もう、キャパオーバー



春高が終わり、先輩方は部を引退して数週間が経った。今は一月。同じ部ということで、毎日理由もなく好きな人に会えていたのが嘘のようにピタリと会えなくなった。見かけることもなく、私は生の黒尾先輩を目に移すことが出来ず、ここ数週間過ごしている。



「会いに行ってくれば?」
「そんなッ自動販売機で飲み物買ってきてみたいに簡単に言う!」
「……」
「どちらかと言えば、購買で期間限定販売される超絶人気の幻シフォンケーキみたいな存在なんだからっ!自動販売機の飲み物とは違うんだから!」
「こないだ自販機におしるこないってすごく悲しんでたじゃん」
「はっ!?そうだった……!自動販売機なら買えるなんて思っちゃダメだ!ごめんなさい、自動販売機!!」

ならさっさと行ってきなよ。と言う孤爪くん。何が「なら」なのだろうか。全然通じてないよ!通じていないということはまだ心の距離があるということ!?
そんな思いが顔に現れていたのだろう。声を発する前に向こうが先に口を開いた。

「クロ、今なら教室にいるってよ」
「えっ」
「狙うなら今だよ。会うチャンスなんじゃない?期間限定、幻のクロに」

そう言う孤爪くんの顔は、早く行かないと売り切れちゃうよとでも言っているようなものだった。

「しかも制服姿のクロ、もうそろそろ見れなくなるけどいいの?」

その言葉を合図にスタートダッシュを切った。今しかない。そうだ、制服姿の黒尾先輩を見れるのはあと数える程度しかない。卒業した後は、高校生じゃない先輩の制服姿しか見れないのだ。あれ?大学生になってから音駒の制服着る黒尾先輩、エロくない??エロじゃない??

「えろです!!!!!!」

気付かぬうちに声に出ていた。声に出したことも気付かないまま走り出す。脳内は制服姿の黒尾先輩でいっぱい。一人、二人、三人……いろんな表情、様々な雰囲気を醸し出す先輩の姿が脳裏に現れ、気分が良いことから緩み出す顔を隠すことなく、ニヤけて溢れる「ふふふふふ」の笑い声も堪えず表に出した。

そうしてたくさんの黒尾先輩に囲まれながら、三年五組の教室前までやってきた。
そして。今までの勢いはどこへ行ったのか、そっと身を隠しつつ静かに扉から顔を覗かせてみる。ゆっくり視線をキョロキョロ彷徨わせて数秒、大好きな人の姿が目に止まった。

「!?!?……っっっく!?」

久しぶりに会えて喜ばしいことなのに、普段呼ぶことの出来る好きな人の名前は喉に詰まって出てこなかった。何故か。理由は簡単、単純で。

「裸体……!!!!」

そう。久しぶりに会った先輩は裸体だったのだ。全裸ではないけども!上半身ハダカ。お着替え中なのか腰から上は何も身に纏っていなかった。

「言い方よ。つか、みょうじちゃん、どうしたの?」

もしかして俺に会いに来てくれた〜?とニヤニヤしながら近付いて来られては目も頭も鼻もクラクラになる。体温が一気に上昇し、蒸発してなくなる前に何か対策を取らなければと近寄ってくる先輩から距離を取ろうとするけど、私より一歩が大きい先輩の歩幅に勝てるわけがなく距離は縮まるばかり。

「わっ、来ないでください……!」
「えぇ……。そんな拒否られると黒尾センパイ、ショック」
「ちがっ!?先輩、今裸体なんですよ!?!?分かっていますか!ラ・タ・イ!きゃぁぁぁーーー!!!!」

両手で目を隠し、指の隙間から好きな人の裸体をチラ見しては悲鳴を上げる。うっ、筋肉すごい。腹筋すごい。鼻血我慢できてる私もすごい。我慢出来てる理由は、「見たい」ただそれだけで耐えている。
ショックと言って悲しい表情を作っていること、知っているんですから!そのお顔もステキすぎますけども!えぇ、と言っているお顔はニヤけているじゃないですか!

整列されている机の間を抜けて避ける。そんな私に一定の距離を保ちつつ、徐々に近付いてくる先輩。周りから見たら教室内で鬼ごっこをしているような光景だろう。

「先輩!早く着替えてください!!そんな格好してちゃダメですよ!?なんでずっと肌を見せているんですか!着替えないんですか!?」
「いや、着るものみょうじちゃんが持ってるからでしょ」
「はっ!」

ぐるぐると逃げて直ぐ。目に止まった先輩のTシャツをつい下心で握りしめていたことを今思い出した。だから先輩は追いかけてきたのだろう。でも、渡したくない気がする。だって先輩の匂いがするんだもん。

「わっ、渡したくありません……!」

ぎゅーっと力いっぱいTシャツを抱きかかえれば、好きな人の匂いが鼻を掠る。うぅっ、すき。
本能のままわがままを言ってしまったため、目を瞑りTシャツに顔を埋めた。返してくださいと言われると思っていたけれど、何の反応もないことに焦り顔を上げてみれば、直ぐ目の前に先輩の姿があって息を呑む。無言で見下ろす雰囲気がいつもと違い、心臓の動きが速くなった。ドキドキ!じゃない方の心臓の速さ。動き方をしている。

「……」
「……えっ、と」
「……」
「ご、めんなさい!調子乗りました!下心、しかありませんでした!」
「みょうじちゃんさ、」
「はいッ!」
「鼻血出さないの?」
「…………え?」

鼻血……?予想していなかった発言に首を傾げる。

「鼻から血が出る、鼻血、ですか?」
「……ソウデス」

確かに黒尾先輩からしたらこの状況で鼻血が出ていないことは異様なのだろう。鼻血の我慢を先輩の裸体を見たくて我慢してるとは口が裂けても言えない。

「黒尾先輩のハダカ見たさに我慢しているなんて口が裂けても言えません!!!!!」
「え?」
「あれ、口に出してました!?」
「うん」
「ハダカ見たいから我慢してるって聞きました!?」
「ウン」
「いやぁぁぁーーー!恥ずかしい、恥ずか……っなんで近寄って……!?」

どこまで我慢すんのかなって。そう言って先程とは打って変わった様子で愉しそうに近寄ってくる先輩にまた距離を取ろうとする。「そもそも俺の着替えみょうじちゃんが持ってるし」と口角を上げたその顔に一歩後退ると同時に、Tシャツを持っている両腕を前に突き出した。

「はいっ!お返しします!降参します!!」
「はい、どうも」
「ぅわっ、!?!?」

黒尾先輩のゆっくり伸びてきた手はTシャツじゃなく、それを持っている私の手首へと触れた。そのまま自身の元へ引き寄せ、私の体は服を着ていない好きな人の胸へと埋もれた。

「っ!?!?」

目の前に、先輩の裸体。離れようも背中に腕を回され、離れられない。あー……あったか。耳元で溢した息と共に吐き出された言葉にハッとする。そうだ、今は真冬。暖房が効いていても服を着ていない状態では寒いに決まっている。体温が上がっている私は汗をかいていても先輩のはそうじゃない。風邪を引いてしまう……!なんてことをしてしまったんだ、と一気に冷や汗が流れた。

「ごめんなさいっ、本当にごめんなさい!着てください!」

勢いよく先輩から離れて、Tシャツを突き出す。その行動に数秒間目を丸くした先輩は、ふっ、と小さく笑った後「ありがと」と大人しく受け取ってくれた。男らしさ全開で少し荒々しく袖に腕を通し、頭から被る姿を至近距離でマジマジと見てしまう。
きっと目を輝かせていたんだと思う。着替え終わった黒尾先輩ともう一度視線が絡み合った瞬間、私を見てさっきと同じようにキョトン顔をして数回瞬きをした先輩。更に数秒前と同じく微笑み、それから両腕を軽く広げた。

「もう一回、抱きしめていい?」

えっ、と口に出すより先に向こうが動いた。固まる私を他所に壊れもののを扱うように優しく抱きしめられる。あー……みょうじちゃん、あったか。そう言って背中と後頭部に回っている腕の力が強くなる。

「うっ……もう、げんかい」
「えっ、今!?」

ボタボタ流れてくる鼻血。予想していなかった出血に先輩は酷く焦っていた。

もう、キャパオーバー……。