02天才と想起と友人。

 休日に今駒と鉢合わせてからおよそ二週間。特に何かが起きるでもなく、ただ日々が過ぎていった。


 今駒 遥という少女は、一年の秋頃にふっと現れた。

 そりゃ転入生だから突然現れるのは当然っちゃ当然なんだけど、いつの間にかやって来ていつの間にか馴染んでいたあいつには、どうにもそれ以外の表現がしっくり来なかった。


 今駒は変なやつやと俺は思う。
 クラスのやつらは口々に「人が良い」だの「ノリが良い」だの言い散らすから俺が異端みたいになるが、それは元々だから気にならない。というか、あいつらは当事者やから気付かんのや。一歩引いて、あいつの顔とか仕草とかをちゃんと見てみりゃえぇのに。


 『ふっと』という表現が似合うように、今駒は煙か空気みたいな人間だ。あっという間に馴染むくせに、懐に入り込んでくるわけでも引き摺り込んでくるわけでもないというか。
 クラスの一番賑やかな場所に居座っているくせに、かといってクラスの中心人物なわけではないあいつ。教室で目が合うと「なんだ」と大声で笑うくせに、校庭で似た状況になっても微笑んで小さく手を振るだけ……ってのは、最近のことだけども。

 何となく目で追うようになってから気付いたことは、それこそ山のようにある。
 ゲラゲラと笑うをする口は授業では朗々と答えを響かせるし、案外柔らかい黒色の瞳は踏み込みすぎたのを音もなく窘める。無駄に駆けずりまわる体は、薄っぺらいくせに柔らかくて(どうして知っているのかは伏せる)不安になってくる……なんて話を本人に言ったなら、一体どんな顔をするんだろうか。

 けれど、一番気にかかることは。

「財前お前、最近今駒見てばっかやけど……何や、惚れとんのか?」
「うっさい、黙れ」
「ひょー怖」

 わざとらしく首を竦めたクラスメイトを見送る。そう、今一番気にかかることは、こんな物言いをする俺にすらよくつるむ奴らがいるというのに、今駒と常にいる誰かしらと言われても浮かばないこと。
 綺麗に張られたメッキの隙間が見えた気がして、どうにも引っ掛かって仕方がなかった。




「は? アタシの友達?」

 目を丸くさせた今駒は、ギターケースと放課を知らせるチャイムとを背負っていた。
 元々ほとんど関係が無かった上に、とっときの秘密を知っている人間に掛けられた久々の言葉がそんなだったら、まぁ驚くだろうけど。

「何、急に。何の探り?」
「ニヤつくなキモい。良いから早う答えろや」

 吐きつけるように言ってやれば、ニヤけ顔は困ったようなものに変わる。急かすでもなく無言で先を促せば、知らぬ名を上げながら指折り数え始めた。

「──クラスのみんなと、部員と、あとなんか知り合いと」
「知り合いは友人とちゃうやろ」
「んんー? そうかなぁ」

 へらりと笑ってみせる今駒。笑顔のクセに下がったままの眉に、なんでだろう、少しムカついた。
 「あともうひとつ」と発しかけた俺の声は、聞きなれない女生徒のそれが被さって。

「遥ー、先輩が呼んどるー」
「あ、はいはい今行くー。あーえっと、そういうわけだから……じゃあな!」
「……またな」

 宙吊りのままの言葉は、少し迷ったのち飲み込む。そのまま教室を飛び出していく今駒を見送る、訳ではない。すぐに自分の机に戻ってテニスバッグを担いだ。
 形式的な挨拶を二回三回と溢しながら思うのは、あいつの部の終了時間。いや、そもそも部活を知らんかったか。




 別に、俺は四六時中こいつのことを考えている訳やない。……というのは、誰へ向けた言い訳だろうか。
 少なくとも、帰り道に何とか捕まえた隣のこれではない、はず。

「で、もう一個あるんだっけ?」
「は?」

 不意打ちのように沈黙を破ったのは今駒で、思考を傾けていた俺は少しだけ歩調を崩した。

「あぁ、せやったな」
「“せやったな”って何。そうじゃなかったら私、どうして一緒に帰ってるのさ」

 動揺を誤魔化しながら冷静を繕って言う俺に、ギターケースを背負い直しながら笑う今駒。その笑顔は教室で見せたのと同じ、あの日の校舎裏のときと同じように見えて、話し方も含めてこっちが素なんだろうなとぼんやり思った。

「……財前?」

 少し、言葉を選ぶ。

 教室の、あの流れのままだったのなら勢いに任せて言えたんだろうか。脳裏を過るのは、いつかの日の深い深い黒。
まぁいいか、どうでも。

「今駒にとってどういうんが……どこまでが友達なん」
「……どういうのが友達、かぁ」

 噛み締めるように呟いた声の消えていく先、今駒に倣って目をやったのは茜色に染まった帰り道。見慣れたはずのそれが、まるで全く別の世界に繋がってしまったような気がして足が止まる。

 今駒は三歩先で振り向いて、同じく足を止める。あいつは影を纏いながら、何度目かもわからない困ったような笑みを浮かべていた。




 さくりと鳴いたのは、茜を塗りたくられながらも自らの緑を主張する草。気にせずに腰を下ろす。足を伸ばせば、折れた葉か虫かわからない欠片が跳ねた。

 何となくで、俺たちは土手に来ていた。



「何て言うかねぇ」

 膝を使って頬杖をついていた今駒が口を開く。

「ちょっと、さっきの質問からはズレるかもだけど、それでもいい?」
「ん」
「へへ、ありがと」

 ついさっき見せたような笑みを浮かべたそいつは、「教室で言われたあと考えてみたんだ」と切り出して。あいつの向こうで傾く夕陽から、目をズラした。

「私は……友達ってのは案外薄っぺらいもので、時間と距離さえあればあっという間になかったこと……とまでは言わないけど、関係はほとんど消えちゃうんじゃないかなぁって思ってる、かな」
「……ふぅん」
「いや、思った? ついさっき考えたからまとまってないや」

 教室で言ってたら、冷血とか言われたのかなぁと今駒は笑う。軽く笑う。
 取りようによってはただ突き放すようにしか聞こえない言葉は、本当にこいつのものなんだろうか。そう思った途端、その笑顔が不安定に見えだした。

「例えば、とか要る?」
「いや。クラス替えとか進学とか、そんなんやろ」
「ん、そ。……あとは、引っ越しとかね」

 呟いた声は神話の蛇の視線みたいに響く。
 そのお陰で、あいつがどんな顔で言い放ったのかは分からなかった。



「なんだろ、財前になら話しても良いかなーって思えるんだよね」
「何やそれ、おんなじ冷血って言いたいんか?」
「いや、そういう……うーん」

 途中で止められた言葉に、否定せんのかいと返しかけてこちらも喉奥で止める。
 空を見上げれば、その色は少しずつながらも変わっていて。伸びたとはいえ、日が傾けば夜はその手を伸ばし始めるワケだ。

「……ま、確かに俺はそういう考えも否定せんけど」
「あ、そう? ありがと」

 腰を上げたのは、帰るためだったのか。

「そしたら、俺はクラスメイトか? その“友人”のうちの一人か?」

 呆けた顔を見下ろす。
 教室でクラスメイトも、知り合いさえも“友人”に含めていたこいつとは、概念から違うとは分かっていた。だけどそれでも、同じ価値観の上で話す気はない。

 間抜け顔に収まる二つの黒色は、陽のおかげで案外茶色っぽいのもわかって。返事を待たずに傍らの鞄を持ち上げる。

 しばらく口を半開きにしたままだった今駒は、風に揺られる長髪を抱き寄せると同じように立ち上がる。再び目線が合わさる頃には、短期間で見慣れた困ったような笑い顔がそこにあった。

「──私は」

 逆光が眩しくて目を細める。

「私は、そうだなぁ……財前は、ともだち、だったら良いなって」

 逆光が眩しかっただけ。それだけで、この細めてしまった目に、それ以上の意味はない。

 それと同じで、あいつの発したその4音の響きが他と違く聞こえたのはただの自惚れだ。なんの意味も関係もない。

 ない、はずだ。




 人気のない道を、一人下りながらふと思う。
 いつから俺は、こんなにもあいつに興味を傾けるようになっていたんだろうか。

18/01/04
18/11/13 公開
18/11/14 修正
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