人当たりが良く快活で、よく働きよく笑う女。それがあの女に対する印象だった。
「失礼します、副長」
山崎が書類片手に敷居を跨ぐ。机仕事が溜まっていたせいで肩は凝るわ目は霞むわ、疲労が溜まっていた。俺は目頭を揉みながら「そこへ置け」と書類の積まれた机をペンで指した。
「あの銀行員の娘、どうですか?ミョウジナマエ、でしたっけ」
目頭を揉んでいた手を離す。これだけ仕事が溜まってしまっている要因は、今まさに山崎が口にした女と会う時間を作っているからだった。山崎は書類を積み上げ、机の脇に正座した。
「どうもこうもねぇよ。てめえの報告書とは別人だぞ」
「猫被ってるんじゃないですか?」
「そこまで器用にも見えねえが」
「副長カオ怖いからビビってるんじゃないですか?」
「うるせぇしばくぞ」
煙草に火を付ける。煙を肺に流し込むと、いくらか気分が和らいだ。
ミョウジナマエという女に初めて会ったのは、ひと月ほど前になる。それ以前から俺たちはある仕事を請け負っており、山崎に女の身辺調査をさせていた。
ミョウジナマエは、江戸大手の銀行執行役員の長女にあたる。父親には再婚相手がおり、ナマエは前妻の娘だ。再婚後に、父親と現在の妻の間には一人娘が生まれている。父親は妹のほうには随分とご執心のようだが、姉であるナマエに対しては前妻が息災の頃から無関心と言ってもいいほど放任的だったらしい。前妻とは不仲だったせいもあるのだろう。資料に残されていた写真を見たが、前妻とナマエの顔は瓜二つだった。
ナマエは十代の頃から学業と並行していくつものアルバイトを掛け持ちしていた。朝は日も明けきらないうちから新聞配達、昼間は定食屋、夜は居酒屋で日付が変わるまで働き通しだった。一日中忙しなく動き回り、毎晩くたくたになって帰宅する。しかし一晩経てば、疲労など毛ほども見せず仕事場では実に楽しそうに笑っている。上司や客との関係は良好のようで、居酒屋でのバイトの時は酔っ払いの軽口も慣れた様子で躱す。以上が山崎からの報告書の一部だ。
見合いの席を設けることになり、俺はナマエが日中働いている定食屋へ一度だけ立ち寄ったことがある。小さな店だがそれなりに繁盛しており、常連客ばかりなのか、皆一様に砕けた調子で世間話に花を咲かせていた。ナマエは注文を聞いては料理を運び、会計と呼ばれればレジへ立っていた。
「ナマエちゃーん、ビールくれや」
「えー?田所さん、痛風どーしたんですかぁ?今度こそ奥さんに逃げられますよ」
「ナマエちゃん今日のぶんツケといて」
「山際さんツケ溜まってますよ。今度払わなかったら無銭飲食でケーサツ呼びます」
客の名前を一人一人覚え、軽快に会話をする様は、見ていて感心するほどでもあった。
俺が会計に立つと、手早くレジを打ち、また来てください、と笑みを見せた。ついでに、「マヨネーズ摂りすぎは体に悪いですよ」と一言添えて。
しかし、見合いの場で会った女は、そんな表情や言動をこれっぽっちも見せなかった。伏せた目、愛想笑い、つまらない相槌。とっつぁんは酒に酔っていたが、俺は限りなく素面に近かった。目の前の女が、あの日に見た女と同じ人物には見えなかった。貼り付けたような笑顔は、見ているこっちが息が詰まりそうだった。
それから二回、二人で会った。父親がいないせいなのか、若干表情は柔らかかったと思う。それでも、よそよそしさは消えていない。何かする時には逐一俺の意見を伺い、気配りを欠かさない。周囲に目を配り、空気を読むことが身に染み付いているようだった。容姿も悪いわけではない、寧ろ美人と言って差し支えない。普通に生きていれば男の一人二人いそうだが、その影も全くない。
煙草を灰皿に押し付ける。
「てめえのほうはどうなんだ、山崎」
「なかなかしっぽ出さないですねぇ、案外長期戦になるかもしれませんよ」
「……俺のほうから仕掛けるしかねえか」
「副長、俺はこういうの慣れてるんでアレですけど、あまり対象に近づきすぎないようにしてくださいね」
「あん?」
山崎を睨む。言わんとしていることが分かるが故に、つい顔が険しくなる。
「俺がそんなヘマするとでも言いてぇのか」
いやいや、と山崎が青ざめて両手を振る。
「ただほら、副長なんだかんだで女には優しいでしょう?感情移入しちゃわないかなーなんてね、余計な心配でしたね!あ、お茶お持ちしますね!だいぶお疲れみたいですもんね!」
山崎が急いで部屋から出ていく。俺は小さく舌打ちをして机に向き直った。
一週間後、またミョウジナマエと会う約束をしている。自分が父親に利用されていることは重々わかっているだろう。親子仲が冷え切っていても、父親の提案を受け入れ、あの女がこの見合いを続ける理由があるのだろうか。見合いの時もそうだが、あいつが結婚に乗り気ではないことは明白だ。父親に反発するだけの気概がないだけなのか。
こめかみをペンで押す。山になっている書類に、頭が痛くなった。
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