秋の終わり、もしくは冬の始まりの朝、起きたときから、体がだるかった。熱っぽいし、喉は痛いし咳が出る。
「学校、どうする?」
 母が心配そうに言った。丁度脇に挟んでいた体温計が鳴る。それは7℃を満たない数値を差していた。
「金曜だし行っとく」
 そうして重たい体をひきづるように学校に行ったはいいものの、授業中は気だるいし、市販の風邪薬のせいか眠気がひどい。一刻も早く帰りたかった。
 
 放課後になると、私は同じ部の子に休む旨を伝えて、すぐさま帰路につこうとした。その時であった。廊下で西谷くんに声をかけられる。
「ミョウジ、帰るのか?」
「うん、体調悪くて」
「そっか、今日しんどそうだったもんな」
 あ、気づいてくれてたんだ。
 そう思うと少しそばゆい気持ちになった。
 西谷くんとは付き合って一ヶ月程だった。しかし、まだ言葉を交わすのにも慎重でドキドキする。この返しで合っているだろうかとか、変に思われないだろうかとか。きっと西谷くんは私が何を言っても受け入れてくれるのだろうけれど。
 だから、いまひとつ踏み出せず、付き合う約束をした前と後で何かが変わったわけではなかった。
「ミョウジ、ちょっと来て」
 西谷くんがおいでというように指先をちょいちょいと動かす。「何?」と言って西谷くんの後についていこうとすると、その手で腕を掴まれた。
 
 私は引っ張られるがままに西谷くんの後を歩く。かじかんだ指先がじんわりと温まっていくのが分かった。
 
 西谷くんに連れられてついた場所は、移動教室に向かう廊下だった。放課後の今は、人通りは全くない。そのせいか余計に寒く感じた。肩を上げ、いつの間にか離された指先を握る。すると首元がふわりと暖かくなった。
「ミョウジ寒そうだからこれ貸してやるよ」
 西谷くんが私の首にマフラーを巻きながら笑う。寒さのせいだろうか、西谷くんの頬と耳の先が赤い様に見える。そして、前で結んでくれた後、じっとこちらをみた西谷くんが一瞬だけ押し付ける様に私の唇にキスをした。
「えっ……」
 何が起こったのかわからなかった。ただ首元が暖かくて、唇に経験のない感覚が残っていて。だんだんと顔が熱くなっていくのが分かる。西谷くんを見ると
「ついでに俺に風邪移せよ。俺すぐ治るからさ」
 そう言ってわずかに赤らんだ顔で歯を見せて笑った。
 勿論驚きや恥ずかしい気持ちはあった。ただ、ああ好きだ。その言葉が心の中に浮かぶ。西谷くんのその笑った顔が、まっすぐな瞳で見つめてくれる西谷くんが。ああ好きだと。
「ありがとう」
 私が笑うと西谷くんは満足したように頷き「じゃあお大事にな」と言って手を振った。
 
 それから土日を挟んで月曜日。私の風邪は続いたし、西谷くんは風邪をひいた様子もなくぴんぴんとしていた。けれども、以前より少し西谷くんとの距離が近くて、未だ彼の一言一言には慎重で、自分の動作一つ一つに緊張があるけれど、どこか温かく穏やかな空気が流れ始めていた。