それは中学生でもなく高校生でもなくだからといってニートと呼ぶには若い彼らのその期間の最終日。
 昼食を終えたナマエは新しく買ったばかりの自転車に乗って明日から通う高校へと向かっていた。自転車には自転車通学を許可する稲荷崎高校のステッカーが貼ってある。坂道の多いこの町を上ったり下ったりしてようやく着いた校門前でナマエは止まる。冬に受験で来た時以来だが、その校舎は雪の日に見た姿とはまた違って見えた。敷地を囲むように立っている満開の桜のせいかも知れない。ひらひらと舞うその花びらは進学をお祝いしているかのようで明日からの生活を思うとナマエの心は踊った。すると「ナマエっ!」と、よく見知った声で名を呼ばれる。
 声の先を辿ると少し離れた校舎の角で幼なじみの侑が手を振っていた。自分と同じく入学前の侑がどうしてそこにと驚いたナマエであったが、ウインドブレーカーをきた姿に部活かと納得する。その周りにいる治をはじめとした同じ身なりの人達も恐らくバレー部員だろう。侑と同じ皺のないかっちりとしたウインドブレーカーを着ていることから新一年生であることが伺える。彼らも侑の視線を追ってぽかんとこちらを眺めていた。
 侑の声によって皆の注目を集めたナマエはたじろぎながら自転車から降り、侑に手を振り返した。侑は嬉しそうにその様子を見て、仲間の元から飛び出す。侑の後ろで張り上げる声が聞こえた。
「練習始まるまでにはちゃんと戻ってきーや」
「分かっとる分かっとる」
 侑が一度振り返りそういうと、バレー部員達は時折からかう様にこちらに視線を送りながら去っていった。
 駆け寄る侑を見てナマエも足を伸ばそうとするが、校門前に貼られた部外者侵入禁止の看板によって阻まれる。明日から関係者とはいえ今は部外者だ。ナマエが焦ったい気持ちで校門前で待っていると、駆け寄った侑がナマエの髪に触れた。
「桜ついとんで」
 淡い桃色の花びらを摘み満面の笑みでナマエに見せる。いつもの楽しそうなその笑顔にナマエは「ありがとう」と微笑んだ。
「抜けて来て大丈夫やったん?」
「大丈夫や。今は休憩中やからな。探検しとってん」
 中めっちゃ広いでと侑は興奮気味にいう。しかし興味は別のところにあるようだった。
「それよか何でこないなとこおんねん。入学式は明日やで。せっかちさんか」
 侑は突っ込みを入れる仕草をする。ナマエは「せっかちさんちゃうわ」と笑いながら自転車に視線を送り、ここにいる訳を話した。
「チャリ通やから道確認しとことおもっ――」
「何!?」
 侑は目を向く。そんなにも驚かれるようなことを言っただろうか。
「いや、せやからチャリ通やか――」
「あかん! 絶対あかん!」
 侑が凄まじい勢いでナマエの肩に飛びついた。あまりに鬼気迫る様子だったので、一瞬戸惑うナマエであったがどうせ、侑のことだ。大したことではないだろうと苦笑した。
「いや、なんでやねん」
「ナマエこそなんでやねん。バスあるやろ、バス。坂も多いのに何を好き好んでチャリ通やねん。ドMか」
「ドM言うな」
 ナマエは自転車を片手で支え、激しく自身の肩を掴む侑の手を払った。確かにナマエの家の近くにはバス停がある。ちゃんと一本で稲荷崎高校にいけるバスだ。しかし、自転車通学を選んだのにはナマエなりに理由があった。
「バスって時間決まっとるやろ? 待つの嫌やねん」
「俺が一緒に待ったる」
 侑が間髪いれずに答える。そう言う問題とちゃうねんけどと、ナマエが付け足した。
「それに一本逃すだけで遅刻するし」
「俺も一緒に遅刻したる」
 またしても間髪いれずに答える侑に「それはあかんやろ」とナマエが笑う。
 侑はなぜこんなにも必死なのだろうか。ナマエは首を傾げた。
「何でそないに反対すんねん」
「だって……見えてまうやろ」
「何が?」
 侑は視線を泳がせ唇を尖らせる。そして、頬を赤らめながらぼそりと呟いた。
「パンツ」
「アホか」
 間髪入れず突っ込んで、ナマエはぷっと吹き出す。そして、あれはそう言うことやったんかと思いを巡らした。
 それは中学生のときのこと。徒歩通学だったナマエは一度自転車に跨る侑にいいなとこぼしたことがあった。とはいえ、校則で徒歩圏内に居住する生徒には部に所属しない限り自転車通学を認めないとあったので、帰宅部だったナマエは何となしにそれを言ったに過ぎなかった。しかし「あかん! チャリ通は絶対にあかんで」と言ったその時の侑の形相は言うに及ばない。あまりに印象的だったのでこんにち記憶を呼び覚ますことが出来たわけだが、その理由が下着が見えるからというものだったのかと思うと笑いが込み上げてくる。そこは危ないからとか普通そう言う心配するやろと。
「大丈夫やって」
「大丈夫やあらへん! 年頃の女の子があないな短いスカートで」
「おかんか」
「あの見えるか見えへんかみたいなところが更にあかんねん」
「変態か」
 ナマエは呆れながらも笑わずにはいられない。すると侑は焦ったそうに両手で頭を掻きむしり、ワックスで整えた髪をグシャグシャにしながら空に向かって叫んだ。
「なんでわからんねーん!」
 それは酷く悲痛なものだ。その間にもどこ吹く風と桜はひらひら舞い落ちる。幸い周囲に人はいないため注目を集めることはないが、その声は近くの住宅地にまで響き渡ったことだろう。
 そして、息を吐ききった侑はナマエに向き直り指を刺す。ナマエが「指刺すなし」とその指を掴むと侑は鼻息荒く口を開いた。
「とにかくあかんもんはあかんからな! どうしてもチャリ乗りたいんやったら俺が漕いだるわ」
「二人乗りはあかんやろ。それに折角新しいチャリ買ったんに、今更バス乗りたいなんてお母さんに言われへんよ」
 すると侑は泣き出しそうな顔をして、せがむ様に言う。
「なら俺も一緒に頼んだるから」
 あまりに懸命な様子にナマエは再び吹き出す。そして、何をそんな必死やねんと言いかけた時、侑の後ろから声がかかった。
「ツム! もう練習始まっとんで」
 同じく幼馴染の治が珍しくその声を張り上げこちらに走り寄っていた。
「俺らまで怒られてもーたやん。あの人めっちゃ怖いわ。ほら行くで」
 駆け寄った治は侑の首根っこを掴む。
「ナマエちゃんごめんなー、侑連れてくわ」
「全然大丈夫。むしろ早く連れてって」
「何ー!? まだ話は終わっとらんぞ!」
「えー加減にしろ、めっちゃ怖い人おんねんからな」
 治がずるずると侑を引っ張る。
「ナマエー! まだ話終わっとらんからなー」
 引きずられながら侑が叫んだ。ナマエは「はいはい」と返事をし、その姿に手を振る。そして、侑たちが見えなくなった所で自転車に跨った。
「スパッツ履いたら大丈夫よな」
 ナマエは一度自分の腰回りを確認し、家に向かって自転車を漕ぎ出した。


「そう言う問題とちゃうねん! というかそれ見えること前提の考えやん! 恥じらいはないんかい! 恥じらいは!」
 入学式当日の朝、通学途中で見つけた侑に自転車に跨ったままナマエが「スパッツ履いたから大丈夫やで」と言うと、顔を真っ赤にして叫ばれた。
「もーあかんわ。ほんまにあかんわ。そこのコンビニで恥じらいこーてこい」
 下唇を盛大に突き出した侑は近くのコンビニを指さす。
「分かった分かった」
 朝から元気やなとナマエがため息混じりに返すと、侑は、お? 分かったんか? とでも言いたげな顔でこちらを見る。しかし、ナマエはニヤリと笑って。
「スケベ治す薬こうてきたるわ。侑にな」
「はぁ!?」
 そして、スーと自転車を漕いでいく。
「ちょ……待て! ナマエ!」
 スカートの裾がひるがえるが、それほど短くしているわけでもないのでスパッツが見えることもない。
 侑はなんであないに必死なんやろな。
「待てや、ナマエ! 待てって!」
 ナマエは振り返ることなく侑に片手を上げる。
「なんでわからんねーん!」
 後ろで侑の叫ぶ声が聞こえた。