※五色の幼少期を捏造。
※ちょっと暴言。

 8月22日。それは当たり前ながら年に1度だけ訪れる。多くの人にとってはなんでもない日のはずなのだけど、1/365の割合でそうでもない人もいるわけで、その1人である私の幼馴染は朝から隣でソワソワしていた。
「はよ」
「おはよー」
 朝練に向かう途中のことだ。私に追いついた工は、いつもであれば、その長い足で私を追い越し、先に歩いて行っちゃうのだけど、今日は私の隣に並び、歩調を合わせてくれていた。その上、さっきからずっと忙しなく、私の顔を覗き込んでは、目が合うとすぐに逸らすということを繰り返しており、明らかに私からのおめでとうを待っていた。
 一応、何も気づいていないふりをして、どうしたの? と聞いてみる。
「なんでもねぇ」
 ぶっきらぼうに返ってくる。そのくせ、落ち着きなくまたチラチラしてくる。
 高校生になっても工はこうなんだと思うとなんだかおかしくなってきて、しばらくこのまま分からないふりをしてやろう、なんて。入道雲のように悪戯心がむくむく育ち出す。
 今日も晴天が広がり、蝉がうるさく鳴く暑い日になりそうだった。
 練習が始まれば、さすがに工もバレーに集中するのだけど、休憩に入れば、私の周りをちょろちょろしだす。
「手伝おうか?」
 なんて普段は言ってこないことを言ってきたりする。
 他意はないと訴えてくる瞳にビシビシ他意を感じる。
 ちょっと笑いそうになってしまった。
「大丈夫だよ」
 笑いを堪えて、クーラーボックスを持とうとしてくれていた手から逃れる。
 そんなやりとりをクーラーボックスからジャグタンクでやったり、ドリンクボトルでやったりとしていたら、しまいには私が汗を拭こうとしていたタオルにまでその手は伸びてきた。
「手伝おうか?」
 何を手伝うつもりなんだか。
「大丈夫だよ」
 やはり、何も気づいていないふりをしてその手から逃れる。
 そんな私たちのやりとりがよほど不自然だったのか、練習が再開されると、こっそり天童さんに、今日工どうしたの? と聞かれるしまつ。
「今日工の誕生日なんですよ」
「あ〜なるほどね」
 天童さんは、ちょうどスパイクを打った工をおかしそうに眺めた。
 そんなこんなしていたら、今日も陽が沈む頃に無事部活が終わった。
 腹減ったーなどと言いながら出て行くみんなの最後尾につき、私も体育館を出ようとすれば、工がまた顔を覗き込んでくる。
「あのさ……」
 何? と素知らぬふりをして返しながらも、きたきた、と思いながら、意識はカバンの中に入れていたプレゼントへ向かっていた。
 いつ渡そうかな。
 いい加減、悪戯の終わり時を測っていた。
「ナマエ、俺に何か言うことないの?」
 我慢の限界だったのか、とうとうそんなことまで聞いてくる。そのくせ興味なさげにしているからおかしいったらない。
 そんな工に、あぁと思い出したように言えば、その瞳は待ってましたといわんばかりにキラキラ輝く。だけど、ここで、おめでとう、ではなく、お疲れ様! なんて快活に返してしまう私は、自分でいうのもなんだけど、なかなかの意地悪だ。
 でも工がいいリアクションを返してくれるから、これまたやめられないのだ。
 お疲れ様、と言った私に、工は目を丸くして固まった。そのままみるみる顔を赤く染め上げていき、夕日も顔負けなぐらい燃え盛ると、とうとう叫んだ。
「お前、それ本気で言ってんのかよ! もっと他に言うことあるだろ!」
「え? 他に何があるの?」
「あるだろ! 今日何日だと思ってんだよ!」
「8月22日」
 静かに返せば、工が俯き、プルプル震え出す。
 そろそろ潮時だろうか。
『嘘だよ。今日は工の誕生日だよね。おめでとう』
 その言葉の準備はできていた。あとは口に出すだけだった。
 その前にプレゼントを差し出しびっくりさせてやろう。
 最後の悪戯を企み、カバンの中へ手を入れたのだけど、先に口を開いたのは工だった。
「もう、ナマエなんかしらねー!」
 私が声をかける間も無く工は背中を向け、足をガニ股になるくらい大っぴらに広げながら鼻息荒く地面を踏んでいく。
「あ、えと……」
 夕焼けが薄暗くなりつつある中、そこかしこで蝉がうるさく鳴いている。工の背中はすぐに地平線の先へ消えた。
 どうしよう。プレゼント渡しそびれちゃった。
 手をかけていたけど、今日のために準備していたそれは結局カバンから出されることはなかった。
 まぁ、いっか。明日にでも渡そう。
 工の後を辿るように女子寮へ歩き出した。
 その途中で、私の周りをちょろちょろしては、バレないように期待に満ちた目を向けてきた工を思い出し、思わずぷっと笑ってしまう。
 思春期に入り、男子とはそれなりに距離ができていたけど、工とはこうして今も戯れあっていた。幼馴染とはそういうものなのだろう。
 工とは幼稚園から小中高とずっと一緒で、出会いは初めて乗る幼稚園のバスを待っていた時だった。
 お母さんに手を繋がれ待っていると、同じように工も工のおばちゃんに手を繋がれ待っており、お互いに気づいた親同士が、いくつですか? 4歳です。あらうちもです、なんて言いだせば話は早い。
「ほら、ナマエ。ちゃんと挨拶して。同い年よ」
 お母さんに生贄のように前に差し出され、工も同じように前に差し出される。
 お互いブレザーの裾を握りしめながら向かい合った。
「ほら、工。初めて会う子になんて言うの?」
「ごしきつとむ! よんさい!」
 おばちゃんに促され元気に叫んだ工に、なぜか丁寧に年齢まで教えてもらい、私もそうした方がいいと思い同じように返した。
「ミョウジナマエ……よんさい……」
 この時は、とても緊張していたのだけど、工からナマエちゃん、と笑いかけてくれたので、なんだかホッとして釣られるように私も笑みが零れ、私たちの関係は始まった。
 その日からずっと工と隣り合わせでバスに乗ったし、幼稚園でもよく遊んだ。住んでいるマンションが隣だということもあり、毎日のように互いの家へ遊びに行った。
 小学生になると、一緒に遊ぶことはなくなったけど、下校途中に会えば取り止めのない話をしながら一緒に帰った。
 だけど、いつしか頻繁に下校路で会っていた工とめっきり会うことがなくなった。学校が終わる時間は同じ筈なのにどうしてだろうか。不思議に思っていたら、ある日、お母さんから工くんはバレーを始めたんだって、と聞かせれたのだった。
 へー、バレー。
 その日から、バレーという存在がやたら気になるようになり、テレビで放送されるバレーの試合を意識的に見るようになった。
 ご飯を食べながら流し見していたものをテレビの前に座ってちゃんと見てみれば、その競技がもたらす興奮は、今までなんとなく見ていたことが信じられないくらい熱く、いつも私は手に拳を握りながら見ていた。
 工もこの中にいる選手のように真剣にバレーに打ち込んでいるのだろうか。そして、この中にいるどの選手とも違う工だけの輝きをコートの中で放っているのだろうか。
 その姿を見てみたい。
 そう思いたった私が中学に入学し、他の部活を見学することなく、男子バレー部の扉を叩いたのはごく自然なことだった。
「ナマエ、マネージャーなんてできるのかよ」
 いつの間にか、クラスの男子みたいな物言いをするようになった工に、「やるんですー」と舌を出してやったのだった。
 そうして、中学の間はバレーを通し、一緒に笑い、泣いて、また笑った。
 お互いの誕生日を祝い出したのもこの頃からだった。
 入部したばかりの頃に、なんとなく部員同士で誕生日を言い合っていたのだけど、その時に聞いた工の誕生日を私が覚えていたのだ。
 中学に入学し初めて来た8月22日。部活からの帰り道を二人で歩いていた時に、バレーボールのキーホルダーをあげたのだった。本当は数日前から準備していたくせに、気まぐれを装って、包装もされていないままポイってあげたような気がする。
 誕生日を祝うというにはとても不器用なやり方だったけど、大きな手のひらにキーホルダーを乗せた工はそれを呆然と眺めながら感動したようにありがとうと言ってくれた。そのキーホルダーはまだ工のスポーツバッグについている。
 そして、次に来た私の誕生日に工がヘアピンをくれたのだ。ん、と押し付けられたわりに、可愛い紙袋に入っていた。
 お花の形をしたそれは今でもまだ活躍しており、私の髪についているのを工が目を細めて眺めているのを実は知っている。
 その次に来た工の誕生日にはちゃんと綺麗に包装されたシャーペンを渡した。その次に来た私の誕生日にはこれまた可愛く包装されたハンカチをもらい、その次の年には、お互いの誕生日にプレゼントを渡し、おめでとうと言うのが当たり前になっていた。
 私が白鳥沢へ進学を決めたのは、工がそこに行くからというのが1番の理由だった。特にやりたいこともなく、でも勉強は嫌いじゃなかったから、工が行くなら私も行くという軽いノリだった。
「ナマエは本当に俺が好きだよな」
「別に。牛島さんがいるから行くだけだし」
「は!? お前牛島さんが好きなのかよ!」
「だったら何?」
「ナマエには無理だと思うぞ……」
「はぁ!?」
 とかなんとか、憎まれ口を叩き合った。
 工との関係性を聞かれれば、きっと腐れ縁と答えるだろう。でもそれは少女漫画に憧れてただ言ってみたかったというだけで、本当は繋がっていて心地のいい縁だった。
 きっと、これからもずっと工と意地悪を言ったり言われたりして、この絵に描いたような幼馴染という関係は続いていくのだと思っていた。
 体育館でその背中に挨拶をして、無視をされるまでは。
 朝、体育館に到着すると、すでに自主練を始めていた工が体育館の端で水分補給をしていたからそこに立ち寄り、おはよう、と声をかけたのだ。しかし、工はちゃんと聞こえていた筈なのに、私を無視してツーンとしたまま、くびぐびドリンクを飲んでいた。
 なんで無視をされたのだろう。
 一瞬不安になったけど、その理由はすぐに分かった。昨日、誕生日を忘れたふりをしたからだ。
 工は子どもだなぁ。しょうがないなぁ。
 でも、先に子どものような意地悪をしたのは私だという自覚はあったので、早いうちに謝ろうと思った。
「工、昨日は――」
 その続きが幾重にも重なる蝉の鳴き声に飲み込まれてしまったのは、工の横に並んでまでしてちゃんと謝ろうとしたのに、工に、ふん、とそっぽを向かれたからだ。おまけに工は床に置いていたタオルをわざわざ拾って、とことこ向かいの壁まで歩いていき、そこでまたタオルを置いて水分補給を再開する。
 何その態度!
 さすがに私もムっとした。
 でもこれまで工と幼馴染を12年くらいしてきて、こういうことが全くなかったというわけでもなかった。むしろ喧嘩なんてしょっちゅうだ。また始まったかというくらいで、言ってしまえば日常の1つだ。それに、どちらも単純だからか、私たちの喧嘩はそうそう長続きしない。
 今まで通り、今日をやり過ごせば、明日には普段通り会話をしているだろうとたかを括っていた。
 そうならなかったのは、よほど誕生日のことを根に持たれていたからなのか、その翌朝、せっかく私から挨拶をしたのにまた無視をされたのだ。
 工の無視はもちろん練習中も続いていた。
 サーブ練習をしている時に、工がサーブを打ち終えたので、ちょうど拾ったボールを渡そうとした。別に工相手でなくとも目の前にサーブを打ち終えた部員がいれば手に持っていたボールを渡していたので、癖で手が出てしまったというだけだったのだけど、工はふん、と言って差し出されたボールには見向きもせず、横を通り過ぎて行ったのだ。
 行き場の無くなった腕の虚しさったらない。
 それでも、工とはまだいつもの喧嘩をしている気分だった。
 これまで通り、時が経てば、そのうち喧嘩していたことも忘れ、向こうから話しかけてくるだろうと。
「工のバカ!」
 周りには先輩がたもいたのに、去っていく背中に向かって叫んでしまったのは、喧嘩も5日目に入った頃だった。
 5日目だから叫んだわけではない。先ほどすれ違った時に、そのバッグにいつかあげたキーホルダーが5日前にはついていた筈なのに、わざわざ外されているのを見てしまったからだ。
 普通、そこまでするだろうか。
 そう思ったら、部活が終わり、腹減ったー、と帰っていく先輩たちの後を歩いていく工に叫んでいた。
「な!」
 弾かれたように振り返った工は5日ぶりに私を真っ直ぐに見てくれたけど、目があった瞬間、また目を逸らした。
「急になんだよ……」
 工の後ろでは、天童さんや瀬見さんたちが、どうしたの? と言いたげにこちらを見ていた。
 公衆の面前でこんなのみっともない。今すぐ止めるべきだ。
 そんな理性がまだ頭の片隅に残っていたけど、クールぶっている工へ目を戻したら、あっという間にメーターは振り切れた。
「工がバカだからじゃん! バカ!」
 叫んだけど、工はまだクールぶってそっぽを向いていたのでその隙に3回ぐらいバカと繰り返した。
 そうすれば工も我慢ならないというようにわなわな震え出し、結局大声を出す。
「なんなんだよ急に! バカって言った方がバカなんだぞ!」
 幼稚園児みたいな工の文句に、私は口に手を当て笑う仕草をする。
「な〜に子どもみたいなこと言ってんの〜高校生にもなっておっかしいんだ〜」
 こちらも幼稚園児のようにぷぷぷーと煽るような笑い声をつけて、そのブーメランを全力で投げる。
 普通だったら、必ず返ってくる筈のそれをこうして安心して投げられたのは、ターンをする前にちゃんと工にブッ刺さってくれることを知っていたからだ。
 案の定、うるさいな! と叫んだ工は恥ずかしさで爆発しそうになっており、私の幼稚な行動を指摘する余裕もないように見える。
 ブルブル首を振り気を取り戻したらしい。
「そもそもナマエが急に怒鳴ってきたからだろ! 何をそんなに怒ってんだよ!」
 よくぞ聞いてくれた。息を思いっきり吸い、溜め込んだ5日分の思いと一緒に吐き出す。
「だって工、私があげたキーホルダー……」
 勢いよく言ったはいいけど、だんだん尻すぼみになっていったのは、言葉の途中で、紙クズと一緒にゴミ箱に捨てられたキーホルダーが脳裏を過り、どうしてか、胸が締め付けられ、その先を口にできなかったからだ。
 口をぱくぱくしていたら、次第に鼻の付け根に熱が集まりだす。
 やばい。泣きそうになっている。
 流石に先輩がたも見ている中、泣くわけにもいかず、でも涙を我慢できそうにもなく、どうしようか迷った挙句、「もういいよ! バカ!」としっかり悪口だけはちゃんと言い、その場から逃走した。
 とはいえ、白鳥沢学園生徒歴、半年弱の私に思い当たる逃げ場なんてそれほどなく、結局、体育館の角を曲がってすぐのところでしゃがみ込み膝を抱える。我ながら情けない。体育館が影を落としているせいか、薄暗いそこはお尻が冷たく、ますます惨めな気持ちにさせられる。
 ちょっと泣いたら帰ろう。
 そう思いながら、勝手に溢れてくる涙を拭い、ティッシュで鼻を噛んでいたら、どうしてまた、何してんだよ、と上から降ってくるのだ。
 耳によく馴染んだその声に、また鼻がむずむずする。
「なんでここにいるの。バカ……」
「だからさっきからバカってなんだよ」
 どうしてここにいるのか。工はその理由を教えてくれず、私の隣にしゃがみ込み、曲げた人差し指で涙を掬う。
「泣くなよ」
「泣いてない」
「泣いてるだろ」
「泣いてないもん」
「じゃあ、これなんだよ」
「汗」
「そんなわけないだろ」
 何よ、工のくせに大人みたいに言っちゃって。
「なんで泣いてんだよ」
 言うかどうか迷ったけど、言ってみろよ、なんて工がまた大人っぽく言うものだから口から零れていく。
「だって、工……私があげたキーホルダー外してるんだもん……」
 たったそれだけのことなのに、口にすればまた胸を締め付けられた。
「あぁ、これ……」
 工は小さなバレーボールが下げられていた場所を指でなぞる。
「これは……ナマエが………俺の誕生日………」
 その続きはごにょごにょと濁され、何を言っているのかよく分からなかったけど、今更言ってもらう必要もなかった。
「ちゃんと覚えてたよ! 工の誕生日!」
「え?」
「本当はちゃんとプレゼントも準備してたの! これ!」
 ずっと渡しそびれていたものをバッグから取り出し、工の胸に押し付ける。毎日持ち歩いていたせいか、青いリボンがかかった紺色の包装紙は、プレゼントというにはすっかりボロボロになっていた。
「お、おう」
 工は両手でそれを受け取りながら、ソワソワしだす。もう、分かりやすいんだから。
「開けてもいいか」
「いいよ」
 リボンをしゅるっとほどき、包み紙を外せば、黒いタオルが顔を出した。
「ありがとう……大事にする……」
 いつかのように感動したようにそう言った工に、
「大事にして。キーホルダーの代わりに」
 と未練がましく言えば、
「別にキーホルダーだって捨ててねーよ! 引き出しの中にしまっただけだ」
 なんて返ってきて固く結んでいた口が緩んでしまう。
「何笑ってんだよ」
「別に」
「なんだよ、さっきから。くそ……」
 工は焦ったそうに頭をかき混ぜたけど、私が渡したタオルを胸に抱えると立ち上がり、ほら帰るぞ、と私の腕を取り、私を無理やり立たせた。
 工が歩き出し、私も工に引っ張られるがまま歩き出す。
 体育館の角を曲がって戻ると先輩がたはもういなかった。ひょっとしたら何かを察して帰ってくれたのかもしれない。明日の練習で会っても何か聞いてくることもなく、いつものように接してくれるのだろう。うちの先輩がたはそういう人たちなのだ。
 夏の蒸し蒸しとした空気は健在だったけど、涼やかな風が火照った頬を穏やかに撫でていく。
 視界の端で一瞬だけ佇んだ赤トンボが夕日に染まった空へ飛んでいくのを見送ると、工が前を向いたまま尋ねた。
「そういや、なんで俺の誕生日、忘れてるふりしたんだよ」
「工が朝から変だったから。ちょっとからかってやろうと思って」
「な!」
 びっくりした顔で振り返ったかと思えば、工は再び前を向き、沈みゆく大きな太陽に向かって叫んだ。
「ナマエなんて嫌いだ!」
「私だって工のこと嫌いだもん……」
 私がそう言ったきり、しばらく無言のまま歩いていたけど、工は急に立ち止まる。
 大きな背中に鼻をぶつけそうになり、私も慌てて立ち止まった。
「何? どうしたの?」
 くるりと振り返り、こちらを見下ろした工は耳を垂らしたワンちゃんのように眉尻を下げていた。
「嫌い、とか……そんな寂しいこと言うなよ」
「工から言ってきたんじゃん」
「わりぃ」
「いいよ」
 ここで会話は終了かと思ったのだけど、工はまだ不安そうに眉尻を下げていた。
「本当に俺のこと嫌いなのかよ」
「別に」
「あ、そう……俺もナマエのこと別に嫌いじゃない」
「あ、そう」
 工は満足したのか、また前を向き歩き出した。いつも間にか私より大きくなっていた手で私の腕を掴んだまま。
 こうして工と歩く道がずっと続いていることをやっぱり私は疑わないのだけど、そこにはそうだったらいいのにという願望が確かにあり、工はどうなんだろうか、と出会った時からずっと変わらないサラサラのおかっぱ頭を眺めながらふと思う。
「腹減ったな」
 気の抜けたようにそう言った工はきっと、何も考えていないのだろう。
 これだから男子は。
 半ば諦めながらも、そうだね、と笑えば、振り返った工は安心したように微笑んだ。