奪ってしまわないように、途切れそうになる理性を懸命に繋ぎ合わせて問いかける。紗玖はうろ、と視線をさ迷わせてから、樹の服の裾を握って控えめに頷いた。
今すぐにでも紗玖の後頭部を引き寄せて、唇を奪ってしまいたい衝動を奥歯を噛み締めて耐える。できる限り優しく、小さな体躯を抱き締めるように引き寄せた。紗玖は素直に樹に体を預け、隙間がなくなったことで伝う彼女の体温に、深く息を吐き出した。
「……部屋、行こう」
おずおずと紗玖の腕が首に回され、樹は彼女を抱きかかえるようにして立ち上がった。落ちないようにしているのか、恥ずかしくて力加減が部屋に下手になっているのか、紗玖は懸命にしがみついてくる。同じシャンプーを使っているはずなのに、鼻孔を擽る匂いはどこか甘い。



急く気持ちを押し留め、自室のベッドに紗玖を下ろしてやる。居心地が悪そうに身動ぎをする紗玖の頬に片手を添え、片足だけベッドに乗り上げて腰を折るようにゆっくりと顔を近付ける。紗玖は視線を泳がせてから、緊張するようにぎゅっと目を閉じた。
普段であれば、そんな初々しい彼女の反応が可愛らしくて、愛しくて。大切にしてやりたいという思いが胸をしめ優しく触れるだけのキスで終わらせていた。けれど、いまは、紗玖を思って我慢をする必要は、ない。
はじめは、触れるだけの口付けを、数度、繰り返す。身を強張らせていた紗玖も、触れ合うだけの口付けに徐々に体の力が抜けて、躊躇いがちに樹の背に紗玖の両手が添えられた。それを合図にするかのように、様子を窺いながら唇に甘く噛み付いた。びく、と紗玖の肩が跳ねる。それを無視して吸い付き、舌先で唇を湿らせる。頑なに唇を引き結んだままの紗玖の顔を、じ、と見下ろした。
「紗玖、……あーんして」
紗玖を呼ぶ自分の声があまりにも低く、取り繕うようにわざと幼い物言いをする。紗玖は睫毛を震わせながら瞳を押し開き、不思議そうな顔をしながら小さく口を開いた。疑うこともせず樹の言葉に従う紗玖に、言い知れない興奮が樹の背骨を走り抜けた。
「舌出して。べー、って」
教えるように樹が舌を出す。その様子にぱちぱちと瞬きを繰り返してから、紗玖も樹を真似て舌を覗かせる。赤く湿った小さな舌に目を細め、樹は舌を咥えるように唇を噛み合わせた。咥内に招き入れた紗玖の舌に自分のそれを擦り合わせ、驚いたように引っ込もうとするのを追って、紗玖の口に舌を捩じ込んだ。根元から形を確かめるように舌先で辿り、熱くぬめった粘膜を絡め取る。
「んっ、ふ、…っ、」
唇の隙間から、甘く掠れた紗玖の声が落ちる。飲み込み切れないらしい唾液が口の端を伝い、舌を絡め合わせるのに合わせて室内に水音が響く。ぞくぞくと背筋を走る甘い痺れに、腰に熱が溜まっていくのを自覚して、樹は合間に湿った息を吐き出した。
「は、……っ、」
「っぁ、ん、…ぅっ、」
樹の呼吸に合わせて、紗玖も息継ぎをしようとしているらしかった。伏せられていた睫毛が揺れ、いつの間にか閉じていた紗玖の瞳が開かれる。生理的な涙で濡れた双眸は確かな熱を灯して、樹を映し出した。
明確な欲を瞳の奥で燻ぶらせる樹に対し、紗玖が恥じらいや戸惑いが勝っているのは明白だった。それもそのはずだ。機会を窺っていた樹とは違う。それでも、樹を見詰める紗玖の瞳は、僅かにも、甘く蕩けていた。
キス、ひとつで。紗玖の瞳に、欲が滲んでいる。
感情のままに吐き出されそうになる言葉を寸のところで飲み込んで、樹は濡れた目元に唇を寄せた。キスだけで、そんな顔をしないでほしい。自分が欲するままに暴くのではなく、大切にしてやりたいと思っているのに、できなくなってしまいそうだ。
額に、頬に、鼻先に。キスを落として、さいごに唇を合わせる。次は舌を捩じ込むことはせず、甘く吸い付くだけに留めながら、そっと紗玖の肩を押す。紗玖がそれに抵抗を示すことはない。そのまま、樹は彼女をベッドの上に組み敷いた。ぎしりと、二人分の重みでベッドのスプリングが軋む。
顔の横に片手をついて自分の体を支え、反対の手を紗玖の腹の上に乗せた。いきなり、服の中に手を差し入れることはしない。衣服の上から身体の線を確かめるように手のひらを這わせ、紗玖の意識が偏ってしまわないように啄むような口付けを繰り返す。身体を撫でる樹の手に紗玖は肩を跳ねさせていたが、次第に、意識がキスに絡め捕られていったらしい。ときおり、紗玖からもキスが返される。愛しさ、だけではない感情に襲われる。耐えきれず、再度、薄く解けた紗玖の咥内に舌を捩じ込んだ。
「あ、…っぁ、んん、」
荒々しく彼女の咥内を舌で弄り、気紛れに粘膜を擦り合わせる。舌先で上顎を擽るようになぞってやれば、紗玖は上擦った声を漏らして樹のシャツを握りしめた。
身体を撫で上げなだらかな山を作る紗玖の胸の上に手のひらを添える。寝るつもりでいたからなのか、胸に触れる手を阻む固い感触がなく思わず眉間に皺が寄った。無防備にもほどがある、のではないだろうか。兄妹として過ごしていた頃だって、樹と紗玖に血の繋がりはない。他人である以上、そこにいるのは男と女だ。信頼されていることを嬉しいと思う反面、男として意識して警戒してほしいとも思ってしまう。複雑な感情が絡み合い、誤魔化すように樹の咥内に誘い込んだ紗玖の舌に柔く歯を突き立てる。
「っぃ、ぁ、」
急に与えられる小さな痛みに、紗玖は目を丸めて樹の顔を凝視した。細められた樹の双眸は真っ直ぐに紗玖に注がれている。普段見せることのない欲のぐらつく瞳に、気恥ずかしくなって視線を逸らした。しかし、それを咎めるように強く舌を吸い上げられ、逸らしたばかりの視線を樹に戻す。
口の中を好きに弄られるだけで、思考が溶かされていく。言い知れない感覚が肌を走り、吐息に熱がこもる。視界が生理的な涙で滲み、瞬きをする度に涙が眦を伝って落ちた。
2021/12/15 - 星野