※パロディ。五色が幼児化したり、大人になったりするお話です。五色の幼年期を捏造しています。※
まだ、雲一つない、透き通った空に向かって自転車を漕ぐ。耳の奥まで鳴り響く蝉の大合唱。朝の涼やかな風を浴びながら、高校へと向かった。
駐輪場に着き自転車から降りると、照り返しの熱がスカートをゆらゆらと揺らす。立ち止まった途端にじわじわと熱くなっていく体からは汗が滲み出てきた。自転車のカゴに入れていたスクールバックからタオルを取り出し、額、首と滴る汗を拭う。それでも、急がなければ。
バッグを肩にかけ、体育館へと走った。
「良かった! 体育館空いてた!」
朝練が始まるには随分と早い時間に来てしまったが、両開きの体育館の扉には僅かな隙間があった。扉の取手である金具に手をかけると、触れた先は火傷しそうな程熱い。慌てて手を離し、金具ではなく体育館の扉に両手をかけて重い扉を開く。中に誰かいるのかな、と思ったけど、そこに人の姿はなく。じゃあ、なんで体育館の鍵が空いてたんだろう、と疑問に思いながら外より少し暗い体育館へと入った。
蒸し暑い体育館に入っても響く蝉の鳴き声を聞きながらステージへと向かえば、探し物を発見。
やっぱりここに置いていたんだ。
昨日の練習試合でスコアをつけていた時に、備品のシャーペンの芯が切れてしまい、自分の筆箱からシャーペンを取り出したのだ。その時に、ポンと置いたこの筆箱を忘れて帰ってしまい、今朝、急いで自転車を漕いでここまで来たのである。
ほっと一息つきながら、筆箱をバッグの中にしまう。
壁に取り付けてある柵のついた大きな時計を見れば朝練までにはまだ一時間近くあった。もし、筆箱がステージになければ探さなくちゃいけないと思い、早めに家を出たのだ。
すぐに筆箱が見つかって良かったけど、こんなに早くきてしまったのは失敗だったな。朝練までどこで時間を潰そう。そう思った時、聞こえてきた叫び声。
「不吉なこと言わないでくださいよ! そんなこと言って本当に戻らなかったらどうするんですか!」
女の子の声だった。五色くんの声に少し似ているような気がしたけど、五色くんの声はこんなに高くない。聞こえてきた声はきっと女の子のものだ。
あんな悲痛な声を出してどうしたんだろう。
声が聞こえてきたのは体育館倉庫のきっちりと閉められた扉の向こうから。扉に近づいていくと、また声が聞こえてくる。
「でも、記憶がある状態で人生二周目できるって結構お得じゃない? 代わって欲しいくらいだよ」
この声は天童くんだ。
ということは、体育館倉庫では天童くんと女の子が密会しているってこと? これ、扉を開けちゃダメなやつだ!
思考回路がその答えを導き出したのは、私が扉を開けた瞬間だった。
やっちゃった。
「ご、ごめん!」
無駄だとは分かっていたけど、目をぎゅっと瞑り、更に目元を手で覆って、私は何も見てませんよアピール。
実際何も見ていないんだし。
「あれ? ナマエちゃん? おはよー」
「おはようございます!」
女の子の方からも元気に挨拶をされてしまった。
「おはようございます……」
目を隠しながら挨拶を返すと、何やってんの? と天童くん。
「いや、その……邪魔してしまったから……」
「邪魔? なんで? ナマエちゃんなら全然大丈夫だよ! むしろこの一大事に頼もしい仲間が増えて嬉しいよ」
「一大事?」
「そうなんですよ! どうしましょう!?」
え? 何? どういうこと? と視界を遮る手を避けると、そこには天童くんと、女の子ではなく可愛い男の子がいた。
天童くんの膝くらいまでの身長しかない、つぶらな瞳をした男の子。彼の服装は淡い水色の半袖シャツに白鳥沢のスラックス。しかしそれはロング丈ではなく、腿までしかないショート丈だった。幼稚園児かな?
五色くんそっくりのサラサラのおかっぱ頭に五色くんそっくりのキリッと上げられた眉毛。
本当に全てが五色くんそっくりの男の子だった。
「五色くんの弟? 可愛いー!」
先週末うちに遊びに来てくれた親戚の子もこのくらいだった。よそのお家の子どもだって言うのに、その時の感覚で、抱き上げてしまう。
「いや、それがね。工本人みたいなんだよね」
「えー、そんなわけないじゃん」
男の子の膝の下と背中に腕を回しながら、天童くんのくだらない冗談に返す。
やっぱり子供の体温は高いなぁ。腕の中に湯たんぽを抱えている気分だ。
「いや、本当だから」
「えー?」
「だからとりあえず降ろしてあげて。工のキャパ越えちゃってるから」
五色くんのキャパ? なんのこと? と思いながら腕の中を見ると、五色くんだと言う子は顔を真っ赤にして、ぐったりと私の腕に体を預けていた。
「え!? 嘘! 大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶです……」
目がぐるぐると回った様子の五色くんだという子は全然大丈夫そうじゃなかった。
とりあえず、熱の籠る体育館倉庫を出て、腕の中の子を地面に下ろしてあげる。彼は暫く足元をヨタヨタとしていたが、ふぅ、と長い息を吐くと、日頃見る五色くんのようにシャキッと直立した。
「さっきはごめんね」
「いえ、大丈夫です!」
まるで普段の五色くんのように明るく答えてくれた目の前の子はやっぱり五色くんなのだろうか。
見た目は幼稚園児だったけど、ハキハキとした物言いや、力強い眼差しが彼は五色くんだと言うことを物語っている。甚だ受け入れられない話ではあったけど、茹だるような暑さが頭をぼーっとさせているせいか。考えることを放棄した私の脳は彼を五色くんだと認識した。
「体は小さくなってるのに、中身はそのままなんだね」
「そうなんですよ、体だけが縮んでしまって……」
ほとほと困った様子の五色くんを尻目に天童くんは、ついさっきのことなんだけどさ、と前置きをして続ける。
「急に工からボンって白い煙が出て、その煙が工全部を覆っちゃったの。そしたら、煙の中からこんな小さな工が出てきたんだよ。びっくりでしょー」
夢かと思っちゃったよ、と言う割には落ち着いた様子の天童くん。流石だと思う。
「でも、なんで小さくなっちゃったの? 変なキノコ食べちゃったとか?」
「食べてませんよ。第一そんなキノコ存在するわけないじゃないですか」
フフンと得意げに鼻を鳴らす園児五色くんは、大人の真似をするのにハマった子どものようだった。
「工、本当に小さくなった原因に心当たりはないの?」
「ありません!」
そりゃそうだよね、こんな話フィクションだよ、と言って天童くんはお手上げポーズをとる。
どうする? とでも言うように気怠げに瞼が落とされた瞳がこちらを向いた。どうしようもないよ。こんな話フィクションでしか見たことないんだから、という気持ちで視線を返すと、あ! と高い声が体育館に響いた。
「今日俺の誕生日です!」
「え! おめでとう! もっと早く言ってくれたらちゃんとお祝いできたの……」
「じゃあ、来年こそは!」
高校生五色くんよりも黒目がちな瞳がキラキラと輝き私を見上げた。可愛いなぁ。来年はちゃんとお祝いしてあげたい。そう思っていると、壁が立ちはだかる。
「俺ら来年は卒業してていないよ」
「そうでした……」
園児五色くんは項垂れ、アホ毛の立つ頭のてっぺんを私に見せつけた。
「あ、五色くんのつむじだ! こんな風になってるんだ」
初めて見る、五色くんのつむじ。こんな時に不謹慎でしかないのだけど、じっと、見つめてしまう。おかっぱ頭の中心だと思われる場所は白くなっていて、いつも毛先しか見えないアホ毛は根元までちゃんと見えた。ここ押したらダメかな。なんて小学生のようなことを思った時。やめてください! という嫌がる女性のような声が響いたかと思えば、紅葉の両手がつむじを隠してしまった。
「そんなところ見ないでください!」
恥ずかしそうに目を瞑ってしゃがみ込む園児五色くん。
「え? もしかして今のもセクハラになっちゃうの?」
「いや、ならないでしょ」
シンと静まり返った体育館に蝉の鳴き声だけが響いていた。
「本当に困っちゃったね……」
顔を突き合わせて途方に暮れる私たち。これから五色くんの人生どうなっちゃうんだろう。そう思った時だった。天童くんの言っていた、ボンという煙はきっとこれだ。突然、園児五色くんが入道雲のような煙に覆われてしまった。その煙の中から、今度は深い緑のTシャツに膝小僧の出る青い短パンを履いた子が現れる。丁度天童くんの腰ぐらいの身長で、五色くんそっくりのおかっぱ頭と眉毛。
「え!? 五色くん!?」
「はい!」
ハツラツとした返事を返してくれた男の子に私と天童くんは顔を見合わせた。
「多分、これは小三の時の俺ですね」
興味深そうに両手を見たり、体を見下ろしたりする五色くんは体のサイズも服装も変わったというのに落ち着いた様子だった。体が変化するのはこれで二回目だからだろうか。
「この服は小三の夏休みによく着てたやつなんで!」
はっきりとそう言った五色くんに真っ直ぐにこちらを見上げられると、ふーん、そうなんだー、と流されるように目の前で起こったあり得ない現実を受け入れてしまう。
きっと、頭が深く考えることを拒否してしまっているのだろう。
天童くんが、ちょっと成長したねー、と感心したように言うのを横で聞きながら、さっきの園児五色くんをそのまま引き伸ばしたような、もしくは、高校生五色くんをそのまま縮めたような姿を眺める。
「五色くんはずっとその髪型だったの?」
「はい! この髪型は俺のトレードマークなんで!」
顎を上げて誇らしげにフフンと鼻を鳴らした五色くんは私に見せつけるように前髪を指で挟んでピシッと引っ張った。
「今度は大きくなったってことはさ。このままいけば、工、元に戻れるんじゃないの?」
「そうだね、ちょっと待ってみる?」
もう、それに賭けるしかない私たち。五色くんも、そうですね! と言って、希望的観測に瞳を燃やした。
「ナマエちゃんと工はさ〜何年生まで間違えて先生のことお母さんって呼んでた? 俺は小二〜」
何もせずただ待つことに飽きてしまったのか。
いつものように頭の後ろで手を組んだ天童くんは雑談を始めてしまう。
「私もそのくらいかな」
そんな私も呑気に返事をする。
「お、俺はそんなことやったことありませんよ」
同じく日常に戻ってしまった様子の小学生五色くんは目を泳がせながら答えた。
「工は小五まで言ってそうだよね〜」
五色くんの体がギクリとでも言うように強ばる。
「確かに」
「そしてクラスの皆にクスクス笑われる工」
「可愛い〜。クラスの皆も五色くんが一生懸命だって分かってたから笑っちゃダメだって耐えてたけど、つい笑っちゃったんだろうねー」
まるで見てきたかのように話す私たち。
だって、クラスメートに笑われて、笑うんじゃねーよ! って顔を真っ赤にして怒鳴る小五の五色くんの姿までありありと目に浮かぶんだもん。
思わず頬を緩ませてしまうと、やめてください! とまた叫ばれた。
「勝手にその体で話を進めるのはやめてください! さっきそんなことはやったことないって言ったじゃないですか!」
両手に小さな握り拳を作った五色くんが必死な様子で私たちを見上げていた。きっと、私と同じ顔を天童くんもしていたのだろう。
「二人揃ってニヤニヤしながら俺を見下ろすのもやめてください!」
意思に反して体全体が本当のことをバラしてしまうちょっと涙目の五色くんだった。
その後すぐに、また五色くんは白い煙に包まれた。現れたのは、高校生五色くんと殆ど顔つきも身長も変わらない五色くんだった。
「戻りました!」
「でも、今の工よりちょっと小さくない?」
天童くんは五色くんの頭の上に乗せた手を、水平に動かしていって自分の鼻の前に持っていく。言われてみれば確かにちょっと小さいかも。高校生五色くんは天童くんのおでこあたりまで身長があった気がする。
「そうですね……」
首を垂れる五色くんは白いシャツに黒のスラックスを履いていた。
「多分、これは中学ん時の俺ですね。この身長なら成長期きた後なんで中二か中三です……」
やっと戻れたと思ったのに、戻れてなかったからか。元気なさげな五色くんだったけど、私が、この頃からこんなに背が高かったんだね、と言うと、弾かれたように顔を上げた。
「そうなんですよ! 俺中学ん時、学内で一番身長高かったんで!」
「えーすごい!」
「それで、工は高校に来て大海を知っちゃったんだね」
「大丈夫です! 俺は大海でも頂点に立ってみせますから!」
このくらいにまで成長すると、五色くんのフフンと鼻を鳴らす姿も様になってくる。
それにしても、なんだか。
「今回の服装はシンプルだね」
自分の体を一回見下ろした五色くんは、あぁ、と言って私を見る。
「中学は学ランだったんで」
制服が学ランの学校だと、夏はシャツにスラックスだけになるのかぁ。
学ランを着た五色くんを想像する。白鳥沢の白いブレザーにチェックの入った紫のネクタイを締めて、ネクタイと同じ柄のスラックスを履いている姿とは随分と雰囲気の違う黒ずくめの姿が頭に浮かんだ。
「学ラン姿の五色くんも見てみたかったなぁ」
せっかく五色くんの成長を追っかけている最中。なかなかレアな学ラン姿も見てみたかった。
「ナマエさんがお望みなら家から持ってきますよ!」
「見てみたいけど、そこまでしてくれなくてもいいよー」
鼻息荒く提案してくれた五色くんだったけど、それは流石に申し訳ない。辞退すると、五色くんはガッカリとでも言うように肩を落とした。彼はいつもこうやって人を喜ばせようと頑張ってくれる人だ。そんな五色くんが皆大好き。
しかし、さっきまでは見えていたものが見えなくなってしまった。
「この身長だと、つむじ……見えないね……」
「ナマエさんはそんなに俺のつむじが好きなんですか?」
おずおずと顔をあげた五色くんの頬はほんのりとした桃色だった。暑いからかな。きっと、私のほっぺたも暑さでそんな風に赤くなっているんだろうな、と思いながら汗で張り付く背中のシャツを引っ張った。
「好きってわけでもないけど、普段見えないから新鮮だなぁって思って見てただけだよ」
「そうですか……」
さっきはつむじを見られてあんなに恥ずかしそうにしてたのに、今度は残念そうに唇を尖らせる五色くん。彼は天邪鬼なのだろうか。
そう思った瞬間、再び煙がボン。これで五色くんも元に戻るかなと思った時だった。
煙から現れたのはガタイのいい大人の男の人。
「え……誰……? 五色くんは?」
どこかのチームのユニホームと思われる緑のTシャツとハーフパンツを着た男性は五色くんそっくりのおかっぱ頭をしているけど、五色くんのトレードマークである筈の前髪は割れていた。
五色くんじゃない! 本当に誰!?
割れた前髪を困惑しながら見ていると、五色くんみたいに力強く上げられた眉の下にある瞳と目が合ってしまった。感激したように目を潤ませた男性は声を上げる。
「高校生のナマエさんじゃないですか!」
「え?」
「髪が長い頃の天童さん!」
「ん?」
「ついにこの日が来ました! やっぱりあの時天童さんが言っていたことは本当だったんですね!」
私はキョトンとする天童くんと顔を見合わせた。ガッツポーズをして喜びを全身で表現している彼は、多分、五色くんだ。でも。
「今までとパターンが違うような……」
「そうだね。中身が高校生の工じゃない」
しかも五色くんの体は高校生を飛び越えて随分と成長してしまったようだ。これってもしかして。
「タイムスリップ!?」
天童くんと声が重なってしまう。不思議そうな顔で私たちを見る五色くんに尋ねた。
「五色くん、今何歳?」
「今日で二十五です!」
「へー、二十五歳の五色くんはこんなに大きくなってるんだ」
この歳になっても、五色くんはフフンと鼻を鳴らすんだと思いながら、大きくなった五色くんの頭の上に手を伸ばす。辛うじて届くけど、やっぱり大人五色くんは高校生の時より大きくなっていた。体全体の線はより直線的になり、筋肉質な腕には逞しさを感じる。
五色くんはこの姿になるまで、ずっと努力を積み重ねていったんだろうなぁ。
そう思うと、感慨深くなってしまう。
目の前の大人五色くんの輪郭が揺らぎ、いけない、いけない、と思った瞬間、ふわりと制汗剤の爽やかな香りが鼻をかすめると同時に視界が暗くなった。
「えっ?」
「高校生ナマエさんっ、可愛いです!」
頭上でそんな言葉が聞こえたかと思えば、私はがっちとした腕の中にいた。
「俺、この頃からナマエさんのこと好きだったんです!」
「えぇ!?」
後ろの方で、天童くんのうひょー、という奇声が聞こえる。
何が起こったのか訳が分からなくて、でも、今何しなければいけないかは分かった。ぎゅっと私を締め付けてくる五色くんの胸を押す。
「ご、五色くん、離れて……」
「なんでですか?」
本当に不思議そうな声を出す五色くん。
「なんでって当たり前でしょ」
五色くんの体を押し続けながら言ったのに、私の背中に回された腕の力は弱まる気配がない。
制汗剤の香りの奥から感じるお日様のような匂いに包まれながら、硬い胸板にほっぺたを押し付けていると、夏の熱さよりも、変な緊張が私の体を熱していく。きっと今の私は、園児五色くんを抱き上げた時に見たお目々グルグルの五色くん状態だ。あの時の五色くんはこんな気持ちだったのか。
恥ずかしいような、でも、胸がキュンてしてしまうような。いやいやいや、胸がキュンてするなんておかしいでしょ! きっと、暑さのせいで頭がやられているんだ。とにかく五色くんから離れなければ。
頭の中で色々な思考が渦を巻いている中、いきなり抱き上げるなんてことしてしまってごめんね、と今はどこかに行ってしまっている高校生五色くんに心の中で謝罪しながら大人五色くんを見上げた。
「五色くん! いい加減離して!」
「えー、なんでですかー?」
今度は不満げに言ってくる。大人五色くんは誰これ構わず可愛いと言って抱きしめてしまうチャラ男になってしまったのだろうか。ということは、未来にはもう、年上の先輩に抱き上げられ目を回していた頃の五色くんはいないのか。
そんなの寂しい! 五色くんはずっとあの純粋な五色くんでいて欲しかった!
そう頭の中で叫んだ私の声は、五色くんの衝撃発言で吹き飛んだ。
「ナマエさんは俺のお嫁さんなのに?」
「へ……」
「何その話! 工もっと聞かせて!」
天童くんのはしゃぐ声が後ろから聞こえたかと思えば、目の前で煙がボン。
「あ、戻った! 戻りましたよ!」
楽しそうな五色くんの声が聞こえてきたけど、足の力が抜けてしまい座り込んでしまった。蝉の鳴き声が耳鳴りのように僅かに鼓膜を揺らしている。
「あれ? ナマエさん? どうしたんですか?」
「工、さっき重大発言してたからね」
「え?」
驚いたような声を出す五色くんには、大人五色くんの記憶がないのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、天童くんが、大人五色くんが目の前に現れたことを五色くんに話す。えぇ!? そんなことあります!? と驚愕する声。
「そういえばさっきまで、俺、見たことないロッカールームにいたんですよね」
「もしかしてそれ大人の工と入れ替わってたんじゃないの?」
「そうなんですかね? 周りに誰もいなくて、混乱してる間に気がつけばここに戻ってきてました」
「じゃあ、未来のナマエちゃんと会ってないの?」
「なんでナマエさん?」
いや、なんでもない、と言った天童くんは大人五色くんが残していったさっきの重大発言を五色くんには話さないつもりのようだ。きっとその方が面白いと踏んだのだろう。悪戯を終えた子どものようにニンマリと笑う天童くんと目が合った。
もう、天童くんったら。私一人が慌てる様子を見て楽しむつもりなんだ。
意地悪! と思いながら顔を顰めてやった。
それにしても、さっき、大人五色くんが言ったことは本当だったのだろうか。
なんだか、変に五色くんを意識しちゃって、ナマエさん、大丈夫ですか、とへたり込む私の前であわあわする五色くんと目を合わせられない。胸がいっぱいドキドキしてしまう。
とはいえ、今日あったことは夢のような出来事だ。全ては嘘なのかもしれない。
来年私たちはここにいない。来年のこの日。私たちは五色くんのお誕生日をお祝いしてあげられないのだ。
じゃあ、今は瞬きをするたびに過ぎていくこの時間を楽しく過ごすべきだよね。
一度深く深呼吸すると、胸のドキドキは少し収まったような気がした。
「ナマエさん、夏バテですか? 大丈夫ですか? 俺のことで迷惑をかけてごめんなさい」
「そんな顔しないで」
泣きそうな顔で私を見下ろす五色くんに笑いかけ、立ち上がろうとすれば当たり前のように手を差し伸べてくれる五色くん。つむじを見られただけで顔を真っ赤にして恥ずかしがるくせに、こういうことはサラッとやってのけるちょっとずるい後輩。
大きな手を取ると、ギュッと握られ、引き上げられる。私が立ち上がれば、少し汗ばむ手と手はすぐに離れた。
「五色くん、お誕生日おめでとう」
私を見る顔は驚いたように静止した後クシャッと笑顔に変わった。
「ありがとうごさいます!」
今日一番、綺麗に響いた声だった。