高校生活最後の夏休み。休みとはついてはいるものの、受験生になった私にとっては戦いの日々でしかない。不安と焦燥に駆られながら毎日を勉強に費やしていた。それでも去年と同じく倫くんとの勉強会は健在で、週一くらいでやってくる倫くんの部活がオフの日に、私のお部屋でローテーブルに肩を並べて一緒に勉強をしていた。しかし、去年とは違い会話は殆どない。倫くんは進学しないみたいだけど、私に気を使ってか黙って隣で課題をしていた。
 そして、夏休み最後の勉強会の日。勉強を初めて二時間くらいが経った頃、服を引っ張られた気がして視線を隣に移す。そこには私の服の裾をきゅっと握りながら、不貞腐れてますとでも言いたげに唇を尖らせている倫くんがいた。
「ナマエ。ちょっとだけ。ちょっとだけでいいからギュッてしてもいい?」
 倫くんでもこんな顔するんだ! 可愛い。すごく可愛い。
「何ニヤニヤしてるの?」
「ううん、なんでもない。そうだよね。ギュッてしよ」
 そういえば最近、ギュッもしていなければキスもしていない。倫くんなりに気を使ってくれてだんだなと気づく。
 そして、顔を綻ばせ目を細くしながら両手を広げる倫くんにまたもやキュンとしてあっと思い出す。
「そういえばね、お母さんが買ってきてくれたの」
 そう言って立ち上がる。
「えー、タイミング……」
 倫くんがまたもや唇を尖らせた。こんなにころころ表情が変わる倫くんを見るのは初めてかもしれない。ついつい顔が緩んでしまう。
「またニヤニヤしてる。今日のナマエ意地悪じゃない?」
「意地悪じゃないない。倫くんの好きなやつだから、ちょっと待っててね」
 ぶぅと頬を膨らませて見上げる倫くんにまたしてもやられてしまったが、手を振り台所へ向かった。

「まぁ嬉しいけど、そんな期待した顔で見られても、子どもじゃないんだからこれで大したリアクションは取れないよ」
 チューペットを受け取った倫くんは、パキッと半分に割って片方を私に差し出す。それを受け取ると、倫くんは両手を広げた。
「なんだがっがり」
 そう言いながら、手を広げる倫くんに正面から行くか背中から行くか迷って、結局スカートだからと背中を向けて、あぐらをかいた倫くんの膝に座った。倫くんの手が私のお腹に回る。座ってからこれだと私はギュッて出来ないと気づいたけれど、倫くんが背中に密着して力いっぱいギュッとしてくれるのでこれはこれでとてもいい。体重を倫くんに預け、加えたチューペットを噛んでアイスを口の中に引き入れた。久しぶりに食べた青色のアイスは昔と変わらぬラムネ風味の甘い味がした。
「ナマエが俺の好きな物、覚えてくれてるのは嬉しいけどね」
 言葉に混じって、シャリシャリアイスを噛む音が聞こえる。
「倫くんは私の好きなもの覚えてる?」
「……俺でしょ?」
「それ覚えてないじゃん」
「覚えてる覚えてる」
 頭の上で倫くんがくっくっと笑う。今日の倫くんは本当に表情豊かだ。珍しい。そんなことを考えながら再びアイスを口に入れる。冷たい塊は舌の上でじんわりと溶けていった。
 無言になると、時計の針の音と倫くんのシャリシャリする音だけが聞こえる。なんだかこんなにゆったりするのは久しぶりだ。不意に目頭が熱くなった。
「なんか、毎日、忙しくて……寂しいね」
 思ったままを呟くと倫くんの顎が頭の上に乗る。心地のいい重さ。倫くんの匂いに包まれる。
「俺も寂しい」
「でも、頑張らないと」
「そうだね」
 アイスを口に入れて、シャリシャリする。すると倫くんもシャリシャリ言った。この状況がいつまでも続くものじゃないと分かっているけれど、やっぱり倫くんと過ごす時間が短いのは辛い。それに、受験が終わったときのことを考えても手放しでは喜べない。私たちはいよいよ別の道を歩むのだから。私はいつまで倫くんの隣にいられるのだろうか。いてもいいのだろうか。
「倫くん寂しいからって浮気しちゃダメだよー」
「可愛い」
「そこはちゃんとしないって言ってよ」
「今更言うことじゃないでしょ」
 本当にそうならいいのに。倫くんが浮気するとは思わない。でも、私への気持ちが冷めてしまうと言うことは往々にしてあり得る。孤独な時間とはそういうものだ――と、漫画とかドラマでよく見た。
 そんなことを考えていると、空っぽのアイスの容器をテーブルに置いた倫くんに一段と強く抱きしめられた。もう食べちゃったんだ。という私も最後の一口を口に入れて、空になった容器をテーブルに置く。そしてお腹に回っている腕に手を重ねた。
 倫くんは先のことどう考えているのだろうか。
 クーラーの効いた部屋で、背中だけが温かい。
 倫くんの香りに包まれて、ずっとこうしていられたらいいのにと思う。ずっと、ずっと。
 けれど、そろそろ勉強に戻らないと。
 そう思って倫くんを見上げると、倫くんも察した様な顔をした。けれどその口からこぼれた言葉は全然違うことだった。
「ベタなこと言ってい?」
「何?」
「チューペット食べてるナマエってエロいよね」
 はい、来ました。このくだり。今までの雰囲気はなんだったんだ。倫くんなんてもう両手を上げようとしているし。
 倫くんこのやりとり好きなのかな?
 でも、このやりとりも久しぶりな気がする。なんだかもう嫌な顔する気にはなれないけれど、一応倫くんに向かって目を細める。すると、それを合図に倫くんが両手をあげた。そして、私はその両腕を押さえる。
「白刃どり」
 自慢げに見上げてやる。だけど倫くんの手は止まらなくて。
「え? あっ、えっ……」
 その大きな両手が私の頬に届き、私の両頬を無残にも押さえられた。私の唇が突き出ていくのを倫くんは口角を上げて見下ろしていた。
「はい、俺の勝ち」
 この後私は、いたずらっぽく笑う倫くんに両頬を押さえられながらキスされた。
 倫くんの唇が冷たい。そして、キスするまでがセットな倫くん。可愛い。今日は倫くんの可愛い祭りだ。