大きな背中。


高い身長。それにあった肩幅に、運動部らしい健康的な筋肉のつき方。

夏用の制服。真っ白なシャツ。そこには薄らシワがあって。そのシャツの袖を緩く数回捲って見える腕の先にある手は腰にあり、お陰で腕の筋がよく分かる。


そして、なにより。背中。姿勢の良さと腰に手を置いていることにより肩骨格が少し出ているように見えて。背中の中心が窪んでいるその場所が…その背中が…とても、



エロい


その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間。私はエロの象徴へと向かって、駆け出した。



「…っわ!!」

あと少し。手を伸ばし飛び込もうとすると、私の大好きな背中は目の前から消え去り、サッカーをする男子集団が視界いっぱいに映り込んだ。昼休み。クラスメイト達とサッカーをして遊んでいた中、ひとり側で休憩がてら彼らを眺めていた黒尾が背後から迫る私を避けたため、文字通り飛び込んでしまった私は勢い余って前方に倒そうになる。

わ、っと声を出して、今度は視界いっぱいにグラウンドの砂が映り込む。反射的に手をつこうと前に出した時、お腹に何かが巻き付かれて、「…っと」と頭上から降ってきたため息のような口から漏れた声に体を硬直させた。


巻き付かれたのは鍛えられた黒尾の腕。あの腕が…あの腕がっ!!さっきの腕が!!!私のお腹に…あるっ!
何故気づいた、どうして私が迫ってくるのに気づいた?飛びつくまで足音は出さなかったはず。私が聞き出すよりも先にあっちが口を開く。


「視線飛ばしすぎ」


まだ黒尾の腕は私のお腹。つまり、距離が近い。近いんだ。これは耳が変になる…と平常心を保つため言葉を発した。


「抱きつかせてくれたっていいじゃんー…ひとつやふたつ。減るもんじゃないし」


ブスくれた風に口を尖らせなると、ははっと笑い声が聞こえて「いーや、ひとつやふたつ。確実に減るね」と今度は意地悪く言われてしまう。


「それより…」
「?」
「みょうじさん?もしかして「!ふ、太ってないから!太ってない!!!」まだ何も言ってねぇけど」

物凄い剣幕で振り向いた私に黒尾はまるで無罪を証明するように、顔の高さで両手の平をこっちに向ける。

「私は毎日、黒尾の背中に抱きつくことを目標に学校に来てるのに…!!!!」
「何しに学校に来てんだよ」
「絶対に抱きついてやるんだから!!」
「……」

そう言って去っていく私の後ろ姿を眺めながら、頭をガシガシ掻いて困ったように眉を下げる、黒尾がそんな表情をしていたのには気が付かなかった。






「制服もいいんだけどさ、体操着もいいよね」

体育。隣コートで男子達がバレーをやっているのを眺めながら友人に言うと、「ちょっと分かんない」と冷たい視線を頂いた。今日は男女各々バレーとテニスの2種目に別れての授業。黒尾がバレーを選択した時点で私の答えは決まっている。そうだ!私はバレーを選んだのだ!眺めるために!!


断然シャツから形が見える背中派だけど、半袖一枚、運動中のあの背中もなかなか。…うん、やっぱり選べない。断然シャツ派を撤回しよう。

普段はスパイカーだが、今はラリーを続けるため一番ボールを触るセッターで他男子達にトスをあげている。その余裕がなんともグッとくる。黒尾のセッター…黒尾のトス…。相手チームにレシーバーとして夜久がいて、たまに自分の近くにボールが上がってきては遠慮なく音駒のリベロ様に思い切りスパイクを打ち込んでいた。それを拾われたり、決めれたり。そんなことをしていると周りの男子達は「俺にも本気のやつを!」と強請り、そして盛大に撃ち込まれて悲鳴を上げていた。


音駒はコンセプトは繋ぎ

1年の9月。夏休みが明けてから変わっていった黒尾の背中に一目惚れをして追って追って追いかけて。練習、練習試合、大会と何処までも付いていった。だから、音駒バレー部が繋ぐバレーをしているのは知っている。横断幕も"繋げ"だしね。でもそれがよく分かるようになったのは猫又先生がバレー部の監督になってからな気がするな。

周りが音駒のことを"しなやか"と言っていたのを聞いたことがある。確かにその言葉がよく似合う。


しなやか…

しな、やか…

し、な、や、か…


「しなやかな黒尾ってめっちゃエロくない?」
「…かなり意味分かんない」

"ちょっと"から"かなり"意味分かんないにレベルアップした友人の言葉に「ぶへへ」なんて黒尾に視線を向けながら出た笑い声に返事はくれない。

あの背中を追ってもうすぐ2年。なのに、未だ手が届かない。抱きつけない。卒業するまでには、と思うけど焦りは禁物だから落ち着いていこうと心に決めた。今。







焦りは禁物だって思ったんだ。

「まっ!?待って待て待て待て。え、黒尾?黒尾ここの席?」
「…」
「私の前の席!私の!!!!わ、た、し、の!!」
「……」

体育が終わって本日最後の授業。たまたま私達の担任が受け持つ教科で、他クラスよりも授業内容が進んでいて余裕があるらしく、最初の数分で急遽席替えをすることになった。

わくわく、うきうきで出来れば黒尾より後ろの席が良いななんて思っていたら、まさかまさかの結果。真ん中の列の一番後ろ。そして、前には黒尾。


そう大好きな背中があるのだ。


「すいませーん。みょうじさんが黒板見えないんで席か「見えます見えます見えますー!!!!」…」

片手を上げて、席を替えようと提案する黒尾に凄い速さで見えると言い放った。担任も私の必死さからか、交換しなくて良いと言ってくれる。

よっし!!これで毎日大好きな背中を至近距離で眺められる。授業が始まり、体を動かさないともちろん黒板は見えない。だけど、動かすわけがないだろう。黒板を見るわけがないだろう。
わぁあ、好きだぁぁ…うっとりとだらしなくなる顔で頬杖をついて見つめていると前から腕が伸びてきた。え、柔らかっ!え、肩骨格…。こんな至近距離で?待った待った待った…!


「お、わ」

伸びてきた大きな手。それは私の頭部をガシリと掴んで下を向かせる。視界には大好きな背中が広がっていたのひ今は机の板。わぁあ、木目が素敵ぃぃ…ってそうじゃない!頭は上げることは出来ず、視線だけでもと思ったら前から聞こえる声。


「見過ぎ」

声しか情報がないから、どんな表情をしているのか分からない。まだ頭にある手は私の髪をぐしゃりと乱暴に撫で回した後、離れていく。おお…黒尾の手が、と前に戻っていくのを名残惜しむように見つめる。


いや、手はないが背中はある。逃げはしない。じぃっと見つめていたら腕が勝手に動き、人差し指で背骨に沿ってなぞった。

「っ、」

その瞬間、体をビクつかせた勢いで自分の机を蹴る長い脚。ドンっと大きな音が教室に響き渡り、一斉に黒尾を見つめるクラスメイト達。
それを上手く誤魔化した前席の男は珍しく青筋を立てて、少しだけ首をこちらに回して振り向く。

「お前、ふざけんなっ」
「…。ごめん」

乱暴な口調が焦っている証拠に思えて、ニヤける顔を必死に抑えて謝った。それを感じ取ったのか、今度は「お嬢さんねえ、いい加減にしなさいよ」と上半身全てをこちらに向けて言う。お嬢さんって同い年ですけど?の言葉は頑張って耐えた。だってこういう時のお嬢さんは照れてる時に言うような気がするから。



「はい、そこ。黒尾とみょうじ、放課後残って資料室の片付けな」

先生助かるわーと棒読みで教卓の方から届いた声にふたりして固まる。やべ、と発して前を向いた黒尾はもう遅く、どう誤魔化しても授業中話していた罰を免れることは出来なかった。







資料室。渡された資料を仕分けて棚に片付ける。

「黒尾ーごめんねぇ」

部活あるのに。そう続けると、背を向けたまま作業をしながら、「あー…うん」と曖昧な返事を返された。……なんか、変。変だ。今日だけじゃない。ここ最近、変。
あまり高くない脚立に座ってファイルをどんどん棚に入れつつ黒尾の様子が変だと疑問に思う。最後のひとつ。これで終わりと気を抜いた私は棚に入れた瞬間、バランスを崩し後ろへ倒れそうになった。

「え、待っ…!」

普通に落ちる…!焦って声を荒げ、棚を掴もうと手を伸ばすが、引っかかったのはさっき入れたファイル。お前じゃない!そのまま後ろへ倒れていくのに受け身を取るため体を反転させようとした時。

「っぶね…」

鼓膜に直接届くくらいの近さで私よりも焦った声が届いたと思ったら、両肩に伝わる熱。その熱が大好きな手と分かるまで数秒かかった。

「あ、ありがとう…助かった」
「お前さぁ、本当気をつけろよ」
「すまない」

ため息と共に注意をされてしまった。確かに私の不注意で助けられたことは今まで何度もあったけども。だけども!耳元で!!ため息混じりの声を出さないでよ!!耳が、耳がっ!!と発狂するのを堪えるのに必死。

ゆっくり離れていく手にまたも名残惜しさを感じたまま前を向き直し、取り出してしまったファイルを元に戻そうとする。


「ひ、やっ…!」
「……」

片付けるため前に重心を持っていったとこで、授業中私が黒尾にやったと同じように背骨をなぞられて変な声を出してしまった。変な声に、変に体をビクつかせて。黒尾よくこんな変な声出さずに済んだな、とか恥ずかしくて思考が可笑しくなっていく。そして、物音ひとつ聞こえず、静寂に包まれた。

しかし、それを破ったのはやった本人で。


「わ、悪りぃ」

これまた珍しく気まずそうに、それから焦りも混じった声色に思わず後ろへ振り向いた。だ、だって!どんな顔をしているのか、凄く気になったから!

「「!!」」

振り向いた先には思ったよりも近い距離にあった黒尾の顔。脚立に乗っていることもあり、目線は同じ。ふたりして目を見開いて数秒固まった後、両頬に手を添えられて無理矢理前を向き直されたので何とか正気が保てた。

脚立を片付け、何事もなかったように「戻んぞ」と言う黒尾に不思議がる。やっぱりいつもと違う。先に廊下へ出た大好きな背中を眺め、そのまま突っ込んだ。


「あ、あれ…?」

間抜けな声が出たのはいつも避ける背中が避けなかったから。

え、え…?何故、避けない。嬉しいはずなのに、数年の夢が叶ったのに。実際叶うと嬉しさより怖さの方が何故か勝ってしまった。


「く、黒尾…?」
「……」

名前を呼んでも返事はない。抱きついたまま上を向いても反応はない、と思ったら黒尾が後ろへ一歩足を動かした。

「…え、」
「……」
「ま、待って待って待った!…ぶふ、」

後ろへどんどん下がってくるため、廊下の壁と黒尾の背中に挟まれる。…な、なんという幸せ!!幸せなんだけども…!!ど、どうしたの?!いつもと様子が違いすぎる!!

これは…あれか…?怒っているのか?


「ご、ごめんごめんごめん、黒尾」
「それは何に」
「え、っと…しつこいから?調子に乗ったって言うか、触りすぎたと言うか…背中に抱きつこうとしたから?」


背中に抱きつこうとした、これは元からやっていたことだから違うかも。でも、もしかしたら今まで我慢していたのかもしれない。この人は優しいから。
…ああ!でも、謝ったところで私はやめれない止まらない、だ。全く反省しないやつめ。

挟まれながら原因を探ろうと頭を活発に活動させていたら、今度は黒尾の後頭部が上から降ってきて、その頭は壁に当たった。なにこれ、どう頑張っても逃げられないんですけど。壁と背中、頭で逃げられないように固定され、両腕は前で組んでいて、余裕を感じさせるのが何とも…好きだ。


「背中に抱きつかれんのは別にいいんだけど」
「え、いいの?」
「……」

いい。の言葉に反射で聞き返す私に黙る黒尾。その後、「いいんだけど…」ともう一度言うから次の言葉を待った。


「抱きつかれんのは彼女じゃないと嫌なんだよね」


揶揄うようないつもの軽い口調ではない。低音で真剣な声で放つから本気のことなんだとゴクリと唾を飲んだ。


彼女…、かのじょ…カノジョ…。


考えてなかった。そうだ、黒尾に彼女がいたらこんなことは出来ないんだ。そもそも気軽に抱きついていい年齢でもない。もしかしたら、既に好きな人がいるのかもしれない。だから、私のことを避けてたんだ、いつもと様子が違ったんだ。

やっと違和感の正体がわかったのに全然スッキリなんてしなく、逆に心が重くなる。小さく「ごめん…」と謝って離れようとしたが、更に黒尾が体重を乗せてくるから抜け出すどころか苦しくなる。

「お、ちょ…くろ、」
「抱きつかれんのはみょうじがいいんですけど」
「…は?」

上から聞こえた言葉に意味がわかなくて停止した。どういうこと…?

「だぁかーら、抱きついてくる彼女はみょうじがいいっつってんの」
「……」

今度は真剣な声…ではなく、照れたように大きな声量で言い放った。何も答えないでいる私に「なんか言えよ」とぶっきらぼうに吐き捨てられて我に返る。

「え、本当に?」

いいの?いいの?付き合う!付き合って!彼女になる!と背中の威力は絶大でテンションが上がってしまう。やっと離れてくれた黒尾と向き合う形になって、上からジト目で見られ納得がいかない、そんな顔をしていた。


「抱きつきたいから彼女になるっつう理由なら付き合わないけど」


そう言って身に纏うオーラは不機嫌そのもの。ああ…今までの違和感。わかった。

「私は黒尾のことずっと前から好きだよ!!」
「…背中がじゃなくて?」
「うん!…んんん?背中も好きだけども」

惚れたきっかけは背中だけど、それだけじゃ抱きつきたいとは思わない。背中と同時にずっと黒尾のことが好きだった。それを伝えると、安心したように小さく笑みを溢す。

「だ、抱きついていい!?!?」

思う存分抱きつける。興奮で鼻息が荒くなり、次は思い切り堪能できるなんて思っていたが、一向に背中を差し出してはくれない。背後に回れということね。よし!気合を入れて動こうとした時、目の前で両手を広げられた。


「おいで」
「!!」

にやりと笑ういつもの顔ではなく、柔らかい表情で温かい声色を出され両手を広げられた。


背中は後でいいか。今はこの胸に飛び込みたい。そう思って駆け出した。