もう何度目になるか分からない、白鳥沢学園バレー部同窓会。宴もたけなわと誰かが言い出す頃だった。
「工!? それお酒だよ! 大丈夫!?」
 何やら隣のテーブルで天童くんの慌てたような声が上がったので振り返る。
「へ? 水じゃなかったんすかぁ? れも、らいじょうぶっす。俺、酒強いんれ」
 珍しくあわあわしている天童くんの隣には顔を真っ赤にしてヘラヘラ笑う五色くんがいた。

「俺たちで工をホテルにぶち込んどくから」
 同窓会もお開きとなり、店の外に出ると、天童くんは手を差し出す。私の持っている五色くんの荷物をよこせということだろうか。天童くんの後ろでは五色くんが同じ代の子達に両脇から支えられながら背中を丸めていた。
「でも、私も面倒見てあげたいし。何もできないかもしれないけど……」
 私を見る皿のような丸い目は優しく細められた。たまに天童くんはこういう顔をする。
「ナマエちゃんはまだ工のことが好きなんだね」
 いつだって全てをその大きな瞳で見通す天童くん。きっと、私の知らない私の心の奥深くまで、天童くんには見えているのだろう。
「どうだろう? そうなのかな」
 はっきりとしない回答になったのは、とっくに諦めたと思っていたから。それでもこうして久しぶりに五色くんと会うと、色めきだってしまうから。
「俺からしたらすごいもどかしいよ」
「そうだよね、これだけ未練がましく片思いしてるとね」
 自分でも笑ってしまう。もう何年になるだろうか。
「本当にもどかしい。君たちのそういうところ」
「君たち? 私以外にも片思いのプロがいるの?」
 あっ、という顔をした後に、ナイショ、と言って立てた人差し指を口に当てて笑った天童くんは、こそこそ話を楽しむ子どものようだった。世の中、私だけが惨めというわけではなさそうだ。

 後ろに五色くんを両脇から抱えた子達を引き連れ、天童くんと一番近くにあるビジネスホテルへ向かう。
「天童くんは帰っても良かったんじゃないの?」
「いや、半分は……というかまぁ全面的に俺の責任だからね」
 気まずそうに話す天童くんは肩を落として首を垂れる。
「五色くんのテーブルにいた子に事故って聞いたけど……水と間違えてお酒一気飲みしたって」
「確かに事故っちゃ事故なんだけど……一気飲みする前に工を褒めちぎり過ぎた。多分工、気分良くなっちゃったから、目の前のグラスを何も考えずに一気に開けちゃったんだと思う」
 ますます前のめりになる天童くん。天童くんに褒めちぎられ、もっと言ってくださいよ、先輩! と言いながら鼻高々にしている五色くんが鮮明に目に浮かんでつい笑ってしまった。
 大学生になっても五色くんは五色くんで、坊主頭になっても天童くんは天童くんらしい。お調子者の後輩とそれを可愛がり過ぎてしまう、なんだかんだで面倒見のいい先輩のようだ。そして、私もきっと何一つ変わらない。
 短くなった赤い毛の先では澄んだ夜空が広がり、無数の星が瞬いていた。きっと、輝く彼らも昔と変わらず、ただ見下ろすことしかしてくれないのだろう。

 ホテルに到着し、宿泊カードに五色工と書く。ふりがなをふって、年齢は――五色くんは大学三年生で誕生日はまだ来てないから、二十? と頭に浮かんだ数字に若っと驚愕し、記入する。職業は学生。そして、住所のところでペンが止まってしまった。知らないのだから。
「あの、住所なんですけど……」
「チェックアウト時に承りますので、こちらで結構ですよ」
 朗らかに笑った同い年くらいの女性に宿泊カードと交換に部屋のカードキーを渡された。シングルの部屋が空いていなくてセミダブルの部屋になってしまったからか。それとも、今の五色くんの状態を見て介抱係用にと気を使ってもらえたからか。カードキーは二枚渡された。
 皆でぎゅうぎゅうになりながら、エレベーターに乗る。ぞろぞろと廊下を歩いて五色くん用に借りた部屋の前に到着すると、俯いていた五色くんから、吐く……とだけぼそりと聞こえてきたので、慌てて持っていたカードキーを、扉にかざした。やべぇ、やべぇと五色くんを支えている子達は五色くんを連れて部屋に雪崩れ込み、お風呂と一体型となったトイレへと向かう。しかし、トイレへの扉を開けた瞬間に五色くんはマーライオンになってしまった。五色くんの脇にいた一人が、慌てて五色くんの着ていたシャツを伸ばして嘔吐物をキャッチする。お陰でホテルは汚れずに済んだ。
 これは、セーフなんだか、アウトなんだが。皆で声を合わせて、あぁと感嘆の言葉をこぼした。

「下の階にコインランドリーあるみたいだからその服洗ってくるね」
「あざっす!」
 後輩達が脱がせたゲロまみれになったシャツとシャツを脱がせた時に汚れてしまったズボンを受け取り、部屋の洗面台で軽く洗ってから、コインランドリーのある階へと向かった。
 四台ほど洗濯機が並ぶコインランドリーには誰もいない。動いている洗濯機もない。
 無音の中、一番端っこにある洗濯機に衣類を入れ、蓋を閉め、両替機で作った小銭を入れて、スタートボタンを押す。赤いランプの文字が乾燥まで一時間かかるということを示していた。暫くぼーっと洗濯機の窓を覗いて、洗濯物が回る様子を眺めていたが、水が勢いよく投入される音にはっと我に帰る。少し寄り道をして、五色くんの部屋へと戻った。
 部屋に戻ると、バスローブを着せられた五色くんは、緩み切った表情でベッドの上に大の字になって眠っていた。手足の長い五色くんにはセミダブルのベッドはピッタリのようだった。呑気なヤローだな、と言った後輩が布団をかけてようやく介抱は完了だ。
「じゃあ、帰ろっか。皆お疲れ様ー」
 張りのない声でそう言った天童くんが後輩たちに、ほら行った行った、と部屋を出るように促す。
「私まだ残ってるよ。五色くんの洗濯物終わったら取りに行かないといけないし」
「工にメモ残しとけばいーじゃん」
「そ、そうなんだけど」
 まだ、帰りたくなかった。だから、ロビーに寄り道してしまった。新しい宿泊カードに自分の名前を書いたのだ。鞄には私の部屋のカードキーが入っている。
「嘘だよ。意地悪言ってごめんね」
 天童くんがそっと私の頭に手を乗せる。やっぱりなんでもお見通しな天童くん。
「じゃ、俺たちは帰るから。もし何かあったら連絡して。ナマエちゃんから連絡があればいつでも俺がヒーローとして駆けつけちゃうよ!」
 きっと何も起こらないことを知っているだろう天童くんは、ヒーローごっこをしている子どものようにカッコよく変身ポーズをキメた後、穏やかな笑顔を残して部屋を出る。扉が閉まるまで天童くんに手を振っていると、天童くんが、先に部屋を出た後輩達に、ナマエちゃんが工の服回収してくれるって、とまるで私がここに残らなければならなかったかのように言っているのが聞こえた。

 いつもキリッとした眉毛は安心した様子でハの字を描いている。大きな口を開けて眠る五色くんはまるで小さな子どものようだ。
 彼を尻目に、ベッド横の間接照明だけを残して部屋の他の照明を全て消し、自分の部屋へと向かった。
 五色くんと同じセミダブルの部屋。カードキーをホルダーに入れて、部屋の電源を入れると、オレンジの照明が点灯する。
 薄暗いな、と思いながら、鞄を小さな丸テーブルに置いて、テーブルの前にある一人用のソファに、全身を預けた。
 両手両足をだらりとソファから投げ出すと、全てから解放された気になる。天井を仰ぐと、四つの電球が結べは長四角になるように並んでいた。なんだか、疲れたな。
 目を閉じると、遠いどこかから、可愛いっすね! と聞こえた気がした。高校時代の五色くんの声だ。最近はもう、めっきり言ってくれなくなったけれど、高校時代は毎日のように言ってくれていた。
『前髪切りましたか? 可愛いっすね!』
『ピンの色変えましたか? 可愛いっすね!』
『そのタオル可愛いっす! あ、そのタオルを使ってるナマエさんがってことですよ!』
 思わずぷっと吹き出す。タオルを使う私が可愛いって。そんなこと言われたことないし、これからも言われることはないだろう。
 毎日のように。私の些細な変化を見つけては、可愛いっすね! と付け足した五色くんは、私に変化がなければ、タオルや水筒、挙句は今日の雰囲気なんてよく分からないものとセットで可愛いっす! と褒めてきた。
 でも知ってしまった。五色くんはただ、懐いてくれているだけだったのだということを。近づくだけで尻尾を振ってくれる子犬のように。
 私だけが、湯水を使うように惜しむ様子もなく浴びせられる言葉にその気になっていた。
『ナマエさん、本当に可愛いっす! 俺の理想っす!』
 それなら、その隣に立たせてよ――なんて、もう。思ってないよ。