片親仲間

「あ〜〜やだっ!仕事行きたくない!!」

居酒屋の個室。ドンッと勢い良くジョッキをテーブルに叩き置けば、目の前に座っている黒尾は楽しそうにゲラゲラ笑う。仕事に生きると決めた人間が何故行きたくないと嘆いているのか。それは最近職場のとある先輩に、結婚しないのか。彼氏は作らないのか。結婚した方がいい。彼氏を作った方がいい。そんなことを度々言われるからだ。でも仕事は嫌いじゃないし、その先輩が嫌なだけだから、行きたくないと叫ぶだけで本当に休んだりはしない。

「まあまあ、落ち着きなさいな」
「落ち着けなぁーい!!!」

そう叫びながら再び喉を鳴らしてビールを流し込む。仕事に行きたくない理由、どうして怒っているのかを聞かないこの男は私にとって居心地の良い存在。

黒尾とは小学校からの仲。仲良くなったのは高校に入ってから。きっかけは覚えていない。いつの間にか距離が縮まっていた。

「きっと相性が良かったのかもね〜」

目の前にいる友人を見つめていたら、先程まで私の脳内を占めていた職場の先輩は消え去り、急に黒尾へとシフトチェンジしたことによってそんな言葉が出てきた。この男相手に頭を使った会話はしない。気を遣った会話もしない。急に話が変わるなんていつものこと。そのことをちゃんと理解してくれている黒尾はピクリと眉を一瞬動かした後、目尻を下げながら頬杖をついた。

「相性って俺とお前の?」
「そうそう。私、こんな仲良い男友達なんて出来ると思わなかったし」
「……それは良かった」

数秒。間を置いて言葉を放つ友人を見つめながら、枝豆をひとつ口の中に放り込む。

「私は結婚するつもりないんだよね」
「ふぅん」
「なのにっ!先輩が、何回も何回も何回も!!しつこいくらいに言ってくるんだよ!」
「結婚した方がいいって?」
「うん」
「それ男?」
「女だけど」

結婚=女の幸せ と思ってる人。幸せだと思うけど!それを私に押し付けないでほしい。今、日本では三組に一組が離婚しているってテレビで言ってた。実際、私の親も離婚しているし、黒尾の親もそうだ。

ああ、思い出した。私と黒尾が仲良くなった理由。片親同士だからだったんだ。私は母子家庭で祖父家庭の黒尾とは違うけど。祖父母と暮らしてるのも一緒で共通点が多かった。それだけが理由って訳ではないけれど、ただその当時は周りにあまり片親の人がいなくて、両親がいないことに対して「可哀想」と思われていたから。そう思わない同じ家庭環境の黒尾と一緒にいるのが楽だった。

「黒尾もさ。結婚願望ないでしょ?」
「え、そんなこと言ったか?俺」
「言ったよ!!てか、それが理由で彼女と別れたんでしょ」
「ああ〜」

ため息混じりの声を漏らし、その時のことを思い出したのか苦い顔をして遠い目をする黒尾。今から数年も前の話だから忘れているのかもしれないのだけれど、あの時はっきり「結婚願望がない」と断言した自分を忘れるとか有り得ない。

「早かったね、別れたの」
「な?」

な?なんて他人事のように苦笑するこの男にため息を吐いた。その当時はお互い彼氏彼女がいたなぁ、なんてことを思い出すが、それからは二人ともずっとフリー。

「付き合ったって別れるし、結婚したってどうせ離婚するんだし。だったら最初から付き合うのも結婚もしない方がいいじゃん」
「また極端な」
「黒尾はそう思わない?」
「んー。まあ、別れることになったとしてもその間の付き合ってた時間とか?してきたこととか?思い出とか?そういうの大事だと俺は思うけど」
「ほぉーん」

そういうこと考えてるんだ。ちょっと意外。あ、でも高校の時、俺たちは血液だ、とかそういう掛け声していたらしいから、なんかこういうこと言うのも分かる。間の抜けた声で返事をした私に、ぜってー納得してねえだろ、なんて言われる。うん、納得はしてない。理解も出来ないと思ってしまうから、私は今も彼氏がいないのかもしれない。

「結婚までは言わなくても彼氏作んねーの?」
「んー…えー…」
「……」

まあ、彼氏くらいは作った方がいいのかも。結婚願望がない人。でもそんな人と上手くやれるのかな?そもそもそれって好きなの?ああ、頭がごちゃごちゃになる。ていうか、そもそも彼氏出来たらこうやって黒尾と飲みに来たり出来ないじゃん。前の彼氏とも、言っちゃえばこれが原因で別れたってのもあるし。

「……あ」
「ん?」
「黒尾、私と付き合ったりしない?」
「はっ!?」

名案だ。黒尾も結婚願望ないじゃん。そう思い、自信ありありのドヤ顔で告げるけれど、おまっ!?何言って!?と珍しく動揺するこの男が面白くて思わず吹き出してしまった。

「冗談冗談」
「……」
「え、怒った?ごめん」

笑いながら冗談と伝えるが、無表情でこちらをじっと見つめられて焦る。これは怒っているかもしれない。もう一度真剣に謝罪した後、怒らせた不安から無意識にテーブルに置かれた黒尾の手に触れる。すると、触れられた箇所に視線を移され、そのまま私のそれを掴み手のひらを合わせて握った。そして、掴んだままグイッと軽く自身の方へ引っ張られ、上体が前に屈む。

「ぉわっ!…なに?怒った?ごめんって」

俯いた頭を上げれば目の前には何を考えているか読み取れない表情をした黒尾がいて。それからゆっくりと口を開く。

「それ、本気?」
「え…?」
「付き合うって本気?」
「じょ、冗談だけど…」

ごめんなさい。悪ふざけしすぎました。そう口にすれば、優しいこの友人はいつものように笑って許してくれるだろう。そう思ったのに。

「本気って答えしか受け付けねぇんですけど」
「は、」

これまた珍しく眉を寄せて唇をほんの少し尖らせるように発せられ、驚きの声が零れる。その表情に、その言葉を理解してしまった途端、何故か急に胸が苦しくなった。

「は?」

急に胸が苦しくなったことにもう一度、驚き声を上げれば、この男は「あー…あれだ。結婚願望がないってのはその子とってだけで。みょうじとは結婚願望ある」なんて言ってくる。

「何言って…」
「ということで、これから頑張るのでよろしくネ」

そう余裕ありげのドヤ顔で宣言されるが「頑張るの遅くない?もう二十後半だけど」と率直な感想を言ってしまうと、ヴッと言葉を詰まらせた後、今度は高校の時によく見せた表情で「そういうことは自分が一番よく分かってるんですぅ〜」なんて情けないことを言われた。

黒尾と付き合う。黒尾と結婚する。そんな未来一ミリも想像出来ないけど、これからも一緒にいれるのは悪くないと思う時点で、私は既にこの男に落ちつつあるのかもしれない。