※片思い。ハッピーエンドではありません※

「もしかして、五色くん。好きな人できた?」
 聞いた瞬間に後悔した。部活の休憩中、体育館の端で顔の汗をタオルで拭っていた五色くんは汗を拭っていた手をピタリと止めると、顔をみるみる赤く染めていった。
 どうして、こんなことを聞いてしまったのだろう。知らない方が幸せだった。けれども、知らないままではいられなかったのだ。
「な、な、なんでわかるんですか!」
「見てたらわかるよ」
 ずっと見てきたから、わかるのだ。最近、五色くんは妙に浮かれている割には、暗い顔をして床の一点だけを眺めていたり、心ここに在らずと言った様子で空を眺めたりしていた。
 ちょっと恋する自分に酔っちゃってるよね。
 汗を拭っていた淡い黄色のタオルをきつく握りしめた五色くんは難しい顔をして私を見つめた。あ、嫌な予感。自業自得だけど。
「ナマエさん! 俺の相談に乗ってください!」
 五色くんは目をきつく瞑って、体育館中に響き渡るような大声を出した。いつも一生懸命でいじらしい彼。もし、五色くんを見放す勇気を持てたのなら私はきっと今、片思いなんてしていないのだろう。”いいよ”以外の返事を持っていないのだ。私の返事を聞くと、私を見ていた瞳はキラキラと輝く。眩い瞳の中に映る女は、なんて、惨めな笑顔を浮かべているのだろう。
「ありがとうございます!」
「いいよ」
 五色くんが幸せでいてくれるのなら、と心の中で嘘をついた。

 五色くんの好きな人は、私と同じ三年生。私とは違うクラスの子だったけど、彼女のことは知っていた。有名だからだ。スラリと伸びた長い手足に小さな顔。噂ではモデルさんをやっているとか。どちらかと言うとクール系の端正な顔立ちであるけど、浮かべる笑顔は柔らかく。きっと人を惹きつけてやまないのだろう。
 彼女と五色くんが笑い合いながら並んで歩く姿を容易に想像することが出来てしまった。それは泣きたいくらいにお似合いのカップルの姿だった。目の奥が熱くなってしまったけど、こっそり唇を噛み締めれば、涙を目の縁に留まらせることが出来た。

 五色くんの恋愛相談は相談に乗ってくれ、と打診された直後に行われた。
「どうやったら女子と仲良くなれるんですか!」
 うーん、と考えてはみたけど、私だって恋愛の経験は少ないから大したことは言えないのだ。でも、五色くんは何も頑張らなくてもそのままでいれば、十分すぎるほど魅力的だということはちゃんと知っていた。
「私と話してる時みたいに普通に会話を重ねていったらいいんじゃないかな?」
「それが出来たら俺はもうとっくにあの人と仲良くなれてます!」
 血色の良くなった顔をそのままに必死な様子でそう言った五色くんはどうやら、まだ、彼女と言葉を交わしたことがないとのこと。それなのに好きになっちゃったの? 一目惚れ? 恋に落ちる瞬間の五色くんが目に浮かんだ。きっと、彼女を前にした瞬間に真っ赤な顔をして固まったんだろうなぁ。頬が緩んでしまうと、何笑ってるんですか? と五色くんはむくれるので、なんでもないよ、と返した。
「じゃあ、挨拶から始めてみたら?」
「流石、ナマエさん!」
 大したことは言っていないのに、全てが解決したかのような顔をした五色くんは大袈裟だ。

 最初の相談から三日くらい経ったころだろうか。部活が始まる前に、ドリンクを作ろうとジャグタンクを片手に体育館を出ようとした時だった。五色くんは満面の笑みで私の元に駆け寄ってきた。
「ナマエさんのおかげで仲良くなれました!」
「え、そうなの?」
 流石五色くんだな、と俯いてしまったけど、よくよく五色くんの話を聞いてみたら、ただ、五色くんは彼女と挨拶を交わせる仲になっただけとのこと。それを仲良くなったと言えるのだろうか。そう思ったけど、五色くんが尻尾を振るワンコのように喜んでいるので、水を差すのは止めておいた。
「良かったね」
「はい! ナマエさんのおかげです!」
 真っ直ぐに向けられる瞳が痛い。
“挨拶を交わすだけで仲良くなれたと言えるのだろうか”
 五色くんにそう言えないのは、喜ぶ五色くんのためではないのだ。

 部活前の体育館で行われる恋愛相談はまだまだ続く。
「ナマエさん! 俺、あの人と挨拶しか出来てませんっ……どうやったらこの先に進めるんでしょうか!?」
 気づいてしまったか。でもちょっと、気づくの遅くない? 挨拶できるようになってからもう、一ヶ月くらいは経ってるよ。その間、五色くんはずっと浮かれ気分で挨拶を交わしていたんだろうか。ふふっと声が漏れてしまうと、五色くんは小さく頬を膨らませた。
「ナマエさん、俺のこと馬鹿にしてるでしょ?」
「してないよ。じゃあ、連絡先聞いてみたら?」
「女子にいきなりそんなこと聞いて、失礼じゃないですか!?」
 五色くんは驚愕したように目を見開く。
 五色くんの失礼のラインはどこにあるのだろうか。
「皆やってることだよ」
 私は出来なかったけど。
「えっ……そうなんですか!?」
「そうだよ。だから頑張って」
「や、やってみます……!」
 何かを決意したかのように静かにそう言った五色くんは、ありがとうございます! と元気に礼を言う。どういたしまして、と言うことに慣れる日は来るのかな。

「連絡先教えてもらいました! でも何を送れば良いんですか!?」
 翌日の部活前のことだ。体育館で監督用にパイプ椅子を運んでいたら五色くんがスマホ片手にやってきた。五色くんが掲げるスマホには、五色くんの思い人の笑った写真が丸く切り取られて表示されていた。
 即、行動に移す五色くんは凄いと思うけど、普通、そんなことまで聞く? 五色くんの話したいことを話したらいいのに。きっとたくさんあるんでしょ。彼女に伝えたいことや聞きたいことや教えたいことが。
 そうやって突き放せたら良かったのに。
「好きな食べ物とか趣味とか聞いたらいいんじゃないかな? そしたら、話も膨らんでいくよ」
 流石、ナマエさん、と顔をぱぁーっと明るくした五色くんは宝物を見るように、両手に持ったスマートフォンを覗いた。もし、私が彼女に嫌われるようなことを送るように言ったら、五色くんは言う通りにしてくれるのだろうか。そんなこと言わないけどね。

 翌日。三限目の移動教室に向かっている時だ。廊下で会った五色くんは私と目が合うと、いつも通りシャキッと背筋を伸ばして挨拶をしてくれた。挨拶を返すと、ニカっと歯を見せて笑ってくれる。素敵な笑顔だ。相談に乗ってくれ、と言われた時に、いいよ、と言って良かった。言えてなければ今頃、そっぽを向かれていたかもしれない。それは、ないか。五色くんだから。
 五色くんとすれ違う瞬間。彼が通った体の右側がひりついた。触れるか触れないの距離で振られる手。その手を掴めたら良かったのに。今なら間に合う、と誰かが囁いたのに暴れる鼓動が邪魔をしたのだ。振り返れば離れていく背中だけが見えた。

 どうやら、前回の相談が最後の相談になったようだ。彼女に何を送ればいいか聞かれた前回の相談から、一週間ほど経った日のこと。部活が始まる前に駆け寄ってくれた五色くんは言った。
「ナマエさんのおかげで毎日が幸せです!」
「良かったね」
 そう言われてから、五色くんの周りにはお花が飛んでいるように見えた。心なしか五色くんの足取りも軽く見える。本当に良かったね。五色くん。
 何も掴めなかった手に拳を握った。

 五色くんが幸せだと言った日から、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。放課後、ロッカールームでジャージに着替えて体育館へと向かって外を歩いていた時だった。前方にはもう体育館が見えており、開けっ放しにされた両開きの扉の前では五色くんが立っていた。相変わらず一番乗りだなぁ、と思っていたら五色くんはこちらに向かって走ってくる。俯いていて表情はよく見えない。どうしたのかな、と思っていれば、下を向いたままの五色くんは私の前で立ち止まり、私が声をかける前に、肩には長い腕が巻き付けられた。
「え!? 五色くん? どうしたの?」
「俺、俺っ……」
 私の肩に顔を埋めた五色くんは鼻をグスグスと鳴らしている。泣いているのかな? 
「大丈夫? 落ち着いて」
 丸まった背中をぽんぽん叩いてやると、しゃっくり混じりの苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
「どうしたの?」
「俺……間違えて好きって言っちゃったんですっ!」
 あ、そうなんだ、と思うと同時に胸がひんやりと冷えていく。
「そしたら、ごめんって! 俺のこと、弟としか見れないって言われましたっ!」
 叫んだ五色くんはまた呻き声をあげて私の肩にポタポタと涙を落とした。私の肩を抱きしめる腕は力強いのに、私が手を置いた背中は震えている。
 そっか。五色くん、振られちゃったんだ。
 五色くんがこんなにも辛そうに泣いているのに、私の胸を締め付けていた氷は溶けていった。自分の浅ましさに笑ってしまう。五色くんの背中をまた叩いてやりながら、目の前にある白い首筋に顔を伏せた。
「ナマエさん?」
「何?」
「泣いてるんですか?」
 ぎくりと体が強張る。五色くんから相談にのってくれ、と言われた時も、どうすれば仲良くなれるか、と聞かれた時も、幸せだ、と笑ってくれた時も我慢できていたのに、五色くんの恋が終わった、と知った途端に涙がこぼれ落ちてしまったのだ。
「なんでナマエさんが泣いてるんですか?」
 例えば、今ここで、五色くんが、泣いてるからだよ、とか。五色くんが辛そうにしてるからだよ、とか。そんな可愛い嘘が言えたなら、私は幸せになれたのだろうか。
「目にゴミが入っちゃって」
「えっ! 大変じゃないですか!」
 五色くんは勢いよく顔を上げ、私の肩を掴んで心配そうに顔を覗き込んでくる。思わず目を逸らしてしまうと、目が赤いですね、と言った五色くんは私の手をぎゅっと掴んだ。
「目を洗いに行きましょう」
 さっきまで弱々しく泣いていたくせに、痺れるくらいに手を強く握って、私を引っ張っていく。
 どうして、五色くんは私にはそんな風に簡単に抱きついたり、手を握ったりできるんだろう。
 どうせ、あの子の前ではいつもガチガチになって、上手く喋れなかったんでしょ。私にやるように、あの子にもやっていたら、今頃、笑顔で私に報告に来ていたんじゃないの。それすら広い背中に言ってあげられなかった。
「ごめんね、五色くん」
「良いですよ! ナマエさんだって辛いんですから謝らないでください!」
「そうだね……」
 カッコよく私の手を引いてくれる男の子。きっと、君にとって、私は、お姉ちゃんでしかないんだろうね。