玄関のドアを叩く音で目が覚めた。
 布団の中から手を伸ばして携帯電話を見遣る。深夜二時を回っている。うっすらと私の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、仕方なく布団を抜ける。
 目を擦り、ドアスコープを覗く。真っ暗だ。しかし、声はたしかに聞こえてくる。
 こんな時間に来訪してくる相手は一人しかいない。私は溜め息をついてドアを開けた。すると、雪崩れ込むように銀時が倒れてきた。咄嗟に避けてしまい、銀時は玄関の床にうつ伏せに倒れた。

「受け止めろよ……」
「ごめん、つい避けた」

 銀時はむくりと起き上がる。その目は虚ろで、いつにも増して生気がない。お酒の匂いもひどい。大方、どこかで呑んでいてふらりと立ち寄ったのだろう。銀時は、時々なんの前触れもなく尋ねてくることがある。
 ぼんやりとした目で私を見る銀時に居心地が悪くなり、「水飲む?」と訊ねる。しかし返答はなく、代わりにぺたぺたと私の顔を触り始めた。無遠慮な触れ方に戸惑う。

「え、何?」
「うん」

 顔から首、肩、腰を触り、最後には抱き寄せられた。突然のことに心臓が跳ね上がる。

「……銀時?」
「うん」
「うんじゃなくて……どうかした?」
「いや、女だなと思って」
「え?」
「オカマに囲まれてて……疲れた」
「オカマ?」

 銀時はぎゅうと私を抱きすくめる。厚い胸板が顔に当たって苦しい。身動ぎすると抵抗されていると取られたのか、逆に力を込められてしまった。密着すると薄い生地の寝巻きから伝わってくる体温や感触が生々しい。情事の最中を思い出してしまい、やましい気持ちに蓋をするように一度きつく瞼を閉じた。そして開ける。視界は暗いまま。
 私は、未だに銀時に触れられることに慣れない。人目も憚らず往来でくっついている男女を見かけることもある。が、銀時は外では恋人然として過ごすことをしない。私も恥ずかしさが勝ってそんなことはできやしないので、それはそれでいい。多分銀時も同じなのだろう。外で触れてくることはまずない。
 ただ、二人になったときに何の脈絡もなく接触があるから、私は心臓を掴まれるような感覚に陥る。惚れた弱みというのか、嫌ではないのだけれど、振り回されている自覚はある。

「ねえ。どこで呑んでたの」

 窓の外からは人の声も車の走る音も聞こえない。私の声は室内に溶けていく。

「バケモノ屋敷みてえなとこ」
「かぶき町じゃないの?」
「そう、なんだけど」

 かぶき町からうちまでは距離がある。近場で呑んで寄るということはままあるけれど、かぶき町から酩酊状態でここまで歩いて、私に会いに来てくれたのだろうか。銀時にとっては酔った勢いでしていることで大したことではないのかもしれないが、私はそんなことでお手軽に喜んでしまう。口八丁なくせに肝心なことには口が重いから、行動に移されると沁み入ってくるのだ。
 ゆるゆると腕の力を抜いていく銀時の首が赤い。銀時は男の人にしては色が白いから、酔うと肌の色の変化が顕著になる。色の変わっている部分に触れると、頬から耳を撫でられる。
 耳の輪郭をなぞられる。自分の指とは違う感触に、ひくりと身体が反応する。
 酒気を含んだ息が迫る。耳たぶを食まれ、肩が跳ねる。
 まずいと思った。銀時の真横にある目が、楽しそうに光る。これはまずい。
 手で胸を押し遣ろうとするも、身体ごと捕まっては成す術がない。片方の耳は指で撫でられ、片方は甘噛みされる。濡れた息が直に耳にかかる。「ナマエ」と名前を囁かれると、背筋がぞくりとした。矢庭に、耳孔を舌が撫でる。水音が脳に響く。

「そっそれ、嫌、だ」
「えー?」

 目が合うと、銀時は目尻を弛ませ、口端を上げる。底意地の悪い笑顔。腰が砕けそうになっている私を支え、銀時が呟く。

「中入っていい?」

 銀時はブーツを脱ぎ散らかして部屋に入る。しかし、危うい足取りでよろめき——「あ痛!!」途中でカラーボックスに足をぶつけて転んだ。

「こっ、小指……小指打った」

 蚊の鳴くような声を出して蹲る。

「大丈夫?」
「大丈夫に見えるか。折れたかもしんない」

 大袈裟な。冷めた声音で「呑み過ぎだよ」と言うと、銀時は涙目で食い下がってくる。

「小指ある? ねえ俺の小指ある? 折れてない?」
「あるある。折れてない折れてない」
「雑! 雑だよ! ちゃんと見ろよ!」
「めんどくさい酔い方しないでよ」
「何その言い草! おまえがンなとこにもの置くからだろ!」
「いつもあるよ。銀時が勝手によろけたんでしょ」
「オメー俺の小指が使えなくなったらアレ、アレだよ、アレできなくなるよ!」
「アレってなに……」

 一向に鎮まらないどころか、更に喚く銀時の前に渋々跪く。足首を引っ張ると「雑だって!」とうるさいので、そっと素足に触れる。突き出たくるぶしが掌に当たる。
 銀時の足なんて、まじまじと見るのは初めてだ。触ると、皮がしっかりしていて肉厚で大きい。撫でると筋の凹凸を感じる。五本の指はどれも太く、指の腹は硬い。痛むらしい小指は曲がってもないが、少しでも当たると顔を歪めるので、捻ったのだろう。

「あとで腫れると思うけど、大丈夫じゃないかな。痛みが長引くなら病院に」

 さわさわと触っていると、銀時が急に足を引っ込めた。

「おまえ、その触り方、他所でやってないよな?」
「え」

 顔を上げると、銀時は「屯所とか」と眉間に皺を寄せている。

「足は……ほとんど診ることない。手とか腕が多い」
「ならいいってわけじゃねえけど。手もよくはないけど。そういうの、他所ではやめろよ」
「いや、手当てだから……。それに私に変な気起こすのなんて、銀時しかいないよ」
「ンなのわかんねえだろ。男は狼なんだから。あと手当てすんなら二人っきりの部屋はナシだから。わかったな」
「うん」

 銀時は労わるように自分の足を摩る。私の手など最初から必要なかったんじゃないだろうか。
 気を取り直して、散らばった小物や仕事の書類をかき集める。その中に、写真が数枚だけあった。
 それは田舎に帰ったときに診察室で見つけた、古い写真だった。見つけたときに持って帰って来たはいいものの、再び見るきっかけがわからなくて、棚の奥底に入れていたのだ。
 銀時はすぐにそれに気付いて、一枚手に取った。銀時が持っているのは、おじいちゃんと、おじいちゃんに肩車されている幼い私の写真だった。
 
「これ、ジジイ?」
「そう。おじいちゃんと私」
「若いな」
「ずっと昔だもん」

 銀時はごろりとその場に寝転んだ。じっと写真を見つめ、床に散乱した他の写真も一枚ずつ見ていく。きれいな写真ではないし、面白みもない。それでも銀時は写真を眺めていた。

「これは?」

 銀時が持っている写真を覗き込むと、それは両親の写真だった。両親だと言うと、銀時はふうん、と答えた。そして一頻り写真を見たあと、半身を起こし、写真をまとめて私に手渡す。

「オカマに、おまえのこと連れてこいって言われてるんだけど」

 精彩を欠く言葉に首を捻る。

「……紹介してほしいってこと? 誰かわかんないけど、どこでも行くよ」
「いやいや、目が腐るよおまえ。お化け屋敷よりも怖いからね。想像の三倍はキツいから。おまえが見たことない世界だと思うな。引いちゃうよたぶん。やめたほうがいいんじゃないかなウン」
「そう? でも、それって……」
「やめたほうがいいって」

 酔っているわりに口は回る。訝しみながら銀時を見るが、ついと目を逸らされる。
 私は、あまり銀時の周囲のことを知らない。銀時が顔が広いのは知っているが、せいぜいスナックお登勢の人たちとしか交流がない。不満というわけではないが、少し不安になってくる。銀時にとって、私は表に出したくない存在なのだろうか。
 腑に落ちないまま「無理にとは言わないけど」と写真を棚にしまっていくと、銀時が背中で唸る。

「あー、悪い、そんなんじゃないんだって」

 居住まいを直し、銀時は気まずそうに目を泳がせる。話すことに悩んでいるのは、真剣になってくれている証だ。しばらく言い淀み、銀時は口を開く。

「触れ回って周りに目をつけられんのも嫌だし、やらしい目で見られたり、ありえない噂を立てられたりすんのが嫌っつーか……。俺の知らないところで広まって、おまえがいろんなところで話しかけられたりとかしたら、困るんじゃねえかって思うとさぁ。それにおまえ、知らない奴でも俺の知り合いとかって言われたら、ホイホイついていきそうじゃん」
「そこまでバカではないよ」
「わかんねえから言ってんの。だから、つまり……そういうことだよ。ガキの頃のことも、こっち来る前までのことも俺には知り得ねえんだから、今くらい……」

 銀時は有耶無耶なまま言葉を切る。私は銀時の話を自分の中で咀嚼し、そっかと頷く。
 かぶき町は毎日が喧嘩とお祭り騒ぎで、休まることのない街だ。素行の悪い集団も多く、特に夜は危ないと聞く。現に、攘夷志士に攫われた経験もある。銀時はずっとそれを引きずっているのかもしれない。
 けれど、銀時が信頼している人々に声をかけられるのは、何も苦じゃない。寧ろ私のほうが、会ってみたいと思う。銀時が大切にしているひとや、一緒に過ごしているひとに。
 それに、私に会いたいと言うのは、きっと銀時を大事に思ってくれているからではないだろうか。どうでもいいと思っている相手に、親しい間柄の誰かができたって普通は気にも留めない。親や家族に恋人を紹介するのと、似ているんじゃないだろうか。
 銀時は深い溜め息を吐きながら、ずるずると姿勢を崩していく。膝の上に重い頭が乗る。

「あー、こんなん、言う気なかったのに」

 かっこ悪りぃ、と両手で顔を覆う。

「私が困らないように、心配してくれてるんでしょ?」
「いやーどっちかっていうと、嫌なのも困るのも俺」

 お酒のせいか、いつもより距離が近い上に明け透けになっている。あまりくっつかれると、どぎまぎしてしまう。けれど、こちらが戸惑っているのを勘付かれると揶揄されるので動揺は隠す。
 そっと髪に触ってみる。白い髪は柔らかく、撫でても押さえても、手を離せば次の瞬間にはぴょんと跳ねる。ボリュームのある髪の下で、温かさを感じる。

「……でも、私は銀時の大事にしてるひとに、会いたいよ」

 落とした声は届いたかわからない。銀時は微動だにしなくなって、やがて寝息を立て始めた。
 ——このままじゃ寝れない……。
 ふと机に目を向けると、銀色の鍵が置いてある。予告なく来ては玄関前で私を待っていることがあるので、渡そうと思っていた、合鍵。朝になって渡せばいいか。
 考えていると、膝の上で頭が動く。脱力した手が落ちると、着物の裾から小さな紙が滑り落ちた。








 ——二時間前


「パー子。アンタ、女できたんだって?」

 化粧室で鏡越しにアゴ美と目が合う。青髭の上の真っ赤な唇が、てらてらと不気味に光っている。

「どっから聞いてきた?」
「ヅラ子から」
「ヅラになんか言ってねえんだけど」
「あら、本当なのね」
 
 アゴ美は口角を上げた。鎌をかけられたことに気付き、まんまとはまってしまったことに気付いて舌打ちをする。オカマもヅラも案外情報通だから、どこかから嗅ぎ付けてきていてもおかしくない。しかし、だからこそあまり知られたくなかった。
 コットンに化粧落としを染み込ませ、顔を拭う。口も瞼も色が取れてすっきりしていくが、後ろでアゴ美が矢継ぎ早に質問してくるから気分は良くない。

「ねえねえ、どんな子? 名前は? アンタ面食いだからどうせ美人なんでしょ?」
「面食いじゃねえし」
「面食いじゃなぁい。だってお天気お姉さんの結野アナだっけ? 好きだって言ってたわよね」

 結野アナに対する憧れと、ナマエに抱く感情は別物だ。それに、ナマエは顔立ちは整っているが、誰もが振り向く美形ではない。愛想はいいので人好きのするタイプで、物腰も柔らかいのでいろいろと総合して別嬪と言われるのだ。でも、笑顔を向けられたり、不意打ちで目が合ったりすると、未だに胸が詰まるときがある。些細なことで振り回されるのも、惚れた弱みだと思っている。
 アゴ美は、大きな掌を俺の肩へ乗せる。

「ねえ。今度、お店に連れてきなさいよ」

 ぎょっとして振り返る。

「ああ? 絶対無理!」
「別にアンタが女装して店出てるときじゃなくていいのよ。普通に飲んで食べてお話したいだけよ。ね、いいでしょう?」

 アゴ美が科を作るが、却って寒々しい。

「てめーらなんか見たら目が腐るわ」
「どういう意味だコラァ」
「いだだだだだだ」

 肩に爪が食い込む。心は色恋の好きな女でも、体躯は立派な男なので力も相応だ。
 呻いていると、化粧室のドアが開く。立っていたのは髪を横に流したヅラ子、もといヅラだった。

「アゴ美殿、西郷殿が呼んでいる」
「あずみよ。じゃあパー子、近々ちゃんと紹介しなさいよ」

 アゴ美はひらひらと手を振って部屋を出ていった。俺は肩を摩りながら、その背中を見送った。
 アゴ美と入れ替わりになったヅラは、俺の隣に座って化粧を落とし始める。元が女顔なだけあって女装も様になっているが、動く手はやはりごつごつとしている。
 
「何やら問い詰められていたな」

 ヅラは微笑しながら言った。優位に立たれているような気がして、むっとして返す。

「オメー、あいつらになに吹き込んだ?」
「ここは楽しく酒を呑む場だぞ。貴様の浮いた話なんぞ格好の酒の肴じゃないか」
「勝手に肴にすんじゃねーよ。干物でもしゃぶってろ」
「皆気になるのさ。おまえがそんなに大事にする相手なら、余計にな」

 いい迷惑だ。自分のことはともかく、ナマエには夜の世界とは距離を置いてほしい。ゴロツキやはみ出し者がうじゃうじゃいるような場所には連れてきたくない。それに、女装して踊っている姿なんかできれば見せたくない。なけなしのプライドが反発する。

「しかし、噂はあるのに影も形もないというのはなぜだろうな」
「あんまり詮索しないでくんない」
「はっ、まさか銀時、あまりにモテないから実在しないのに架空の恋人を生み出し、噂を自ら流しているのか? それとも空気嫁か?」
「はっ、じゃねーよ。実在するわボケ」

 万事屋に時折来る女——というので近所にはそれとなくナマエのことは知れている。が、ヅラのテリトリーまでには広まっていないらしい。敵対する真選組の女中だなどと知れたら厄介だ。不用意に関係のない人間を傷付けるような男ではないとわかってはいるが、この電波野郎が考えなしにナマエへ余計なことを言わないとも限らない。
 ——余計なこととは、何だろう。
 自問自答する。過去の女関係のことか、辿ってきた道のことか。愚直なナマエに見せられないもの、聞かせたくないことは掃いて捨てるほどある。後ろめたいこともあるし、取り返しのつかないこともたくさんしてきた。聞かせられることのほうが、少ないのではないだろうか。
 化粧を落とし終えたヅラが髪をほどく。嫌味なほどストレートな髪が、重力に倣ってすとんと落ちる。

「実在するなら、周知させるのも必要なこととは思うぞ。取りこぼしたくないのなら尚更だ」

 ヅラの言うことも一理ある。知らない人間ばかりの場所よりも、知り合いの多い場所のほうが救いの手が増えることもある。しかし、面映い気持ちはあるし、醜い独占欲もある。今はまだ、自分の中だけで噛みしめたい。

「女のこととなると、貴様も無口になるな」

 小馬鹿にしたような言い方に、ヅラを睨む。

「うるせえな。講釈垂れて、面白がってるだけだろ」
「半分はな」
「てめえ」

 ヅラはすっくと立ち上がり、見たいドラマがあるのだと手早く着替えを始めた。「エリザベスは」と訊くと、今日は友人宅に泊まりだそうだ。本当に友人なのか定かではないが、ヅラは疑っていないので深追いはしない。あのペンギンおばけは、ヅラのいない場所で何をしているかわかったものではない。
 早々に着替えを終えて、ヅラはロッカーを閉めた。

「しかし、銀時にも腰を落ち着ける日が来るとはな。特定の相手を作るのを避けてただろう。遊び呆けていたかと思えば、ちゃんとした恋愛もできるのだな」
「最近はガキ共もいるし控えてたっつーの。ていうか、俺の息子は元々控えめな奴だから。土曜八時も暴れん坊将軍じゃなかったからね。まあ今は時々暴れん坊将軍だけどね」
「見栄を張るな。銀時が糖尿で勃起不全気味だと新八くんが」
「あー間違ったわ! 時々どころか毎晩暴れん坊だった! 土曜八時どころか週七で朝まで暴れまくりだわ! 腰なんか落ち着く暇もないわ!」
「いや……それはそれで病気だぞ、銀時。相手の身体を労れ」
「てめーが勃起不全とか言うからだろうが!!」

 新八はあとでシメるとして。こういう、品がなければ節操もないやりとりをナマエに聞かせたくないから、夜の街から遠ざけている理由のひとつだ。苦笑いされて終わるのが目に見えている。それに、慣れてしまって耐性をつけられても面白くない。反応を楽しめなくなる。
 ヅラは最後に腰に刀を差し、襟を正す。艶やかな着物から地味な着物。女装の顔から精悍な武士の顔へ変わる。

「暴れん坊でも寂しん坊でもいいが、銀時は女を見る目がないからな。いつだったか、やくざの女に手を出したとか言ってただろう。今度の相手はちゃんとしてるんだろうな。定職に就いた真面目な女子だろうな」
「なんで娘の彼氏を査定するお母さんみたいなこと言ってんだよ気持ち悪い! 心配いらねーよちゃんとした奴だから!」
「ちゃんとした子なら今度会わせなさい。あいさつにも来ないなんてお母さん許しませんからね!」
「わかったわかったよ! アイツ仕事もあっから今度な!」

 言った途端、化粧室のドアが勢いよく開いた。外から雪崩れ込んでくるのは派手な着物を着た、青髭を蓄えた逞しい軍団。その筆頭にいるのが、かまっ娘倶楽部のオーナーである西郷だった。全員がにやにやと不気味な笑顔を浮かべている。
 血の気が引くのを感じた。言ってはならないことを口走ったと直感する。

「言ったわね? パー子」 

 地を這うような声で西郷が詰め寄ってくる。俺は狼狽しながら後退りする。

「えっ、何を?」
「ここにいる全員が証人よ。ちゃんとアンタの可愛い彼女を連れてくるのよ。うちの大事なパー子とお付き合いしている女だもの。私たちが不足のない相手か見定めてあげるわ」
「いやいやいやおまえら面白がってるだけ」
「そうと決まったら今日は前夜祭よ! さぁ出会いから馴れ初めまでじっくり語ってもらいましょうか!」
「そんなもんただの公開処刑だろうが!」

 野太い歓声が上がる。俺は西郷に担ぎ上げられ、強制的に酒席に連れ出された。
 その後、散々飲まされ、酩酊状態になるまで付き合わされたことは言うまでもない。店を出る頃にはすっかり千鳥足になっていた。
 酒を蓄え、火照った身体を夜風が包む。向かうのは、ナマエの家だ。どんなに朦朧としていても、その道は憶えている。
 どっと疲れているのに、気分は悪くなかった。酒を呑んだあとは、無性に会いたくなる。心地良いほろ酔い気分のときも、吐くほどしんどいときも。隣にいたらいいのにと思う。そうして、本能の赴くままに会いに行く。ふらふらと時間関係なくやってくる俺を、ナマエは呆れながら招き入れる。眉を顰め、呑み過ぎだと注意する。
 玄関前に着いて、暗い小窓を見遣る。寝てるか。頭の片隅で思ったが、ドアを叩いた。名前を呼ぶ声はあまりにも情けない。
 けれど、酔っ払いの奇行だとあきらめて、受け止めてほしい。その役目は、ナマエにしかできない。
 間もなくして、ドアが開く。もたれかかっていた俺は玄関に勢いよく倒れた。

「受け止めろよ……」
「ごめん、つい避けた」
 
 その後のことは、記憶が薄い。いらないことを言った気がしてならないが、目覚めて早々に合鍵を渡され、昨夜のことは割とどうでもよくなった。二日酔いの頭痛も一瞬吹っ飛んだ。

「朝ご飯、何か食べる? パー子」
「あー味噌汁だけ…………あっ?」

 反射で返事をしてしまった。首が折れるくらいに勢いよく振り返る。ナマエが笑みを浮かべ、紙切れを顔の前に出す。かまっ娘倶楽部の名刺——。

「パー子なの?」
「てめッ、どこから!」

 ナマエが楽しげに、ころころと笑った。





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