内容は忘れた。今朝から始まった喧嘩が冷戦に変わり、部活の昼休憩でそれが爆発した。
「こんの、人でなしが」
「あ?」
小さく吐き捨てた治に、その言葉を聞き流さずピクリと眉を動かした侑。
「人格だけやなく耳もイカれたんか」
「ああ?!なんやと?!」
「何回でも言うたるわ!このろくでなし!人格ポンコツ!!」
大声で胸ぐらを掴まれた治もまた掴み返し怒鳴る。取っ組み合いからお互い突き飛ばし合い、距離を取って最終的に睨み合う。その時治の近くにボールカゴがあり、その中からひとつ手に取り全速力で投げ飛ばした。しかし、侑に避けられそのまま体育館の外に飛んでいく。
少ししてからドボンッという大きな音が聞こえ、動画を撮っていた角名が音の正体に気づきその方向を見て「あ…」と零したため、何か不味いと悟った双子はそちらへ向かう。
「「……あ」」
近くに転がっているボールと、紙を持った手を上げて横たわるように池の中に沈んでいるクラスメイト、自分の好きな人を見てやってしまったと青ざめた。
「何でツムがついてくんねん」
「……」
「あ?北さんが連帯責任て言うたやろ。サムこそ耳イカれてんとちゃう」
「……」
「は?……あ、」
濡れたまま帰ろうとしたみょうじさんに様子を見に来た北さんがそのまま帰ったらあかんと言い、着替えを貸すため3人で並んで部室に向かう。
みょうじさんを間に挟んで言い合いをしてしまったことに気づいて、やってしまったと言葉を零しまた冷や汗をかいた。
みょうじさんとふたりきりになれるチャンス。俺だけでどうにかしようて思っとったのに、この人でなしもついて来るもんやから苛立ちが再び湧いてきて、つい彼女の前で嫌なところ見せてしまった。こいつ何でついてくんねん、マジで。
ちゅーか、さっきので引かれたり、怖がられたり、嫌われたりしてへんやろか?そんな風に思われたらと考えるだけで何も発せなくなってしまう。こんなこと今まで一度もなかった。リアルに病気か?なんて思った時期もあったが、これほど好きになった人が今までにいなかっただけ。
部室に着き、ロッカーの中から適当にたたんであるジャージを取り出した。入り口付近にはみょうじさんとツムがいて、内緒話をするようにあいつは彼女の耳に口を寄せる。は?近いやろ。なにしてん。近すぎて驚いてんのがわからんのか、あの人でなし。
こっちをニヤニヤしながら見るあいつが憎くて仕方ない。みょうじさんから離れると今度はここからでも聞こえる程度の声量で放った。
「自分、サムのでええの?あいつの臭いで」
「え?」
「俺のにィブフォッ!?…何やねん!!!さっきからお前は!!」
「それはこっちの台詞や!!!」
クソツムを黙らせるためジャージを思いっきし顔面へ投げた。何やねん!あいつ、ほんま…!みょうじさんに余計なことを…。
せやけど、少し気になってしまい投げてない方の半パンをふたりには見えないところでさっと嗅ぐ。だ、大丈夫…やろか?
「?…いい匂いするよ」
「!?」
「ほんまかい。気ぃ使ってんとちゃう?」
「ほんとほんと」
ふたりに背を向け嗅いでいた体を反転させて、勢いよく振り返った先にはツムが片手で持っているジャージにみょうじさんが鼻をつけて匂いを嗅いでいる。なんの洗剤なんだろ?と呟く彼女に顔が赤くなるのが自分でわかる。
薄々気づいてたんやけど、みょうじさんて無防備っちゅうか、危機感がないというか色々危ない気する。上手く言えんけど男を舐めてる、いや男子高校生を舐めてるみたいな。
北さんも風邪ひくなんて言うとったけど、みょうじさんの制服の中に着てるものが透けてたから着替えるように促したわけやし。濡れて張り付いた服により、体のラインがわかるのにもみょうじさんはあんま気にしておらんくて、周りに健全な男子高校生がおるのにやぞ。へらへら笑って申し訳なさそうにあの場を去ろうとしたから表情をあまり変えない北さんが眉をピクりと動かしてた。
そもそもツムとの距離もおかしいやろ。1年から同じクラスやからか?いや、でもふたりが話すとこほとんど見たことないし、なんちゅうか他の男とは一歩下がって接してる気がする。
はっ!?ま、まさか…ツムのこと。いや、ない。人でなしやぞあいつ。
脳内が混乱状態の中、みょうじさんに「ごめんね、これ借りるね。ありがとう」と言われて我に返り、正面から片割れの首に腕を巻き付けそのまま外に出た。
「お前、さっさと帰れや」
「あ?連帯責任てさっきも言うたやろ。俺かてこんなとこ居たくないねん」
じゃあ、居なくなれ。そう口に出す前に続けて侑が話す。
「ちゅーか、何でそんな…お前、まさか。覗く気「そんなことするかボケ!!!」……」
「まあ、俺らのタイプの体ではないよな」
「あ"?」
「さっき体のライン見えたやん。あれは…むぐッ」
「次喋ったらぶん殴る」
みょうじさんの体を思い出しながら胸のサイズを当てようとした口を手で思いっきり掴んで潰す。自分が思ってるより低い声が出たことに驚き、目の前の人でなしは怪訝そうな顔でこっちを見る。好きな人やもん、嫌やん。普段は少しノる話でも出来ない。いや、同じ状況で例えそれが好きな人やなくても今は考えるのを躊躇する。申し訳ないという気持ちはこいつには無いんやろか。
「このむっつりが」
どうとでも言え。
「なに良い子ちゃんぶっとんねん」
ツムになんて言われても今はどうでもええ。そろそろみょうじさんが出てくる。そん時、また喧嘩をしてるほうが大問題や。
「みょうじさんも言うとったで。むっつりって」
「……は?」
「サムはむっつりそう〜って」
「キモ。そんなん言うわけないやろ」
声を高くして、ぶりっ子みたいに握った手を口元に持っていくこいつはみょうじさんの真似をしているようで。ふざけんな、全然似てへん。そんなことせんわ。と今日何度目か分からない片割れへの怒りが込み上げてくる。
「いやいや、ほんまやって」
「……」
「友達と話しとるとこたまたま聞いて「おーい、侑ー!監督がお前のこと呼んどる」
返事をして、なんやろ?と首を傾げながら歩く侑の背中を見つめながら、普段ならあいつ内心ラッキーとか思っとるなんて考えるが今はそれどころではなく、さっきツムが放った言葉を思い出す。ほんまにみょうじさんが言うたん?みょうじさんの目に映る俺はそういう印象なん?いや、待て。彼女がそう言った瞬間だけは俺のことを考えてくれたんや。その時間は俺だけのもの。うわ…なんやろ、めっちゃ嬉しい。
平日、しかも学校でしか会えない片想いの相手と休日に会えた喜び。予想していなかった展開に治のテンションはハイになっていた。自分の思考回路が可笑しくなっていたことに気づくはずがない。
「えーっと…」
「………」
「やっぱり、自分の制服に」
ガチャリ。扉が開いて、自分のジャージを着ているみょうじさんを一瞬想像して心臓が飛び上がったが、姿を見た瞬間それが爆発した。
俺が普段着ているものは当たり前やけどブカブカで、通常肩の位置にくるはずの縫い目はずっと下にあり、手も袖から出なかったのか何回も捲ってあって、そこからちょこんと出る指。半パンもその役割をしていなく、緩いのか右手で落ちないように掴んでる。
これあれや。彼シャツとかなんとか言うやつ。前にクラスの奴らが萌えるなんて言うとって、当時好きな人がいなかった俺は確かに萌えるんやろなあ、と他人事のように流していた。が、これはまずい。萌えるなんて言うたやつ誰や。萌える通り越して燃える。色んなのが燃える。言葉にならん。どないしよ。俺、どうすればいいん?可愛すぎて、なんちゅうかみょうじさん目の前にして考えるのは罪悪感あるけど、この格好は…エロい。
……。
待て。待て待て待て。重要な…いや、今は気づきたくなかったあることに気が付く。
これ…。ジャージのチャック開けたら下着なんやないかって。洗わなくていいと言って貸したこのジャージを帰り着るわけで。それはつまり、みょうじさんと間接的に触れ合うっちゅうことやろ。
頭ん中が動揺しまくってても顔に出したらあかんと思て悟られないように無表情を作る。あ、俺むっつりやわ。ひとり納得すると何も話さないのを気にしてか、また向こうが口を開いた。
「凄くぶかぶかだし、部活終わった後着るでしょ?家も近いし、制服で帰るよ」
「駄目や。北さんも言うとったやろ。風邪引くて」
「うん。そうなんだけどさ、これちょっと」
俺的には着ていって欲しい。大事な体で風邪を引かれたら困るしな。しかし、危機感がないこの子は「緩すぎて手を離すと落ちちゃう」と半パンを掴んでた手を離した。そして、それは足元に落ちる。
は…?
「!!」
「…あ」
一瞬思考が止まり、赤ジャージの下から見える太ももで我に帰る。
「自分なにして…!?はよ着ぃ!ほんま…ほんま!なにしてんねん!!」
これ以上見たらあかん。色々やばい。目を逸らしたのにも関わらずみょうじさんは俺に一歩近づいてきた。
「これ、紐が強く結んであってほどけないの。とれる?」
「…あかん。それはあかん」
俺に見せるのにウエスト部分を前に突き出すため、中が見えてしまいそうになる。
あかんで…ほんま。額に手を添え息を吐きながら近づき、紐を解いた。
あ〜…これ固くて解けないみょうじさん、可愛すぎやろ。
みょうじさんを見送った後、体育館に戻ると角名が一番に気づき「あ、戻ってきた」とこっちを向く。それから俺の顔を見て、不思議そうに尋ねてきた。
「なんかあった?」
「な、なんかってなんや…」
「いや、何もないならいいけど…。ムスッてしてたから」
まさか顔に出てしまっているのかと焦ったが違うみたいだ。あの姿を思い出すと熱が籠るのが自分でも分かるため、必死に作ってたんが角名から見たらムスッとした表情らしい。
顔を強張らせないと色々表に出てしまう。別れ際、みょうじさんは「これチャック開けたらもろ下着だからちょっとドキドキする」と言ってジャージの中を覗くから焦るし、そのせいでテンパってツムを好きなのかと聞いてしまった。しかし答えはノーで。それにも安心と嬉しさでにやけが治らない。ツムのこと好きとは言うてたけど、あれは友達としてって言い方やった。
そんな怒っているような表情をする俺に唯一気づく者がひとり。
「お前、その顔。やっぱ覗いたんやろ!俺が居らんくなって着替えひとりで覗いたんやろ。そのニヤけ面に書いてあんで!」
「え、どこが?」
流石双子と言うべきか。侑に見抜かれて大声で叫ばれる。隣の角名は、どこが?と薄ら笑っておって。しかし、覗きはしていない。否定しようと口を開いた時、抑揚のない声が先に発せられた。
「治、覗いたんか」
「し、してませんて!」
「そうか。ならええ」
やって来た北さんにじぃっと見つめられて問われる。やってないがこの目は苦手で、声が大きくなってしまう。
「ほんで着替えは借りれたん?」
「あ、はい。貸しました………え?借りれた…?」
借りれた?いや、俺は貸した方や。目を数回瞬かせ聞き返す。そしたら北さんは少し考え込むように黙った後、とんでもないことを口にした。
「今日部活やっとる女子に着替え借りに行ったんとちゃうの?」
「……」
「……すまん。俺の言い方が悪かったな」
「…いや。……は」
あの時言われた事を思い出す。
…そうや。北さんは着替えを探すように言ったんや。つまり、俺のジャージやなくて他の女子の。
ボンッ。今まで隠してた分も含め、一気に顔に熱がこもった。近くで「え?自分の貸したの?」「あいつはむっつりやねん」と角名、ツムの言葉は右から左へと流れていく。ちゅーか、お前も勘違いしてたやろがとは片割れに思ったがそれを言える余裕はない。
部活終了後にジャージとタオルを返しに来たみょうじさんはおにぎりも持ってきてくれた。
俺は今、最高に幸せすぎる。自分のためにこれを届けに来てくれたこと、おにぎりを選んでくれたことも全部。最後にへらっと笑う初めて向けられた表情に平常心を保つためと、他の男にも見せるんやろかという何故か湧いた独占力に真顔になり、思わずあかんと言ってしまった。
部室に戻って貸したジャージに袖を通してみると、ふわりといつもはしない匂いがして、これみょうじさんの匂い…と狼狽えた。そのままタオルもバレないように嗅いだところで、やっぱり俺はむっつりやと気付いた。