「そろそろ買い出し行かないとかな」
ある日の部活終わり。部員たちがネットやポールを片づけている倉庫のかたわらで、ぽつりとそう零したのはバレー部マネージャーナマエであった。それを拾ったのが及川で。
「ナマエちゃん、買い出し行くの?」
「うん、そろそろ備品が足りなくなる頃かなって思って」
そういいながらナマエは備品用の引き出しを覗きホワイトボード用のペンを数える。
備品調達はマネージャーの仕事であった。その買い出しでは、男子部員が手伝わなければならないほどの大きなものや重たいものを買いに行くわけではないので、部員が練習中にマネージャーが買いに出かけるのが通例である。
しかし、最近はその習慣が変わりつつある。
「明日だったらついていくよ」
「いいの?」
「いいよいいよ。なんたってナマエちゃんは我が部の大切なマネージャーだからね。練習始まる前にぱぱっと言っちゃお」
そういって及川は決まってナマエの買い出しについていくのであった。
「いつもありがとう。じゃあよろしくね」
顔を明るくするナマエに及川は満足げに微笑んだ。
次の日。ナマエと及川は並んで街を歩いていた。及川の手は、いくつかの荷物で塞がれている。ナマエは手に持った買い出しリストに目を通し、「よし、帰ろうか」と及川に笑いかけた。
「及川くんばかりに持ってもらってごめんね」
とはいえ、それは重たいといえるほどの荷物でもなく、及川は、「平気平気」と笑う。そうして二人はいつもの道を通り学校へ帰るのであった。
学校に近づくにつれ、下校する生徒とすれ違うことが多くなる。そして、時折、まるで幸福の鳥を見つけたかのように「あ、及川さん」と女子生徒が声を上げるので、及川はそのたびに笑顔で手を振った。
「相変わらずもてもてだね」
「もしかして、やきもち?」
「そんなんじゃないよー」
ナマエは笑う。及川は僅かにむっと眉をひそめた。しかしナマエは気にする様子もなく
「そういえば及川くん、授業中寝てたでしょ」
と、楽しげに話しを振る。
「あぁ、あれ? ばれてた?」
「先生は気づいてないみたいだったよ。及川くん寝てるのに考えてるみたいだから」
及川は、はははっと声を上げて笑う。そして、ナマエを見下ろすと、丁度視線がかち合った。ナマエがにこりと笑い、つられて及川も笑みが零れる。しかし、ナマエはすっと視線を逸らし前に向き直った。その様子に及川は不満げに唇を尖らす。
「ナマエちゃんはさ。好きな人でもいるの?」
言い終えて、しまったと言わんばかりに口を開ける。一度口にした言葉は戻らない。
「あ、えっとね、そういう意味じゃなくて……」
しどろもどろになって泳がした視線をナマエに戻す。そして、及川はその顔が赤く染まっていくのを見た。
「あれ……嘘……いるの?」
今度は確かめる様に聞く。するとナマエは視線を地に落とし、その耳まで赤く染め上げた。
「……内緒」
そう呟いたナマエに及川は目をむく。及川の手にあった荷物が、音を立てて地に落ちた。ナマエはもとい近くを歩いていた通行人までもがその音にびくりと肩を上げる。ナマエは立ち止まり及川を見上げた。
「ど、どうしたの?」
通行人も足を止めることはなかったが、二人に視線を送る。しかし及川は気にする素振りもなく、ナマエの前に回り込み、その両肩を掴んで赤らんだナマエの顔を凝視した。段々と近づく及川の顔に、ナマエの頬が更に紅潮する。
「え、あの、及川くん?」
じーっと注がれる及川の視線を避ける様に目を逸らす。
「か、顔が、近いんですけど……」
「ナマエちゃん、なんで俺が毎回ナマエちゃんの買い出しについて行ってるかわかってる?」
ナマエは地面に落とされた荷物に視線を注ぐ。
「……荷物の、ためだよね」
その荷物は、無残に手放され、新しくかったノートは袋から顔を出している。ボールペンなんていくつかころころと転がってしまっていた。
及川はそんな荷物に一瞥することもなく続ける。
「違う! 違うくないけど!」
及川は唸って首を傾げる。
「だからね……その……俺はね、歩けば、それはもう沢山の女の子が話しかけてくるんだよ」
「そうだね、さっきもお店で声かけられてたよね」
ナマエは苦笑する。その光景は見慣れたもので、先ほどの店でも及川は女性店員から声をかけられていた。
「そうなの。流石及川さんって感じだよねって、そうじゃなくて! だからね、その俺がね、わざわざナマエちゃんのために時間を使っているのはっ……!」
そう言いかけて言葉を飲み込む。口をきつく結んだ及川の顔がわずかに赤くなる。二人の沈黙を通行人が不思議そうに眺めては通り過ぎていった。耐えかねたナマエがそろりと見上げると、二人の視線がかち合う。今度は及川が顔を背け、隠すように片手で顔を覆った。
「及川くん……大丈夫?」
「大丈夫……」
そういって及川はナマエの肩を掴んでいた手を離し、瞳を閉じて小さく深呼吸を繰り返す。そして、一呼吸置いた後、ゆっくりと眼を開き、その瞳にナマエを映して意を決したかのように口を開いた。と、その時
「あ、おい! 及川!」
及川の背後から怒号が響いた。二人の両肩が跳ねあがる。声の主を辿ると、岩泉が「もうロードワーク始まってんぞ!」とこちらに走り寄ってきていた。岩泉の後ろでは遅れて他の部員が列をなして走っている。
「岩ちゃん……タイミング……」
及川は恨めしそうに岩泉を見る。
「何言ってんだよ、つかお前ら荷物ぶちまけて何やってんだよ」
岩泉はそういって、落ちた荷物を拾い、丁寧に袋に仕舞い入れていく。
「あ、ごめんね。私拾うから」
慌ててナマエもしゃがみ込み、転がったボールペンを集める。もともとそれほど量はないのですぐに拾い終えることができた。
岩泉は拾った袋をナマエに手渡す。
「じゃ、行くぞ、及川」
「え? どこに?」
「どこにってロードワークに決まってんだろ、ボケ」
「えー……岩ちゃん言葉きたない。女の子にもてないよ」
「うるせー……ほら、行くぞ」
そういって、岩泉は及川の首根っこをつかみ走り出す。及川は、「ナマエちゃん、気を付けて帰ってね」と顔の前で謝るように両手を合わせ、「またあとでね」とひらひら手を振った。ナマエはそれに向かって手を振り返し、及川が正面を向いたところで、踵を返す。そして、冷やすように時折手の甲で頬を押さえながら、一足先に体育館へ戻った。
「岩ちゃんさー、ナマエちゃんが仲良くしてる男って誰か知ってる?」
「知らねー……つか、お前がしつこく付きまとってるから他の奴は話しかけづらいだろ」
「だよねー俺もそう思ってたんだけど……」
「……お前、わざとやってんのかよ」
「……てへ」
「性格悪いな」
「いいんだよ。悲しいかな、ナマエちゃんは全然気づいてないから……」
及川は頭を抱える。そして、「あー! くそ、気になる!」と叫ぶ及川に、岩泉は「舌噛むぞ」と呆れ顔で言った。
これはいつか、笑い話になる前日譚のようなお話。