2023/05/14

雨の体温

オク夢
ちょっとしたハプニングによってこちら側の情緒がかき乱される話

* * *


力強い雨粒が舷窓を叩いた。パチパチとまるで火花の様な音が鳴るのを私は認める。
ドロップシップ内、控え室にあるソファに体を沈めながら、私はゆるゆると目を閉じ、耳を澄ましていた。
冷たい雨に濡れるのは真っ平ごめんだが、雨音だけはなんだか純朴で心が洗われる様に思えて好きだ。

猛烈なスコールの所為で本日のキングスキャニオンでの試合は延期になってしまった。
濡れた泥土は滑りやすくて危険だし、火薬も湿気ってしまう。

中止がアナウンスされると、仕方ない事だと殆どのレジェンドはさっさと帰路についた。
今船に残っているのは私と、雨が落ち着くまで作業をしていくらしい科学者メンツだけだ。

一定のリズムを刻む水音と、クツクツと何かを煮込んでいるコースティック博士の鍋の音。
時節パチリ、と立つナタリーの電撃。
そしてピアニストの指先の様に滑らかにキーボードを叩くクリプト先輩。

自然音と人工的な音が入り混じるが、それでも静かな空間が何故かとても心地良く感じる。つい、うとうとしてそのまま目蓋を閉じようとしたその時だった。

「おい!こんな所にいたらカビが生えちまうぞ!」
「……オクタビオ、まだ帰ってなかったんだ」
「試合しに来たってのに、この有様だ。俺様の気が済むとでも?」
「でも、こんな雨だもん。無理だよ。皆とっくに帰っちゃったし」
「はぁ!?なんだよ、アイツらやる気ねぇな」

静寂が保たれていた空間は、突如として稲妻の様な男に裂かれた。
機械の足で地団駄を踏むオクタビオはまるで駄々を捏ねる子供だ。
キシキシと鳴る機械音も合わせて、彼は存在自体が騒音装置と化している。
どうにも我慢出来なかったらしいクリプト先輩はのっそりとモニターから顔を上げてこちらを睨んだ。

「シルバ、静かに出来ないなら出て行け」
「お、なんだ?クリプト。拳比べならいくらでも付き合うぜ」

クリプト先輩からの冷やかな視線。博士からのモルモットも裸で逃げ出す殺意。そしてナタリーからのきょとんとした珍獣を見る目。
この三者三様のプレッシャーをスルー出来るオクタビオはやはりぶっ飛んでる。

「……悪いが子守りを頼めるか」
「……オーケーです」

前髪をくしゃりと掻き上げたクリプト先輩の眉間には深い皺が刻まれている。
誰がガキだ、と一人暴れ始めたオクタビオの細い肩をがっしりと掴み、私達はハッチの方に向かった。
散歩くらいならまあ、付き合ってもいいかもしれない。


* * *


傘を開くと、勢い良く雫が布地を弾き、伝って行く。濡れた頬は冷たく、谷間を抜ける強風が一瞬にして私の髪を乱れさせる。外に出た事を私は早速後悔し始めていた。

けれど、揺れる背の高い木々から漂う緑の香りや、黄砂によって色を変え、轟々と水嵩が増えた川の流れ。
普段は熱気に満ちたキングスキャニオンが寒々とした空気に覆われている状況はとても非日常的で魅力的だ。
うん、これは悪くない体験なのかもしれない。そう思い直し、私は泥濘んだ道を歩く事にした。

「雨の日のキングスキャニオンは初めてだから、新鮮かも」
「このぐちゃぐちゃな泥の上を走るってのは中々楽しそうだな」
「あー……あんまり遠くに行かないでね」

どうやらオクタビオは私と並行して散策するつもりは微塵も無いらしい。
てっきり私に傘を押し付け、本人は手ぶらでいる気なのだと思い込んでいたので、走り回る気満々の彼に唖然とする。
思わず保護者の様な気の抜けた返答をしてしまった。

びちゃびちゃと泥の飛沫を飛ばしながらオクタビオは歩き辛い道を飛び回る様に走る。
もうこのボトムは諦めよう、そう裾を土色に染めながらも私は彼を早足で追い掛ける。
側から見てオクタビオはよそ見だらけだ。勢い余ってこの切り立った丘から滑り落ちたらひとたまりも無いだろう。

自然観察がしたかったのに、いつの間にか私の目的はオクタビオの監視活動になっていた。私は空に目を放てないのでせかせかと足を動かす事しか出来ない。

はあ、と大きな溜め息が自然と漏れる。突如、足に何かを引っ掛け、よろめいた。
やばい、油断していた。
多分、状況的に木の根っこだろうけれど、このままでは……、

「っ!?」

衝撃に備え、ぐっと身を硬くしていたが、岩よりずっと柔らかな物が私の体を受け止めた。
お腹の辺りを突然抱えられ、反射的にその腕をしっかりと掴んだ。
けれども頭の中は酷く混乱している。今、この場で私に手を差し伸べる事が出来る人物はどう考えても一人しかいない。

「おいおい。どっちが不注意なガキなんだ?」
「ご、ごめん。有難う」

呆れた様にオクタビオは言うけれど、その腕に篭っている力は真摯だった。有り難く彼の腕を支えに、勢い良く土壁を蹴り上げ、元の道に戻った。

「なぁ、凄い心臓バクバクしてねぇか?」

オクタビオは揶揄う様に言った。言い返そうと思ったが、現に体を密着させたのだ。誤魔化しても無駄だと私は素直に認める事にした。

「今、死に掛けたからね。そりゃあもう凄まじくバクバクしてる」

ただし、それだけじゃないのは自分自身が一番分かっている。

落としてしまった傘を拾い上げ、さっさと先を行くオクタビオの背中を追い掛ける。
事故が起きかけたと言うのに、彼はこちらを気にする素振りを全く見せない。先程起きた事がまるで嘘の様だ。
それが妙に悔しいと思うと同時に、そんな風に感じる自分にハッとさせられる。

つまりは、気の利く好青年像とはかけ離れたオクタビオのギャップにやられただけなのだ。
これは吊り橋効果ってヤツなのだ。
それか、悪い人が捨て猫を拾ってたら途端に良い人に見えるあの現象かもしれない。

どこからどう見ても棒の様に細いのに、その内に男性らしい力を秘めた彼の腕が視界に入る度、私の情緒は本日の天候の如く、乱された。

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カド