妹になんてなりたくない

朝、5時に起床。顔を冷たい水で洗い、歯を磨く。軽くメイクをして長い髪を上でひとつに纏め、動きやすい格好、ランニングシューズを履いて玄関の扉を開けた。

「おばーちゃーん!!おはよう!」
「なまえちゃん、おはよう。毎朝偉いねえ」

家を出て直ぐ。隣に住んでる幼馴染、鉄朗のおばあちゃんと顔を合わせる。毎朝、私はおばあちゃんと一緒にジョギングをしているのだ。健康のために歩いていることを知ったのは小学校高学年の時。それから毎朝欠かさず一緒に歩いている。

「こんな可愛い子に毎日起こしてもらうなんて鉄朗も幸せ者だねぇ」
「え!そ、そうかな…?」

へへっと照れを隠すように鼻を人差し指で擦ると、いつもありがとうねとお礼を言われる。このジョギングを終えた後はいつも鉄朗を起こしに行くのが日課。私が好きでやっているだけで、しかも朝から家に上がり込むという迷惑行為をしているにも関わらず黒尾家は全員温かく迎え入れてくれるのだ。


部屋の主はまだ寝ているだろう。音を立てずゆっくり扉を開けて中へ入ると、顔の両サイドにある枕を手で押し付けてうつ伏せに寝ている幼馴染の姿は見慣れたもの。

「てつろーう!朝だよー」
「……ン」
「あーさですよ?」
「う、…い」

一度声をかけてから無防備な背中に跨がり、腰を下ろす。一瞬変な音を吐き出す鉄朗は何とか返事をして枕から手をゆっくり離しては首を後ろへ軽く捻って再びベットへと自身の顔を力無く落とした。普段はこれで終わりだが今日は何となく気分が良いため、背上で「寝ちゃダメだよー!」と叫びながら腰でぴょんぴょん跳ねていたら、寝起き特有の掠れた声で絞り出すように放たれた。

「……おじょーさん、それやめて」
「えー?これ楽しいのに…トランポリンみたいで!」
「ここはトランポリンじゃありません」
「じゃあ起きてくれる?」
「起きる起きる。起きるから退いて」
「はぁーい」

まあ、起きてくれるならいい。でももう少し鉄朗の体に触れていたかったなぁ、なんて思ってしまう。のそりと体を起こし、頭をボリボリ掻いた幼馴染の目はいつもの半分も開いていない。変なの。ケラケラ心の中で笑いながらもこの顔を見れるのは私だけの特権だと嬉しくなる。もう一人の幼馴染である研磨ならまだしも鉄朗は誰かに起こされるイメージはないだろう。けれど、これも私のわがままでそうさせてもらっているのだ。

鉄朗とも、研磨よりも年下の私は今年二人と同じ高校へ入学した。私がやっと二人に追いついたと真新しい制服に袖を通す時、既に鉄朗のそれは使い古された馴染んだものへと変わっている。たったふたつ。そのたった二年の差だけど、今の私達には凄く凄く大きくて。

「ねえねえ、髪伸びたと思わない?」
「んあ?…ああ、伸びたな」
「でしょでしょ!!」

洗面所で洗った顔をタオルで拭く鉄朗に見せびらかすようひとつに纏められた伸びた髪をサラッと靡かせる。手を使い何度もアピールする私に、フッと小さく笑った鉄朗は寝起きのせいかなんだか幼く見えて不意にドキッと胸が鳴った。

「じゃ、じゃあ!私行くから!!また学校で!!」
「おう」

危ない。危ない。これ以上一緒にいたら好きが爆発して離れられなくなる。おばあちゃん達に一言声をかけてから足早に黒尾家を去った。



小さい頃から鉄朗が好き。幼馴染としてじゃなくて、男として。でも向こうは私のことを可愛い妹、幼馴染くらいにしか思っていない。私の気持ちを気付いているのかどうかは分からないけれど、気付いているいないに関わらず、妹と思われている時点で脈は無い。

「どうしたら妹から抜け出せるのかな」

ポツリ。小さく呟いた言葉は誰に届くわけもなく消えていく。学校の廊下。そこの窓で物思いにふけていると、外から弾んだ声が耳に届いた。

「あれ黒尾の妹じゃね?」
「あ、本当だ。おーい、妹ちゃーーん!!!」

窓の下枠にクロスに重ねた腕を乗せていたら渡り廊下を歩く鉄朗と友達が近くを通りかかった。一人が私に気付いたと思えば、隣にいるもう一人の先輩が元気よく両手をブンブン振り回し、妹ちゃんと呼ぶ。

妹ちゃん、じゃない。妹になんてなりたくないもん。鉄朗の周りにいる人はみんなそう言う。言われることも嫌だけれど、それよりも鉄朗本人に伝わる方がもっと嫌。私と妹。この二つの単語を繋ぎたくない。今回はきちんと否定しよう。少し離れた場所にいる彼らに届くよう思い切り息を吸った。その瞬間。

「そうそう。俺の可愛い可愛い妹だから、手出すなよー?」
「!」

私よりも向こうが先に言葉を発した。自分より背の低い友達に、顎を少し上げながら見下ろすようにニヤリと笑う鉄朗は私のことを妹と言う。やっぱり妹のようにしか思われてないんだ。女としては見てくれないんだ。常々思っていたことだけれど、鉄朗本人からは言われたことはなかった。

「本当に、妹としてしか見てないんだ…」






黒尾家の鉄朗の部屋の、鉄朗のベッドの上に、鉄朗のようにうつ伏せで寝転がる。枕は、いらない。だってちょっと男臭するし。でも嫌いじゃない。むしろ好き。大好き。早く部活から帰ってきてくれないかな。でも、やっぱり帰ってきて欲しくない。会いたいけど、会いたくない。そう思ってるくせにここに居続ける私はやっぱり鉄朗に会いたいのだ。

そんな葛藤を繰り返すこと数時間。ガチャリと扉の開く音が、この部屋の主が帰って来たことを知らせた。

「……」
「……」

私がここにいるのに対し何も言わないことからして、おばあちゃん達にでも来ていることを聞いたのだろう。けれど、いつも鉄朗が帰ってくると飛び付く私が起き上がりもせず、ベッドにうつ伏せになっているのを見て何かを感じ取ったんだと思う。部屋には異様な雰囲気が流れている。

「……」
「……」
「……なまえさん」
「さん付けしないで」
「…ハイ」
「妹に、さんなんて付けないでしょ」
「ハイ」

きっと私が拗ねている理由は気付かれている。また沈黙が流れるが、ベッドに埋まった顔を上げようとは思わない。こういうところが子供、妹と言われてしまうのだ。でも、鉄朗にとって私は妹だから。こんな風に理由を言わず拗ねて八つ当たりしても面倒くさがらないでいてくれる。

現に今も微動だに動かない私の髪を掬って遊んでる。小さく揺れる音がしたから胡座をかいて床にでも座っているのだろう。左手で頬杖をついて右手で私の髪をくるくると指に絡めて遊ぶ。その顔はぼーっとしていて無表情。見なくても分かる。視界は真っ暗で鉄朗の姿なんか映していないけれど、どんな風にどんな表情でどうしているのか、近くにいればなんとなく分かる。ずっと一緒にいるから、ずっと好きだから分かるんだ。

それにしても、拗ねている…怒っている人にする行動じゃない。怒っているのも私がこうしている理由も分かっているのにこれだ。舐めてる。完全に舐めきっている。絶対に顔を上げてやるもんか。段々苛立ちが込み上げてきて更に瞼を強く閉じた時。くるくると回していた指を止めたかと思えば、今度は髪の間を縫うように入ってきては首に触れ、そのままそこを伝って耳裏を撫でられた。

「っ」

一瞬ビクッと体を揺らしてしまうが、そんなことはお構いなしに指を滑らせ、続けて耳たぶを一度ふにっと優しく摘まれる。

「ねえ!!!!!!」
「お、やっとこっち見た」

やっと目に映した鉄朗はやっぱりベッドに肘を置いて頬杖をついていた。よくやる癖。話をする時や真剣にバレーの試合を見ている時、勉強をしている時にも無意識にその仕草をする。

「お、ってなに!?私怒ってる!!」
「ごめんって」
「本当に怒ってるんだから」

謝った後ぽんぽんと優しい手付きで頭を撫でられ、また妹扱いされていることに胸がムカムカして口を尖らせ相手を睨みつける。それに対し鉄朗は「あ、可愛い」なんて言ってきたことに私の中で何かが切れた。

「〜〜っそうやってっ…、」
「は?ちょっ」
「妹扱い、しないでよぉぉぉ…」

うええーんと声を張り上げ子供のように泣いた途端、鉄朗は慌てて胡座をかいて座っていた床から立ち上がり、ベッドへと腰を下ろして私の両肩を掴み顔を覗き込む。ヒクヒク喉を鳴らし溢れる涙を手根で何度も何度も救う。それから両腕をクロスさせ、制服の裾に手を添えた。

「は!?」
「う、ぅぅ…妹じゃ、ないもん…」
「ちょっ待て待て待て!!何で脱ごうとしてんだ!」
「妹だったらっ、別に、下着姿見ても何とも…思わないでしょ」
「いや、わかっ、いや!取り敢えず落ち着け!」
「鉄朗が、落ち着けば」
「あ!?」

こうなったら脱ぐ。女として見てないなら下着姿を見たところで何も思わない。そう思って掴んだ裾を上にあげて脱ごうとしたけれど、阻止されてしまう。そんな邪魔した張本人は、焦っているのか口調が荒く声も大きい。普段余裕ぶっている幼馴染とは思えないほどに。

「女の子がいきなり脱いだりしたらダメです」
「……」
「わかった?なまえさ…、ちゃん」
「……」

脱ぐのを止めた私にまたも子供に言い聞かせるような伝え方をし、さん付けで怒られたからちゃん付けをする鉄朗。

「鉄朗は、私のこと女として見てくれないんでしょう」
「……」
「今日だって可愛い妹って言った…」

下を俯きボソボソと呟くように話す。その後、数秒の沈黙が流れ、頭上から深いため息が降ってきて体を震わせる。

「なまえが」
「……」
「十六歳になってから告白してきた人としか付き合わないって言ったからだろ」
「え、なにそれ」

意味分かんない。どういうこと?理解不能の言葉に首を傾げていたら「覚えてねーな、これ」と渋い顔をされる。

「十六になる前に告白してきた人とは絶対付き合わないとも言ってた」
「私そんなこと言ってない」
「いーや、言ったね。小学校の時」
「…言ってない」
「言った」
「……言ってないもん」
「言った」

言ってない。本気で。数年前の記憶を思い出そうとその時のことを考えても何も出てこない。しかし、鉄朗にその時私の中でハマりにハマってたドラマのタイトルを告げられて、全て思い出した。そうだ。そのドラマの主人公が十六歳で運命の人に出会い、恋をしてゆく純愛ラブストーリーに影響され、私もその歳になった時に告白してくれた人としか付き合わないって心に決めていた時期が確か、あったような、なかったような…。でもそれにしたって、

「意味が分からない」
「俺もだ」

私のその発言で自ら自分を苦しめてたの?ていうか、鉄朗はその言葉を真に受けて…。

「何で真に受けるの!?」
「分かんねえよ!でも好きな子がそんなこと言ったら怖くて伝えらんねーじゃん!」
「しっかりしてよ!男で……え?」

え…。今鉄朗なんて言った??好きな子。好きな子って言った?混乱して頭がついていかず、固まる私に向こうも焦っているのか珍しくこちらの状況に気付いてなくて怒りの篭った声色でつらつらと吐き捨てた。

「つーか、言っちゃったじゃねえか!お前まだ誕生日きてねえのに!!言わないように何年我慢してきたと…耐えてきたと思って……そもそも!気軽に男のベッドに乗っちゃいけねーの!!ましては服を脱ごうとか考えらんねーの!!」
「えっ、あ、え」
「……あ」

ボンッと茹でだこのように真っ赤に染まった私に鉄朗はやっと気付いて声を漏らす。さっきまで涙を拭っていた手は今度頬を冷やすのに使われる。必死に熱くなった顔を両手で包み込みながら、上目遣いで視線だけを動かした。

「あ、の…」
「……」
「今の、本当…?」
「……」
「十六になってからとかは別にな……っ!」

目をキョロキョロと動かしながら、今の私が伝えられる精一杯を口にする。震える声で最後の言葉を言い切る前に鉄朗が迫ってきたかと思えば、そのまま体を預けられながら押し倒された。ベッドと鉄朗に挟まれ、上にある男の重さのせいで呼吸がしづらく少しだけ苦しい。いつもは上にあるトサカの髪も鉄朗の顔が私の肩に押し付けられているからすぐ横にあって変な感じ。寝癖で尖った髪が首に当たりチクチクもする。

「あー…まじ、だせぇ」
「……」
「はぁ…、なまえさ、時間経つ毎に可愛くなるし。いつの間にかなんかいい匂いしたり、顔になんか塗ってたり、やること全て可愛いし。なのに昔と変わらずベッドの中入ってくるわ、抱きついてくるわで必死に余裕かまして十六になった時サラッと告白しようとして何年も我慢してたとか…」

ほんと、ダセェ。なまえだったら言ったことなんて忘れてるってことくらい考えれば直ぐ分かるはずなのに気付けないくらい余裕なかったのもダセェ…。そう続けられ、脳内は大パニック。

「なまえのこと妹として見たことなんて一度もない」

最後。顔を起こした鉄朗に見下ろされ、はっきりと真剣な面持ちで告げられた。潤んだ瞳は瞬くことを忘れる。今、この瞬間。大好きな人を目に映すのに必死で息をすることさえも忘れていた。

「鉄朗、私のこと…好き、なの?」

妹としてじゃなくて、一人の女として好きになってくれたの?夢か現実か分からない出来事に顔の横にある鉄朗の腕をぎゅっと握る。視界がぼんやりと滲む中、見慣れた幼馴染の意地悪い笑みが目の前に現れる。ニヤリ、と口角を上げているのに、その目は笑っていない。

「十六になったら教えるよ」

そう言うくせに、私の唇を優しく奪うこの男は狡すぎる。