君の色は

目の色捏造注意


 柳生は意外に目付きが悪い。
 それを知ったのは本当に偶然で、何かの意図があったわけではない。本当に偶然。そのことを何度話しても微妙な顔をされるのは、私がニオークンとやらに似ているからなのだろうか、わからないや。

 柳生は意外に意地悪だ。
 そこまで仲が良いということはないけれど、彼と私はクラスメイトである。だと言うのに、彼は両手いっぱいに書類を抱えている私に「頑張ってください!」と明るく言い放ちおった。鬼だ、鬼畜眼鏡だ。その後ろの真田も「その意気や良し!」とか言ってたけどそれはそれでムカついた。
 後から通りすがった、ちょっと怖そうな銀髪クンのが優しかったわ。見ず知らずの人間を助けてくれるとか普通に凄いわ。(後から彼がニオークンだと知って凄く驚いた。柳生の話とは真逆だったなあ)

 柳生は意外に可愛いときがある。
 普段は絵に描いたような真面目クンなのは今さら語る必要はない。けれど趣味、特に特撮の話を振ると眼鏡の奥をキラキラ輝かせて(見えないけど)話してくれるのだ。体裁を気にしてか、ほぼ二人きりの時にしか話してくれないけど。
少し、いつもとは違った方面でニチアサを見ていて良かったと思った。

 柳生は当たり前のように優しい。
 知り合ったばかりの私にも、少し仲良くなった私にも、随分仲良くなった私にも、変わらず優しくしてくれる。何も、変わらず。
 それはきっと素敵なことで、そこがずっと好きで、そのはずなのに最近はどうしようもなく、腹立たしい。



 彼に八つ当たったって仕方ない、終わりが遠退くだけだ。いや、それもまた終わりか。

「もーいっかぁ」

 いつかにやったかくれんぼの鬼、その問いかけのように声を上げる。誰もいない廊下、中途な時間だから運動部の掛け声と夕陽だけが差して──

「何が“もういい”んですか?」
「うわぁっ!?」

 突然後ろから響いた声。油断してるときに低い声は本当心臓に悪い。振り向いた先にいた彼は、きょとんとした顔からけらけら笑いに変わるところで。
 少し、違和感。そういえば、彼に意地悪された後はいつもこの笑い方を見ていたっけ、それ以外も。

 ……そうだっけ?

 見上げる位置にある彼の顔は、両の眼は今日も今日とて逆光に阻まれて見えやしない。

「どうしました?」
「なんでも」
「いえ、先程は驚かれてしまいましたからもう一度」
「だから、なんでもって」

 そうでしたか。拗ねたような私を気にもせず、緩やかに微笑む柳生は普段と変わらない、いつも通りだ。彼のことをまじまじと見たことがあるわけでもなし、意地悪が出てくるときは笑い方も意地悪になるんだろう、うん。
 言葉を切って向き直った正面、二人ぼっちの廊下の先は幻想的なまでにオレンジに染まっている。私はこの時間の陽が好きなんだけど、それにしたって眩しい。窓側の腕を日除けにして歩きだしたら、後ろにいたはずの柳生がスッとそっちに。おぉ、流石紳士ジェントルマン

 そういえば、眼鏡の奥が逆光で見えないというなら、影になった今なら見えるんじゃなかろうか。さっき(勝手にだけど)驚かされたし、ちょっとくらい良いよねの精神でブレザーの裾を引いてみる。

「ね、柳生──」
「ん?」

 小首を傾げた彼に言葉を掛けようとして、固まる。彼への言葉を探したわけじゃない。見上げ直した先、私が望んだ景色がそこにはあった、いやなかった。

「どうしました?」

 さっきと同じ言葉、さっきと同じトーン。だというのに、私たちの温度はスゥと消えていく。
 その原因である彼の、緩く細められた瞳の色は、琥珀。

 記憶が弾き出した彼の瞳は、紫を帯びた黒色をしていた。



 弾かれるようにして走り出す。あれは誰だ、ほとんど柳生で、でも違くて、怖くて、一歩でも遠くに行きたかった。離れたかった、逃げたかった。
 つんのめるようにして走る私の視界では、傾き続けるオレンジがサッシに阻まれちらちらチカチカと煩わしい。もう少しで曲がり角、そこまで行けば逃げられる気がして正面に来る終わりかけの陽光と、それに白く染まる視界に飛び込んだ。

「ぶッ」
「おっと!?」

 飛び込んだ先は、正しくは人影だった。しかし恐怖に染まった頭と勢いのついた足は止まってくれない、止めてはくれない。結果、その人に体当たりするに近い形で倒れ込んでしまったのだ。

「つ、たた……」
「す、すいませ──え」

 頭でも打ってしまったのか、いや腰か。本気で痛そうな声が頭上からする。
 その体をクッションにするかのように寝そべっていた私は上身を起こしつつ謝り、そして再び固まった。

「や、ぎゅう?」
「おや……名字、さん?」

 一体どんな受け身の取り方をしたんだろう、傾けた眼鏡を頭に乗っけていたのは柳生。
 そう、柳生。眼鏡をかけ直した今はもう見えないけれど、私を見て二つ瞬いたその眼は間違いなく黒色をしていた。

「ほんものだぁ……」
「はッ!?」

 その事実にひたすら安心して、せっかく起こした上身をくたり伏せる。しまったと思ったのは、ややすがり付くように、けれどなるべく柔らかく倒れ直した先である柳生がビクリと跳ねてから。

「申し訳ない、すぐ退きます」
「あ、あぁ……そうしていただけると、有難いです」
「何やら面白いことになっとるのぅ」
「ヒッ」

 謝りながら退いて、もう一度謝ろうと口を開くと同時に響く声。鼓膜を震わす低いそれに思わず柳生を盾に縮こまったけど、あれ? 今の声は……

 そろり。芥子色のジャージの肩口から覗くように見上げたブレザー。部活動の真っ最中の時間だというのに制服であることをいぶかしめば良かったんだろうか、今思っても遅いけど。逃避しながら見上げた柳生(偽)、その紫を帯びたような茶髪は突然ずり落ちた。否、取り払ったのか。

「そんなに怯えられたら傷付くぜよ……プリッ」
「え、に、ん? え?」
「に、仁王くん!? それはまだ……!」
「いや、ガチでビビられるくらいなら種明かしした方がえいじゃろ。口が軽いわけでもなし」
「それはそうですが……でも」

 わっさりと揺れながら、茶髪の下から現れたのはそれなりに見慣れた銀色。どういうことだ、おんぶオバケと化した私を置いて話は進む。
 やがてぶつぶつ言い出した柳生と、「立てるか?」とカツラを持っていない方の手を差し出してくる、いつもよりきっちりとした格好の仁王くん。訳がわからないままその手を取り、未だ考え込んでいる柳生に手を貸し、二人を交互に見た。

「……仁王クン、が……柳生の真似っこしてたってこと?」
「これが俺の詐欺ペテンじゃき。つっても惑わすんが目的であって、クラスメイトをビビらすつもりはなかったぜよ」
「ぺてん……な、なるほど?」

 わかったような、わからないような。仁王クンの話を真面目に聞いた所で茶化されて終わるのは知ってるので、完全に黙ってしまった柳生をつつく。生きてる?

「……もしかして、柳生か仁王クンになってる時もあった?」
「え」
「ほう、その心は?」
「何だろ、優しめの仁王クンに会うときの柳生は妙に意地悪だったっていうか……そのあとのけらけらした笑い方も、意地悪な時にしかしてなかったなーって」

 言葉を探すときは可能性の一つでしかなかった仮定は、辿った記憶の先の二人と目の前のニヤつく仁王クンとやや青い柳生が答えだと物語っている。分かりやすいな君ら。

「なるほどの。まだまだ詰めが甘かったか……俺もお前も、な」
「に、仁王くんは人をからかいたいだけでしょうに」
「柳生になっとるときは選んどるよ、流石にな」

 言って、見覚えのあるくすくす笑いをする仁王クン。やっぱり彼の笑い方だったんだ、ようやく安心できた。
 納得だわーと流した視線の先、柳生の顔が思っていたより固くて困惑する。さっき『それはまだ』とか言ってたし、入れ替わりの理由とかだろうか。

「もう一つ質問、さっき逃げた理由は?」

 対して楽しげな色を含んだ、細められた目を見返す。温度は全く違うけれど、細め方と色はさっきと同じだった。

「目の……色が」
「色?」
「ん。逆光じゃなかったら柳生の目が視れるかなーって覗いたら、記憶と色が違くて。柳生の振りした誰かなんじゃって思ったら怖くなって……」
「あぁなるほど、それは悪いことをした」
「うわ」

 ぽふぽふわしゃわしゃ、まるで年下に行うような手つきで撫でられる。がしかし、私が手を伸ばすより早く乱れは整えられ。どうやら本物も優しい……いや、柳生の名残?

「そうか、色か……そこに全く気付けんかったのはさておき、お前さんはようこいつの目の色知っとったの?」
「それは……」

 口籠った理由。それを悟られたくなくて、夕陽が途切れ始めた中空に目をやった。

「ずっと前、偶然見た柳生の目が綺麗な黒色してるなーって、思ってて……」
「ほう」

 今日何度目かわからない仁王クンの感嘆と、同時に力尽きる太陽。あぁくそ、もう少し粘ってくれればこの朱は隠せたろうに。誰かが付けた蛍光灯に目を伏せながら口の中でごちる。天体に文句を言っても仕方のないことだけど。

「反省点も見えてきたことじゃ、俺は一旦戻るぜよ。……柳生、おんしはゆーっくりでえいき」
「何をっ……」
「じゃ、またなー」

 ひらり、掌と尻尾とを翻した彼は、言葉の通りすたこらと去っていく。足の速さはテニス部故か? 羨ましい逃げ足だ。

「……その」

 コホンと響いたのは、ドラマのようなわざとらしい咳払い。仁王クンを見送った私が振り返るのを待って、というよりは言葉を探すようにしながら柳生は口を開く。

「少し、意外でした。貴女がそのように思っていたという話、初めて聞きましたから」
「あー……ね、私もちょっとビックリしたわ。勢いで言っちった、目の前に本人いんのに」

 言葉では平静を保てても、声と熱はそうもいかない。震えたのを感じ、そうでなくとも頬と耳が痛いくらいに熱くなっているのを感じる。

「ずっと、冗談だと思っていたんです」
「うん?」
「目を見たいという話は、飽きるほど様々な方から言われていまして……貴女も私を動揺させて見ようとしているのだと、てっきり」
「……私が、仁王クンと似てるから?」
「それは……まぁ、初めは少しだけ。けれど話をするようになって、貴女が誠実な方だとわかり……しかし、それにつれて貴女はその話をしなくなったので、切っ掛けの為の冗談か何かだと思ってしまったのです」

 そんなこと、言われなければ分からないのに。つい溢しかけたため息を飲む、やっぱり彼は紳士なんだ。

「……キッカケ、だったのかもね」
「え?」

 自分に向けた言葉。聞き返されるほどの呟きだったろうか、目を瞬いた(気配のある)柳生に倣って瞬きをすれば、日が落ちたせいで見えにくくなった彼の前髪がさらりと音を立てる。

「何でもないよ〜」

 柳生もとい仁王クンにしたのと同じ返しを、今度はにっかりと笑いながらしてやる。傾きを直したと思った首がまた、今度は逆に傾いて困ったような顔になるもんだから、笑ったまま私もまた真似をした。

「てか柳生、ジャージのまんまだけど部活戻んなくていーの? 真田大丈夫?」
「あ、そうでした……! 仁王くんを探しに来たのが本来の目的だったんです、名字さんには迷惑を掛けてしまい……」
「ん、いーよ。結構ビビったけど、その分面白いもの見れたし」
「……他言無用ですよ?」
「ふふ、分かってる分かってる」

 笑ったのは、念を押す彼の顔が余りに必死だったから以外にもう一つ。


 柳生は意外と、表情豊かだったらしい。
 普段に見ている表情といえば、紳士然とした微笑か真面目な顔くらいのもの。
 いや、特撮の話をすればキラキラ笑ってくれるけど、こうして日常的な会話の中でころころ表情を変えてるのが新鮮だったというか……フィルターかかってたのかな。


「まだ、もう少し頑張ってみようかなって思ったんだ」
「きゅ、うに……どうされたんですか」
「ふふ」
「笑われてもわかりませんよ」

 歩き始めた柳生を追い越せば背中に声が響く。その低い音が、柔らかな声が好きになったのはいつからだっけ。

「柳生」
「はい」

 振り返る。少し距離があって見えにくいけれど、強い陽光の消えた廊下でならその黒がうっすら見えるんだ。

「私ね、柳生の目の色結構好きなんだよ!」
「は」

 丸まり、固まった黒。どこか藤色の混じったその目に、私はどう映っているんだろう。確認するより先、確認されるより先に身を翻し駆け出した。よくもまぁ大それたことを!

「ちょっと、今のはどういう意味ですか!?」

 遠ざかっていく声を背中側に置いて走る。とにかく走る、明日へ走る。あぁ、また普通の顔で「おはよう」という難易度が上がってしまったじゃないか。


 校舎を飛び出すと、全てお見通しだとばかりに琥珀が笑っていた。


18/10/17
19/04/12 公開
21/01/12 修正

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