7月10日18時00分
結局三日間、千代は海に入れなかった。
まあ、どっちにしろ今日は雨で泳げなかったわけだけど、そういう問題じゃないことくらいはオレにだってわかる。あの時、臨海学校の坂道で転びさえしなけりゃ千代は普通に海水浴をマンキツできて、普通に友達との思い出を作れて、普通に楽しめたはずなんだ。千代がこの三日間を無駄にしたのは転んでけがをしたせいで、転ばせたのはオレで、つまりあいつの臨海学校を全部ぶち壊しにしたのは、オレ。
転んですぐ、千代は保健の先生に連行されちまったから、オレが一言声をかける暇もなかった。臨海学校はみっちりスケジュールでその後も中々タイミングがなく、せっかくすれちがっても千代が友達といたりすると邪魔はできなくて、なんだかんだでオレはまだ、千代に謝れていない。
……ってのは、たぶん言い訳だ。タイミングのせいでも千代の友達のせいでもない、オレが千代を呼び止める勇気がなかった、まっすぐに向き合って「ごめん」って伝えるのが正直、ぶっちゃけ怖かった、きっとそれだけなんだと思う。
そこまでわかってんならさっさと謝れよ、って話なんだけど、オレもそれは充分理解しててさっきから千代を探してるんだけど、どうしてか見当たらない。あるいはオレの脳みそが無意識に「千代を見つけるな」って視神経かどっかに命令を送っているのかもしれない。バスが学校に到着して三十分以上、解散式も終わって、大荷物を抱えたみんなは校庭の南側にたくさん止まった親たちの迎えの車の方へちりぢりになり始めている。新潟を出発したのはお昼すぎくらいだったのに、今はもう夕日はほぼ完全に消えて、夜の空気に変わりつつあった。
駐車されていた車たちがぱらぱらと動き出して、いよいよオレは焦った。オレの周り――朝礼台の辺りには、もうほとんど誰の姿もない。貴明もすたこらさっさと早々帰っちまったし、よってヘルプを求められそうなやつは一人もいない。でも今日謝れなければ、オレはもう一生あいつに謝れない、目も合わせられない、そんな気がする。
そこらへんの女子に適当に訊いてみるか、と思い立って一歩踏み出そうとしたところで、背後から肩を叩かれた。一瞬びびってしまう。首をめぐらせると、何より先にほっぺたにかかるふわふわの髪の毛が目に飛び込んできた。やわらかそうなショートボブ。千代。
千代はなぜかうっすらと笑っていた。スカートのポケットから右手を取り出して、開く。
「あげる」
そう言った千代の、てのひらに乗っかっていたのは貝殻だった。何が起こっているのか、千代が何をしたいのか、意味不明すぎて固まってしまったオレに向かって、千代は続けた。
「一つも貝拾えなかったって、孝樹くん騒いでたじゃん」
校庭の一角は少年野球用のグラウンドになっていて、そこに設置された巨大な照明が校舎のすぐ下であるここまで届いて、貝殻を照らしていた。薄くピンクに色づいた貝殻の、端っこは欠けている。千代は黙ってオレを見つめていた。
確かにオレは貝殻を一個も持ち帰れなかった。オレの拾った貝はことごとく生きていて、海に返さざるをえないものばかりだったのだ。海なし県民としてはやっぱり、定番のおみやげとして一つくらいは入手したかった――そう思ってたけど。実際、貝殻をゲットしたやつがうらやましすぎて、戦利品を自慢されては一々ぶうたれもしてたけど。
でも、だからって千代がオレに貝殻をくれてやる義理なんてないはずなのに。
「海じゃなくて浜に落ちてたやつだけど、そんなに変わんないでしょ」
ぼうっとしていたオレに、千代は問答無用で貝殻を握らせた。それからオレを覗き込んで、に、と唇を崩す。
千代。
「孝樹くん、色々下手くそすぎだよ」
全身の毛穴がいっせいに広がった気がした。おでこから、首の裏から、背中から、玉になって汗が噴き出す。顔が熱い。千代は踵を返して、駐車場の方へと駆け出していった。ナップザックがばたばたとはためく小さい背中に、とっさに声を張り上げる。
「じゃーなっ」
足を止めて振り返った千代は、ゆったりと微笑んで、オレに手を振った。
執筆期間:2019/2/9〜2019/2/14
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