深夜に乗せたカップルは

深夜。一本の電話が鳴る。今日は金曜日。飲み会の多いこの時期は私らタクシードライバーにとってこの時間帯がとても忙しい。
この仕事をしていると、色んな人に出会う。コンプライアンス的にお客様のことは他言しないが、芸能人、ヒーローを含め有名人を乗せることは少なくない。今日はどんなお客様が乗車するか楽しみつつアクセルを踏んだ。

呼ばれた場所へ辿り着くと二人組の男女が待っていた。女性の方は酔っているのか男性に支えられている。しかし、その支え方は凄く雑で。慌ててドアを開け、乗車するのを待った。

「ゔ、気持ち悪い……ぐわん、ぐわんする」

そう発しながら這いつくばるように乗り込んだ女性にこのまま車に乗って大丈夫なのだろうか、と不安になる。

「おい。もっかい吐くんか。なら出ろ」

続いて、乗り込まず外から声をかける男性に女性は「もう吐くものない。大丈夫」と伝えた。そして、中に座った男性をバックミラーで確認した時、喉の奥が鳴った。

ダ、ダイナマイトだ。大爆殺神ダイナマイト。超人気ヒーローじゃないか。この職に就いてから今まで数々のヒーローを乗せてきたから狼狽えることはない、と自分に言い聞かせるが、今回は中々難しい。何故なら、私の孫がダイナマイトの大ファンだからだ。そして、私もファンだから。遊びに来る度、可愛い孫がダイナマイト語りをするため、気付けば孫と一緒に彼のフォロワーになっていた。願うことなら孫と私の分、サインをいただきたい。若しくは、握手を願いたい。

けれど、今は仕事中。長年培ってきたタクシー魂に恥じぬ働きをしなくてはいけない。例え、自分の推しが目の前にいようとも仕事を全うしなければならない。芯の揺れる漢になったらいかんのだ。ダイナマイトに憧れた一人の人間として。

「飲みすぎた……」
「だろーな」
「だって、久しぶりに皆と、飲めたから楽しくなっちゃって……つい、うっ」

顔色を悪くしながらも「やっぱりA組の皆、私好き〜」と力なく笑う彼女にダイナマイトの目元が微かに柔らかくなったのをミラー越しに見えた。その瞬間、ドキリと心臓が跳ねる。いや、だって、まさかダイナマイトがこんな表情をするなんて、それを見ることが出来るなんて考えもしなかったんだ。これは孫に見せるにはまだ早い表情だ、と自分の中だけに留めておこうと決めた。

「うっ、うぇ…」
「おい、吐くなよ」
「いや、ごめん……。なんか勝己の顔見たら吐き気が」
「……」

さっきまでの柔らかい表情はどこへやら。彼女の言葉に今度は目が冷めていった。けれど、彼女はそんなこと気にもせず、ことんっとダイナマイトの肩へ頭を預け、自分から彼の掌に手を合わせ、指を絡ませ、ぎゅっと強く握ればダイナマイトはさっきの貴重な表情になるのではなく、何を考えているか分からないただ無言で無表情のまま繋がれたそこを見つめていた。その姿は敵面と言われ、常に強気で、必ず完全勝利を収める頼れるかっこいいヒーローとは正反対のただの一人の男……よりも少し幼く見えた。それも彼女に心を許しているからだろう。

メディアでは一度もダイナマイトの熱愛は報道されていない。彼のファンからは、ダイナマイトが結婚出来るのか、そもそも誰かを愛すことが出来るのか、と一部では心配の声が上がっている。私はただダイナマイトが安らげる場があればいい、と願う一人のファン。それも今日で願いが叶った。後部座席で「明日の朝ごはん、焼きおにぎりが食べたい」「ハッ、そんなに食いたかったんかよ」「シメは焼きおにぎりって決めてるの」というやりとりをBGMに、普段より本当にほんの少しだけスピードを緩め運転する私はタクシードライバー失格だ。

「ありがとうございました」

送り届け、車内から出ていく二人に頭を下げる。いつもなら車中、お客さんに話をかけることもあるが、今日はそんな余裕がなかった。行先を教えてもらい、最後お金を貰い、挨拶をする。会話どころか「応援してます」「いつもありがとうございます」の言葉すら伝えられなかった。反して、フラフラの彼女はダイナマイトに支えられながら私の目を見てお礼を言ってくれた。

「ありがとうございました。いつも遅くまでご苦労様です。私達は貴方達が居てくれるから自由に飲むことが出来ます」

突然そんなことを言われ絶句する。言われたことに対してもだが、その女性の正体に気づいたからだ。ダイナマイトと同じ雄英を卒業した超人気ヒーローじゃないか。乗車して直ぐに聞こえた「A組」に何故気づかなかったのか、過去の自分に問う。
固まる私を他所にダイナマイトは軽く頭を下げて謝罪をしてから彼女の方へ目を向けた。

「ダル絡みすんな」
「ダル絡みじゃないし……うっ」
「てめ、俺の顔見て吐き気起こしてんじゃねえよ」

ふっ、と笑みが溢れた。目の前のヒーロー達を見て緊張がほぐれたからだ。

「こちらこそ、いつもありがとうございます。貴女方がいて下さるから私達は安心して日々過ごすことが出来ています。これからも陰ながら応援していますね」

さっきまで緊張して口に出せなかった言葉がスラスラ出てきて不思議な気持ちになる。きっと直接感謝を伝える機会はもうこないだろう。最後に言えて良かった、と。
欲を言っていいのなら、握手もさせていただきたい。けれど、プライベートの彼らの邪魔をしてはいけない。一瞬、出そうとした手をもう一つの方で阻止した。なのに、「ありがとうございます」と言って彼女は手を伸ばしてくれたのだ。すかさず、慌てて両手を出す私。あと少しで握手出来そうになったところで、彼女の手首をダイナマイトが掴む。

あっ、とそこで我に返った。いくらヒーローとしてでもプライベートでこんなおじさんと彼女が握手したら嫌だろう。何故、私は気付けなかったんだ!そう自分に心中で怒鳴りつけるもダイナマイトが発したのは意外なもので。

「こいつ、さっき手に吐き出したんで止めた方がいいです」
「……え?」

間抜けな声を出してしまった。そう言われた彼女は「手、洗ったけど!?!?」と大きな声を上げる。それを無視し、私の手をガシッと掴んだダイナマイト。え、あっ、握手……。握手されてる、と思った時には既に手は離れていっていた。

ドアを閉める直前、彼女と同じようにお礼と共に「遅くまでご苦労さんです」と言ってくれたダイナマイトになんとも言えない気持ちになる。「自分だってダル絡みしてる」「してねーわ」と最後の最後まで二人の幸せなやりとりが聞けて、この仕事をしてきて良かったと目元が熱くなった。