Ex.01直後の話

 そのことに先に気付いたのは財前だった。


 涙の渇ききらない頬を揉みしだいてくる財前の表情は幾分か緩く、珍しいものが見られているからと私もされるがままだった数分間。不意にその顔を固めた(元に戻したともいう)ものだから、身動きが取れない状態で困惑した。
 そんな私を置いたまま立ち上がった財前は、くるり部室を一週見回す。

「せや、電池切れとんのや……」
「財前?」
「今駒、今何時」

 いきなり振られて面食らいつつ、時計は持っていないからケータイを取り出す。デジタルのそれが示す時刻を告げれば、彼の顔は更にしかめられた。

「え、何? 私何か──」
「いや、お前やない」

 そう言い残した財前はそのまま、大股でテニスコート側の扉へと向かっていってしまった。
 何が何だかわからないままに私も続く。座りっぱなしだったお尻が痛い。


 そう遠くない距離、私が追い付くのと財前がぶつかるように扉を開けるのとはほぼ同時だった。その隙間から見えるのは、転がっていくジャージの群れ。
 上がるうぎゃあという声と、財前の舌打ちから察するに。

「覗かれて、た……?」
「あぁ。練習終わる時間なんかとうに過ぎとるのに、誰も戻って来んと思ったら……」

 珍しく不快と苛立ちをはっきり表に出す彼の手には、いつのまに取り出したのかラケットが握られている。醸される不穏な気配に一歩退いた私を知ってか知らずか、押し開けられた扉に転がされた人々の中から聞き覚えのある声が耳に届いた。

「の、覗き言うけどな! お前ら二人とも奥の方座りこんどったからなぁんも見えんし聞こえんしで──」
「ちょ、謙也アホ!!」

 忍足先輩と、部長さん。

「いや〜こういう純情イベントには、やっぱハプニングがないとな〜」
「これで不穏分子が二つも減るんやから、俺は何も文句ないわ」
「一氏は黙っとれ」

 金色先輩? と一氏先輩(らしい)。
 彼らが声を発したのをきっかけに、他の部員さんらもやんややんやの声を上げ始める。賑やかな声は、つまり、それだけの人数に、見られていた、と。

 二つの意味で血が昇っていく。痛いくらいに顔が熱い。

「今駒、ボール」

 完全に表情の消えた財前に頷く。
 今日初めて来た部室だけど、向こうが先に踏み込んできたんだ、ある程度何をしたって許されるだろう。置き去りにしていたカバンの辺りまで駆け戻ると、その傍らに置かれていたボールたちをカゴごと持ち上げた。元軽音部を舐めないでいただきたい!

「先輩ら……天誅って知っとります?」
「アカン、財前ホンマにキレとるわこれ」
「やばいやばいやばい怖い顔怖いてコッワ!!」

 絶対零度の般若を背負う彼の隣にカゴを下ろし、アイコンタクトのみの合図を交わす。障害物のなくなった扉を再び押し開けば、蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見え。

「食らえや」
「ちゅーかそれ硬球とちガッ!?」
「まず一人」

 言い切った財前の言葉の通り、まず忍足先輩が被害者となったのでした、と。


 その後、ラケットを持ち出してきた他の部員さんによってボールが打ち返されるようになってしまい、天誅は不完全燃焼に終わった。というかまともに食らってたの忍足先輩だけな気がする。南無。

 それからというもの、「財前を本気で怒らせてはいけない」という戒律が生まれたとか。

18/09/09
18/12/09 修正、公開
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