その横顔が真実だ




「矢一郎さんって狸みたいね」

#name_2#さんはグラスに注がれた果実酒をちびちびと飲みながら、染めたばかりの茶髪を気だるげに耳にかけ、不思議そうに問うてくる。
その問いかけに我が愛すべき長兄は盛大に飲みかけていた偽電気ブランを噴出した。噴出したことに引く訳でも、甲斐甲斐しくハンカチを出して拭いてやる訳でも無く、あーあせっかくの偽電気ブランが勿体ない、と#name_2#さんは笑って見せる。
私は多くの人間と言葉を交わし、関わってきたつもりだが如何せん#name_2#さんのような人間を他には知りえない。大学でむさ苦しい男ばかりのゼミに所属し、この京の伝承と歴史を学んでいるという少し変わり者である#name_2#さんは何をどういった訳か、たまたま木屋町のショットバーで隣席となった兄さんをたいそう気に入ったらしくこうして飲みに誘っている。

「#name_2#さんヒドイなぁ、兄さんは人間だ。毛むくじゃらでもないし」
「やだ、私なりの褒め言葉だったのに」

バーテンダーに差し出された手拭で着物を拭う兄さんを尻目に#name_2#さんはけらけらと笑う。普段は無表情が多いが酒が入ると#name_2#さんはその白い歯を口から覗かせよく笑った。私は兄さんがその笑顔に弱いことをよく知っている。

「しかし何故?」
「ん?」
「なぜ狸なのです?」

余計なことを言うな、と#name_2#さんの後ろから顔を覗かせる兄さんの目が私をギリッと睨み付ける。しかし私は続けた。無論、興味が兄さんの睨みより勝ったからである。
何を隠そう私は人間では無くそれはそれは立派な父の血を引く狸であったし、兄さんも同様に狸であった。

「んー……可愛いから、かな?」
「か、かわっ!?」
「兄さん、口。偽電気ブラン、偽電気ブラン」
「だぁーっ!」

顔を青くしたり、赤くしたりと忙しい兄さんである。おまけに今日は口が緩い。取り乱したことを恥じたのか、はたまた#name_2#さんの発言を咀嚼し飲み込もうとしたのか、兄さんは口周りを乱暴に拭うと大きく咳払いする。そんな兄さんの姿を横目で眺めている#name_2#さんの視線はえらく優しい。

「狸って可愛いでしょ?もふもふしてて、短い手足が愛くるしいもの」
「は、はぁ……」
「それにね、何でも食べてしまう雑食な所も大好き」

確かに私は某チェーン店の牛丼が最近お気に入りである。紅ショウガを追加でもらってくるほどだ。
#name_2#さんは少し興奮気味に言葉を紡いでは本日何杯目かの果実酒を口にし、再び口を開く。果実酒に濡れた#name_2#さんの唇は弁天様とは違いやけに爽やかに見えた。妖艶では無く、爽やかに見えるのは纏う雰囲気の違いであろう。

「だから矢一郎さんは狸みたいと思ったの」
「ぷっ」

至極当然と言わんばかりに言ってのける様に笑いが口から飛び出る。つまり#name_2#さんは人間に化けている兄さんの姿を大好きだと言うもふもふで、短い手足である狸の姿と重ね比べた上で。重ね比べた上で偽電気ブランを盛大に吹き出す様子を可愛いと形容したのである。
私にはお世辞にも眉間に皺をたっぷりと蓄え、若旦那風に変化した兄さんを可愛いなどと形容できない。しようともしない。
そんな突拍子もないことを堂々と言ってのける#name_2#さんはただの変わり者では無い。この京の都の中でも五本の指には入る変わり者であり、同時に兄さんには勿体ないほどの気質の持ち主だと思い直す。

「あら、何が可笑しいの矢三郎くん」
「いえ、#name_2#さんは器の大きな人だと感心した限りです」
「やだ嫌味?」
「とんでもない」

再び注文した偽電気ブランを口にした兄さんは先ほどから黙ったまま。私が出ていくまでだんまりを決め込むことにしたのだろう。口は真一文字に結ばれており、早く帰れと目が訴えている。空気の読めない弟で申し訳ない。その視線に刺殺される前にさっさと退散することを決めた。

「ではそろそろ私は帰ります」
「もう帰ってしまうの?」
「ははっ、馬に蹴られて死ぬのは嫌なので」

人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ。全くもってその通りである。邪魔する気など毛頭無かったが馬に蹴られて命を落とすのは勘弁したい。狸鍋になるより惨めな死に方にも思えるし、何より私にはまだまだ成すべきことが鞍馬山より高くそびえ立っている。手始めに雑食らしく牛丼でも買って矢二郎兄さんの様子でも見に行くことにしよう。それがいい。

「残念。また飲みましょう」
「ええ」

#name_2#さんの言葉に軽く返答をしつつカウンターからゆっくり離れる。あえて兄さんには何も言わず、顔も見ないことにした。その方が兄さんの為である。
カラン、と#name_2#さんがグラスを空にした音が鼓膜に響いた。一体何杯目なのだろうか。

「何にしますか?」

次のグラスを進める兄さんの声が聞こえる。その声色から想像する兄さんの表情は我ら兄弟にもそして母にも見せたことないものに違いない。


「私にも偽電気ブランを」

#name_2#さんのよく通った見かけによらずハスキーな声が響く。ああ、我が愛しい長兄に幸あれ!すでに脳内の半分を馨しい牛丼にもっていかれている愚弟の私は、奥手すぎる兄さんに向け心の内でそう叫ぶのであった。
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