氷柱言葉


「お前さんなぞに興味はない」

 それが、覚えている限りの最後の会話だった。




 立海大付属中学のテニス部にはマネージャーが多く在籍している。
 していた、の方が正しいけど。

 『カッコいい先輩方』を求めて入部した多くのマネージャーは、それがバレるや否や真田辺りに「たるんどる」と切り捨てられ。そうでなくても、妙に仕事の多いためか、それ以外の人もほとんどが振り落とされていく。
 後から惚れたのか途中入部する者も後を絶たないけれど、結果は同じく……まぁ、 そういう愚痴は置いておくとして。私こと名字 名前は、そんな激しいマネージャー戦争を生き残ったうちの一人なのでした!



 マネージャーの仕事は少なくない。
 備品整理に予算管理、スケジュールの確認をすることもあれば、トレーニングの見直しだってする。生徒にやらせていいのかってものもあるけど……あと、ドリンクとかはぶっちゃけ部員自身にやってもらいたい。言わないけど。

 と、思考が逸れた。手元に目を下ろせば片手に一つずつ、パンパンに膨らんだゴミ袋が。
 今日は部室清掃の日。この日ばかりは全部員が平等に掃除に勤しんでいた。
 サボりは許さない、とばかりに走り回っていたのはマネージャー勢。……のはずが、一瞬手が空いてしまったばっかりにゴミ出しを押し付けられてしまったのが私。

「それじゃあ名字、ゴミ出しいってきまーす」

 ゴミを出す頃というのは、一段落がつき始める頃。残るマネージャー陣に声を掛ければ、「はぁーい」とのんびりした声が返ってくる。
 確かに、彼らほど背が高くない私がゴミ出しにいくのは、道理っちゃ道理なんだろうけど。

 かといって、これが楽かと言われればそれは別。一応は持ち手が出来るような縛りかたをしたんだけど、ぱっつぱつに詰められたゴミ袋の重みは容赦なく私の第二関節に集中。
 「指切れないかなぁ」なんてぼやきながら部室の角を曲がったところで、銀色のサボり魔に遭遇した。

「ほー、重そうなモン持っとるのぅ」
「……そういう仁王は、何を?」
「サボりじゃ」

 軽やかに笑いつつ言いのけるこいつが憎い。本当にサボり倒してたんだろうなぁ。
 が、いつものこと。ここで小言を溢したところでこのペテン師が動くことはなく、それどころか、発生したロスタイムについて真田の雷が私に飛んでくるだろうことは容易に想像ができる。

「この部室にそんなに捨てるモンが詰まっとったとは、微塵も思わんかったぜよ」
「わざとらしい……お菓子のゴミとか多いんだよねぇ、ロッカーに詰めて誤魔化したりとか。あれはホントにやめてほしい」
「虫湧くじゃろそれ……」
「そう思うんなら、現場見付けたら言っといて……」

 この部活のレギュラーは変人ばかりだと良く言われるけど(桑原ごめん)、仁王は意外と常識人なんじゃないかと思う時がある。
 サボり魔だなんだと言われるところは……そりゃあどうにかしてほしい。でも言われるほどサボっている訳ではないし、見付けさえすれば練習に参加してくれる。何だかんだ配慮を知っていると言うか……柳生とダブルスを組んでいるだけのことはあるというか。
 そういうこともあって、私は仁王が苦手ではあるが嫌いではない。

「っていうか、ちゃんと掃除に参加してくださーい」
「なんじゃあ、折角手伝ってやろうと思っちょったんに」
「いいよ、二つくらい」
「無理しなさんな、埃被り姫」

 と、思った瞬間のこれである。
 油断したのが見えているのだろうか、気を許しかけた途端に意地悪を挟んでくるところが仁王雅治たる所以! 埃なんか被ってない!
 加えて、ニヤニヤしながら言った言葉が本当だった試しはない。昔、それこそマネージャーになったばかりの頃は、彼の言葉をすぐに信じては騙されていた。けれど、今はもう言うこと成すこと全部嘘か冗談だと思うことにしている。
どうせさっきの発言も、私にサボりが見つかったから場所を移動するための口実なんだろう。それか非力さへの皮肉? どっちにせよ真面目に対応する必要はない、詐欺師様には背を向けて歩きだした。




 顔を上げれば、辺りをオレンジ色に染めていく、もう欠片程度の大きさになった太陽が目を刺す。

 本来ならゴミを出してすぐに部室戻るつもりだったんだけど、グラウンドに着くなりテニスコート側のゴミも押し付けられ。お陰で二往復もするはめになってしまった。
 二度目のゴミ出しが終わったかと思えば、焼却炉付近の片付けの手伝いをさせられる始末。先生曰く、テニス部はマネージャーが何人も居るんだから、一人くらい借りてもいいだろうとのこと。いくない。

 そんなことをしていれば、勿論呆れるほどの時間が過ぎていく訳で。終わらない掃除に愚痴を洩らし出した頃、珍しいことに戻ってこないのを心配したという幸村が現れて「他の部員たちは先に帰らせるから」と残して去ったのがおよそ二十分前。手伝ってくれる訳じゃないのがさすがである。
 そしてようやく、かき集めた落ち葉らを炉に押し込めたところで私の仕事は終了。やっと帰れる。なんか腰が痛い。押し付けた先生いないし。この竹ぼうき焚べてやろうか。



 どうせ誰もいないだろうと、ため息混じりにぼやきながら開けた部室のドア。と、傾いたオレンジ染まりかけた、意外な先客が一人だけ。
 逆光のお陰で表情は良く見えないけど、あの特徴的な髪型は間違えようもない。……はず。

「──なんでいんの?」
「鍵番で負けたんじゃ。誰かさんが部室に荷物を丸っと忘れてったからのう、閉め出すわけにもいくまいて」
「あぁ、そっか」

 部室の中央、見ようによっては後光のようにオレンジを纏っている仁王は、殊つまらなそうに言葉を吐く。
 私がフラついていたことを言いたいんだろうけど、不可抗力だったからあまり言ってほしくはないなぁ……そもそもどこにいるかわかってたんだから、鍵を渡してくれれば良かったのに。
 なんて、過ぎた話は置いておいて。仁王がわざわざ残ってるってことは、レギュラー陣でじゃんけんしたのかなぁ。そうでもなきゃ、こんな面倒くさいことに自分から残るとは思えないし。

「……まぁ、ごめんとありがとうとは言っとくけど。でもその無駄に皮肉込め込めの言い方はどうにかならないの?」
「ならんのー。俺のアイデンティティーの一つじゃき」

 相変わらずからりと笑ってみせる彼に、呆れを息に練って吐き出しながら自らの荷物を拾い上げ。ふと、良く言われる言葉を思い出した。



 その時の私は、何も考えてはいなかった。何も気付いてはいなかった。何も想ってはいなかった。
 そのくせして、一丁前に欠片の希望を抱いていて。
 欠片のような希望。気付かないままならほどけて消えた、哀れな綺羅星。



「ねぇ、仁王ってはそんな意地悪ばっか言ってるけど、ほんとは私のこと好きなんじゃないの?」

 好きな子ほど虐めたいってやつ、と続くことはなく。は、と笑うように息をついた彼の顔は、黒く潰れていて覚えていない。思い出せない。

「まさか。お前さんのことなんか……ほうじゃの、好きでも嫌いでもなくどうでもいい。端から、お前さんなぞに興味はないぜよ」


 ただ、ビル群に太陽が呑み込まれていく様だけが目に焼き付いている。夢は終わりとでも言うような、陽の消え行く様。昼が終わる様。光が、潰える様。

 彼の顔が思い出せない代わりに、この光景を思い出す度に反響するものがあった。
 ほんの軽口のつもりで溢した、胸に突き刺さった可哀想な希望のお星さま。星は、いつかはぜて消えるものだから。

 私は、仁王は嫌いではない。
 けれど、仁王の方は私に関心すら抱いていない。そんなの、そんなものには、どうやったって端から手が届く訳がなかったんだ。


「そっ……か」

 声が震える。上手く笑えているかわからない。

「ごめんね、変なこといって」

 仁王の返事はない。
 それもそうだ、興味のない相手がどんなに取り乱したってどうでもいいんだろう。

「あれ……はは、うん、ごめん。ごめんね? なんでもないから……」

 何を言い訳しているんだろう。
 何を悲しんでいるんだろう。
 何を泣いているんだろう。

「ごめん……忘れて」

 気づく前に潰えた気持ちにだろうか。
 彼のあまりにもな非情さにだろうか。
 届かないものの輝きにだろうか。
 わからない、わからない、わからない。

 気が付けば、走り出していた。
 現実から逃げるように、夢から逃げるように、恋から逃げるように、彼から逃げるように──伸ばされた手に、気付かないように。

17/11/11
18/11/17 公開
19/03/18 誤字修正

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