※軽度の性描写あり※

 夢うつつの中で隣にある温かな体を抱きしめる。侑くん、好きだよ、と聞こえた気がした。俺も好きやで、と言ったのだろうか。良くわからぬが、頭を撫でてもらえる感覚が心地良かった。
 なぁ、ナマエちゃん。
 お前はなんで俺のこと、ずっと好きでいてくれるん?

 薄ら目を開けると、眩しい光がカーテンの隙間から伸びていた。もう、朝か。いつもより布団の中が温かい気がする。そういえば昨夜はナマエを部屋に泊めたのだった。もう一度、その温もりを腕に抱きたくて、手を伸ばす。しかし、すぐに腕は布団から出てしまい、冷たい外気に包まれた。はぁ? と思ってしっかり目を開けると、ナマエはいない。反対側の隣を見てもナマエはいなかった。
「だから、なんで黙って帰るねん!」
 一人叫べば、しんと静まり返った部屋が余計に寒くなった気がした。

「ありえへんわ! ほんまありえへんわ! あいつなんやねん! 俺のこと好きやったんとちゃうんか!」
 もしかしたら、ナマエはリビングの方にいるのかもしれない、と思い、大きな足音をたてながらリビングへ向かったが、そこにも彼女はいなかった。勿論、初めてナマエを部屋に上げたときのように部屋が掃除されているわけでもなければ、ダイニングテーブルの上に朝食が用意されているわけでもなかった。
「あいつ、礼儀知らずにもほどがあるやろ!」
 リビングに吊るしてあったナマエの服はなくなっていたし、床に置いてあったナマエのバッグもなくなっていた。まるでナマエが侑の部屋に泊まったことは嘘だったかのようにナマエの痕跡は消えていた。でも、もしかしたら、トイレにいるのかもしれない、とトイレの扉を勢いよく開けたが、やはりナマエはいなかった。玄関まで行って、ナマエの靴がないことがわかると、頭を抱えて天を仰ぐ。
「俺のこと好きやったんとちゃうんかー!」
 スマートフォンを覗けば、普通なら、昨日はありがとう、のようなメッセージが彼女からきていても良さそうなのだが、時刻の下に表示されていたものは日向翔陽からきたメッセージの通知だけだった。通知をタップすると、出てきたものは彼女に見せてやりたいほどのお手本。
“侑さん! 昨日はありがとうございました!”
「普通はこうやろ! ほんまあの女なんやねん! 翔陽くんを見習え! 翔陽くんを!」
 特に見返りを期待したわけではなかったが、親切にしてやって損した気分だった。
 恩知らずの女に言いたいことや聞きたいことは山ほどある。
 ちゃんと家に帰れたか? 風邪ひいてへんか? 俺のこと、まだちゃんと好きやんな?
 しかし、侑から送れるメッセージはなにもなかった。今まで呼びつけの連絡しか送ってこなかったのだ。今更、普通の会話を送ることはできなかった。最初に送るメッセージをどう始めればいいのかわからないのだ。それはナマエに限ったことだった。追っかけている女に対してはいつも悩むこともなく自らの心に正直になって文字を打ち込めたのだ。しかし、ナマエとのトークルームを前にすると、頭の中には送りたい文字が山ほどあるのに親指は固まってしまうのである。なぜこうもナマエに悩まされるのだろうか。きっと、変な始まりをしてしまったからだ。それでも、彼女がなにか一言侑に送ってくれれば、言いたいことも聞きたいことも皆伝えられたはずだった。しかし、彼女はなにも送ってくれないから、侑はなにも送れないのだ。
 仕方なく、胸の内に溜めた言葉の数々の代わりに、今晩も会いたい、と送った。すぐにごめんね、と返ってきた。
「はぁ? なんでや!」
 彼女から、いいよ、以外の連絡が来たことは初めてだった。まさか、ついに侑は嫌われたのだろうか。昨夜、雨の中、長い間待たせたからだろうか。それとも、暴言を沢山吐いたからだろうか。もしや、昨日、泣かれたこととナマエからごめんねと来たことに何か関係があるのだろうか。
 なんでなん? と急いで打ち込んでいくが、そのメッセージが送られることはなかった。風邪をひいたから、と来たからだ。途端に罪悪感に襲われた侑は、初めて、会う約束以外の言葉を送った。
“ごめんな”
“侑くんのせいじゃないよ”
 きっとナマエは優しく微笑んでくれているのだろう。風邪が治ったら、どこか飯でも連れて行ってやろう、と思った。ナマエとは夜深くの時間帯にしか会ったことがないが、たまには、こういうこともやってあげたらいいかもしれない。そう思ったのだ。

 ナマエの風邪の具合が気になったが、例に倣ってナマエから連絡が来ないので、侑はナマエの容態を聞けなかった。一週間経って、流石に風邪も治っただろう、と思い、昼間、食堂で昼食を食べ終えると、そのまま食堂の席でナマエに会いたい、と送った。いつもは、思いついたときに呼びつけの連絡を送っているため夜にメッセージを送ることが多いのだが、今日会えるのであれば飯でも連れて行ってやろう、と思い昼間のうちにメッセージを送ったのだ。快気祝いのつもりだった。しかし、すぐに返ってきた返信には、ごめんね、と書かれていた。どうやら、ナマエは仕事で忙しいとのこと。風邪だと返ってこなかったので、風邪は治ったのか、と少し安心したが、仕事という最もらしい理由で自分の誘いを断られるとは思っていなかったため、なんと返せば良いのかわからなかった。
「侑さん、どうしたんですか?」
「あ? なにがや?」
 隣を向くと、一緒に食事をとっていた日向が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「さっきからずっと怖い顔で唸ってましたよ。なにかトラブルですか?」
「いや、そんなんとちゃうちゃう。大したことやないから」
 そう思いたかった。胸の中がざわつくのもきっと気のせいだ。気のせいでなくとも、ただ、女を抱きたいという欲望を満たせないから、むしゃくしゃとした気持ちにさせられるのだろう。ナマエとのトークルームを表示したまま、机にスマートフォンを伏せた。
「それより翔陽くん、聞いたで。独占インタビュー入ったらしいやん。人気者やなぁ」
「はい! いいえ!」
「いや、それどっちやねん」
 ツッコミを入れる仕草をする。たいしたボケでもないのに、いつもよりでかい声を出し大袈裟にジェスチャーをしてしまった。なぜだろうか。しかし、日向はいつもとは違う侑に気にする素振りもなく、照れ照れとしているので、普段から自分はこうだった気がする、と思えてくる。机に置いたスマートフォンが視界の端に映り、存在感を放っていたが、無視して、その後も日向との会話に花を咲かせた。
 
 仕事を理由にナマエから誘いを断られて一週間経ったので、もう仕事も落ち着いただろうと思い、再び、会いたい、と送った。しかし、ナマエには断られてしまった。相変わらず、仕事で忙しいとのこと。その一週間後も、その一週間後も。気がつけば、最後にあった雨の日から一ヶ月くらいは経ったような気がする。一か月以上も仕事の繁忙期は続くものなのだろうか。サラリーマンをやったことがないため、わからなかったが、ナマエは侑に対して嘘をつくなどといった真似をしないだろう。きっと本当に一か月以上もの間、ナマエは仕事で忙しいのだ。ナマエを信じて、再び会える日を待っていた。

 ある日曜日。夕方に試合が終わった侑は体育館を出る。しっかりとダッフルコートを着ていたが、首筋を通る風が、シャワーを浴びたばかりの体を急速に冷やしていった。吐く息は白い。両手を擦り合わせても、かじかむ指先を守ることはできなかったので、コートのポケットに両手を突っ込んだ。
「ツムツム〜飯行くか!?」
「あぁ、せやな」
 こういう日は熱燗でも飲んで体を温めるに限る。明日は試合もない。シーズン中ではあったが、多少であれば、夜遅くまで飲んでも問題はないだろう。木兎が隣にいる日向に声をかけようとしたときだった。目の前の歩道を流れていく人混みの中で、ずっと、会いたくても会えなかった人物の姿を見つける。
「あっ、ナマエちゃ……」
 反射的に片手をあげ声を張り上げたが、呼び止める言葉が途中でとまってしまったのは、彼女の隣に見知らぬ男が歩いていたからだ。ナマエの隣を歩く男はかっちりとしたスーツに身を包んでいる。彼がナマエを見下ろすと、見上げたナマエは嬉しそうに笑った。彼女の笑顔はたくさん見てきたが、あんなにも眩しい笑顔を見たことがなかった。彼らからは随分と距離があったので、彼らがなにを話しているかはわからなかったが、きっとナマエは侑が聞いたことのないような声で笑っているのだろう。気がつけば、人混みをかき分け彼女に向かって歩いていた。後ろからチームメートが名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、すぐになにも聞こえなくなった。
「おいっ」
 ナマエの腕を掴むと、驚いたように目を見開かれる。なぜ、ナマエはそんな顔をするのだろうか。好きな男に街中で出会えば、普通、喜ぶものではないのだろうか。侑は華奢な腕をきつく握る。
「いい御身分やな! 俺の誘いは断っといて他の男とは遊ぶんや!」
「え、違うよ! 仕事で!」
「今日は休日やろ!」
「本当に仕事で!」
「口答えすなや! お前は俺のもんやろ!」
 もし今ここで、ナマエがごめんね、と一言言ってくれれば、侑の気もおさまっただろう。しかし、いつまで経ってもそのたった一言を言ってくれぬから、侑も引けないのだ。
「あ、ちょ、侑くん!?」
 ナマエの腕を掴んだまま、人混みを突っ切っていった。

 ナマエはなにも言ってくれない。侑がラブホテルに入ったときも、イライラしながら部屋を選んだときも、乱暴に腕を引いてエレベーターに乗ったときも。ただ俯いて、腕を引っ張る侑に従うだけだった。
 部屋に入った侑は覆い被さるようにナマエの唇を塞ぐ。噛み付くように何度も柔らかな唇を口に含んだ。時折、歯と歯が当たってしまいガチガチと音が鳴った。
「あつ、むくっ……」
 ナマエが控えめに胸を押してくれたので侑は顔をあげる。
「なんや? 嫌ならちゃんと抵抗しろや」
「ううん、大丈夫。嫌じゃないよ」
 侑を見上げるナマエがぎこちなく笑うので、ナマエの腕を引っ張りベッドに転がせた。ナマエに馬乗りになり、ナマエが着ていたシャツを力任せに引っ張った。小さなボタンが弾け飛ぶ。強姦魔になった気分だった。胸糞悪い。胸を包み込む下着を鎖骨まで捲し上げ、胸にしゃぶりつく。すぐに立ち上がった突起を噛み締めてやった。
「いっ……」
 ナマエから痛そうな声が上がったから、やめてと言ってもらえると思ったが、なにも言われなかった。なぜこうも思い通りにならないのだろうか。噛み締めた突起をさらにきつく噛んでやったけど、なにも言われなかった。ストッキングを破いて濡れているかも確かめず、こんなときでもちゃんと勃ってくれた自身を下着の隙間からあてがう。もちろんゴムなど付けていない。
「侑くんっ!」
 腹を押さえられ、安心する。
「なんや?」
 ナマエは怯えた様子で侑を見上げていた。これでいいのだ。
 拒んでくれ、俺を。やめて、と言ってくれ。
 侑の思いも虚しく、ナマエは、なんでもないよ、と言ってヘラリと笑った。また、笑顔。全てを許す笑顔だ。なぜだ。なぜ、彼女は思い通りになってくれないのだ。唇を噛んだ侑は自身を押し進めようとしたが、できなかった。これ以上進めてもなにも得られない、むしろ、失うばかりだ、と知ってしまったからだ。肩を落とせば、熱も引いていき、頭は冷静になった。
 自分はなにをしているのだろうか。
 きっと侑はきっかけが欲しかったのだ。散々、ないがしろにしてきたナマエを大切にするきっかけが。抵抗してくれれば彼女を大切にできる気がしたのだ。
 目頭が熱くなっていき、気がつけば涙がボロボロと目から落ちていた。
「侑くん……? どうしたの?」
 背中を丸めて座り込んでいると、ナマエが起き上がり頬に手を伸ばしてくる。握りつぶせそうな程に、か細い手だ。この手を何度、侑は無下に払ったのだろうか。
 涙はとまらなかった。ナマエが頬を拭ってくれたけど、とまらなかった。
 大事にしたい。こいつを。抵抗されんでも、大事にしたい。
「今まですまんかった……」
 涙が落ちるのに任せて言葉を口にすれば、堰を切ったかのように思いは溢れ出した。
「好きや……ナマエちゃん…………俺はナマエちゃんが、好きや……」