夏祭りの翌日だった。早朝、父はその手に手錠を嵌められ警察車両に連行されていった。黒い隊服とマスコミ、そして騒ぎを聞きつけた近隣の住人たちによって家の周りは固められていた。土方さんの姿も見えたが、彼はなにも言わず、こちらを見ようともせず父と共に車へ乗り込んでいった。無遠慮にカメラのシャッターを切るマスコミを蹴散らし、山崎と名乗る一人の真選組隊士が自宅へ入った。玄関の戸を閉め、目を白黒させる私たちへ状況説明をする。
父の勤める銀行では、表向きは一般企業でありながら、攘夷浪士がバックにつく企業へ融資をしていた。しかも数年前から顧客の金を着服していたのだが、その中心となって動いていたのが父だった。父は攘夷浪士と懇意にしながら幕臣とも繋がりを持っていた。しかし、国を憂い、幕府を転覆させようなどと思っていたわけではない。あくまでも私腹を肥やすために双方に近付いたらしい。
真選組は父の不正を暴き、父と繋がる攘夷浪士を捕らえるため、銀行に潜入した。そして父に体良く近付くために、娘たる私との見合い話を設けた。
山崎さんは、私へ向けて深々と頭を下げた。
「副長との見合いは、かりそめのものだったかもしれません。ですが、副長があなたにかけた言葉には何の偽りもありません。あなたと連絡がつかないときなんか、自分のせいで何か事件に巻き込まれたんじゃないかって血相変えて走ったりして……そんなに器用な人じゃないんです。だから、どうかあの人のことを恨まんでやってください」
表層を取り繕う私に対して、土方さんはいつも真剣に向き合ってくれていた。ぶっきらぼうな態度で、いつも私自身を見ていた。
器用な人だったら、もっとうまく女の子を扱うはずだ。優しい言葉も言えるし、自分の偏食を曝け出すこともしない。きっと嘘をつくなら、墓場まで持っていく。
上がり框を降り、顔を上げてください、と山崎さんの肩を叩く。
「知ってます……土方さんが不器用なことくらい」
山崎さんは、僅かに顔を綻ばせた。
雨上がりのアスファルトの上を自転車で走る。住宅を囲う塀の上では野良猫が昼寝をしていた。魅惑的なその毛の膨らみに手を伸ばすと、すんでのところで開眼し逃げられてしまった。行き場のなくなった手を下ろし、ハンドルを握る。目線を少し先へ向ければ、かつての我が家がある。壁にはスプレーペンキで犯罪者、横領犯などと大きく書かれている。中には、出て行けとも書かれていた。
「もう出てったっつーの」
呟いて、ペダルを漕ぐ。足でペダルを押すたびに、中古の自転車は軋んだ音を立てる。頬を滑る空気は随分冷たくなり、日中も過ごしやすくなった。夏の終わりを感じると、少し寂しくもなる。
父が逮捕されてからしばらくは、ワイドショーも新聞紙も週刊誌も連日事件を取り上げていた。大手銀行の次期頭取の男が攘夷浪士に違法な融資をし、幕府とも癒着していたのだ。世間からの注目度も高かった。父の半生、職務歴、そして家族構成。事件とは関係のない部分まで掘り下げられていた。マスコミは四六時中家の前に居座り、顔を少しでも出そうものなら取材と称してカメラを向けた。個人情報、プライバシーの保護が声高に叫ばれる世の中で、犯罪者の親族にはそれらが与えられていない。世間の矛盾を身に染みて感じた。
無論、百々子は学校にも習い事にも行けなくなった。しかし、子ども心に百々子は父が何か悪いことをしたのだと理解しているようだった。それに加え、夏祭りの日に父が私に暴力を振るう姿を見てからは、父の話題を出さなくなった。夏祭りの日、百々子は物音を聞いて神社の裏へ回った。そこで攘夷浪士に捕まってしまった。自分のせいで私が父にぶたれたのではないかと、しきりにお母さんへ訊ねていたらしい。閉鎖的な日常の中で、鬱憤も溜まるし疑問もあるだろう。しかし百々子は不平不満を漏らさず、家でおとなしくしていた。それでも時々、私の痣を見ては泣きそうな顔で謝った。
百々子よりも先に限界が訪れたのはお母さんだった。憔悴し、家事もままならなくなり、やがて自身の実家へ百々子と共に移った。無理もない。自分の預かり知らぬところで夫が犯罪を犯し、マスコミからも周囲の住人からも四六時中監視されていたのだ。健全でいられるわけがない。
母の実家には、私も一緒に来なさいと言われた。が、断った。私はワンルームのアパートに引っ越した。幸い、バイトで貯めたお金はほとんど手付かずで残っている。しばらく収入がなくても、慎ましいながらもそれなりに生活ができる。
携帯電話が鳴る。画面にはお母さんの名前があった。自転車を止め、跨ったまま通話ボタンを押す。
「お母さん?どうしたの」
「ナマエ、ごめんね、今大丈夫?」
離れて暮らすようになってから、時々こうして電話がかかってくる。
「平気だよ」
「……ねえ、やっぱり、あなたもこっちに来る気はない?」
この誘いも、電話が来るたびに繰り返されている。私は小さく笑う。
「何度も言うけど、行かないよ。こっちにいたいんだ」
「でも」
「結構タフなんだよ、私。後ろ指指されても蔑まれても平気」
「……あなたには、申し訳なかったと思ってるの」
前に聞いたときよりも声に張りがある。徐々に体調も戻ってきているようだ。家にいたときのやつれた顔は、もうしていないだろう。
「なに?急に。お母さん、変だよ」
「そうやってお母さんって呼んでくれること、とても感謝してるの。あなたはいつも私のことを気遣ってくれて、たまに壁を感じることはあったけれど、それでも、娘でいてくれた。あなたが苦しんでいるときに助けてあげられなかったことは、本当に申し訳なく思ってる。謝って済むことじゃないし、こんなことを言っても信じてくれないかもしれないけど、私にとっては、あなたもかけがえのない娘で、家族よ」
電話口の奥で百々子の声が聞こえる。おかーさん代わって!と明るい声だ。きっと手を上げてぴょんぴょんと跳ねているのだろう。
「だから、いつでも電話して。帰る場所はあるんだから」
百々子がしつこくねだっている。お母さんは呆れたように「はいはい」と答え、私の耳には突然甲高い賑やかしい声が飛び込んできた。電話越しに聞く百々子の声は、以前よりも近くに聞こえる気がした。
百々子の話はおばあちゃんとかるたをしたとか、おじいちゃんに釣りに連れて行ってもらったとか、とても安穏としたものだった。都会っ子ではあるが、順応力が高いおかげで田舎暮らしも苦ではないようだ。向こうでは習い事も宿題もない。楽しく過ごしているようで何よりだ。
「おねーちゃん、来年は一緒に花火見ようね」
「……うん。そうだね」
約束だよ、と電話を切る。息を吐いて、再び自転車を走らせる。お母さんの凛とした声と百々子の元気な声が脳内で反芻する。私の護りたかったものは遠くへ離れてしまった。しかし、それを選んだのは他でもない、私自身だ。
噴水の舞い上がる公園に辿り着く。自転車を降り、適当に脇に停めた。
土曜日、昼間のかぶき町。高い青空の下、子ども連れの家族や年若いカップル、小型犬と共にのんびりと散歩をする老人など、性別も年代も異なる人々が集う。噴水の周りには、待ち合わせをしていると思しき人影が点在していた。
その中に、黒い隊服を着た、黒髪の男が一人。噴水の縁に座り、煙草を燻らせている。おそらく本人は全くの無自覚なのだが、相も変わらず目立っている。通りすがる女子たちが漏れなく目を向けていく。
私の足は、その人へ向けて突き進んでいく。
「土方さん」
つまらなそうに煙草を咥えていた土方さんが視線を持ち上げる。
「お待たせしてしまってすみません」
「いや、今来たところだ」
「嘘言わないでください」
「嘘じゃねーよ」
眉間に皺を寄せる、その表情は久しぶりに見た。アイロンのかかった黒いハンカチを差し出す。
「返すのが遅くなってごめんなさい」
「ああ……」
本当は、借りたその日にすぐに洗ってあった。しかし私は家から出ることができなかったし、土方さんも後処理に追われてそれどころではなかった。ようやく連絡ができたのが、三日前。長くコール音が続き、諦めて切ろうとしたところでようやく電話に出た土方さんの声は、以前と何も変わらなかった。
客観的に見れば、被疑者の娘と警察官だ。父が逮捕されてから一月足らず、顔を合わせていれば、どこからマスコミが嗅ぎつけてくるかわからない。たとえモザイクをかけられても、簡単に顔は割れてしまうだろう。そんなリスクを背負ってまでも、顔を合わせて返したかった。
ハンカチを受け取った土方さんは、それを胸ポケットにしまい込む。
「江戸に残ったとは聞いていたが、一人暮らしでもしてるのか」
「はい。ボロアパートですけど、ボロすぎてマスコミも来ません」
土方さんの隣へ座る。背後に感じる水飛沫が涼しい。
「仕事はどうした」
「このあと定食屋のバイトに行きます。しばらく休んでたんですけど、少し前から復帰させてもらったんです」
本当はバイトは辞めようと思っていた。私のせいで風評被害があってはならないからと、定食屋のおばちゃんたちへ告げに行った。しかし、定食屋の夫婦は私を辞めさせてはくれなかった。それどころか、私の身を案じてくれていた。
「ナマエちゃん、あんたがこそこそする必要はないんだよ。あんたのことは私らも、お客さんもよーく知ってる。だから何も心配いらないよ」
「ナマエちゃんがいなくなりゃあ、常連の連中も寂しがっちまう。みんな、ナマエちゃんを待ってるんだからな」
店内でぼろぼろと泣いてしまったことは今思い出しても恥ずかしい。最近の私は涙腺が緩み切っている。久しぶりに出勤した日に、お客さんから次々に温かい声をかけられたときにも泣いてしまった。困惑する人に、笑って励ます人。知らず知らずのうちに、私は色々な人の温かさに包まれていた。
今まで私が執着していた実の両親からの愛情など、どれだけ些末なことだっただろう。血縁関係などなくても、私はこんなにも周りの人たちに支えられ、救われている。十分じゃないか。それだけで、私はこの街で生きていける。生きていきたいと思ったのだ。
ベンチに座っている中年の女性二人組が、口元を手で覆いこちらを見て何事か話している。私が気付くよりも早く、土方さんは察していたのだろう。唐突に立ち上がる。
「じゃあ俺は見廻りの途中だから行くわ」
「土方さん」
呼び止めると、足を止めてくれた。髪を纏めているかんざしの飾りが揺れたのがわかる。
「遅かれ早かれ、こうなっていたんだと思います」
「……」
「だから壊したなんて思わないでください」
私がこの人のことについて知っていることなんて、ほんの一握りだ。肩書きは真選組副長。不器用でぶっきらぼう、時々優しい。あとマヨネーズ信者。
この街で生きたいと思った。あわよくば、この人の隣にいられたらいい。時々会って、一緒にご飯を食べたり世間話をできるなら上々だ。そうして少しずつこの人のことを知りたい。
この感情を恋と呼ぶのか愛と呼ぶのか、はたまたただの好奇心なのかはわからない。いずれにしても、置いていくことはできない。袖振りあうも多少の縁。この縁を切ってしまうのはあまりに惜しい。
「……なんかあったら、いつでも言え。メシくらいなら奢る」
つっけんどんな言い方に、数拍置いて思わず吹き出す。土方さんは不満げに振り向き、なにがおかしい、と睨んでくる。腰を上げる。そろそろバイトの時間だ。歩き出す土方さんを追い越していく。
「今度は焼肉食べ放題とか行きたいですね」
「前から思ってたが、おまえ大食いだよな」
「それ、最初に言いましたよ」
笑う私に、土方さんは呆れたようにため息をつく。季節外れの菖蒲の飾りが、私の髪と共にキラキラと揺れていた。
いずれ菖蒲か杜若 終
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