自主練で夜遅くまでやっている部員達とは別で、マネージャーとして体育館の倉庫内を整理していた。
「おーい。なまえさん、そろそろ時間ですよー」
「……」
倉庫の扉付近で、片手をその扉の上枠部分に引っ掛けて声をかけられたが、ぼーっとしていたせいか気づかなかった。中に入り、覗き込むように現れた音駒バレー部主将に驚きの声を上げる。
「なまえ?」
「…う、わっ!!びっくりした!?…どうしたの?」
「いや、そろそろ時間だから」
「え!もうそんな時間!?」
掃除とかしたいところあったのに。やり残した箇所を見渡すと、後ろから頭を両手で挟まれ、上向きに倒される。下から見る主将様のお顔はやれやれと言っているようだった。
「はーい、やり過ぎ禁止な。掃除とかは俺らでも出来るから頼んなさい」
「……うぃー」
「なんてやる気のない返事」
頼る気なんてさらさらない返事に今度は両頬を摘まれ、口が尖る。話せない…。
「てちゅ…てつ、ろう。はにゃ、はな、して」
「え?なんて?てちゅろう?はにゃして?」
「……」
「いでッ!?」
意外と力を込めて摘まれたせいで口が回らなくなり、恥ずかしくなる。それをこいつはニヤニヤした顔で馬鹿にするもんだから、一発回し蹴りをくらわせた。夜久、直々に伝授してもらった技。
「まあ、冗談はさておき。あんま無理すんなよ」
「無理してないしー」
「なあに?なまえちゃん、甘えてもいいんですよ?恥ずかちいんですか?この、てちゅろうさんが何でも…〜っいって!?おまっ、本気で…!」
「ばーか!」
揶揄うことをやめない鉄朗にもう一度回し蹴りをお見舞いした。
そんなことが昨日あって、今日。
「…頭、くらくらする」
これ、100%熱あるやつだ。関節痛いし、寒いし、熱出てる時と同じ怠さ。今は4限目前の休憩時間。授業は休みたくないけど、ここにいて他の人に移すのは余計嫌だ。それに、鉄朗や夜久もいる。マネージャーが選手に風邪を移すわけにはいかない。ふたり、特に鉄朗にはバレないよう友達に声をかけて、保健室に向かおう。昨日の今日だし、体調悪いことをバレたくない。
休憩時の騒音の中、ゆっくり静かに席を立ち、友達の元へと向かう。
「っ!?」
「お前、熱あんだろ」
「なんっ!?」
あと少しで目的の場所に辿り着こうとした時、目の前に現れた男、もとい鉄朗の手が私の額を滑る。バレた、と後退ると自分が思っているより体調は悪かったらしく、後ろへ力なく倒れそうになる。それを脇から手を回すようにして支えるこの男。流石、運動部。反応速度が速い。
「っと…」
「……ごめん」
「大丈夫…じゃねぇな」
「え、!?」
「暴れない暴れなーい」
「…お、ろして!!」
流石だ。なんて感心している場合ではなかった。そのままスムーズに膝裏にも手を回して私も持ち上げ、所謂お姫さま抱っこというものをされる。近くで見ていた、聞いていたクラスメイト達は心配の声と、冷やかし、楽しそうに悲鳴を上げた。やっくん…ケラケラ笑ってないで。鉄朗が熱あるって言った時、近くにいて聞こえてたあなたは心配してくれてたでしょう。その心配はどこへ?
現役運動部に勝てるわけもなく、されるがままに保健室へ連れて行かれる。扉には"先生、外出中"の札が。帰ってくるまで、ベッドで横になっていよう。鉄朗もそう思ったらしく同じことを呟いた。
ソファに下ろしてもらい、一先ず体温を測ると39度近くあり、それを確認した鉄朗はひとつため息を溢す。
「ありがとう。後は、寝て待ってるから…」
「あ、おい…」
「っ…」
「はぁ…。こういう時くらい甘えなさいよ、ほんと」
これ以上、一緒にいて移すわけにはいかない。ベッドに向かうべく、立ち上がると視界が揺れ暗くなり、立ちくらみを起こす。さっきと同様支えられ、そのまま抱えられた。
「っ…!おろ、してって!!近寄らないで!」
「え…。近寄らないでって、鉄朗くん、素で傷つきました」
「いいから…」
「はいはい、移るとか気にしないの」
「……」
移したくない一心とぼーっとする頭で、色々やってくれるこの人に酷い言い方をしてしまった。こういう時に優しくされると、甘えたくなっちゃうから、突き放すような言い方しかできない。だけど、この男はこんな言い方しかできない理由に気づき、更にはこういう状況下で甘えさせるのが上手。なんとか保っていたストッパーが外れ、我慢するのをやめた。
ベッドへ私を下ろそうとする鉄朗の首に力を込めて腕を回した。
「……」
「…あのぉ…お姉さん…?」
「……」
「……」
「…こういう時は甘えていいって言った」
「あ、ウン」
でも、横になんねーと。と言う鉄朗に、ぎゅっと腕の力を強くした。私はベッドに下半身が付いているから、鉄朗が上体を屈ませてる体勢になっている。
「鉄朗の首、気持ちいね」
「……」
そう言って首に顔を埋めて、スリスリと動かす。
「もうほんと、マジで寝て」
「……じゃあ、手貸して」
「……どうぞ」
手を貸してもらう代わりに大人しく布団の中に入った。自分がしてもらって言うのもあれだけど、付き合ってもない、彼女でも何でもない女にこういうことをするのは、胸がやきもきする。他の人にもやってるんだろうなって…。この男は。
首もそうだったけど、自分の体温が高いからか、そこまで冷たくなくても気持ち良く感じる。差し出された右手を両手で数秒握った後、鉄朗の方へ横向きに寝転がった頭の下に置いて枕のように扱った。ほっぺに大きい手。
「ふふふ…生暖かい」
うん。気持ち良くはない。水枕の方が何万倍も気持ち良いけど、なんせ大好きな人の手ですから。
この時はもう風邪を移す、なんて心配はすっかり忘れていた。
瞼が重くなり、ゆっくり瞬きをする私に「そりゃあ、ね」と生暖かい発言に苦笑し、優しく髪を撫でられる。そして、水枕作る、と言ってここから離れようとする鉄朗の手をガシッと掴んだ。
「どこ、いくの?」
「…どこも行かねぇって…。直ぐ、そこに水枕つく「行っちゃうの?」……ああ!?もう、行かねぇよ!どこも行かねぇ!!お願いだから、寝て?!」
「ふふっ。……ちょっとうるさい。頭に響くから静かにして」
「ハイッ!すみませんでした!」
急にキレ出した声量は大きく、静かにしてとお願いをしたら、小さい声で謝られた。
眠くなってきた。ああ…私、とんでもないことを言ってる気がする。でもいいや。考える気力もない。だから、最後にお願いしてみようかな。
「ぎゅーしてほしい、」
「…どうぞ」
今日は溜め込んで話すな、間が多いな。なんて考える。そして、上から優しく抱きしめてもらってから、そっと目を閉じた。
ゆっくり離れて、気を失ったかのように眠るなまえから目を離さない黒尾。その顔は無表情…と少し強張っているように見える。
「(…やっべぇ、…。めちゃくちゃに、抱きたい)」
初めて甘えてくれた好きな人。その威力は絶大で、色々我慢してどうしていいか分からずたどり着いた感情は素直なものだった。
だが、自分の考えにハッと我に帰り、罪悪感から急いで水枕を作りに向かう。
「(…いや、俺は悪くねえ)」
さっきまでのなまえを思い出し、頭の中で永遠に言い訳を繰り返した。