思い出しても気が滅入る。部活の休憩中、部員達が壁に寄りかかり体を休めているのを横目にクーラーボックスを閉めると、思わず長いため息がこぼれた。
「どないしてん?」
 隣で水分補給をしていた侑くんに声をかけられる。顔を上げると侑くんの隣にいた治くんも不思議そうにこちらを見下ろしていた。
 今朝言われたことを思い出す。デリカシーのない人というのはどこにでも存在するわけで、その話はクラスの男子から聞かされた。
『お前、陰でヤリマンのクソビッチって言われとんで』
 半笑いで言うその彼とはまぁまぁ仲が良いので、こう言う話をされたわけだが、笑い事ではない。全く身に覚えのない話なのだ。
 侑くんと治くんに言おうかどうか迷ったが、まぁ話してみ、と侑くんが催促するので、口を開く。
「私が……その……や、ヤリマンの……クソビッチ……という噂が流れまして……」
 言いにくい単語だけ音量を落とし、もごもご言うと、治くんは眉毛をハの字にして言った。
「あらま、ごしゅーしょー様」
 そして、その隣でぶふっと吹き出したのが侑くんだった。この既視感。
「笑うところじゃないんですけど……」
「いや、おもろすぎやろ」
「なんで? クラスの子にも笑われたんだけど」
「そらそうやろ。ベタすぎやもん」
 そんな噂、漫画でしか見たことないわ、と付け足し、ボトルを口にする侑くん。言われてみればそうかも知れないけど。
「笑えない……」
 ため息を溢せばそのまま魂まで抜けていきそうだった。いっそ、魂を手放したら気分は晴れるのだろうか。といえば、侑くんは心配するどころか、爆笑するんだろうな。
 ナマエちゃん幽体離脱なんてできんや! すごいなぁ。
 オーバーリアクションで驚く侑くんが目に浮かぶ。そういう話をしてるんじゃないよ。物の例えで言ってるんだから。と一応頭の中で突っ込む。
 それとも、こっちだろうか。
 ナマエちゃんのそれ酒飲みの発想やで。将来、立派なアル中になれそうやなぁ……独りで焼酎片手にスルメ噛んでるナマエちゃん……可哀想やぁっ! 可哀想すぎる! 大丈夫やで! 俺がちゃんとナマエちゃんの酒に付き合うたるから!
 大袈裟に号泣する素振りを見せる侑くんが脳内にいた。
 こういう心配のされ方はなんだか嫌だなぁ。
 そう思いながら侑くんを見上げると、ゴクゴク喉仏を上下に動かしていた侑くんはボトルから口を離し、どないしてん、とでもいうように首を傾げる。なんでもないよ、と何もない前を向いた。
 それにしても、どうしてこんな噂が流れてしまったのだろうか。全く心当たりがないのだ。こんな噂を流されるほど、私は性格が悪かったのだろうか。誰かに恨まれているのだろうか。そう考えると冗談みたいな噂でも笑えない。
「まぁそう落ち込むなや」
 侑くんに頭をぽんぽん叩かれる。人ごとだと思ってこの人はと唇を尖らせてしまうと、またぶふっと笑われた。やたら笑いの沸点が低い侑くん。
「落ち込んだところで噂が消えるわけでもないんやし」
 確かにそうなんだけど。
「ツムにしては珍しく正論やな」
 確かに。治くんの言葉に少し笑ってしまった。すると侑くんは太陽のような眩しい笑顔をこちらに向けて。
「俺かてあることないことよー言われとるからな」
「お前の場合殆どがあることやけどな」
「なんやと!?」
 太陽のように眩しかった笑顔は嵐のように酷い剣幕に変わる。双子は向き合った。これは喧嘩勃発だろうかと思ったが、治くんは顔を近づける侑くんを払って私に向かって笑いかける。
「大丈夫やで。ナマエちゃんのことはちゃんと俺が分かっとるから」
「俺”ら”、やろ。なに抜けがけしようとしとんねん」
「お前は最初に笑った時点でもう出遅れとるやろ」
「なんやと!? あれは励まそうとしてのことやろ。お前は女心分かってへんな」
「お前だけには言われたない」
 二人の漫才染みた会話が始まる。
 侑くん達に相談した結果、噂の件は何も解決はしていないんだけど、こうやって笑えていればきっと大丈夫かな、と思えてくる。
「「何わろてんねん」」
 髪型だけ違う同じ表情が綺麗にハモって不思議そうにこちらを見た。
「面白い二人のお陰で元気になりました。ありがと」
「確かに俺はおもろいとは思うけど、今はなんもボケてへんで。でも、まぁ、ナマエちゃんが元気になってくれたんやったら良かったわ」
 それを言ったのは侑くんで嬉しそうな様子で続ける。
「また相談のったるわ」
「さっきの態度でまた相談してもらえるって思てんのすごいな」
「なんやと!?」
 千客万来。二人の芸が始まるだろうかと思ったその時。北さんの練習再開の号令でぴたりとそれは止まった。そして、侑くんたちは互いにぷいと顔を逸らして、同じタイミングで私に向かってほなな、と手を振り、コートへと戻っていく。その背中を眺めながら、明日からも頑張ろうと思った。