HRが終わり、机に置いた鞄に教科書やノートを詰め込む。そのとき、鞄の中の携帯が光り、新着のメッセージを知らせたがそれには触れずに鞄を閉めた。
普段はこのまま部活に向かうのだが、今はテスト期間中なので帰宅する他ない。
鞄をもって、席を立つ。すると、にやにやと笑う友人に「あれ、一人で帰るの?」と声をかけられた。
「うん、一人で帰るよ」
その言葉は、自分でも驚くほど冷たく響いた。それでも気にする素振りを見せない友人を適当にかわし教室を出た。
下校路の途中には、イチョウ並木があり、この時期は金色の絨毯ができる。私が歩くたびに、さくさくと枯れ葉がなった。
刹那、冷たい風が吹き抜け、体を芯から冷やしていく。冷え切ってしまう前に、早く帰ろうと思ったとき、背中をぽんと叩かれた。
振り返ると、「お前も今帰り?」と口の端を吊り上げて笑う二口先輩がいた。
先輩が背中に触れたのは一瞬だけだったのに、いつまでもそこが温かい。
「そういえば同じ方向でしたよね」
吐いた言葉は白々しい。いつも先輩の後姿を眺めていたくせに。
私は、先輩が歩き出す速度に合わせて足を進める。隣になんて並べなくて、いつも先輩の半歩後ろを歩く。
もし一年早く生まれていればとか。もし、一年早く出会っていればとか。考えるだけ無駄なことは知っている。その隣に私は立てない。
その半歩後ろを歩く私にいつも先輩は時折振り返りながら話しかけた。
「今日はやけに寒いよなー」とか、「授業今どこやってんの」とか、「あの数学の先生厳しよなー」とか。
言葉を交わせば交わすほど話したいことがどんどんと湧き出てくる。
けれど、もう今までとは違うんだ。先輩は、ついにその話題に触れた。
「にしても以外だったわー」
そういって、イチョウを見上げたのは先輩で。
何がですか?と聞かなくてもわかったのに何も知らないふりをして尋ねた。
すると先輩は一呼吸挟んで、楽しげに笑いながら。
「お前が黄金と付き合うなんてな」
その言葉が、冷たく私に刺さる。
「なんで……知ってるんですか?」
私は、声が震えてしまわない様にすることだけで精一杯だった。
先輩はお腹を抱えて再び可笑しそうに笑う。
「あいつ分かりやす過ぎるんだよ。嬉しそうに笑いやがって。もう部内の皆知ってるっつの」
そう言った先輩の横顔が、とても綺麗で。いつまでも眺めていられたのなら――だなんて、馬鹿げている。
段々と目の前が霞んくのがわかった。
今の私には先輩が言うように黄金川くんがいるんだ。
今ならきっと、何もなかったかのように忘れられる。実際何もなかったのだから。全部全部、泡沫の夢だったのだ。
だけど、これ以上、先輩と一緒に足を進めたら、抑えたものが零れ落ちてしまいそうだったから――歩む足を止める。握った拳が痛い。前を見ると、私に気づかずに歩く先輩は半歩先から一歩先、二歩先へと進んでいってしまう。そして、「あれ、ナマエ、どうした?」と不思議そうな顔をして振り返る先輩に。
「先輩、私、そこの文具屋さんによる予定なんです。だからこの辺で、失礼しますね」
笑顔を作った。
先輩は「おう、またな」とあっけなく片手をあげて、背を向ける。それを見て、私も踵を返し、用もない文具屋がある方へと向かった。
刹那、掴まれた腕。引っ張られる力のままに景色が回る。振り返った先には、先輩がいた。
「せ、先輩!?」
掴まれた腕が信じられなくて、何よりも普段より近い距離で、見下ろすように私を睨みつける先輩がもっともっと信じられなくて。鼓動が早鐘の様になり始める。
「ど、どうしたん――」
「お前、さ」
私の言葉を遮って、吐き出された言葉。
「え?」
「いや、だから、お前さ……本当に――」
「あ、ナマエーーーー!」
陽気な声が先輩の言葉を遮った。
声の先を見ると、車道を挟んだ向こう側の歩道で黄金川くんが両手を振りながらくしゃくしゃの笑顔でこちらを見ていた。
「ナマエーーーーー!」
目が合うと、もう一度嬉しそうに黄金川くんは私の名を呼ぶ。先輩が掴んでいた腕は、いつの間にか離されていた。
先輩が小さな溜息を零す。見上げれば、「行ってやれば?」と、呆れたかのように黄金川くんを見る先輩がいた。
すると黄金川くんはようやく先輩の存在に気が付いたのか慌てて姿勢を正して会釈する。「俺は二の次かよ」と先輩が苦笑した。
鼓動は、未だ煩かった。私は先輩に掴まれていた筈の腕を握る。そして、愚かな期待を抱きながら先輩を見上げた。
「あの……先輩、さっき……」
「あぁ、あれな」
周りの音が消える。唯、唯ひたすら煩い鼓動に囲まれて、先輩の口が開かれるのを見た。
「やっぱりなんでもねーわ。悪かったな。俺はいいから、早く行ってやれよ」
思わず笑顔が零れる。きっとそれが自嘲だとは誰も気づかない。
「そう、ですね……私、行きます」
「おう、またな」
「じゃあ、今度こそ、失礼しますね」
私は会釈したのと同時に、近くの横断歩道へと足を踏み出す。早歩きだったのが段々と小走りになっていく。そして、いつの間にか、全速力で黄金川くんの下へ駆けた。
横断歩道を渡ると嬉しそうに私を迎えてくれる黄金川くんがいた。
結局私はこうやってこの人の元に逃げたのだ。
一瞬だけ、さっきいた場所を振り返る。
そこに先輩の姿はなかった。
黄金川くんと並んで歩く。
「今日授業終わってすぐにナマエにメール送ったんだ。一緒に帰ろって」
「そうだったんだ。ごめん気が付かなくて」
「いや、こうして会えたんだから大丈夫!それより、ナマエ。明日から毎日一緒に帰っていい?」
「いいよ」
「っしゃ!」
そんな、他愛のない会話を繰り返しながら、私たちは並んでさくさくと金色の道を歩く。触れるか触れないかの距離で互いに手を振りながら。
「ナマエ、大好きだ!」
「ありがとう。私もだよ」
そうやって微笑みあいながら。