黒尾鉄朗にキレられる

同棲を初めて2年。この日は帰宅してきた鉄朗の様子がいつもと違い異様な雰囲気を醸し出していた。
どうしたの?なにかあった?など、気が利かない私は鉄朗の力になればと理由を聞き出そうとする。ご飯を食べ終えお風呂に向かう途中でもう一度同じことを聞いた。


「何でも言ってね!!あ、私!!お背中流しましょうか…?」


金魚のフンのようにチョロチョロと大きな背中の後ろで動き回る。すると、ドンッと大きな音が聞こえ、それが壁を殴った音だと気付いたのは鉄朗がこちらを振り返ってから。


「………ぇ」
「え?」


聞いたことのない低い声で、それも小さく発したから何を言ったのか聞き取れず聞き返した。



「うぜぇって言ってんだよ」


ゆっくり開いた口からは先ほどより何倍もの大きな声で発せられ体が跳ねた。目を見開き、震える声で「ご、めん…」と手を伸ばすと振り払われて、バランスを崩した私は側にあったソファに倒れ込んでしまった。そのまま見向きもせず、お風呂場の方へ歩いて行く姿を眺めながら、もう一度小さく謝る。

鉄朗には聞こえない声で呟いた言葉はしっかり彼の耳に届いたらしく、俯きながらスタスタと長い足を生かし、早歩きでこちらに向かってきた。そして、私を割れ物みたいに優しく包み込み「怪我してねぇ?」と耳元で焦った声色で放つ。
その瞬間、バンッと鉄朗の胸を押し退けてソファから立ち上がった。


「ダメじゃんっ!!!!!!これでもうTAKE12!!!!!」
「……」
「あのままお風呂場に消えていったら終わりだったのに!!完璧だったのに!!」
「いや、お前吹っ飛んでったから」
「なにそんなこと気にしてんの!!私は鉄朗に理不尽にキレられたいんだよ!消えた鉄朗を見て、行かないでって泣きたかったのに!!」


鉄朗が怒っている理由、不機嫌な理由は何もない。これはただ私が鉄朗にキレられたいという願望を優しい彼が叶えてくれているため。演技である。
キレられたいー!と言って、座っている鉄朗の首に腕を回しギュッと抱きしめ、膝の上に乗る。それに応えるように鉄朗に抱きしめ返され、肩に額をグッと押し付けられた。


「無理。キレらんない」
「そこを何とか頑張ってください」
「なまえにキレるとか俺が俺のこと許せなくなるから無理」
「……」


その言葉にドキッとして黙り込んでしまったら、顔を上げた鉄朗が上目遣いで「…もしかして、惚れ直してます?」と聞いてきたから、照れを隠す為にその大きな体をソファに押し倒して叫んだ。



「は?…ちょ、!?」
「惚れ直した!抱きたい!!襲う!!抱かせて!!!」

下を向いた事により、落ちてきた邪魔な髪を耳にかけて顔を近づけると片手でそれを阻止された。


「それ、俺の役目なんで」


簡単に体勢が逆転し下になった私を見て意地悪くニヤリと笑い、「いただきます」と言ってゆっくり近づいてくる鉄朗に応えるように目を瞑る。小さく、ふと笑ったのは自分の心臓の音で掻き消され聞こえる筈がなかった。