04楽曲と夢想と呆助。
まだ匂いが残っている気がする制服にため息をついたのは、半数以上が去ったあとの教室のなか。そろそろ帰ろうかとギターケースを探しかけて、もうその必要はなかったんだともう一つ息を吐いた。
心なしか軽くなったカバンを肩に引っ掻けたのと同時、大きな音を立てて教室の引き戸が開かれる。振り替えれば、人影が一つ、二つ、三つ。
「遥!!」
「
転ぶように、好き好きに叫びつつアタシにすがり付いてきた面々には覚えがあった。
「うん、まぁ」
「何で!?」
食い気味の疑問に、気づかれない程度に眉をひそめる。無意味に大きな声ほど鼓膜に刺さるものはない。
それにしても『何で』ときたか。
「何でって言われてもさ……」
「ウチは、ウチらは遥がおらんかったら何も出来ひんの!」
「やから、なぁ! 俺からも頼む、止めんといてくれ!!」
どの口が言うんだろう、浮かんだ言葉が自分の胸に刺さった。知らない間に、随分嫌な人間になってしまっていたらしい。
しかし、アタシの答えすら遮るやんややんやの声の壁は前と左右から迫る。後ろは後ろで机が邪魔して、自分たちに有利な布陣はこうもすぐに組めるものかと少し感心した。
無能宣言にもとれるような言葉の内容は、もうそのほとんどが耳に届いてはいない。届けたくなかった。
別に私は彼らが嫌いなわけじゃない、むしろ好きだった。だからこそ、これ以上思い出に傷をつけてほしくない。それだけの自分勝手な理由。
「私は──」
「お前らがそんなんやから、今駒にも逃げられるんと違うん」
また食い気味の言葉。というかほとんど食われた。
けれどそうやって声を落としたのは、目の前の彼らではなく財前。まだ部活には行っていなかったらしい。
想定外の方向からの助け船だったからだろうか、声の壁が途切れる。その隙間を抉じ開けるように、振り払うように彼のもとへ逃げた。
「そ、そんなんって何?」
揺れる声。行儀悪く机に腰かけていた財前は、それに応えるためか降り立って二歩前に。つまり私の隣に立ったわけだけど、彼と一瞬目が合う。が、逸らす。
理解しきれない後ろめたさを抱えながら、すぐに彼らに向き直ったのを横目におさめた。
「お前らは今駒がなんでいなくなるかの理由も考えんままに、ただ自分らが楽できる形を保とうとしとるだけや。ほんまはわかっとるくせに見えん振りしてすがって……あぁみっともな。DV彼氏かっちゅー話や」
「んなっ……」
声を荒げかけたのはその言葉が図星だったからか。どうでもいい。早く終わらせたくて、虎の子の威を借りたアタシは口を開いた。
「あのさ、皆には申しわけねーけどもう軽音部に戻る気は無いんだわ」
「な、何で? ウチら、その、ダメなとこあったら直すし」
「遅いんだよ、もう」
繕いきれなかった言葉が、掠れるように零れ落ちる。聞こえなかったことを祈りながら、鞄に手を伸ばした。
今は、私とアタシのどっちなんだろう。
何か言いたげにして、けれど呑み込んでしまったらしい財前にだけ手を降って、教室を後にした。
もし私が抱え込まなかったら、こうやって投げ出す前に話し合いを選んでいたら、もう少し何かが変わっていたんだろうか。
けれど遅い。後悔先に立たずとはよく言ったもので、今さらあれこれ考えたって何も変わらないのだ。
ただ、申し訳なさと虚無感とだけが胸に巣食っていた。
今駒は最近、やけにぼんやりしている。
部活を辞める前後から既にぼんやりしていたが、揉めたあの日以降は更にぼんやりしていて。と言っても授業で指されればちゃんと対応できているから、頭の中までぼんやりしてるわけではないらしい。
そういう俺の方が集中できていないか。
もはや癖と成り果てた今駒の観察(隣だからガン見はしない)のせいで授業は身に入らないし、あいつの泣き顔は頭から離れないし、先輩らは先輩らで何やニヤついとるし。
どれもこれも今駒と関わったせいや!
……なんて。馬鹿正直に八つ当たり出来る程に子供だったなら、もう少し楽になれたんだろうか。
俺は、知らぬ間に育っていた“これ”の名前を知っている。
知っているからこそ、言うつもりは欠片もなかった。
放課後、変わらずぼんやりした頭を小突く。
「帰んぞ」
「あ、うん」
開いていた口を閉じて、頷きながら鞄を持ち上げて、そこまでいってようやく今駒の頭は働いたらしい。「部活は?」と当然の疑問を投げられた。
「今日はオフや。委員会もなし」
「そっか。やった」
何も考えてないような顔で笑うもんだから、胸の裏が痒くなった。
今日は公園に行くことにした。
俺の家の近くの、さほど広くはないなりに遊具は充実している、どこにでもあるような公園。それでも今駒にとっては珍しいものだったのか、さっきから落ち着きなく見回している。
空いているベンチに座るように促して、入ってきた場所の真向かいの出入口の方にある自販機に足を伸ばす。その途中で何を飲むのか聞くのを忘れたことを思い出した。
まぁ、適当にスポドリでえぇか。
「ほい、ポカリ」
「わっとっ! ……150円のだ?」
「130円」
「おぉ、値段聞けた」
気の抜けた笑い方をした今駒から、言った通りの小銭を受けとる。早々奢るつもりはないけど、こいつのリアクションを見てると奢りたくなるから不思議だ。
奢った分は謙也さんあたりにたかればえぇし。
「暑い日のポカリはいいなー……わ、良い風」
さわさわと音を立てるのは、影を落としている木の葉。音の元の風が、滲んだ汗を撫でて涼しさをもたらしていく。
今日は何を話そうか。口のなかで呟いた。
今までであれば、何かしら話したいことがあったから寄り道していた訳だけど、今回は特に何の考えもない。
別に、特に何も話さずに帰る日がないわけではない。かといって部員らと帰るときのように中身のないそれではなく、ただ無言。あの不快さのないその独特の空気が、俺は。
「みんな元気だねぇ」
不意に上がった声に顔を上げる。今の考えはいけない。こいつの隣でするべきことじゃない。
鞄を挟んだ隣に座る今駒は、公園を走り回るちびどもを眺めていて。俺の視線に気づかれる前に、同じ方向に顔を向けた。
「二年以上前は、私たちあんなだったんだねー」
「走り回るタイプやったんか」
「ごめん、年齢的な話」
「せやな、今駒は休み時間の度に図書館引きこもるタイプやろうしな」
「ひっどいなぁ」
笑い声から逃げるように目を閉じれば、遠くから響いていたセミの声が強まったために直ぐに開いた。夏というやつは、どうしてこうも煩いのか。
騒がしさから逃げようと、いつものように掴んだのはプレイヤー。今はちゃうやろと押し込みかけたところで少し悩み、結局引っ張り出した。
「今駒、今イヤホンあるか?」
「あるけど、どうしたの?」
「……俺のかいた曲が、ここに入っとる」
「──聞いていいの?」
言ったものを取り出そうとしていたのか、鞄に手を突っ込んだままのポーズで今駒は固まった。その顔が豆鉄砲を食らった鳩のようで、それでいて嬉しさを滲ませてくるもんだから逆に気恥ずかしくなる。
「そのために言ったんやし、当たり前やろ」
言葉は手の中のそれに吐き付けるように。
別に、照れ隠しやないし。今駒にイヤホンがあるかを聞いたのは、俺がヘッドホンしか持っていなかったからだ。
確かに二人で同時に聞く必要はないけれど、ごく自然にそうしようと思って、ごく自然にそう訊ねてしまったんだから、仕方がない。これは、仕方のないことだ。
あぁ、あからさますぎる言い訳をしないと言ったのはどこのどいつだったか。
目を閉じれば、片耳から流れ込んでくる音が瞼の裏で踊っているのを感じる。さわさわと揺れる木漏れ日が、丁度良い雰囲気を作っているのだろうか。
曲の長さはそれぞれ異なっていて、一曲二曲と過ぎていく度に、財前の曲に浸されていくような心地がして気持ちよかった。
三曲目までの時点での印象は、本人のイメージと変わらずひんやりしていた。そのなかにもどこか少年らしさのようなものが見え隠れ見え。
そこから財前の隠された一面を知ったような気持ちになってみたりもするけど、そのくすぐったさについ笑い声を洩らしてしまって変な目で見られてしまい。かと思ったらすぐに逸らされた。財前がよくわからない。
そして、四曲目。その曲は前奏の時点でどこかキラキラしていた。
咄嗟に見上げた財前はプレイヤーのディスプレイを睨み付けていて、話しかけられるような雰囲気ではない。その様子ももちろん気になったけれど、それ以上に曲自体が気になったために、再び目を閉じた。
キラキラとしたその曲は、どこか悲しさを持っていた。
すぐ隣の何かに憧れて、心を揺らされて、それが嬉しくって楽しくって! でも“僕”はその何かに届くことはない。それでいいからキラキラとした何かに憧れ続ける、そんな曲。
他と比べれば異色なその曲も、財前のものだというのがどうしてかわかった。曲の基になっているのは財前の経験で、財前の思いで、財前の感情で。
けれど同時に私の曲だとも思った。これは私を言い当てた曲だと。これこそが今の私だと、思ってしまった。
曲が終わるのとほぼ同時、イヤホンを取る。そのまま財前に向き直れば、彼は二つ瞬きをして曲を止めた。
「財前、私、今の曲弾きたい」
「……は?」
何か言われるよりも早く、ということを意識したためにいびつになった言葉に、財前は少々面食らった様子を見せる。
これではいけないと言葉を続けた。
「いや、あのね? 今の曲、好きだったの。うん、凄く! すごく好き! だからちょっと楽譜もらえたらと思うんだけど!!」
「わっ……かった、から。近い」
「くれる?」
「やる。やるから、早う離れろ」
だが、勢いばかりでは逆効果だったのだろうか。私が寄せた額をぐぐ、と押し返してくる財前は思い切り顔を背けていて、私にしては強気に出すぎたかもしれない。
座り直しながら、「自作の曲の楽譜とか、こうでもしなきゃくれそうになかったから」と言えば大きくため息をつかれた。いやぁ、つい。
「お前はほんと、自覚とかないんか……!」
「何の自覚?」
「うっさい!」
「わあ」
聞こえた言葉をおうむ返ししたら、珍しいことにさらに怒られた。さすがにやりすぎだったんだろうか、でも悪気はないんです。悪気は。
「したら、来週刷ってくるわ」
木陰といっても、時期は夏に片足を突っ込んでいる。やっぱり暑かったのか、財前は水を含ませたタオルを顔に乗せていた。
「今週じゃダメなの?」
「……いつのかわからんし、データ引っ張り出すのに時間かかんねん」
「そっかぁ」
返しの時差も暑さ故か。
なんにせよ、そろそろ帰らないと熱中症が怖い。そうこぼしながら立ち上がる。
「でも、ありがとうね」
遅れたお礼を言えば、鼻息で返事された。
「何でウソ吐いたんやろ」
案外大きかった独り言は、一人きりの部屋に吸い込まれていった。
それ以外は、ただマウスの音が響くのみ。エアコンが起こす風が心地良い。
パソコンの画面が示しているのは、俺が今まで書いてきた曲の一覧。何時かいたのかはわからなくとも、今まで書いた曲の数なんて高が知れている。これを見れば一発なんだから、わからないも何もないだろうに。
というかそもそもの話、あの曲は。
「あれだけは、聞かせる気なかったんやけどなぁ」
頭を抱え、そのまま突っ伏そうとしたところで眼前のキーボードに気づいて止める。変なの押した瞬間に終わるわ、アホか。
思考を戻す。姿勢も戻す。椅子に背中を預ける。
ぶっちゃけてしまえば、あれは今駒に向けた曲だった。今駒のことをおもう、おもうの字を形にできないままの、俺の曲。
……あぁ、くそ。
とにかく、曲という形にして吐き出してしまえば気持ちの整理が付くというか、もう少しは楽になれる気がしたというか思っていたわけで。実際にかいてみた結果は、ただただ恥ずかしかっただけ。死ぬほど。ポエム集とかを出せる奴の気が知れん。
ドストレート過ぎた詞を削って、書き換えて置き換えて。それに合わせて曲も調節したのが、さっき(というには随分時間が経ったが)今駒が聞き、挙げ句「好き」だと言い放ったこの曲だった。
本当、何でプレイリストに入れていたのか思い出せないのが怖い。直す前のやつやなくてホンマ良かったわ。あれ聞かれてたら動揺とかそんなレベルじゃ終わらん。
印刷のボタンを押して席を立つ。そのままの流れでベッドに倒れ込む。
あぁ、なんか、部活もなかったのにめっちゃ疲れた。
が、目を閉じた途端にベンチの今駒が甦ったもんだから跳ね起きた。
いや、何で今。何や今の。別に、そこまでガン見しとったわけやないやろ。何で今。まぁ確かにまつ毛長いし柔らかそうやなーとかは思ったけど。くぉあああ。
一通り暴れ、息を吐いた。
防音の部屋にしてもらっておいて本当に良かった。つくづく思う。
それから、こういうので暴れんのって想像以上に疲れんのな。日々モテないだの喚いてる謙也さんどないなっとんねん。
……いや、あれは何も考えてないだけか。謙也さん分身するし。
再び体を起こす頃には、もう印刷は終わっているらしかった。
これを渡せば、今駒はあの日のような顔で礼を言うんだろうか。その様子を思い浮かべ、つい口元が緩みかけたもんだから頬裏を噛んだ。痛い。
18/02/20
18/11/13 公開
18/11/14 修正
18/11/13 公開
18/11/14 修正