友達以上恋人以上

まずいと思った。


口に咥えたポッキーをこちらに突き出すクラスメイトの男子を前にして数分前の自分を殴ってしまいたい衝動に駆られた。

こんなところを彼氏に見られたらまずいかもしれない…と。





放課後、暇つぶしに急遽始まったのは王様ゲーム。

教室の机を囲んで男女混合でやるこのゲームは何となく嫌な予感がしたけれど、断ることの出来ない私は流れるまま得意の作り物の笑顔で皆の輪に入った。


初めは簡単なものばかりでそれなりに楽しむことができ、内心ホッと息を吐いていたが徐々に盛り上がりを見せ、王様の出す要求は難しい物になっていた。

そして、今王様になった子が出した命令は1番と5番がポッキーゲーム。私の持っている割り箸には1の数字が書いてある。5番は学年でも人気のある爽やか男子。こういう命令に男女が当たった場合、彼氏彼女がいたらやらない、いなかったらやるというルールで。相手は彼女がいなく、私は彼氏がいるけど付き合ってそんな日が経ってないのと、周りには仲の良い友達同士としか思われていないから余計に言いにくい。だからこの命令はやらざるを得ない。

ここでちゃんと彼氏がいると言えればいいのだけれど、悩んでいるうちに周りは盛り上がっていて、タイミングを逃してしまった。それに、ここで言って空気が悪くなったらと考えると言い出せない。

一口だけでいいみたいだし、だったら…と咥えられたポッキーへと口を近づけた。




今は部活中だし大丈夫だろう。その考えがいけなかった。ポッキーを口に含んだ瞬間、教室の入り口から聞こえてきたのはいるはずのない彼氏の声。自分の苗字を呼ばれ体が固まり、直ぐに歯を立ててポキッとクッキー部分を折ってしまった。

「んだよ、黒尾ー!今いいとこだったのに」
「はい、みょうじさん。もう一回」
「あ、いや、ちょっと…」

今のは無しだかんなー、なんてポッキーを渡される。これ、ラスト1本だ。全部、食べてしまえばやらなくていいかもしれない。チョコの部分を大きめに口に含むと周りは、攻めるねー!と盛り上がり、急にやってきた人物には既に興味がないのか皆の視線は私に集まってこちらに勢いよくやってくる黒尾には誰も気づかない。

クッキー部分に手を添えて食べ続ける行為に周りは不思議に思い、相手の男子が食べる手を止めようと腕を伸ばしてたその時。

バシンッ

「…え?」

その伸びてきた腕を突然目の前までやって来た黒尾が軽く手で弾いた。囲んでる椅子から自身の体を無理矢理捩じ込ませて入ってきたその男はポッキーを掴んでいる手を取り顔を近づけてきた。視界には黒尾の顔しかない。残り3分の1しかないポッキーを私の唇ギリギリで噛み砕き、その後唇に微かについてるチョコを舌で舐めとった。

「…甘」

そう言って離れていく彼氏を見ながら呆然とする。周りは一瞬静まった後、ドッと湧き上がる。え、なに?!どういうこと!?付き合ってんの!?などたくさんの質問が飛び交う中、二の腕を内側から掴まれて立たされたかと思えば、そのまま背中に腕を回され黒尾の胸に顔面から突っ込む。
ぽすっという音と共に力強く抱きしめられ頭上であまり聞くことのない真剣な声色が聞こえてきた。

「なまえは俺のだから」

表情は見えないけど、最後の"だから"の言葉は少し荒く、普段の何倍も低い声。怒らせた、と固まっていると強引に腕を引かれて教室から連れ去られる。出て行く途中、後ろで悲鳴が聞こえた気がするけど、それを気にかけるほど今は余裕がない。




「く、黒尾…」
「……」
「ごめんなさ……ぐふぉっ、」

早歩きで腕を引かれるから私は小走りをしてついて行き、目の前にある大きな背中に向かって謝ろうとした。しかし、言い終わる前に急に足を止めた黒尾に私は止まることが出来ず、今度はそのまま背中に顔面から突っ込んでしまう。

「ごめんなさい…」

その場で何も発さず立ち止まり、後ろを振り返らない黒尾から離れきちんと謝る。それでも微動だに動かない彼氏を見て、段々心臓が速くなり冷汗をかく。今、私の頭の中にあるのは"別れ"の文字。

もし、黒尾が別れを切り出しても何も言い返せない。全部自分が悪いのだから。断れば良かった、これが逆の立場だったら凄く嫌だし、黒尾を傷つけた、と数分前の自分の考えの浅はかさが憎くなる。別れたくないという思いから無意識に手を伸ばした瞬間、ずっと固まっていた体が目の前で動いた。


「あー…」
「……」
「違う違う、今のは違う」
「え、?」

軽く左右に頭を振り、額に手を添えて呪文のように、違うと続ける。何が違うのか。背後から顔を覗こうとした時、目に入ったのは真っ赤になった耳。そして、手で覆われた顔はほんのり赤くて。

「見んな、」

それだけ言って空いている方の手を私の顔に被せた。怒ってるんじゃないの…?なんでそんな顔をしているのか分からなくて、黒尾の掌の中で瞬きを数回くり返す。すると、初めて聞くんじゃないかというくらい弱々しい声色で「…だせぇ」と吐き捨てられ更に訳が分からなくなる。

「黒尾…?」

指の隙間から名前を呼ぶと手を離されてやっときちんと相手の顔を見ることが出来た。ずっと見たかった顔は怒っているというよりも、少し気まずそうで。一度視線を逸らしてからこちらを向き直した黒尾の眉間には皺が寄っていた。

「あんなとこでする筈じゃなかった」

それはもう不機嫌そうに、不貞腐れた言い方をされてやっぱり訳が分からなくて、なにを?と返してしまう。

「は!?」
「え!?ご、ごめん…」

絶対に私が悪い。混乱して今は頭が全然回らないから私が悪いと直ぐ謝ると息を吐き捨ててから「お前…」と睨まれる。

「名前を呼ぶのもキスするのも初めてだったんですゲド」
「あ」
「あ。じゃねぇよ!!!なんなのお前さっきから!!」
「いや、それどころじゃなくて!」
「それどころだろーが!つーか、なにやってんの!?俺がいんのに他の奴となにやってんだよ!」
「それは、ごめんなさい」

もうしない。ちゃんと断る。と下を俯く私の頭を「断れないの知ってる」と言って乱暴に撫でた。

「でもこれからはちゃんと断れよ」
「うん。もうしない」
「うん」
「……嫉妬したの?」
「…お前さぁ」

嫉妬しないわけねぇだろ。ため息を吐いた後、そう言われて驚いてしまうと額に指を弾かれた。痛い…。

「だって未だに信じられないから」
「なにが」
「黒尾が私のこと、その…好きってこと」

ずっと片想いで終わるんだって、友達以上に思われたことないって思ってたから、だから付き合うことができてもこんな風に嫉妬されるなんて考えもしなかったから。


「俺、女として見てない時なんてなかったから」


一歩近づき真剣な表情で言われるから、緊張で逆に私は一歩後ろへ下がってしまう。そして、向こうはまた一歩近づく。それを繰り返して背が壁につき逃げ場を無くし、どうしようかと視線を上げると至近距離に黒尾の顔があった。


「なまえのこと…今ぐちゃぐちゃにしたいくらい嫉妬してる」

二度目に呼ばれた名前にドクンと胸が高鳴り、視界には大好き人の顔で埋め尽くされ名残惜しくもゆっくり瞼を閉じると唇に温かいものが触れた。