01ウェイと擬態と軽音。

 『デビュー』というものをご存知だろうか。シンガーなどのそれではなく、自分を一変させる方のデビューである。
 タイミングも付けて高校デビューとかいうこともある。私の場合は中学デビューだけども。

 私もそのデビューをした人間なんだけど、だからといって髪を染めたり耳に穴を空けてみたり、なんて外見の変化に手を付けたわけじゃない。
 ピアスとか痛いのは嫌だし怖い。背中を覆いきるほどではないけれど艶やかに伸びたこの髪、かつての友人たちが褒めてくれたこの髪も、私自身嫌いではなかったから。

 『かつての友人』というのは、別に二度と会えない人たちのことではなく。今からおよそ一年前だったか、私が関西に越してくる前の友人という、ただそれだけ。
 といっても、思いの外浅かったらしい関係は既に途絶えてる。



 それで、どうしてこんなことに思考が及んでいるのかと言うと。

「これ、落としましたけど」

 ショッピングモールのド真ん中、完全オフのタイミングで、クラスメイトと遭遇するという最悪のシチュエーションに面しているからである。




 たとえ中学デビューなんてものを果たしたからといって、今までの性格を捨てられる訳じゃない。それどころか、これでもかという勢いで押さえ込むものだから、こう、土日祝日には何らかの形で爆発させないとやってられないわけで。
 教室でウェイ擬きを演じている分を取り戻すかのように、ショッピングモール内の本屋などをハシゴしていたのが今日のこと。

 そんな日はもちろん、身も心も気楽にいきたくなるのが道理。のはず。
 そういうわけで、いつもと比べればなんというか、もさい……ださい……形容する言葉を持たないけれど、とにかく気の抜けきった格好で買い物に臨んでいた。
 別に、それが間違いだったというつもりはない。



 声を掛けられたのは、買い物も終わってさて帰ろうかとその日一番気を抜いていたタイミングで。聞いたことあるような声だとぼんやり振り向いた私の前にいたのは、クラスメイトである財前。
 相変わらずのイケメンポーカーフェイスの上に私服もかっこいいのかよくそ、とか一瞬は過るもののそこじゃない。そんなことを考えている場合じゃない。

 彼が纏う雰囲気が学校と変わらないのに対し、私は掠れた色のTシャツにジーパン、髪なんかは無造作に纏めただけの、母の言葉を借りるなら「ザ・中学生」。
 いつもコンタクト越しでだって輝いているのに、眼鏡を通すと次元がひとつ違うんじゃないかってくらいにイケメンで泣けてくる。



「……あの」
「えぁっ、はっ」

 奇声を上げたこの口を縫い上げてしまいたい。

 どうにか意識を現在に戻す。
 見上げる位置にある彼の顔は訝しげに、ほんの少しだけ歪められていて。ほんの少しと呼ぶにも僅かなその変化に気付けたのは、クラスメイトだったからだったのかはわからない。
 とにかく、これ以上ぼやぼやしていたならバレてしまうんじゃないか。そう思い至った私は、差し出されていたハンカチを半ば引ったくるように(もちろんお礼は言った)、その場から逃げ出してしまった。



「──あれ、財前。今の人は?」
「ハンカチ受け取ったら走っていきましたけど……謙也さん、それは?」
「や、これも落としてったみたいなんやけど……そっか、しもたなぁ」
「あぁ、そんならガッコで会うた時に渡しときますわ。今の、多分クラスメイトやったんで」
「あ、ホンマ? なら頼むわ! ……けど、クラスメイトっちゅー話なら、なんで逃げられたんや?」
「……さぁ。急いでたんとちゃいますかね」




 私が四天宝寺に転入してきたのは、ちょうど一年のど真ん中。……なんて言えば聞こえは良いけど、実際は十月の頭という、ずいぶん中途半端な時期のことだった。
 今日鉢合わせた財前と出会ったのもその時のこと。振り返ってみると、これだけ人数がいる学校で二年間同じクラスってすごいなぁ。

 それは置いといて。賑やかな教室のなか、異様なほど静かにしている一人が気になって声を掛けたのが初めての会話だった。
 彼が口にしたバンドが私の好きなものと偶然一致していて、一人でテンションを上げたんだっけ。今思うと恥ずかしさで居たたまれなくなる。

 けれど、彼と会話を弾ませられた(んだろうか?)のは当時のクラスにとっては珍しいことだったらしくて、その後しばらくは「コミュ力の鬼」と囃し立てられたり。
 結局、私は別のグループに落ち着くことになり、それ以降は言葉を交わすことも減ったのだった。




 自分の部屋のなかで机に突っ伏してため息を吐きまくっているのは、ただ身バレしてしまったのだけが理由ではない。いや、一番強いのはそれなんだけど。けどまだバレてないかもしれないし! そっちはまだ希望ある!

 じゃあそうじゃない方はなんだと言えば、家に帰って鞄を見たら、付いていたはずのイルカのストラップが消えていたのだ。
 忍者じゃなくて海にいる方。擬人化もしてないやつ。普通に水族館で売っているようなあれ。

 でもまぁ、そのイルカはもうひとつある。
 無くしたのは私が自分で買ったやつで、もうひとつは父に買ってもらったもの。だから、その、無くなったのがそっちでなくてよかった。と。そう思うしか。ない。
 ウソしんどい。すごい気に入ってた。心に穴が開いた。泣きたい。でも涙出ない。しんどい。


 もうとにかく、目の前のすべてが面倒で、煩わしくて、嫌で嫌で嫌で。忘れたくて、強く目を瞑った。




 翌朝、財前に声をかけられた時点で“アタシ”が終わる音がした。

 えぇい、気張れアタシ。例え財前に“私”がバレたとしても、学校ではアタシを貫けアタシ。

「……今駒?」
「あ、おう話な! 廊下?」
「外。そっちのがえぇやろ」

 内心で目一杯頬をひっぱたいて、平常を取り繕って笑いかけるも、目の前の財前はその表情を一ミリも動かさない。
 ちょっと、初めてコイツを怖いと思っている自分がいる。もう少し笑ってなかったっけかコイツ。



 のすのす歩いていく財前の歩幅は案外広い。アタシだって女子の中じゃ背は高い方だし、多分合わせようと思えばできるんだろうとは思う。けど心なしかペースも早いから、いつの間にか出来ていた間に気付く度に小走りになる。

 歩いて、小走りになって、歩いて、角を曲がって。人減ってきたな、そういやもうすぐホームルームか。階段を降りて、上履きのままに裏口をくぐった。

「ここなら、誰も来んやろ」
「おぉ……人生初サボり」
「何か言うた?」
「や、何でも」

 言語化しにくい感慨を説明するのは面倒くさいので首は横に。そか、とだけ鳴いた財前は、突如制服のポケットというポケットを漁りだした。
 何探してんだろう、携帯? 後ろ姿でも撮られてたんだろうか。それは嫌だなぁ。でも携帯なら固定位置か。ホントになんだろう。

「今駒、昨日ハンカチ落としとったんお前やろ」
「……あー」
「別に、言いたない理由があんならえぇんやけど。俺も言いふらす気はないし──」

 言葉を中途で切った彼は、あったあったと洩らしながら胸ポケットから“それ”を取り出した。

「これ、今駒のと違う?」

 あっさり言った彼の指にぶら下げられていたのは、チープなデザインのピンクのイルカ。どこの水族館でも売っていそうなそれは、けれど所々剥げた塗装で提げられていた時間を無言のうちに物語る。

 “私”はそれをよく知っている。いや、なんで財前の胸ポケットから出てきたのかは知らないけど。けれどそれを買ったのは、それを身に付けていたのは、それを誰よりも大切にしていたのは私だった。

「あん時、ハンカチと似たとこに落ちとったのを先輩が拾って──」
「ありがとう!!」
「ぅわ」

 ただただ嬉しくて、彼の言葉を遮るようにその両手を取った。
 学校でのキャラだとか親しくないとか高位の存在だとか、もう全部どうでもいい。ただひたすらにこの胸一杯の感謝を伝えたくて、それで精一杯でもう一歩距離を詰める。

「これ、ほんと、無くなってるの気付いてショックで、私。部屋中探しても見付かんなくって、最後に使ったの、そう、財前と会った日で。出掛けるときはちゃんとあったから、あぁじゃあ外だって、そう思って、だから諦めようって、でもあんなに大切にしてたのに、すごいショックで、それで私──」
「わ、かった。分かったから、近い、今駒近い」
「あ、ごめん」

 拒絶ではない声に窘められ、存外詰まっていた間隔を二歩三歩と下がって戻す。握ったままだった手を慌てて離せば、財前の指に摘ままれていたボールチェーンがその上に。
 やっと帰ってきたそれを両手で包み、もう二度と無くすもんかとその手ごと胸に押し当てる。と、空気の抜けるような、笑ったような息が頭の上から。
 顔を上げれば、愉快そうに目を細める財前が見えた。

「そないな顔できんのか」
「な、何が?」
「泣いとる。気付いとらん?」

 マジか。自分で触れて確認するより早くに不意に伸ばされた、案外武骨な手が目元を軽く拭う。「そっちが素か?」だなんて可笑しそうに言うもんだから顔が、熱い。




 改めて見ると変に伸ばされた前髪を弄る財前の真横、裏口の扉前の石階段に腰かける。さすがに距離は少し置いた。
 一時間目の始まりを告げる鐘はとうに鳴っていて、それならサボって話を聞かせろというのが彼の弁だった。

「でも、話って何を」
「昨日何買っとったん」

 話せば良いの、という言葉に被せるように話題が振られ。少し戸惑ったものの、えぇい知るか。もう既にバレてるんだ、こうなったらとことんまでだ。

「漫画とか、アクキーとか……いや漫画しか買ってないな。漫画というかアンソロ」
「あぁ、アンソロジー」
「うん。持ってないのないかなーって探して回ってた」
「……ほーん」

 リアクションはそこで終わる。え、終わり?
 もっと他に色々聞かれるのを身構えていた私は少し動揺するものの、そうだった。話題を振っておいて広げないのが財前光という男だった。そうだったわ……

「……意外?」
「まぁ」

 一言だけを返してくる彼は、もしかしたら何も聞いていないんじゃないか。そんなことを思ってしまう。けれど、一向に見られなかった顔にどうにか向けた視線は、どこか眠たげなそれにあっさりと絡めとられて。

「何?」
「い、や。別に……」

 声にハッとして慌てて逸らすも、体がぐわりと熱を持った事実からは目を背けられない。これだから一対一は苦手なんだ。

「教室でゲラゲラ笑っとる人間と同じとは思えんな」
「そう言われるのが嫌で、どうにか頑張ってるんだけどなぁ……」

 なんとなくでもわかる、観察するような目に重い重いため息。コンタクトがズレた気がして片目をつつけば、「あぁ」と思い出したような声が響く。

「でも、眼鏡は似合うとったわ」

 道端の小石を蹴るように簡単に言ってのけた言葉。そんな、たった一つに心の臓を鷲掴みにされた感覚に陥るもんだから、私ってやつはなんて安い人間なんだろう。それともイケメンが罪なのか。
 口のなかで呟いて、抱き寄せた膝にゆだりはじめた額を押し付けた。

17/12/23
18/11/13 公開
18/11/14 修正
1/1


prev | top | next