※奥手な角名の話。角名をおとなしめにしているので、解釈違い注意です。

 三限目の終わり。だめだ、眠い。よしサボろうと、角名が向かった先は校舎裏だった。誰もいないその場所は、角名が一年の時に見つけたサボり場だ。昼寝するには絶好の場所で、校舎と大木が向かい合って聳え立っているため、午前中は大木が影を落とし、その影が縮む頃には追いかけるように校舎から影が伸びてくる。常に日陰となり、晴れた日は一日中快適に過ごせるのだ。
 大木に頭を向けて、アスファルトに寝そべる。生い茂る緑越しに見える空は青く澄んでいて、太陽はさんさんと輝いているのに、地面はひんやりと気持ちよく、すんなり眠りに入ることができた。

「やべっ……」
 はっと目を覚まし、起き上がる。今は何時だろうか。どこか騒がしいので、恐らく昼休みだろう。四限目が終わる頃には起きる予定だったのに、少し寝過ぎたようだ。
 立ち上がり、伸びをして制服に付いた砂を落とす。粗方全身をはたいた所で教室に戻ろうとしたら、校舎の角の先から人の話す声が聞こえてきた。
「ごめん、ナマエちゃんのことそういう風には見れない」
 心臓がどきりと跳ねる。これはあれか? なんて思いながら、角名がそっと角の先を覗くと「あっ」と言う男子生徒と目が合った。想像していたよりもずっと近い距離にいたその男子生徒は角名のクラスメートだ。そして男子生徒と向かい合っている女子は角名からは後ろ姿しか見えなかったが同じくクラスメートのナマエだということが分かった。
 この二人が親密だということはクラスでも有名で、角名も知るところだ。しかし、角名と彼らは特に親しいと言う間柄ではなく、朝に会ったら挨拶をする程度だった。
「お前立ち聞きかよ」
「いや、俺の方が先にここにいたんだけど」
 そう弁明しながら、角から彼らに姿を現す。すると、男子生徒の視線を追って振り返ったナマエは、角名を確認するや否や顔を真っ赤にして俯いた。
 角名は二人は付き合っているという認識だったが、どうやらそうじゃないらしいことは先程の会話から推察できた。きっと、ナマエは男子生徒に告白をして、たった今フラれたのだ。だからこの空間はなんとも気まずく、一刻も早く退散したかった。じゃあ俺はこの辺でと言おうとして片手を上げる。しかし、男子生徒の方が先に「じゃあ俺教室戻るわ」と声を上げ、すたこらさっさと去っていった。なんでお前が先に帰るんだよと心の中で毒づきながら、ナマエと二人きりになってしまった事を悟る。
「ご、ごめんね……」
 フラれてるところを見ちゃって、と心の中で付け足しながら、ナマエをちらりと見下ろした。俯いているせいで、ナマエの表情は見えないが顔を赤くしていることは分かった。
 ここで何か気の利いたことを言えたら俺の人生も少しは違ったのだろうか、と思案する。
 そう、例えば「大丈夫。俺はミョウジさんのこと、ちゃんと女の子として見ているよ」とか。いやいやいやと首を振る。こんな言葉を吐くのはただの変態かチャラ男くらいだろう。ドン引きされるのが目に見えた。
 ではここは素直に「俺が慰めてあげる」とかだろうか。いやいやいやと再び首を振る。双子じゃあるまいし、いきなり距離を詰めすぎだ。やはりチャラ男認定されてまたもやドン引きされるのがオチだ。
 もっと誠実に、紳士に、優しく。この気まずい空気を変える逆転の言葉。
「さっきのことは誰にも言わないから……」
 いや、これは違うだろと首を垂れた。たまらなくダサい言葉だ。泣きそうな顔をしたナマエに睨み上げられる。
 うん。分かるよ。そう言う顔にもなるよね。
 角名は眉尻を下げた。
「別に誰に言ってもいいよ」
 そう言い切ると、ふいと顔を背けたナマエは、早足でその場を後にした。
 角名はその背中を眺めながら、魂も抜けたんじゃないかと思うくらい大きなため息をつく。完全に対応を間違えた。
 角名も重たい足取りで教室へ向かった。ナマエが最後に見せた顔を思い出すとまたしてもため息がこぼれた。

 その翌日のこと。
 ミョウジさんが告白をしてフラれたらしい。
 そんな噂が広まったようだった。
 クラスメートである角名の友人もどこからか聞き入れたらしく、朝の挨拶もおざなりにして、今日はいい天気だねとでも言うように世間話の一部として角名にその話をしてくれた。
 まずい、と思った。
 こんな噂を流せる犯人、俺しかいないじゃん。
 もちろん違うのだが。
 昨日、ナマエは誰に言ってもいいと言っていたが、それが嘘であることは角名も分かっていた。だから、もちろんナマエのことを言いふらしたりなどしていなかった。
「あいつら付き合ってるって思ってたのにな」
 興味津々にいう友人に同意はせず、代わりに、
「あまりそういうことは軽々しく広めない方がいいんじゃないかな」
 と角名にしては珍しく正論を吐き、場をしらけさせたが、噂拡大防止に努めた。
 この話が本人の耳に入っていなければいいのだけど。
 朝のホームルームが終わり、一限目の現国の準備をしていると、前の方の席に座っているナマエに、ナマエの友人が声をかけようとしており、なんとなく耳をそばたてた。
「聞いたよ。昨日フラれちゃったって」
 ギョッとして、角名はポケットから取り出したスマホを落としてしまう。
 なんと噂の回ることの早いことか。
 今朝、角名が場をしらけさせてまで噂拡大防止に努めたのに、その努力はどうやら水泡に帰したようだった。
 彼女らへ視線を向けながら手探りでスマホを拾い、今度はそのスマホを見るふりをして、彼女らを見守る。
「ナマエとあいつ、あんなに仲良かったのにね。大丈夫?」
「大丈夫だよ」
 そう微笑んだナマエはそれを証明するように、男子生徒たちとゲラゲラ笑っている例の彼へ視線をやり、彼と目を合わせると、ニコっと笑う。すると、彼も能天気に笑みを返す。その二人のやり取りを見たナマエの友人は、よかった、と安心したように笑った。
 全然、よくねーよ。
 誰だよ、噂をあの女子生徒に伝えたのは。あの女性生徒も、わざわざ聞いたよなんて枕詞を置き、噂が回ってきたというようなことを示唆することもないだろうに。彼女に悪気はなかったのだろうが、なんとも頭が痛くなる事態だった。
 しばらくスマホ越しにナマエの様子を伺う。
 友人と笑い合っているナマエはたしかにいつも通りのように見えた。
 女の子って強いんだなぁ。
 少しホッとし、そのままナマエが談笑している姿を眺めていると、ふとこちらを向いたナマエとバチリと視線がぶつかる。なんとなく笑顔を作ったが、分かりやすく顔を背けられた。
 やはり、そうなってしまったか。きっと、ナマエはたった今聞いた噂の発信源を角名だと思っているのだ。ただでさえ、告白を盗み聞きしていたと思われ悪印象を持たれているのに、こんな濡れ衣まで着せられたらたまったものじゃない。
 あの時、軽率に角から顔を出した自分が恨めしい。
 実はあの時、校舎の角から聞こえてきた名前がナマエだったから覗いてしまったのだ。ナマエがフラれている、それは角名にとって朗報で、本当に角の先にいるのがナマエなのか確めずにはいられなかった。そして、顔を出した時、お気楽にもひょっとしたら、自分にもチャンスがきたのではないか、なんて思っていた。
 しかし、スマホ越しに見るナマエのツンとした態度に、そのチャンスは徹底的に叩き潰されたのだと悟った。
 今度こそ、口から魂が抜けていったかもしれない。

 その翌朝、角名が朝練を終え昇降口へ向かうと、下駄箱の前で丁度スリッパに履き替えるナマエとかち合った。昨日の陰鬱な気持ちが蘇る。
「お、おはよ」
 角名がぎこちなく挨拶をすると、ナマエから「おはよ」と返ってきたが、すぐに顔を背けられた。そのまま行ってしまいそうになり、慌てて「待って」と声をかける。ナマエは振り返った。やはりその瞳は冷たい。角名は喉をぐっと鳴らしたが、どうしてもナマエに伝えておきたいことがあった。
「俺、この間のこと。誰にも言ってないから」
 呟く様に零した言葉はやはりダサい。言い方もダサい。何もかもがダサい。それでもこの誤解だけは解いておきたかった。
「分かってる」
 ナマエは子どもが拗ねるように唇を尖らせながら言った。その頬が少し赤らんでおり、思わず可愛いと思ってしまう。顔がニヤける。それにナマエはきちんと分かってくれていたのだ。陰鬱の種が無くなり、ほっと一息つく。すると、一度は潰された希望がまたしても膨らんでいく。ひょっとしたら、自分にもチャンスがきたのでは、と。彼女の鉄城が緩みかけた今が押しどき、仲良くなるチャンスのように思えた。
「大丈夫?」
「何が?」
 返ってきたのは冷やかな声と眼差し。顔を赤らめていたナマエはもうどこにもいなかった。
 どうやらチャンスではなかったらしい。
 それどころか、やはりナマエは怒っている。本当は、まだ、角名が噂を流したと思っているのだろうか。それとも、角名が噂を流していないことは分かっているが、フラれていた現場を盗み見ていたことは許してないぞ、ということなのだろうか。
 ナマエに睨まれたまま、「えと……」と言ったきり口籠もってしまう。
 何をそんなに怒ってるの?
 俺はもう許してもらえないの?
 それらの言葉を焦りや困惑が濁流となって流していく。最後には、どうしてこんなことになってしまったのだろうか、という疑問だけが残った。
 チャンスだなんだと思っていたが、本当はただナマエと笑って話がしたかっただけなのだ。朝に会ったら挨拶をする程度ではなく、嬉しいことがあれば共有し、ダルいことがあっても共有する。そうやってなんでもない日常をナマエと積み重ねたかっただけなのだ。ナマエをフった彼のように。
 角名が目を泳がしていると、ナマエの方からぷふっと吹き出す声が聞こえた。
 なぜ今ここでぷふっ?
 角名が恐る恐る声の主を見ると、悪戯っぽく笑った顔がこちらを見上げていた。
「ビビりすぎ。私そんなに怖い?」
 あれ? と呆けてしまう。ナマエは怒っていたのではなかったのだろうか。角名の反応を尻目にナマエは一緒に教室行こうと笑いかける。やはり角名は呆けてしまう。女の子って謎だなと思った。
 教室に向かうナマエの隣に並ぶ。ナマエの方を見下ろすと、丁度視線がぶつかった。
「何であの時あんなとこにいたの?」
 ナマエは笑いながらこちらを見上げていた。
 あの時というのはナマエがフラれていたあの時のことだろうか。そして、あんなとこというのはナマエがフラれていたあの場所のことだろうか。なんてわざわざ聞いたら怒られそうなので口にはしない。言いたいことはうまく言えない口だが、言ってはならないことは母親と妹でよくよく学習しているのだ。
 きっと、ナマエがフラれていた時、その現場にどうしていたのか、と聞かれているのだろう。
 空気を読んで答えた。
「あそこで良くサボってる」
「え? そうだったの? 全然気づかなかった」
 ケラケラ笑うナマエに、俺はそんなに影が薄いのだろうかと心配になる。
「サボるのは移動教室みたいな席が決まってない授業だけだから。多分先生も気づいてないと思う」
 自分に言い聞かせるように言った。
「え、そうなんだ。すごい」
 なかなかの好反応に満足する。
 すごいと言われた内容は決して褒められた内容ではないのだが。
「じゃあ私も今度あそこでサボってみよっかな」
「え……」なんて、間抜けな言葉が漏れたのは、角名のサボり場でナマエもサボりたいと言ってくれたからだ。今度こそ、押しどき、仲良くなるチャンスだと思った。
「でも角名くんがいない時にしよ」
 どうやらチャンスではなかったらしい。
 しかも俺がいない時って……
 角名はますます猫背になる。
「だって二人も授業にいなかったら流石にバレちゃうでしょ」
 ナマエはそう言うと、再びケラケラ笑った。
 やはり押しどきだった。チャンスだった。別に先生や他の生徒にバレたところで角名にとっては痛くも痒くもないのだ。それよりもこのままナマエと距離を詰められないことこそが角名にとっては問題だった。
 ここで二人でサボろうよ、と言うことができれば。
 押しどきだ。チャンスだ。今こそ口を開くんだ。ここで人生を変えろ!
 ナマエを見下ろし、意を決して口を開いた。
「あそこは一日中影になってて過ごしやすいよ」
 何でだよ! 心の中で叫び、肩を落とした。いつだって角名の口は思った通りに動いてくれない。しかし、ナマエが楽しそうに笑うのでそれは嬉しかった。それにまだ光は消えていない。きっとナマエがサボろうとした時が次のチャンスなのだ。サボろうとするナマエに着いていけば自動的に二人でサボれるということになる。
「晴れた日とか本当に気持ちいいから」
 ナマエにサボることを促す。
「やけに進めてくるね」
「そりゃあね」
「でもやっぱサボるのは無理かなー」
「え……なんで?」
「私角名くんみたいに要領よくないから」

 それは未だ遠い恋への道。