あの頃と今



昔の夢を見た。鉄朗くんと付き合う前の、マネージャーになりたての時の夢。


夏休みが終わり、久しぶりに袖を通した制服に懐かしさを感じながら、今日から大好きな人の制服姿が拝めるのだとテンションMAXで登校した日のこと。

朝一番で黒尾先輩に会えますように。欲を言っていいのなら朝練前に制服姿の黒尾先輩に会えますように。目を瞑り両手を擦り合わせ、天に願いを込めれば、想いが届いたのかそれが叶った。

「あ。みょうじちゃん」

背後から大好きな人の声。どんなに離れていたって聞こえる。黒尾先輩だ!と振り返り、緩む頬を隠さずお辞儀をすれば、驚いた表情の先輩と親友(仮)の姿。どんなに離れていたって聞こえる。その言葉通り、今二人がいる場所は普通だったら声の届かない距離。それでも聞こえてしまうのが愛の力というものなのです!

「黒尾先輩!おはようございますっ!孤爪くん、おはよーう!!」

手を振り、歩いてきた道を後戻りすると「そっち行くから来なくていいのに」という孤爪くんの言葉が聞こえた気がした。でも戻れば、少しの距離でも黒尾先輩と一緒に登校出来る。なら戻るしかないでしょう!気付けば駆け足で二人の元へ向かっていた。

しかし、その途中。

「!?」
「……」
「……あ!」

ビュンと勢い良く吹く風。今日は風が強かった。スカートの天敵、強風によって私は朝一番に大好きな人にスカートの中身を晒してしまった。申し訳ないことにパンツを見せてしまった黒尾先輩は目を見開き固まってから顔を横に逸らし、孤爪くんは無言で斜め下へと視線を外していた。私は捲れたその場所に手を添え、まだ吹く風からパンツを晒さぬよう必死で守る。

「お見苦しいものを見せてしまって、すみませんっ!」

勢い良く頭を下げて謝罪する。やっと落ち着いた強風に安堵し、スカートから手を離して二人の目の前まで辿り着くと、もう一度強い風が吹きすかさずそこを押さえる。前も後ろも面白いように舞っている。

「わっ!?今日は風が一段と強いですね!まるで私達を歓迎しているようです!」
「歓迎してんの、これ」
「みょうじちゃん、みょうじちゃん」
「?」

髪が流れて鬱陶しそうに顔を顰める孤爪くんと、その横で手招きする黒尾先輩。首を傾げながら近づくと、大きなカバンから取り出した自身のジャージを私の腰へと巻き付けた。前で袖をしっかり結ばれれば、多少の風では動かなくなる。かっこいい……。かっこいい…!!拝むように天を仰ぎ目を瞑れる。すると、今までで一番勢いのある風が私達の元へやって来た。そうなれば多少ジャージで覆われたスカートも動き出す。「みょうじちゃんっ!!」と珍しく焦り、大声を出す黒尾先輩に二回目の謝罪をした。


それから同じような事件が何度も続いた。サーブレシーブの練習中。サーブを打つ黒尾先輩へボールを手渡している時だ。ラスト一本という掛け声と共に、手のひらにボールを置こうとした瞬間、無意識のうちに先輩に近づきすぎてしまったせいか伸びてきた腕が、あるところにぶつかった。触ってもどうも思われないような私の胸。

「!?」

スカートが捲れた時と同じように驚かれた。前を見ていた先輩は見開いた目をこちらに向けて「……わ、悪ぃ」と少し焦りを見せて謝ってくる。そして、直ぐに前を向き直しボールを打つ。悪いのはこっちなのに困らせてしまっている。朝から本当に申し訳ない……!

「背中です!」
「うん?」
「今のはちょっと!背中に触れただけなので!気にしないでください!」
「……」
「ちょっと脂肪があったかもしれませんが、それは、その、あの……そう!羽が……実は最近背中から羽が生えてきまして」

フンーと鼻で息を吐きながら自信ありげにそう言えば、ポカンとした顔で数回瞬きを繰り返される。それから、ぶっ…と小さく吹き出し、頭にポンポンと手を二回置かれた。

「なに、今の。かっこいい……」

歩き出す先輩の背を見送りながら、触れられた自身の胸へ手を添える。近くを通りかかった虎の「どこ触ってんだアイツ……!」と言う発言は私の耳には届かなかった。




今日は黒尾先輩に醜態を晒してばかりだと反省していたらあっという間に午前の授業が終わっていた。気分転換に飲み物を買いに行こうと教室の外へ出れば、学校ジャージ姿の大好きな人を見つけた。

ここからでは少し距離がある。木陰に隠れ、同級生と一緒にいるところを盗み見ようとした時、凝視していたせいか目が合った。

「お、みょうじちゃん。飲み物買いに来たの?」

ニヤッと楽しそうに口角を上げてそう言われては心臓が破壊する。その顔、弱いんです。何で飲み物買いに来たって分かるんですか!?好きです!!

毎秒ごとに好きが積み重なる。マネージャーになってからは、その積み重なるスピードが今までの比じゃない。好きと目で訴えていれば想いが届いたのか手招きされ、一歩近寄ってみると突然視界の端に人影が映った。

「隙あり!」
「あっ、ちょっ、今はタイム!」
「なっ!?!?」

人影があろうことか黒尾先輩のズボンを下に落とした。いや、落とす寸前で先輩の手に寄って阻止されていた。会話の内容からしてそういう遊びをしていたのだろうか。小学生の時はしていた人を見かけたことがあるけれど。誰かが大人になっても男は皆少年さ、的なことを言っていた気がする。少年の黒尾先輩、かっこいい。

下ろされる途中で制止したため、パンツは見えなかった。ううん、少しだけ見えてしまった。少しだけ……。すこし、だけ。

「あーっと……見え」
「ぐっ…!」
「たよね!?」

好きな人のパンツを少しでも見てしまったもんですから、鼻血が出るのは当たり前。鼻を押え、目も押え、その場に崩れるように倒れれば、先輩が膝を着き顔を覗くようにして心配してくれる。

「く、くろ」
「クロ?」
「黒の、パンツ……」
「……」

これがラッキースケベというものなのか。最高にラッキーでスケベだ。まさか黒尾先輩の下着を見れる日がくるとは。

「私はもうこの世を去っても悔いはありません」
「それは俺が困るからやめてね?」
「ゔっは、」
「あーごめんごめん。取り敢えず、みょうじちゃんは何も考えないで」

そう言って背中を擦りながら処置をし出す先輩に、申し訳なさを感じながら今日も爆発的にかっこいいと考えるのだった。







ぱちり。重い瞼を開けると見慣れた天井。そっか、ソファで寝てしまったんだ。

「黒尾先輩かぁ。懐かしい夢を見たなあ」

ゆっくり体を起こすと、ブランケットが掛けられていたことに気付く。寝る前に自分で掛けたのだろうか。記憶がないと疑問に思うも、鉄朗くんは帰りが遅いみたいだから掛けたのは自分だろうと自己解決する。

「鉄朗くんが帰ってくる前にお風呂済ませちゃおう!」

今日は新しいシャンプーを開ける日だ。そのこと思い出し、るんるんでお風呂場まで向かう。家にいるのは自分だけなのをいいことに、大声で鼻歌を口ずさみながら衣服を脱ぎ、浴室の扉を勢い良く開けた。

「え?」
「……え?」
「……きぃ、やぁぁぁぁぁあ!」

バタン。慌てて扉を閉める。開けて直ぐ、目に映ったのは裸体の鉄朗くんだった。今日は遅いはずじゃ…?ていうか、電気ついてたの気付かなかった…!いや、気づいていたけれど、私がただ消し忘れてただけだと思った。何故、気付けなかった。周辺をよく見れば鉄朗くんの着替えが置いてある。まだ髪も何も洗ってなかったみたいだからお風呂に入ったばかり、音は自分の歌声でかき消されていたのかもしれないけど、気配で気付くでしょう。大好きな人、愛する人の気配を何故気付けなかった。

「こんなの、彼女失格だ」

全裸で地面にガクンと崩れるように膝を着き、両手を着く。多分、ブランケットを掛けてくれたのは鉄朗くんだ。優しくてかっこいい素敵すぎる彼氏に私はなんてことをしてしまったのだと落ち込む。こんな状態になっている私を当たり前のように察してくれる彼は扉を開けて声を掛けてくれた。

「せっかくだし一緒に………」

音を立てずに開いた扉を勢い良くバタンと閉める鉄朗くん。扉の向こうから「なんつー格好してんの!?」と珍しく怒られてしまった。確かに私の今の格好は裸だ。素直に「ハダカです」と下を俯きながら答えれば、曇りガラスの向こうから「そうじゃなくて!」と少しジェスチャーを交えて言う姿が薄ら見えた。そういう鉄朗くんも今は裸なのだと、考えただけで鼻血が出そうだ。

普段、一緒にお風呂に入ったりはしない。私が失神するからだ。それと少し恥ずかしい。乙女心というものだ。でもここで彼女としての名誉を挽回するぞ!の意を込めてバスタオルを体に巻き付け、扉を開けた。

「お背中流します!!」

両手に拳を作り相手を見上げながらそう言えば、「……ヨロシクオネガイシマス」と片言で返事をもらえた。これはラッキースケベというものですか!?



「痒いところはありませんか〜?」
「ないでーす」

時々始まるごっこ遊びにいつも鉄朗くんは付き合ってくれる。これは学生の頃から変わらない。いつでも嫌な顔せず付き合ってくれる彼氏が大好きだ。一応、下をタオルで隠している鉄朗くんに美容院の店員として接客をする。

「ないんですねー!実は私が痒いところがありまして〜」
「あ、変わりましょうか?」
「いいえ〜。ちょっと心臓が痒いだけなので〜」
「あー、心臓ですねぇ」
「はい!ですので、夜!彼氏といっぱい愛し合えば痒みも取れます!!」
「その彼氏はすごく幸せですね」

そんなの私の方が幸せです!!優しい眼差しをこちらに向ける彼氏に心臓を撃ち抜かれる。痒み、というより、痛み。

「お客様ぁ!?大変です!!」
「?」
「私気付いてしまいました。愛し合っても痒みは取れないことに…!」
「え?」
「痒いどころか、好き過ぎて苦しくなっちゃう〜〜!痛すぎちゃう〜〜!……あっ、すみません。つい興奮しちゃって敬語が取れていましたわ〜」
「ははっ」
「はい、お客様。笑っていると口に泡が入りますわ。閉じてください!」
「あ。ハイ」

髪を流して、次は体を洗う。じゃあ背中をお願いします、と泡立てたタオルを貰い、背中に手を添える。

「うっ、まっ、待って」
「無理そう?」
「む、り………じゃない!!私は変わるって決めたの!!!名誉挽回するんだ!」

良い彼女になる。彼氏の背中くらい流せる女になるんだ。鉄朗くんが無理そう?と聞いてくるのは私が何度挑戦しても逞しい背中に胸を打たれ、きちんと洗えたことがないからだ。一緒にお風呂を入ることはほとんどないけれど、お背中だけ流すのは何回もチャレンジしている。

「ふぅ……」

必死の思いで、高校時代追いかけることしか出来なかった大きな背中を洗い終えた。

「次は前洗うね〜」
「え?」
「え?」
「いや、前は大丈夫。さんきゅ」
「え?」
「ん?」

爽やかにお礼を言って体を洗うタオルを受け取ろうとする鉄朗くんに首を傾げる。

「あの、なまえ、さん……?あとは自分で洗うから」
「……?」
「なんで背中はダメで、こっちは抵抗ないんデスカ」

背中という大きな壁を乗り越えられた今の私ならどんな所でもベテランの掃除のおばさん並に綺麗に洗える気がする。名誉挽回!を心に据えているせいか自分が背中以外に手を出したらどうなるか想像出来ていなかった。

けれど僅かに残っていた正常な脳が働き、後ろを振り向き困ったように片言で話しながら差し出された鉄朗くんの手に持っていたタオルをぽんっと優しく置いた。


そして、向こうがすべて終えると今度はこっちの番。優しく髪を流し、頭を洗ってくれる。自分でやるより少しだけ力が強くて、指の腹も私より大きくて、地肌を押されると、すごく気持ちが良い。浴室なのに、ぽかぽか陽気のなか日向ぼっこしているよう。お昼寝日和。なんて、考えていると耳のすぐ横で「背中も流そうか?」と色気たっぷりのお声を発せられるから眠気なんて吹っ飛んでしまう。

「なっ、ななななっ、流してください!お願いします!消えてなくなるくらいまで!」
「それは俺が困るから消えない程度に」

そう言って鉄朗くんは体に巻きつけていたバスタオルの結び目に手を滑らす。タオルと肌の間に指が入ってきてビクッと体を揺らした。そして、そのままスルリと解かれ、少量の水を含んだタオルは体から抵抗なく離れようとする。落ちるそれを瞬時にキャッチし、背中だけ晒すよう胸へと持っていく。

「きゃぁぁ……!ぬっ、ぬが!?脱がされた…!」
「脱がさないと洗えないでしょ」
「鉄朗くんが、私の服を……!?脱がしたですって……!?」
「いつも脱がしてるだろ?」
「!?」

さらりと爆弾発言。ガチッと固まる私に鉄朗くんは、ほら早くしないと逆上せちゃうから、と言う。それから手際良く背中を洗い終えたら、最後に私の耳元へ口を近づけ一言。

「背中だけでいいの?」

今度はピキッと固まる。そんなイヤらしい声を出さないで欲しい。石化したように微動だにしない私に鉄朗くんは小さく笑い、石鹸のついたタオルを手渡す。そして湯船に浸かった。そのことが水音で確認でき、我に返る。

「はっ……!?今からタオル取るから目を瞑って60秒数えてね!そしたら目を開けていいから!!」
「鬼ごっこでも始めんの?」

ゲラゲラと笑われる。自身の大きな体では若干小さい浴槽に浸かる鉄朗くんが可愛い。左右の縁にそれぞれ肘を置き、腕先をだらんとさせているのも可愛い。言われた通り、素直に目を瞑り、「いーち」と声に出して数える姿なんて世界一可愛い。つい手を止めて見入ってしまう。

「…………なまえさん、ちゃんと洗ってます?」
「っあ、洗ってるっ」

どうして気付かれた。目は瞑ってるはず。もしかして、愛の力!?!?鉄朗くんが目を開けていないのを良いことに、そっちを凝視しながら体を素早く洗う。
数え終わる前に体を流し、全て済ませてから浴槽に足を入れた。ちゃぷん、と小さく音が鳴ってから鉄朗くんは瞼を上げる。向こうの足の間にタオルが巻いてある自身の体をゆっくり下ろし、ふぅ…と息を吐く。温かい。私が入ったことにより、一気に湯船のお湯が溢れそうになる。

「わわっ、……おお。溢れなかった」

ぎりぎり。少しでも動いたら溢れそうになるお湯に感動し、ゆっくり体を捻り背にいる彼に溢れそうで溢れないそこを指差しながら視線を向ける。

「ぎりぎり溢れないね」

凄い、すごい。と力なく笑い、相手の目を見つめる。肩まで温かいお湯に浸かれば、顔も火照る。どうしてか今、付き合ってなかったらこういうやりとりも出来ないのだろうな、と思い、幸せを感じながら大好きな人を見つめていたら、ふいに硬いなにかが腰あたりに触れたような気がした。

……ん?…………んんんん?

一瞬下を見て、上を見る。すると、目の前にある鉄朗くんの顔は気まずそうで。頬杖を付き、手で口元を隠し、横を向いていた。

「……好きな子と一緒に入ってるんでね」
「お、男の子だ」
「……子ってやめてください」
「男だ……」
「そうです。男なんです」

ということで頂きます、と逸らしていた視線をこちらに向けてバチッと目が合った瞬間、ドクンと心臓が跳ねる。

「まっ!?心の準備がっ!」
「夜、彼氏といっぱい愛し合えば胸の痒みは取れるんじゃねーの?」
「痒みどころか痛くなっちゃうの!」
「はい、あがろうか」

聞く耳を持たず私の体ごと立ち上がる彼氏に、どこでスイッチ入ったの!?と聞く余裕なんて一ミリもなかった。