7月10日8時11分


 正面に腰掛ける千代の、だしまきたまごを奪って口に放ったら、あ、と千代はマヌケづらをした。おれはたいしてうまくもないたまごをぐちゃぐちゃと噛んでから、牛乳で喉に流し込む。
「おいおい湊、もっと食べたいなら自分でおかわり行ってこいよ」
 呆れ顔の眞島が隣の千代に自分のぶんを差し出したけど、千代は「大丈夫です」っつって首を横に振った。「そうか?」と千代を覗き込みながら眞島は食器を引っ込める。ざまあみろだ。こいつはいっつもいっつも、おれにうるせえことばっか言う。るりよりはマシだけど、でもやっぱウザい。
 千代はもうおれの方なんか見ねえで手元の浅漬けをぼりぼり食っていた。おれはそれにむかついて、千代をまたこっちに向かせてやるための作戦を考えたけど、鮭の塩焼きはもう皮だけになってるし、飯の茶碗は今千代が抱えていやがるし、味噌汁はからっぽだし、打つ手ナシってやつだった。こいつはチビのくせに大食いだ。給食とかも、ほとんど残さない。
 臨海学校の飯はおれ的にマジで最悪だった。朝昼晩、毎回必ず野菜が出る。おまけのデザートはヨーグルトだのフルーツだのしょぼいやつばっかだし、ポテチやグミなんかもちろん食えねえし、なによりこの変なにおいのする食堂に全員を集めて「みんなでなかよく食べましょう」みたいな雰囲気をぷんぷん醸し出してきやがるのがとにかく気に入らない。給食の時も思うけど、みんなで声を合わせて「いただきます」とか「ごちそうさま」とか、ガキじゃねえんだから、って話だ。そんな時おれは絶対声なんか出さねえし、手も合わせない。
 だから目の前に千代がいるってことだけが唯一マシだと思えるポイントなのに、その千代は隣の眞島や周りの女子たちとばっか話しをしていて、おれの方なんか見向きもしない。むかつく。いらいらしながら飯に箸をぶっ刺したら、バランスを崩した一本が床に落っこちた。ちっと舌打ちをして、スツールから下りて箸に手を伸ばす。
 すると、千代の脚が目に入った。体操着の短いズボンから伸びた膝に、ガーゼみたいなもんが貼ってある。あれは治療をした跡だ。千代は臨海の初日、孝樹に突き飛ばされたせいですっ転んでけがをした。傷口は相当エグいことになっていたらしい。見たかった、と思う。そしたら「バカ」とか「どんくさいんだよ」とか、色々言ってやれたのに。
 おれは傷口をつついてやろうかと思いついたけど実行には移さず、そのまま体を起こした。箸を洗いにいくのがめんどくさかったので、ごはんも味噌汁も浅漬けもまだまだたっぷりと残ってたけど、食うのはやめにする。千代を観察することにした。千代はいつのまにか全部食い終わっていて、とっくの昔に完食していた眞島と皿を重ね合わせていた。食器は各テーブルごとにまとめて、それを後で食事係が片づけることになっている。
 千代の髪の上に天井の明かりが映って、白い輪っかを作っていた。千代が周りの女と笑うたび、その輪っかも上下左右にゆらゆら動く。おれはそれをじっと見つめた。こんだけ見てるのに、千代はたったの一秒も、おれの視線に気づかない。
 やっと「ごちそうさま」の時間になって、横を向いていた千代が姿勢を正した。墓参りの時みたいに手を合わせて、食事係の「おいしかったですね」という前振りをスマイルで聞く。
 その時、ふっと千代が顔をあげた。目が合う。千代のまんまるな黒目に、おれがくっきりと、はっきりと映る。
 千代の中におれがいる。
 瞬間、反射でおれは目を背けていた。ごちそうさまでした、の大合唱が食堂に響く。スツールの脚が床にこすれる音としゃべり声がごちゃごちゃに混ざり合って、さっきのおれの反応を、なかったことにしてくれる。
 少し、ほんの少しだけびびりながら千代に目を向け直す。あいつはもうおれなんか見ちゃいない。なんにもなかったみたいにして友達と食堂を出ていこうとしていた。その脚にはやっぱり、ガーゼが貼りついている。
 もしおれだったら、と思った。千代にあのけがをさせたのがもしおれだったら、千代に傷を残させたのがもしおれだったら、千代はおれを見てくれたんだろうか。きらいとかむかつくとか、なんでもいいけど、なんらかの感情を持っておれのことを見てくれたんだろうか。
 千代はおれのことなんかどうだっていいんだ。でもおれはそうじゃない。そうじゃない、と自信を持って言いきってしまえる自分のこの気持ちに、おれは一番、むかついてる。

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