3月14日(2)

「え………」
「…何」
「だ、誰…?」
「…………帰る」
「うそうそっ!大好きな研磨くんですっ!」

3月14日ホワイトデー。事前に連絡を受けていたお店の前で待っていればそこに現れたのは普段の姿とガラリと変わり、見たことのない綺麗なジャケットとスラックスを着こなした研磨が現れた。

「え、ど、どうしたの…気の迷い?」
「…別に。時間ギリギリだから、入るよ」
「え、ええ…?本当に何があったの…」

私の質問に答える気がないのかお洒落な階段を登り来たことのないようなレストランに研磨は足を踏み入れた。いつもと違う姿に驚きながらも変わらないプリン頭の髪色とちょっと猫背で歩く姿勢に今は少しだけホッとして、慣れないヒールをカツンと鳴らして研磨の後を追った。

「……」
「……」
「……えーっと?」

綺麗な色のシャンパンとか、お洒落すぎる前菜とか、目の前に運ばれるコース料理に目がチカチカと眩んでしまう。マナー、作法、やばいもっとちゃんと勉強しておけばよかった。ぐるぐる頭にハテナを浮かべて両手にナイフとフォークを持てば「…あのさ」と漸く研磨が口を開いた。

「…ここ、個室だし。別にそこまで気にしなくていいんじゃない」
「そ、そうだよ個室…!こんなところの個室って何!?お、おかね…」
「…そういうやらしい話、やめなよ」
「うっ、ごめんなさい…」

お金あるかなぁ私、いや最悪カード切ろう。いくら研磨が社長という肩書きを持っていたとしても元々こういうお金の使い方をする人じゃないし、外食してもなるべく自分で支払っていた。けれど「場所教えるから少し綺麗な格好だけしてきて。絶対お店調べないで」なんてやたらと強く言われてしまってその言葉を鵜呑みにしてノコノコやってきた私は今大量の汗をかく羽目になっている。

「…一応言うけど、おれが出すから」
「えっ?」
「今日、お返しの日だし」
「…ほ、ホワイトデー?」

ホワイトデーだからってまさかあの研磨が絶対に好まなそうなこんな煌びやかなところで食事なんてお返しくれるなんて思わないじゃんか。目を丸くしたまま研磨を見つめれば当人はあの頃みたいに周りを気にしておどおどすることはなく、けれど少し慣れない手つきでナイフとフォークを使って綺麗に食事を進めていた。

「…ふぅ、お腹いっぱい〜」
「よかったね」
「めちゃくちゃ美味しかったよう〜…もう二度とこんなの食べられない…」
「大袈裟すぎ」

ふふ、と少しだけ笑った研磨がグラスを傾け静かにワインを飲み干した。グラスが口から離れるその瞬間をジイっと食い入るように見つめれば居心地悪そうに顔を顰め「何」と私を睨みつけている。

「いや、だって研磨が…」
「おれが何」
「研磨が…というか研磨とこういうお店に来ることがあるなんて思ってなかったからまだ信じられなくて」
「…まあ、おれもそう思うよ。もう数年…数十年はいい」
「それはほぼ一生と言うのでは」
「…なまえが来たいって言うなら、100回に1回くらいは来てもいいけど」
「え、嬉しい」

100回なんて大きな数字なんて関係なくて苦手なところにまたら来てもいいと言ってくれることがもう既に嬉しい。でもやっぱり、研磨と一緒なら家でくたくたな部屋着を着ながらへらりと笑って過ごす方が幸せだ。宅配ピザを頼んだり時々私が作ってみたり、冬は音駒のみんなを呼んで炬燵で鍋やパエリアなんかを囲むようなあの日常が愛しい。勿論結局それは研磨と一緒に居られればいいってハナシなんですけども。

「あ、意外といい時間なんだね。明日休みだし今日研磨の家泊まろうかなぁ」
「…」
「研磨?何か都合悪い?」
「…そうじゃない。帰る前に、言っておかなきゃ…だから」
「うん?」

なんだろう。部屋が汚いとか?いやそれは知ってます。この前片付けたのに次に行くとまた散らかしてるんだから。この前懐かしい漫画一気に買ったなんて言ってたからそれも散らばってるかもしれないなぁと斜め上をぼんやり見つめて考えればキラキラ輝くシャンデリアが光を反射しその眩しさに目を細めて視線を戻した。

「…え?」
「……これ」

視線を戻した先、テーブルの上には先程にはなかった小さな箱が置かれていた。馴染みはないけれど、画面越しでは見覚えがありすぎるその小さな箱。憧れていて、何度も研磨に「見てっ!」なんて写真を見せて、その度適当に躱されてきた水色の可愛いボックス。

「……」
「…こういうの、ほんとガラじゃないから」
「…けん、ま」
「一回しか、言わないからね」

頭が真っ白になってそのボックスをただジッと見つめれば置かれていたそれは研磨の手に戻り、そっと箱が開けられて写真で見てきたダイヤモンドが目に入る。少し前に見上げたシャンデリアのキラキラなんて比にもならないその輝きは気付けば段々滲んでしまっているけど、自分が泣いていることにまだ頭が追いついていない。

「……結婚、しよ」
「…」
「…」
「…」
「……何か言ってってば」

顔を伏せて視線を落とした研磨はまるであの頃みたい。教室の端っこでなるべく目立たないように身体を丸めてスマホゲームに勤しんで、けれどそれが逆に目立ってたりもして。
でも今は、この個室には研磨と私しかいない。目立つ目立たないなんて関係ない、今この瞬間、私の世界には研磨しかいない。

「…けん、ま」
「…」
「あの、ね。わた、し…」
「…」
「これから先も、研磨と…いたいです」
「…うん」
「…研磨のことが、だいすき、です…」
「うん、知ってる」
「…研磨のお嫁さんに、してください…っ」

やっぱりこのお店は私達には似つかわしなくて、子供のようにぼろぼろ泣き出した私にギョッとした研磨がオロオロと「ちょっと…!」手を彷徨わせていた。

ああそうだ思い出した。
珍しい場所も、似合わない状況も、全部全部昔から私が望んでいたことだった。研磨にやって欲しいとごねた訳じゃなくてただ漠然とした夢。高校生の時に「理想のプロポーズはねっ!」なんて意気揚々と話していたあの話をまだただの友達だったあの日の研磨は、どんな気持ちで聞いていたんだろう。

「ひっく…けんまだいすき…っ」
「うん」
「だいすき…だいすきです…」
「わかったから、泣き止んでよ」
「むり、だよぉ…」

先程赤くなって伏いていた研磨は既にもういない。口角を少し上げて呆れたように私を見つめる愛しい人は「やっぱり慣れないことはするもんじゃない…」と大きな息を吐いて緊張が解けたかのようにぐったりと身体を緩ませ体勢を崩していた。

「…なまえ、早く帰ろ。おれもうつかれた…」
「う、ん…」
「とりあえずこれは、家に帰ったらね」
「!?ゆ、指輪っ!」
「え、何。別に今じゃなくても…」
「研磨くんそれは爪が甘いです!」

漸く流れることはやめてくれた涙を目一杯に溜めてカバンに戻そうとするその手ごと両手で掴んで制止した。ちょっと冷たい研磨の手、やっぱり彼も緊張していたんだと胸がじんわり暖かくなる。ぎゅうと優しく包み込んで見つめれば、研磨はハァと小さく溜息をついてもう一度その箱を開き指輪を取り出し私の左手を取った。

「……これでいい?」
「…ちょっとぶかぶかだ」
「サイズとか…わかんないし。後で直せるから…別にいいでしょ」
「…うん。ありがとう、研磨」

少しだけ緩いその指輪。左手を掲げて見つめればやっぱりあのシャンデリアに負けずにキラキラ光って輝いている。

「えへへ。研磨がこんなこと考えててくれてたなんて思わなかった…嬉しいよう…」
「……はあ」
「…え、なんで溜息まだつくの」
「これから毎日なまえがおれの城に居座るのかって考えたらちょっと…だらだら出来ない…」
「ひどい!奥さんだよ私!ていうか私が家にいてもいつもゴロゴロだらだらしてるじゃん研磨!」
「うん。…だから、結婚するならなまえとって決めてた」
「うっ」

研磨のバカ。そんな眩しい笑顔で幸せすぎる言葉を告げないでよ。胸が痛くて止まった涙がまた浮かび、顔も身体も全部が熱い。

珍しすぎるその優しい笑顔を次に見れるのはいつだろう。
明日か明後日か明明後日か。まあでもずっと一緒にいれるんだもの。毎日毎日その日が来るのをキミの隣で気長にのんびり待ち続けてみよう。