矛盾の恋路


 恋とは、何だろう。私のこの想いは、ちゃんと恋なのだろうか。

 時々不安になるのだ。恋多き私がそんなことを口にすれば、たちまち笑いの種にされるであろうから決して誰にも打ち明けないけれど。そう、私は実に惚れっぽい女であった。ただ、そんな私が一人しか見えなくなってしまった恋がある。今までの恋もどきを経て、私はとうとう"一途"という乙女の誇りを手に入れたのだ。

「冨岡さん、冨岡さん、これが終わったら二人でどこかお出かけしましょうよ」

 天柱の苗字名前は水柱に首ったけ。というのが、鬼殺隊の間ではもっぱらの噂だった。というのも、彼女の行動が原因である。それくらい目にあまる好意だっだ。

「冨岡さん、毎日鮭大根しゃけだいこんで飽きませんか? そんなに鮭大根が好きなんですか? 妬いちゃうなぁ」

「冨岡さん、明日おひまですか? お邪魔していいですか? 二人っきりでお話したいです」


 私は冨岡さんに恋をした。一目惚れだと言えば、十人中十人が「顔か」と納得する。しかし、違うと言いたいのだ。私は彼の揺らがぬ姿勢に一目惚れしたと。
 ただ、正直顔も含めて好きであるため迂闊うかつに否定は出来ない。しかし私がこれまで好きになった人達の顔面偏差値は下の上から上の下の範疇であることは周知の上だ。私は冨岡さんが不細工でも好きになったのに、どうしてあの人はあんなに顔が綺麗なのかと溜め息を零すのは一度や二度じゃないのだから。
 冨岡義勇は、女を守る十分な強さと地位と権力を持ち、容姿端麗、口数は少ないが美声で落ち着きもある、日本男児の鑑のような男前である。惚れない女はいないだろう。懸念通り、冨岡さんはモテる。確かにモテる。しかしそれは鬼殺隊を除く人間に限った話で、鬼殺隊士の間ではどうやら違うらしい。位が低ければ柱など恐れ多くてお近づきになれないし、柱達は口を揃えて水柱は嫌われていると言うのだ。私の恋はそこまで競争率は高くないようだが、私はどうやら人に嫌われるような男を好いてしまったらしい。

 それでも、惚れてしまったものは仕方がないのだ。私の、男を見る目は間違いないのだ。諦められるような想いでもない。前に進め、と恋心が叱咤激励するままに従う。恋心が生まれた日を思い返せば、その度に私のそれは甘く香り立ち質量を増すのだから、私はもう後戻りなど、無かったことになど出来はしない。


「冨岡義勇だ」

 その日は私の柱入りの顔合わせで、天気も良く、その人の声は凪いだ水面のように茜色の空と調和した。物静ものしずかで独特な佇まいから人を拒絶するような雰囲気まで筆舌に尽くしがたい情報の端々まで手繰たぐせ、脳に必死に刻み込んだ。その瞳の深い色に吸い込まれるように、もうこの時から私は冨岡義勇しか目に入っていなかった。

「貴方が冨岡義勇様ですか。お噂はかねがね」
「……そうか」

 その態度で私の恋の炎に火が点いた。こんな些細な会話で燃え上がってしまうのが恋なのだ。ああ、この人が欲しいとどうしようもなく切望してしまう。

「冨岡さん、さぞかしおモテになるのでしょう?」
「俺にきくな」

 至極真っ当な返答にクス、と笑ってから宣戦布告をする。

「冨岡さん、私の愛情表現は激しいですから覚悟して下さいね」
「……どういう意味だ」
「こういう意味です」

 思いきり背伸びをして、冨岡さんの顔で可愛らしいリップ音を響かせてやった。一瞬ポカンとした顔は不機嫌を表すように眉間に皺が寄った。ああ、この人は揺るがない。理解した瞬間、私の矛盾という名の欲は生まれてしまった。障害が多い程恋は燃えるというが、誰よりも自分の決めた道を真っ直ぐ進んでいるこの屈強な男がどこまで揺らがぬのか知りたい、と。

 しかしここで矛盾が生じる。彼が私に振り向けば、私が惹かれた彼の揺らがぬ姿勢はそこまでだったということになる。きっとそうなってしまえば、私の興味は、私にとっての彼の魅力は、一瞬にして霧散してしまう。そんな漠然とした予感がどうしても消えてくれない。それでも振り向いて欲しいのが乙女心というやつで。

 私は恋をしているのか、否か。

 答えを探すために私は矛盾に心を擦り切れさせて怯えながら、そしてそれを隠しながら今日も冨岡さんにちょっかいを出していた。


「冨岡さん、見回りご一緒しませんか?」
「方向が違うだろう」
「あら、バレましたか」
「見回りも大事な任務だ」
「分かってますよ。せめて途中まで」


 朝になって見回りから戻る途中、昨夜名前と別れた道でふと立ち止まる。名前は無事だろうか、と。

「冨岡さん、お気をつけて」

 別れ際の声、表情、そして去り行く背中を思い出す。自分がどうしてこんなに不安に駆られるのか分からない。……いや、これは……大切なんだ、きっと、彼女のことが。


 結論から言うと、名前の担当区域へ向かった俺は割とすぐに彼女を見つけた。入り組んだ路地裏で、分かりやすく"迷子です"というような彼女を。

「冨岡さん…」

 近づく俺に気付いた彼女の手をひいて歩き出せば、素直についてくる。さっき視界に捉えたのは今にも泣き出しそうな名前の顔だった。見間違いだろうか。こっそり上から顔を盗み見れば、目が合ってしまい狼狽した。
 二人きりで無言。その帰路は何か漠然とした二人の絆となった。


 やがてあの別れ道に辿り着いた。お互いの屋敷は目と鼻の先だ。

「名前」

「…冨岡さん」

 私達の間を風がたくさん通り抜けた。どれだけ時間が経っただろう。冨岡さんは口を開かない。ただ何か思案中の様子で私を見つめ続けていた。私も気が長い性分で、健気に彼のタイミングを待ち続けている。だってもしかしたら、いやきっと、この人はこの沈黙の間ずっと私のことを考えているんじゃないのか。そんなの、……そんなの。
 冨岡さんの、深海のような瞳を見つめているうちに一人勝手に実感してしまって嬉しくてたまらなくなって、涙が溢れた。

 冨岡さんは目をゆっくり見開いていく。そうして次に眉根を寄せる。その一連の動きが無性に愛しいと思った。

「…おい、」
「いいえ、いいえ。何でもないのです」
「…」
「私は本当に、冨岡さんのことを、どうしようもなく好いてしまっているんだなと、つい実感してしまいまして。こんな、一見生産性のないように見える時間さえ貴方と共有するというだけで、私にとっては何より有意義な時間に感じるのです」
「…俺には、」
「好きです。私はずっと貴方のお側で貴方を見ていたいです」

 藍色の瞳が伏せられたのを見て、思わずその先を遮った。そうしないともう二度と手に入らない遠くへ、この人は行ってしまうような危機を悟った。
 沈黙が時の流れを速めたが、長い睨み合いはやがて男の呼吸によって終わりを告げた。

「…心配した」
「…え?」

 風が吹いたわけでもないのに、周りの空気感ががらりと変わったように感じた。ふと気づけば、冨岡さんの瞳は先程のような凪いだ色ではなく、決意を宿していた。

「心配させるな。俺のそばにいろ」

 思考は一瞬麻痺してしまうけれど、時の流れは止まってはくれない。風がまたたくさん吹き抜けた。
 やがて私の血は自らの役目を思い出したかのように、そして沸騰したように巡りだす。しかし意外と頭は冷静に、晴れて両想いになったことを理解する。次に、自分の感情を探るのに全神経を集中させた。

 そして数秒。私はまだこの人に恋をしていた。……冨岡さん、私。貴方にずっと恋し続ける自信が出ました。

 貴方に貰った言葉より、その言葉に隠された意味より、私の反応を待つ仕草より。貴方がなびいたことで失わなかった恋心の方が、私は酷く嬉しいなんて言ったら、貴方は軽蔑するだろうか。でも私はきっとこれから、貴方の全てを好きになるから。

 そうか、と言ってそっと抱き締めてくれるこの男の人をこの命尽きるまで好きでいたいと、ひたすらに願った。


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