※R15。軽度の性描写があります※

 五色はナマエの隣で、ガリガリ音をたてながら、ただひたすらに英単語をノートに書き写していた。やり場のない怒りをシャープペンシルの芯先に込めて、芯先を紙に擦りつけながら、なんとか抱えた欲望を削っていたのだ。しかし、なかなか事は上手く運んでくれないようで。シャープペンシルの芯は度々折れては勢いよく飛んでいった。芯が折れる度に五色はイラっとしたし、芯が飛ぶ度に隣でビクつく体が余計に五色を苛立たせた。
 なんなんだよ! クソ!
 叫びたいが、叫べない。
 思い通りにならない全てが腹立たしかった。

 事の始まりはこの十分前。
 恋人であるナマエがテスト勉強は家でしようと言い出したので、五色はナマエの家に来ていた。今日はナマエの両親は留守らしい。久しぶりの二人きりの時間だった。勿論五色に燻る下心はあったが、今はテスト前だ。学生の本分を十分に理解していた五色は真面目に勉強するつもりでいた。一応スキンは持参していたけど、いつもバッグに入っているだけだ。
 そんな真面目な五色を煽ってきたのはナマエの方だった。
 五色がナマエの部屋のローテーブルでナマエと肩を並べ、真剣に勉強を始めて五分後。じっと五色を見つめてきたナマエはあぐらをかいた五色の膝の上に、スッと、華奢な手を伸ばしてきたのだ。そのまま足の付け根までスルスルと手を這わせていく。
 勉強するつもりで来ていた五色だったから、最初は耐えた。シャープペンシルを持つ手に力を込め、結果プルプル震わせて、目の前のアルファベットに集中した。何も頭に入ってこなかったけど、並ぶ記号の形をただただ理解しようと努めた。
 耐えるんだ、工ッ! 耐えるんだ!
 自分に言い聞かせてまで保っていた理性だったが、ナマエに耳をパクりと咥えられた瞬間、それは両手をあげて逃げていった。咥えられた五色の耳の縁には、生暖かな舌先が這っていく。
 きっと今五色は据え膳を出されているのだ。
 いい匂いのする膳を前にして涎を垂らさない男がいるのならば見てみたい。
 五色は腿を張っていた手を掴み、そのままナマエを押し倒して、桃にしゃぶりつくように、ふっくらとした唇にがっついた。
 美味かった。
 食えば食うほど涎は垂れていくらしい。舌をナマエの口内に差し込めば、焦らすように少しだけ伸ばされる舌。欲しければ、もっと奥に来てと言っているようなものではないか。誘われるがままに舌を伸ばしていけば、歯と歯がぶつかってしまった。痛かったが、ナマエの最奥にあるものを手に入れるのならばこのくらいの痛みなど安い代償だった。限界まで舌を伸ばしてナマエの口内を犯した。聞こえてくる、甘い声。こうやって舌を動かせばナマエは気持ちいいんだと知る。ナマエと体を重ねたことはまだ数回しかないのだ。今ほど知識欲に飢えた期間はないだろう。
 ナマエにシャツの胸のあたりを捕まれ、閉じていた目をうっすらと開けば、涙の滲む閉ざされた瞳が見えた。上気したナマエの頬は彼女が達する瞬間を連想させた。まだあまり見たことはないが、その時になるとナマエはその時しか漏らさないハチミツのような声を出しながら真っ赤にした顔で目をぎゅっと瞑って体を跳ねさせるのだ。今日はその甘美な姿が見られるだろうか。
 ほのかに五色を誘うイヤラしい匂いもしてきたような気がする。きっとそこに触れればヌルりと五色の指は滑るのであろう。早く入れてあげたい。五色の腹の底は熱くなっていく。
 そろそろ次の行程に移ってもいいだろうか。初めは遠慮がちに動いていたナマエの舌だったが、今では彼女の舌は五色の舌に縋るように絡まっている。口内から聞こえてくる水音が汚く大きくなってきたということは五色とナマエが繋がり始めたという証だ。
 今更五色に引き返す理由は何もなかった。
 満を辞して、五色は床についていた手をナマエが着るシャツのボタンへと伸ばす。
「ん、まっ……つと、むく……」
 抵抗するように五色の腕を掴んできたナマエは今何と言ったのだろうか。キスで塞がれたナマエの口から出てきた言葉は単語になっていなかった。おまけに思考する五色の理性は先程家出をなさったばかりだ。五色は構わずナマエのシャツのボタンを外し、露わになった下着の隙間から柔らかいであろう肉塊に触れようとした。しかし、それは叶わなかった。五色の腕を掴んでいたナマエの手の力がいよいよ増してきたからだ。
「何? ナマエ?」
 顔を上げて尋ねれば、まさかの告白。
「ごめん。そこまでするつもりはないから」
 はぁあああ!?

 そういうわけで今。五色は心頭滅却すべく異国の言語に頼っていた。
 カチカチカチカチ、シャープペンシルを親指でノックする。
 しまった。出しすぎた。
 イライラしながら左手で出しすぎた一センチくらいの芯を押し戻そうすれば、ポッキンと折れて飛んでいく黒い棒。五色の眉毛がピクリと動くと同時に、隣でびくりと震える体。
 ブッチンと。
 五色は何かが切れる音がした。
「あぁぁ、もう! クソ!」
 机にシャープペンシル持った手を叩きつけた。また、隣でナマエに震えられる。
 悪いのはそっちだろ。
「ごめん、もう帰る」
 机に並べていたノート、教科書、筆箱を集めて乱暴にバッグに押し込み、ナマエの顔なんか見てやらずに、ナマエの部屋の出口へと向かう。
「待って!」
 思わずドアノブに伸ばしかけた手を止めてしまった。
 なんなんだよ、クソ!
 帰りたいのに、体が動かない。ナマエの次の言葉が気になってしょうがなかった。
「かえら……ないで……」
 じゃあ、ヤらせろよ、と言えるような碌でなしにはなれなかった。ヤりたいのはナマエが好きだからだ。
 好きなナマエに触れたい。好きなナマエに気持ちよくなって欲しい。全ては好きなナマエを愛したいがための行為なのだ。
 その好きなナマエが嫌だというのなら、やはり引き下がる他ない。
「ごめん、勉強に集中できないから」
 痛いほどに後ろ髪を引かれる思いであったが、なんとかドアノブに手をかける。チラッと座り込んだままのナマエを見下ろすと、俯いて白いうなじを晒すナマエがやっぱり後ろ髪を引っ張っていた。一度は手に拳を握ってナマエを見放す決意を固めて見たものの、か細いうなじから目を逸らすことができない。
 あぁ、もう! クソ!
 五色は踵を返してしまった。ナマエの前でしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込むと紅潮した頬にきつく噛まれた唇。普段は丸みのあるナマエの唇がぺしゃんこになるまで強く噛まれていたので、血が滲んでいないかと心配なってしまった。
「泣くなよ」
「ごめん……」
「ナマエは悪くねーよ」
 肩にかけたバッグを下ろして、床に腰をつき。ナマエの体を曲げた足で挟んで、震える肩を抱いてやった。背中にナマエの両手が回る。可愛いやつ。暫く抱きしめたままでいてやるとナマエの体の震えは収まったようだった。
 仕方がない。このまま隣で勉強してやるか、と五色が思い始めた頃。ナマエがぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。
「あのね。本当は私も工くんとしたかったの……」
 そうだったのか。では、なぜ拒まれたのだろうか。五色が尋ねる前にナマエは答えを提示した。
「思い出したら、なんか……怖くなっちゃって……」
 怖い!?
 五色の体が強張る。
 自分は何かナマエを怖がらせることをしただろうか。前回ヤったときだろうか、と前回の行為を思い出す。ナマエの可愛い姿しか頭に浮かばなくてムラムラするだけだった。首を横に振って我に返る。今はそれどころではないのだ。自分の何がナマエを怖がらせたというのだろうか。
「工くんの、大きいから……」
 大きい!
 なんだか褒められた気分になって嬉しくなる。大きいのは仕方がない。五色ではどうしようもないことだ。いや、しかし、大きいことでナマエが怖がり、行為に対して臆病になってしまうのは困りものだ。ちょっと顔がニヤついてしまうけど、後で、大きい、怖がらせない方法、と調べてみよう。そんなことを思っていると、ナマエがまた言葉を落とし始める。
「奥の方に……その……工くんのが……えと……あの…………」
 この先をなかなかナマエは言ってくれない。意味のない言葉を繰り返すだけだった。奥に方に俺のがなんだっていうのだ。焦ったい気持ちでナマエの言葉を待っていると、本日一番の衝撃的な告白を受けた。
「激しくされると……その、痛いの……」
「いた、い……?」
 ナマエが口にした、いたい、という単語が五色の頭の中をぐるぐる回る。
 いたい、とは果たしてどう言う意味だったか。まさか”痛い”のことだろうか。分からなかった。いたい、には”痛い”以外の意味があるのだろうか。一度、辞書で調べたかった。そういえば、電子辞書がバッグの中にあった筈。
 そう思ってナマエを抱きしめていた腕の力を抜くと、ナマエが離れないでとでも言うように、五色の体にひしとしがみついてきた。
 五色の彷徨っていた思考が一気に現実に引き戻される。
 辞書で調べたいなんて思っている場合じゃない。五色はナマエに”痛い”思いをさせていたのだ。
 そういえば、と前回の行為を思い出す。
 行為の最後の方。見下ろすナマエはきつく歯を食いしばっていた。五色から顔を背けていた。五色の首の後ろに回されていた手には拳が握られていたような気がする。
 あれらは、気持ちがよかったからではなかったのか。
 五色はナマエを気持ちよくしてあげられていると思っていた。
 実際、五色が果てた後毎度のように、大丈夫か、と聞いていたが、ナマエはいつも、大丈夫だよ、と頬を赤く染めて返してくれていた。五色はその時に見せてくれるナマエのいじらしい笑顔が何よりも好きだった。
 でも、それらはきっと、嘘だったのだ。
 五色の全身に鳥肌が広がる。
「ごめん……ごめん、ナマエ……」
 もう一度ナマエを強く抱きしめ直す。
「大丈夫だよ」
 きっと、これも嘘だ。
「ごめん、ナマエ……」
 抱きしめたナマエの背中が反ってしまうほど、腕に力を込めた。
 大丈夫。大丈夫だよ。工くん。大丈夫だから。
 ナマエの声が遠くに聞こえる。フローリングの木目しか映らない視界も段々と離れていっているような気がした。
 “痛い”。”痛い”。”痛い”。
 その言葉だけが五色の頭の中で何度も何度も反響していた。”痛い”という単語が響く度に、五色の心はアルミ缶のようにベコリ、ベコリとへこんでいく。
「本当に、ごめん……」
「大丈夫だよ。大丈夫だから、泣かないで」
 ナマエが胸を押すので腕の力を緩める。困ったような顔で笑った彼女が五色の頬に手を伸ばすと、気づけば流れていた五色の涙はナマエの指に吸い寄せられていった。
「大丈夫。大丈夫だよ。工くん。大丈夫」
 一度頷くと、膝立ちしたナマエが五色の首の後ろに両手を回し、五色の頭を胸に抱き寄せる。先程触ろうとした柔らかなナマエの胸は優しく五色を包み込み、五色の歪にへこんだ心を丁寧に治していってくれた。それでも、五色は一度緩めてしまったナマエを抱きしめる腕に力を込めるのには勇気が必要だった。五色の腕は簡単にナマエを潰せてしまうのだ。こんなか弱い彼女の体を自分の粗暴な手が触れてもいいのだろうか。先程だって、ナマエが背中を反らすほどに強く抱きしめてしまっていたではないか。あれは、痛くはなかっただろうか。苦しくはなかっただろうか。
 また俺はナマエを乱暴に扱ってしまった。
 五色の手は、だらりと床に落ちてしまった。
 五色から離れたナマエは、五色の涙が伝う唇にキスを重ねる。触れるだけのキスを、何度も何度も重ねる。五色は目を閉じてなされるがままくっついては離れるナマエの唇の感触を感じていた。
「ね、やっぱり、しよ」
 ナマエが五色の顔を両手で包み込んで言うので五色は目を開けた。
「でも、俺……」
「大丈夫。したいの。工くんのこと好きだから。工くんは私のこと、嫌いになった?」
「なるわけないだろ……」
「じゃあ、しよ」
 ナマエの言葉に頷けば、ナマエに押し倒された。

 ナマエのちょっと不慣れなキスが五色の体の強張りを解いていく。絡まった糸を丁寧に解いていくように、何度も何度もキスを重ねるナマエが五色の心を解いていく。
「ね、工くんもキスしてよ」
 見下ろしてくるナマエは新鮮だった。前髪を垂れ下げながら泣きそうな顔をして笑っている。ナマエの頬に手を伸ばすと、ナマエは首を傾げて顔を五色の手に擦り付けてきた。五色はナマエを抱きしめて、くるりとナマエと反転した。
 ナマエの顔の横に手をつきながら、下になったナマエを見下ろす。ナマエが穏やかに笑ってくれていることがまた胸を締め付けた。
「大事にするから。もしまた何かあったら絶対に言ってくれ。痛いとか。苦しいとか。我慢だけは絶対にしないでくれ」
 ナマエへの願いは、祈りに近かった。ナマエが頷いてくれたことにちょっとだけホッとして。だけど、緊張したまま、唇を重ねる。背中にナマエの手が回ると、少しだけ緊張が緩んで。精一杯伸ばしてくれるナマエの舌が愛おしくて、舌を絡めていく。
 そうだ、ちゃんとベッドに行かなきゃ。
 ベッドの上で、ナマエを、大切に、大切に。抱いた。