あの二人を見てると面白いんだよね。
 工は全身でナマエちゃんを好きだって言ってんのに、いつまで経ってもその気持ちを伝えないでいるし。ナマエちゃんは心が大声で工を好きだって言ってんのに全くその声が聞こえてないみたいだし。
 普通そんなことある?
 ありえないよねー。ウブ過ぎでしょ。でも最近ちょっと見飽きてきたかな。
 なんか面白いこと。起こらないかなー。

「天童さん! まだ朝食を食べていらしてたんですか!」
 箸で焼き鮭をつついていたら、隣で大声で叫ばれた。そんな風にしなくても充分聞こえるんだけど。
 工は朝から元気だねー。
「今日なんかあったっけ?」
 口をあんぐりと開ける工。朝からいいリアクション。だけど、本当になんかあったっけ?
「昨日約束したじゃないですか!」
 両手に拳を作ってまた叫ばれた。昨日。昨日、昨日……と遠い昔の記憶を辿る。
「あぁっ! 自主練ね! 自主練! そういえば約束してたね」
「そうですよ! 俺、先体育館向かってますからね!」
「はーい……すぐ行くから……」
 どかどかと歩いていく背中に手を振った。
 そういえば、昨日の夜、工に自主練付き合うって言っちゃったんだっけ。工は賢二郎とやりたそうにしてたけど、声かけられなかったみたいでさ。
 賢二郎は低血圧だからね。朝起きれる系の低血圧だけど、ちょ〜不機嫌なんだよね。
 ほら、食堂の端にあるテーブルに座ってる賢二郎。目が座ってる。これから人殺しに行くの? って感じ。それとも殺してきた後なの? って感じ。
 あれは流石に工でも声かけらんないよねー。若利くんが声をかけたら、殺し屋賢二郎でも、はい! 喜んで! なんて言って目を輝かせそうだけど。
 本当うちの部員って変なやつばっかだよ。

 朝食を食べ終えて、普段だったら、このまま暫く他のやつとおしゃべりするんだけどさ。可愛い後輩を待たせているからね。真っ直ぐに部屋に戻って支度して、体育館に向かってあげたよ。外に出た瞬間にやっぱり帰ろうかと思っちゃったけどね。
 だってさ。朝だっていうのに、外に出た瞬間にムシムシする空気にもわーって体が包まれるんだよ。蝉もずーっと鳴いてんの。一歩歩く度に体力削られるのに、本当、皆朝から元気だよね。
 今日も地獄の練習が始まるのかぁ。何を好き好んでこの時間にって考えている間に体育館に着いちゃった。
 目の前には半分扉が空いた体育館。中では工がもう一人でネット張っちゃって、壁に向かってスパイク打ってる。
 こっちが声をかける前に、待ってました、と言わんばかりに瞳を輝かせて見られちゃったよ。
「天童さん! 来ていただきありがとうごさいます!」
「いいよー。約束しちゃったしね」
 でも、準備運動はさせてよ。俺ももう、歳だからね。なんてねー。
 横になってストレッチをしていると、再び壁に向かってスパイクを打ち出す工。張り切っちゃって。若さの塊だよ。がむしゃらで真っ直ぐで。少し危なっかしいけど。将来、きっと良い選手になる。
 なんて柄にもないことを考えていた時だった。
「え? 工!?」
 それは何の前触れもなく。突然やってきた。

 最初はね。火事だと思ったの。消化器! なんて普通のこと思っちゃったよ。だって、工がいた場所から真っ白の煙が急に噴き出てきたんだよ。工まで煙に隠れちゃってさ。そりゃ、俺でも焦るよ。そしたらね。煙はすぐにどこか行っちゃって。代わりに現れたのは、幼稚園児だよ。そんなことある? ありえないよねー。夢かと思っちゃったよ。ははっ。これも普通の感想だよね。俺ってもしかして真人間?
 そんなことは置いといて。
 幼稚園児が現れた代わりにどっか行ってしまった工の名前をなんとなく呼んじゃったの。そしたら、幼稚園児が元気に返事を返すわけ。まじで? とは思ったけど、もう、なんとなく分かっちゃったよね。だって、目の前の幼稚園児。三頭身になっちゃったけど、まんま工なんだもん。
「工、自分の体見た方がいいよ」
 え? と言って工が下を向いた後、耳の鼓膜が破れるんじゃないかってくらいの大声が体育館に響いた。
 流石に俺もこんな世界の終わり、みたいな悲鳴聞いたことがないよ。余程ショックだったんだろうね。
 フラフラしだす園児に声をかける。
「大丈夫?」
「天童さん……」
 あらら、泣いちゃった。大きな瞳がうるりと潤む。かと、思えば、見ないでください! と叫んで体育館倉庫へ向かって走っていっちゃった。扉の取っ手には手が届かないみたいだから、隙間から扉に両手をかけて、重々しい音を立てながら開いていき、さっと中に入って行ったかと思えば、ガタガタ、騒がしい音が倉庫から聞こえてくる。
 何やってんのかね。
 暫くすれば体育館はシーンと静まり返って、蝉の鳴き声だけが聞こえてきた。
 大丈夫かね。
 工を追いかけて、体育館倉庫へと向かった。

「工〜、出ておいで〜」
 誰もいない体育館倉庫。工、どこ行っちゃったんだろ。
「工〜」
 返事はなかったけど、鼻をグスグス鳴らす音だけは聞こえてくる。
「工〜」
 体育館倉庫を照らす灯りは、一つしかない窓から差し込む朝日だけ。薄暗い奥へと入っていくと、一番上の段だけ、少しずれている三段の跳び箱を発見した。跳び箱の中からはうめき声が聞こえてくる。もしかして、工。この中にいるの?
 しゃがんで、跳び箱の段と段の隙間から中を覗くと膝を抱える工がいた。こんなところに入っちゃって。
「工、出てきなって。そんなことしててもどうしようもないでしょ」
「ほっといてください」
「こんな蒸し暑いところにずっといたら熱中症になっちゃうよ」
「いいんです。もう熱中症よりもやばいことになってるんで」
「でもね〜」
 頭をぽりぽり掻いて。とりあえず、倉庫の扉を閉めて、工の前に戻った。
「ほら。誰からも見えないように扉閉めてあげたから。跳び箱から出てきなよ」
 少しずつ、外に誘き出す作戦。
「なんで天童さんはこんなことが起きてるのに平然としていられるんですか?」
 なんでって。
「慌てたってしょうがないでしょ」
「人ごとだと思って!」
 なんだか、跳び箱と喋ってるような変な気分になる。実際、外から見れば俺は跳び箱と話してるヤバいやつ。三段の跳び箱の前にしゃがみこんでいる今の自分の姿を想像するとなかなかシュールな絵面が浮かんで思わず苦笑しちゃったよ。
「こんなところに入ってたってしょうがないでしょ。ここから出て、これからどうするかを考えないと」
 これから……、と跳び箱が心許なさげに呟いた。
 あれ? もしかして、言葉選びミスっちゃった?
 跳び箱の隙間から工をみると、工は抱えた膝に顔を突っ伏していた。
 なんか、めんどくさくなってきたな。
「俺……もう牛島さんとバレーできないです……」
「バレーはできるでしょ」
「牛島さんを倒すのは俺だったのに!」
「元の姿でも倒せたかどうかは分からないよ」
「倒せましたよ!」
 そう言ったきり黙りこむ工の考えていることは多分。
 ナマエさんとの年齢も十歳以上離れてしまった……俺もう相手にされないかも。
 とか?
「ナマエちゃんは人を年齢で判断する人じゃないよ」
「分かってますけど不安なんです! あ……」
 やっぱり当たってた。
「こんな時にからかわないでください!」
「からかってないよー。工を励ましてあげてるだけでしょ」
「そう言って天童さんは面白がってるだけなんでしょ!」
 確かに面白い状況だとは思ってるけどね。
「そんなことないよー」
 顔を上げた工の恨めしそうな顔には嘘だ、と書いてあった。
 それにしても、ここは熱いな。顎から汗が滴っていく。狭い跳び箱の中に入ってる工は俺の比じゃないだろう。
 ここはもう強硬手段に出るか。
 少しずれている跳び箱の一番上の段を手に取り、パンドラの箱化としてしまったそれをぱかりと開ける。ギョッとした顔で俺を見上げる幼稚園児。やめてください、と手足をバタつかせる工を無視して脇の下に手を入れ持ち上げて。天童隊員、工救出任務、完了!
「そんな狭いところにずっと入ってたら、元に戻れなくなっちゃうかもよ」
 ちょっとした冗談のつもりで言ったのに、工は元気に動かしていた手足をピタリと止めて、大きな声を出す。
「不吉なこと言わないでくださいよ! そんなこと言って本当に戻らなかったらどうするんですか!」
「でも、記憶がある状態で人生二周目できるって結構お得じゃない? 代わって欲しいくらいだよ」
 あらら。不貞腐れた顔しちゃって。
 唇を突き出した工を床に降ろしてあげる。いい加減ここから出るかと思って俺がさっき閉めた扉へ向かうけど、工はいつまで経っても動こうとしない。しょうがないから握り拳を作ったままのちっちゃな手を引くと、デパートで母親に引っ張られる子どものようにお尻を後ろに突き出した工にイヤイヤをされる。頑固、と呆れた瞬間だった。暗かった体育館倉庫に希望の光が差し込む! みたいな感じで扉が開く。開かれた扉の前で逆光を浴びて立つ彼女はナマエちゃんだった。
 あんなにグスグス言っていた工の顔がパッと晴れる。本当分かりやすいねー。そして、その工を可愛いなんて言って抱き上げちゃうナマエちゃん。この子、行動だけは大胆なんだよね。
 あらら。工、目回してんじゃん。
「とりあえず降ろしてあげて。工のキャパ超えちゃってるから」


* * *


 すっかり工が元のサイズに戻れば、他の部員たちがぞろぞろと体育館へとやってきた。時計を見て、もうこんな時間か、と朝練開始時刻を知らせる針に驚く。
「ねえ、なんで五色くんにあのこと言わなかったの?」
「あのことって?」
「言わなくても分かってるでしょ!」
 顔を真っ赤にして話すナマエちゃんはようやく自分の声に耳を傾けることができたようだ。
 恋する乙女はカワイイね。
「そういうのはね。楽しちゃダメなんだよ」
 ちゃんと自分達で解決しなきゃ。
 まぁ、頑張ってよ、と俺の肩の高さぐらいしかない頭にぽんぽん手を置いてやれば、楽ってどういうこと? と不満げにナマエちゃんは尋ねてくる。どうせ、また意地悪をして、とか思ってるんでしょ。これ以上の貧乏くじはないよ。
「そうやって楽して答えを知ろうとしちゃダメだよってこと」
 ナマエちゃんは納得いかなさそうに見上げてくるけど、俺から言えることはもう何もないよ。あとは、君たち次第。それにハッピーエンドだって分かってるんだから、こんなに簡単なゲームは他にないでしょ。甘えちゃダメだよ。
 若利くんの集合の号令がかかり、ナマエちゃんは、はっとした顔をする。恋はしてもしっかりもののナマエちゃん。そういうトコロ。イイと思うよ。
 またねー、と言ってナマエちゃんに手を振り、若利くんの元へ足を伸ばす。歩いていると、思わずため息がこぼれちゃった。
 大人工、幸せそうな笑顔してたなー。ちょっと妬けちゃうよ。
 ナマエちゃんがいた方を振り返ると、もうそこにナマエちゃんはいなかった。早速仕事に取り掛かったようだ。流石だね。
 俺はこれからもずっと、君たちを面白おかしく見守ってるよ。たまにはちょっかい出しちゃうかもだけどー。
 だから、結婚式にはちゃんと。呼んでちょーだいね。