泣く子も黙る真選組。攘夷志士が命をつけ狙い忍び寄ってくることはあれど、好き好んで近付いてくる一般人などまずいない。
しかし、二月十四日。世に言うバレンタインデー。今や国民的行事となったこの日、屯所には毎年小娘たちが大挙する。理由は言わずもがな、チョコレートを渡すため。相手は真選組切っての男前二人組。甘いマスクの沖田隊長と、色男の副長こと土方十四郎である。この日だけは、むさ苦しい屯所がまるでアイドル事務所状態になる。
門前で色めき立つ小娘たち。しかし残念ながら、沖田隊長は幕府官吏の護衛任務で朝から出払っている。きみたちがチョコレートを手渡すチャンスはない。そして副長は、内勤で籠っている。帳面と睨めっこをして気が立っているようなので気晴らしに外にでも行ってほしいところだが、ここぞとばかりに下心を剥き出しにした女たちの前に副長が現れては火に油だ。余計なトラブルを避けるため、こういったときに矢面に立たされるのが俺という男、山崎退である。
責任持って預かりまーすと大量のチョコを女たちから回収する。ピーピーと文句を言う姦しい声を無視し、美しくラッピングされた箱を次々に。そうして門前の小娘たちを裁いているだけで時間は過ぎ、夕刻になりやっと屯所に戻る。
段ボールには、山を成すチョコレートたち。世の中にはこんなに男にチョコを渡したい女がいるのに、誰一人俺に見向きもしない。
「今年は沖田隊長だな」
原田が廊下をのしのしと歩いてくる。俺は「まだ勝負は決まってない」と早合点は寄せと止める。
この格差には嘆きたくなるが、もうほとんど諦めの境地である。モテない俺たちにできることは、毎年やってくるこの行事で賭けをすることくらいだ。よりたくさんのチョコをもらうのは、沖田隊長か、副長か。今年は原田は沖田隊長、俺は副長に賭けている。ちなみに一昨年も昨年も、僅差で副長が勝っている。真選組副長といえば出世株。顔も金も持っているとなれば飛びつかない理由がない。
まったく、女ってのは現金で嫌になる。俺と原田はチョコを一つずつ数えながらぼやく。
「女は見る目がないよ。顔がいいだけの男なんてどこにでもいるってのに」
「男は中身だ中身。局長を見てみろ。あんなに一途な男はどこ探したっていねえ。おっ、沖田隊長優勢!」
「あのひとはストーカーだから。相手が姐さんだから捕まってないだけのストーカーだから。あー副長も巻き返してきた!」
今年も副長の勝ちか——! と、白熱してきたところで。
ドスッと背中に衝撃。
「警察が賭け事してんじゃねえよ」
副長のどすの効いた声。俺は蹴られた背中を押さえ、副長を振り返る。
「か、賭けてません! 金品は賭けてません! ただ明日のカツカレーを」
「カツカレーだろうとシーフードカレーだろうと賭けは賭けだろうが」
「いやグリーンカレーかもしれません! スープカレーかも!」
「カレーカレーうっせぇんだよ! 切腹すっか? ちょうどおニューの刀が来たんだが、まだ斬れ味を確かめてねえんだ。山崎、そこに直れ」
「なんで俺だけ!?」
抜刀する副長。それを遮るように、のほほんと原田が「それより副長」と顎をしゃくる。
「アンタ宛に今年も大量だぜ。罪な男だねぇ」
副長は色とりどりに包装されたチョコレートを見遣り、苦い溜め息を吐いて刀を鞘に収める。俺はほっとしたが、その表情を女たちに見せたら心底がっかりするに違いない。そして来年からは、もう二度とチョコを渡そうなんて思わないだろう。けれど中には、自分だけは特別になり得るのではないかと淡い思いを抱く子もいるのだろう。
しかし、その恋が実ることは難しい。副長がマヨネーズを嫌いになるくらい難しい。副長は情に厚く絆されやすいが、女に対してはお堅く、あまりいい思い出がなさそうなのだ。そもそも、副長に近付く女なんて容姿や肩書きに惹かれるのがほとんどだ。勝手に惚れて、マヨネーズを啜る姿に勝手に幻滅して去っていく。減点方式の男なのだ。
「さっさと片付けろ。鑑識させて、問題ねえならてめーらで処分しろ」
副長はぞんざいに吐き捨てる。これも毎年のこと。
「ひとつもいらないんですか? 疲れたときは甘いものがいいですよ」
「いらねえ」
副長が自室に引っ込んでいく。俺と原田は顔を見合わせ、チョコレートを片付けていく。結局、今年も勝者は副長だった。
俺たちは、いつ命を狙われるとも知れない。ファンのふりをした女が、チョコレートに毒物を混入させているかもしれない。万に一つの可能性を踏まえ、贈り物はすべて検査に回される。致し方ないことだ。俺のことなど視界にも入れない女たちのことは気に入らないが、憐れに思わなくもない。
日が暮れると門前はすっかり静まり返る。門を閉めようと出ていくと、塀の前の道を一人の女がうろついていることに気が付いた。
波に乗り遅れた土方ファンか沖田ファンか。どうせ報われないのに、よく来るなあと呆れながら歩み寄る。しかし、近付くたびに見えてきたのは、見憶えのある姿だった。
「あれ、ナマエさん……だっけ」
「どぅおっ」
独特の奇声を上げ飛び上がる彼女は、ナマエという名前の女性だ。とある事件をきっかけにして副長と親交を持った子で、俺も顔見知りだ。顔見知りといっても書面上の情報が主で、こうして面と向かって話すのは久しぶりだった。
しかし、彼女は「あ、山崎さん」と肩の力を抜いた。印象に残らない顔だと自覚しているので、憶えてもらっているのはちょっと嬉しい。
「どうかした? あ、それ……」
俺はナマエさんの持っている紙袋を指差す。その意図を察し、屯所を一瞥する。
「副長にだったら、呼んでこようか」
「えっ!? いやいやいや」
ナマエさんが高速で首を横に振る。そんなに拒否することないんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。今機嫌悪いけど、きみには当たらないでしょ」
「機嫌悪いって……忙しいんですよね?」
「書類と格闘してる。でももう平気だよ」
ぐるりと辺りを見回しても人気はない。副長が外に出てきたって問題ないだろう。仮に頬を染める女が潜んでいようと、一人二人なら適当にあしらうだろう。
しかし、バレンタインにわざわざ屯所まで来るなんてナマエさんもまめだ。照れ臭くて狼狽えていたのだろう。そう思い改めて目の前の彼女に目を向けると、ナマエさんはなぜか眉間に皺を寄せていた。とてもじゃないが、恋する女の子の顔ではない。
「邪魔くさくないですか……?」
「え?」
想定外の言葉に思わず訊き返す。その目には下心も淡い期待感もない。強いて言うなら——絶望?
「妹に発破かけられて日頃の感謝を伝えるという意味でいざ用意したはいいんですけど、土方さんってこういう行事をしょうもねぇとか言いそうじゃないですか。でもこんなきっかけがないと、土方さんに贈り物をする機会なんてそうそうないし……ていうか、きっかけがないと日頃の感謝を伝えられないこと自体、申し訳ないなとは思ってるんですけど」
堅苦しい物言いに苦笑いする。バレンタインってそんなに重い行事だったっけ。
「考えすぎだと思うけど……」
「土方さんなんてモテるだろうし、こんなものもらうくらいならマヨの一本でもあげたほうが絶対喜ぶし、なんかバレンタインだからチョコっていう短絡過ぎる考えで自分の渡したいものを渡すのも厚かましい気がして、ここまで来て急に尻込みしてしまって……こんな軽率に動くんじゃなかったって後悔し始めてて……あ、だめだ、やっぱマヨネーズ買ってきます」
「いやどんだけ思い詰めてんの!? こういうのはほら、気持ちだから! そんなに深刻に考えるもんじゃないから!」
本当に帰りそうになる彼女を引き止める。しかしマヨの一本でもあげたほうが喜ぶには同感だ。
ナマエさんは冷や汗でも流してるんじゃないかというほど真っ青になっている。俺は副長と彼女がどんな関係で今も繋がっているのかわからない。しかし、この様子からして付き合っているわけでもないのだと思う。副長は普段、いったいどんな態度で彼女に接しているのだろう。
「実は、昼間にも一度来たんです」
ナマエさんがぽつりと言う。まさかあの波の中に、彼女もいたのか。
「でも、周囲のあまりの気迫に圧されて逃げてしまって」
「ああ、そうなんだ……まあアレは逃げても仕方ないよ」
ここぞとばかりに押しかける女たちに圧倒され、後ろのほうで呆気に取られていたんだろう。今の彼女を見ていると想像に容易い。
「後日でいいかと思ったんですけど、なんかモヤモヤしちゃって」
「モヤモヤ?」
「あの大量のチョコを土方さん、食べ……はしないかもですけど、見るんだなって」
翳る日差しでわかりにくいが、伏せた目は小さく揺れ動いている。風が髪を揺らし、その憂い顔を際立たせる。挙動不審だったのでぼやけていたが、元は美人なのだ。いろいろと相俟って、相殺されているけれど。
しかしどんな美人に誘われたって、副長は簡単には靡かない。俺が知る限り、副長が時間を共にする女性は彼女しかいない。副長と一番近しい場所にいるのは、間違いなくナマエさんだというのに、この自信のなさ。副長も言葉足らずなところがあるので立ち位置が曖昧になっているのだろうが、拍車をかけているのが彼女の性格なのだろう。男女というのは得てして面倒だ。
「……後日が当たり前みたいにあるって、きみだけだと思うよ」
「う、いや、そうかもしれませんけど!」
勢いよく顔を上げたかと思うと、ナマエさんは頭を抱える。
「今日という日は今日しかないわけで、だから、その、後日になったらなんか意味が出てきそうで……今日という日にかこつけて渡しておかないと、言い訳が……」
落ち着きなく言葉を探してみたり、隠すこともなく表情を変えたり。過去に俺が彼女のことを調べたときは、快活でもっときちんとした子だったように思う。いつも笑顔で働き者で、そつない雰囲気があった。こんなにもわかりやすく取り乱す子ではなかった。
きっとどちらも本当の彼女で、嘘はない。嘘はないけれど、凝り固まり張りついてしまったもので、がんじがらめになっていたのも確かだろう。それを解きほぐしていったのは、環境の変化であり他者との交流だ。そして、彼女に一番影響を与えているのは、おそらく副長だ。
副長との出会いが、彼女にとって吉と出たのか凶と出たのか、それは定かではない。けれど確実に、何かが変わっている。目には映しにくい速度で。季節が知らぬ間に移ろうように、土の中で春を待つ芽のように。気付けば暖かな風が吹き、花が咲いているようなものなのだ。
それを無理に押し進めるのは、野暮というものだ。侍は野暮な真似はしない。微小して、歯痒い思いを胸の内にしまう。
「副長は、きみのことを邪険にはしないよ。チョコだってマヨだって、なんだっていいんじゃないかな」
ナマエさんが不安げに俺を見る。それでも眉根を寄せて悩むものだから、手を差し伸べた。本当は面と向かって渡してほしいが、どうにも足は動かなさそうなので。
「うう、恥ずか死ぬ……」
散々悶え、やっとナマエさんが紙袋を手渡してくれる。その紙袋は、チョコレート一箱にしては重かった。手元を見下ろすと、いくつか包装された箱が見える。
「これ、いくつか入ってない?」
まさか全部副長? と訊けば、ナマエさんは「あっ、山崎さんにも」と思い出したように言った。
「俺に?」
「あと沖田さんのも入ってます。あのひと図々しくって、トリュフがいいって注文つけてきて。作ったことないって言ったら溶かして固めるだけだろィとか、何様? と思ったんですけどね。あのエセ王子どうにかなりませんかね」
あはは、と笑うナマエさん。あっけらかんとしたものだ。沖田隊長や俺に対する態度と副長への遠慮こそ、すべてを物語っている気がしてならない。が、これも野暮。もう一度自分に言い聞かせる。侍は、野暮なことはしないものだ。
◇
「副長、失礼します」
返事はなかったが、障子を開けた。むわっと煙草の匂いが溢れ、鼻腔を埋める。文机に向かう横顔は険しく、般若のようになっていた。灰皿には吸い殻が盛られている。
煙草のフィルターを噛んでいた副長がこちらを睨む。俺の手にある紙袋を見つけ、眉間の皺を深くする。
「ンだよ。いらねえって言ったろうが」
「あ、そうですか? さっきそこでナマエさんに副長にってもらったんですけど」
わざとらしく言ってみると、副長の眉がぴくりと動く。
「アイツ来てたのか」
「はい。俺と沖田隊長にもチョコくれました。副長はついでですかね」
「ああ?」
「で、いらないんですね。これも毒物検査して問題なかったら俺たちで処分しますね」
踵を返そうとすると、「オイコラ待て」と止められる。
「寄越せ」
「毒物検査は」
「アイツがンな凝ったことできるタマか。いいから寄越せ」
手を出す副長に、仕方ないという素振りで紙袋を渡す。副長は中から包装された長方形の箱を出し、数秒眺めて机に置いた。俺が見ている前では開けないつもりだ。
「ちゃんとお礼言ってくださいよ」
「わかってるわ。つーか、なんでアイツ顔出さねえんだ」
「副長が忙しいのわかってるんですよ。それとも、顔見たかったんですか?」
「ニヤニヤしてんじゃねえ山崎のくせに。叩っ斬るぞ」
「はいはい」
獣のように威嚇する副長を置いて、部屋を出る。藍色の夜空には、欠けた月が出ている。見下ろせば、残雪の残る庭。雪解け水で土は湿っている。
雪をどかして陽が当たるようにすれば、土の中にある芽は早く芽吹くだろう。日陰に落ちた種は、暖かい場所に移し替えればすくすくと育つだろう。
けれどそんなことをしなくても、いずれ芽は出るし、草木は育つ。
手なんか出さなくたって、それは自然に、必然に。
そしてそれは、たぶん、もう間もなくのこと。
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