世界のKODZUKENが乗車してきた

ハザードランプをたいて路肩に車を寄せる。自動でドアを開ければ、二十代の男女二人組が乗車してきた。

「おねがいしま〜……」

まず先に入ってきたのは女性。呂律が回っておらず、力ない声でお願いしますと挨拶をしてくれた。ふらふら状態の彼女をあとから入ってきた帽子を被っている男性が支えている。見た感じ、カップルのようだ。……いや、今時の若い子らはこれで付き合ってないことが多いから、もしかしたらこの子達も恋人関係ではないかもしれない、と長年タクシードライバーをしている俺の勘が言っている。

お酒を飲んでいるのは彼女だけみたいだった。落ち着いている男性の方が行き先を教えてくれ、お決まりの返事をしたのち、アクセルを踏むと「迎えにきてくれてありがと〜」という声が後ろから聞こえてきた。

バックミラー越しに一瞬だけ二人に視線を向けた瞬間、タイミング悪く彼女の方と目が合った。あまりジロジロ見てはいけない。軽く会釈をし、謝罪を込めた笑みを零すとその女性は目を丸くする。それから、ぱぁっと効果音がつくような笑顔になるものだからおじさんはびっくりだ。肩を跳ね上げて驚いた。「どちらで飲んできたんですか?」と質問をする暇もなく、お酒と居酒屋、そして香水のような甘さが混ざった香りが鼻に届く。

「へへ〜こんにちは」
「ちょっと……」

彼女なのか、お友達なのか。その女性はシートベルトを最大限に伸ばし、運転席のヘッドレスト付近まで顔を近づけバックミラー越しで私と目が合う。娘が小さい頃によくしていた光景。「お父さん、どこ行くの〜?あと何分くらい?」なんて質問が今から飛んでくるんじゃないかというくらいの既視感を味わっている。
すかさず、彼氏なのか、お友達なのか。隣の男性が女性の肩に軽く触れて私から離れさせようとする。背もたれに体を預けた彼女を見て「飲みすぎ」と呆れた声色でため息混じりに発する男性。

「これがね〜意外酔ってないんですなぁ〜」
「……絶対五杯以上飲んでるでしょ」
「なんで分かったの!?」
「はぁ……」

深いため息をされたことなんてお構い無しに、十杯近く飲んだ〜でも度数低いやつだから。と親指立ててドヤ顔をするのを横目に男性は「三杯飲んだら酔うくせに」と返した。若干その声色には怒りが含んでいるようだ。
今は運転中で、二人の会話だけが耳に届く。お客様のこういったやりとりを聞くのは結構好きだったりする。

耳は傾けても視線を向けないようにはしているのだが、赤信号で停止した瞬間、会話もピタリと止んだため不思議とミラー越しに後部座席へと目をやった。
するとそこには、さっきよりも何倍も近い距離にいる二人がいた。近いと言っても女性の方が一方的に男性の顔を覗き込んでいる、という体勢。男性は帽子を被っているため、どんな反応をしているかは分からない。……これはカップルだ。間違いない。おじさんでもわかるぞ。これは間違いなく、彼氏と彼女だろう。雰囲気もそんな感じだ。

「……なに」
「今日、いつにも増してキラキラしてるね」
「してない」
「かっこいい、すごくキラキラしてるよ。研磨くん」
「!?」

研磨くん。その名を口にした途端、帽子が飛ぶくらい体をビクつかせ、驚く男性。一体どうしたのだろうか。

「うわぁ、」
「っだから、酔いすぎ」
「酔ってないもん」
「なら、くん付けしないで。いつもそう呼ばない」

そう言って、自分が被っていた帽子を相手の顔に押し付ける。見えない〜〜と両手を動かす女性に、フッと軽く笑うその顔は見覚えがあった。

うそ、だろ……?いや、有名人を乗せることは仕事柄なくはない。しかし、いや、こんなこと。この人を乗せているなんて……

「コヅケッ………ゴホッゴホォォ……」
「あれ、だいじょぶですか?」
「失礼しました。この年齢なると痰が絡みやすくて困ったものですよ、ハハ」

心配してくれた女性の横でこちらを一瞥する男性。いや、男性ではなく、世界のKODZUKENだ。人気YouTuberのKODZUKEN。私のようなおじさんが何故知っているのか、何故ここまで驚いているのか。それは、孫が大ファンだからだ。まだ小学生の女の子だが、今の時代はYouTube。俳優の誰々と結婚したい、アイドルの𓏸𓏸と結婚したい、とかではない。孫が結婚したいと言っているのは、YouTuberのKODZUKENだった。

おじいちゃんおじいちゃん、とキラキラした目で動画を見せてくる。自分のことより、お友達のことよりも彼の話をするばかり。私もいつからかKODZUKENを応援するようになっていた。孫が結婚したいと思う男。そんな男が今、女性と二人きり。おじいちゃんは、この秘密を墓場まで持っていかなければならないと使命感に駆られている。

「よかったらこれ飲んでください」
「えっ」
「飲んだやつあげないで」
「……あっ」

まるで漫才をしているみたいだ。さっきからボケとツッコミを繰り返している。そんな二人に、「えっ」「あっ」などと言った声しか漏らせないおじさんは情けない。タクシードライバー魂も泣いている。

「昔からこうやって面倒をよく見てもらってるんです、私の方が年上なのに!へへ、かっこいいでしょう〜」

まだ心臓が早く動く中、彼女が私に声をかけてきた。隣にいるKODZUKENの肩に触れながら、嬉々として自慢しているのはとても微笑ましい。

「今日も迎えに来てくれてたんですよ〜!なんか彼氏みたい」
「えっ」
「?」
「……いや、すみません。カップルなのかと思いまして」
「違うよねぇ。私たち幼馴染です!」

そうだったのか。声を張り、またも嬉しそうに話す彼女はKODZUKENの帽子を浅く被り、隣にいる幼馴染の腕に自身の両手を巻き付けた。対してKODZUKENは、なんだか納得していない様子で、眉間に皺を寄せていた。これは、もしかして……?と考えたところで止めた。野暮な話だ。

明日まで泊まっていい?とニコニコ笑顔で聞く彼女に、KODZUKENは深いため息と共に「いいよ」と零す。心中お察しする、とおじさん如きが若者達の恋愛に対して思った。

それから車を走らせること数分。目的地に着く頃、彼女はKODZUKENの肩を借りてスヤスヤ眠っていた。
数分間。静かな時間が流れ、何度も孫のことを話そうと、もし可能ならサインをお願いしようとした。だが、「コヅケンは外で声掛けられるの好きじゃないから!」という言葉を孫に貰っていたため、なかなか踏み出せない。踏み出しちゃいけないんだ。でも、七夕やクリスマスに『コヅケンとけっこん出来ますように』『コヅケンのサインがほしいです』をお願いするのを見てしまったら、おじいちゃんは…………。

この歳で自分勝手なお願いをしてしまって申し訳ない。大人気ない。そんな思いで、停車し、起こされたものの未だ寝ぼけている彼女を支え外に出ようとするKODZUKENに声をかけてしまった。

「あの、すみません。KODZUKEN、さん、ですか?」
「……」

あ、これは駄目だ。名前を口にした瞬間、顔を思い切り逸らされた。それからすぐ「いえ、人違いです」という返事をもらう。凄く嫌そうだ。申し訳ない。声掛けられるのが嫌な方に話しかけてしまった。
加えて。孫が好きな有名人だとしても、深夜にタクシードライバーのおじさんから声をかけられたら若い彼だって良い気分はしないだろう。もしかしたら、怖い思いをさせてしまったんじゃないかと不安になる。しかも、隣には大事な相手がいるんだ。

「突然、申し訳ありませんでした!いやぁ〜あの、孫がYouTuberのKODZUKENという方の大ファンでして!結婚したいってサンタさんにお願いする程でして!そっくりでしたので、つい興奮してお声かけしてしまいました。すみません」

KODZUKEN……いや、お客様に与えてしまったかもしれない恐怖を拭いたくて、ペラペラと余計なことまで話してしまった。ごめん、おじいちゃん言っちゃった。ごめん、孫に嫌われたらどうしようと、さっきの焦りとはまた違った冷や汗が体中湧き出てくる。お客様の顔も見れない程に。

「ありがとうございました!」

降車される時には、謝罪と感謝を込めて挨拶をしなければ。その思いでいつもより声が大きくなった。最後は目を見て会釈をしようとした時、KODZUKENの口がゆっくり動いた。

「結婚はできない、ごめん。この子とするから」

それだけ言って、自動のドアが閉まった。バタッと閉まる瞬間。「まあ、先に告白しないとなんだけど」って聞こえたのは気のせいだろうか。

「…………へ」

自分でも笑ってしまうくらい間抜けな声が口から零れる。KODZUKENに乗車してもらったこと、話せたこと、ここでの二人のやりとり、そして最後の言葉。

なにより、甘く拗らせた若者の青春を浴び続け、おじさんのお腹はパンパンだった。呆然と立ち尽くすように停車し続けるタクシー。微かに「立ったまま寝ないで!?」という普段聞くことのないKODZUKENの怒号が車内にまで届いた気がした。