うだるような暑さの日が続いていた。外回りから戻ってきた隊士が次々に食堂へなだれ込んでくる。代謝が良いせいで汗っかきな連中が多いので、食堂内は冷房が効いているにも関わらず、一気にむさ苦しくなる。
報告書の作成に半日を潰してしまった俺は、汗の匂いを撒き散らす連中に紛れて空いた席に座った。今日の昼飯はカレーだ。そこら辺の店で食べるカレーも美味いが、俺は屯所の食堂のカレーは特別美味いと思っている。たくさんの量を作るから美味しいんですよ、とナマエちゃんは言っていた。そういうもんだろうか。料理なんてしない俺にはちっともわからない。
向かいの席には沖田隊長が座っていた。正午の情報番組を眺めながらカレーをのそのそと食べている。汗一つ浮かべていないが、その表情は疲労で曇っていた。今日は内勤だったはずだ。
「沖田隊長、今日は……」
「始末書」
「ああ、また街中でバズーカ撃ったんですか」
沖田隊長は「土方が避けるからでィ」と的外れな八つ当たりをした。書類仕事が苦手なのに、懲りずに街を破壊するのが悪いのではないだろうか。が、暖簾に腕押しなので黙っておく。
カレーを持った若い隊士が二人、喋りながら俺の隣に並んで座る。
「ナマエさん可愛いわー」
「癒されるなあ」
話題はナマエちゃんについてだった。沖田隊長の向こうにいる彼女を見てみる。女中仲間と談笑しているナマエちゃんがいる。隣の二人はその様子を眺め、頬を緩めている。
ナマエちゃんが屯所で働き始めて、一年以上経つ。仕事はきちんとするし愛想も良い彼女はあっという間に屯所に溶け込んだ。誰に対しても笑顔で接し、気遣いもできる。そんな彼女に淡い恋心を抱く隊士は少なからずいる。
「彼氏いるのかなあ」
沖田隊長は素知らぬ顔をしている。この手の話題は聞き慣れているのだろう。俺はカレーを頬張りながら内心でツッコミを入れていた。残念ながらナマエちゃんには男がいるのだ。それも君らでは武力でも胆力でも到底叶わないような、厄介な男。
「いるだろ。可愛いし美人だし」
「でも全然男の匂いしなくね?」
「だよな。なんか想像できねー」
「でもそれが興奮するよな。ああいう女が意外にエロかったり」
「おま、AVの見過ぎだろ」
ぎゃははと哄笑が響く。男同士というのはどうしてこう、下世話で品がないのだろう。俺もこいつらと同じものをぶら下げているのだが、分別はつけているつもりだ。監察たるもの空気を読むのも仕事である。
沖田隊長を一瞥する。やや伸びた茅色の前髪の奥で、その目がひんやりと冷たくなっていくのがわかった。
ああ、これはまずい。そう思い口を挟もうとすると、彼等の前にカレーの乗ったトレイが音を立てて置かれた。視界を塞ぐように席に座ったのは、万事屋の旦那だった。
隊士二人はぽかんとしている。突然目の前に現れた真選組でもない銀髪の男が、不穏な雰囲気を隠そうともしないのだから仕方がない。俺は安堵したような、逆に肝が冷えるような複雑な気持ちだった。
「旦那、今日は何の仕事ですかィ」
少なくとも沖田隊長の目の色は元通りになった。自分よりも冷静ではない相手を見ると落ち着いてしまう、そういう現象だと思う。
「障子の張り替えだよ。オメーだろ、所構わず爆破してんの」
不機嫌な旦那は低い声で答えた。わざと足を大きく広げて座っている。腕を無意味に隣の椅子の背凭れに乗せ、幅広く席を占領する。
「それより沖田くんさあ、おたくの部下、ひとの女をジロジロ見るとかズリネタにするとか、一体どういう教育してんの?」
じろりと旦那が隊士を睨む。その眼光に二人が息を呑んで震え上がった。堪らなくなったのは俺のほうで、「旦那、コイツらまだ新人なんで」と苦笑した。しかし旦那は追撃の手を緩めない。相当腹にキている。
「関係あるかボケ。言っとくけどオカズにすんのも許さねーから。そういう目で見るのやめろよ。ナマエはそこら辺の女と違うから。俺のだから。知ってると思うけど」
「そういうわけだよ、君ら。命が惜しかったらナマエちゃんのことは諦めな」
俺の言葉に隊士は怯えたように激しく頷いた。
苛立ちは鎮まらないようだったが、旦那は渋々眉根を寄せたままカレーを掬った。沖田隊長は呑気に「福神漬けいりやす?」と訊いている。
ナマエちゃんに恋人ができたという一報は、瞬く間に屯所内に広まった。そして、相手があの万事屋の旦那であるということも、間も無くして皆の耳に触れた。驚く面々もいたが、一部では得心がいったという連中もいた。俺もそのひとりだった。
彼女の恋人がどこにでもいるような優男なら略奪の機会もあると粘る奴もいたが、相手が旦那と知ると手を引かざるを得なかった。
「やっぱこんなとこ辞めさせりゃよかった」
旦那は早々に半分ほどカレーを平らげ、水を飲んだ。隊長は興味深げにまじまじと旦那を見た。
「余裕がないんですねィ」
「だってさぁ」
旦那はぐるりと辺りを見回した。隊士たちが大勢集まっている。カウンターに並んで、ナマエちゃんと話している者もいる。何を話しているのかは聞こえないが、楽しそうだ。女というのは大概気分屋で男には理解し得ないところが多々あるが、ナマエちゃんにはそういう浮き沈みがない。いや、本当はあるのだろうが、目に見える形ではないので俺たちは気負わずに接することができる。
旦那はじっとその様子を見たあと、姿勢を戻して食事を再開する。男に囲まれているのが気に食わないのだろう。共感できないこともないが、心配が過ぎるのではないかとも思う。
たとえば、隊士の誰かがナマエちゃんに愛の告白をしたとて、万に一つもナマエちゃんが頷くわけがない。旦那を差し置いて、そんな不義理、不誠実を働くような子ではない。
それは旦那が一番わかってるはずで、けれどやはり納得できないのが男心というもので、つまり男は面倒な生き物なのだ。
ふと気付くと、カウンターからナマエちゃんが出てきていた。俺と目が合うと、人差し指を立てて口元に当てる。真意がわからずとりあえず黙っていると、ナマエちゃんはそっと旦那の背後に立ち、手に持っていたブロックの氷を旦那の首元に滑り込ませた。
「うおあ!」
旦那が奇声を上げて飛び上がる。氷は首を滑り、服の中を進んでいったようだ。ナマエちゃんはけたけたと無邪気に笑っている。旦那はすぐさま振り返り、氷を落とすようにジャージを摘む。
「あははっ」
「あははじゃねーよ! あっ冷た!何個入れてんだよ!?」
ジャージを摘んではためかせるが、氷はズボンに引っかかってるらしい。
一頻り笑ったあと、ナマエちゃんは滲んだ涙を指で拭って旦那に微笑んだ。
「銀時、みんなまだ仕事なんだから邪魔しちゃだめだよ」
あまりにも無邪気な笑顔を見せるものだから、毒気を抜かれたように旦那は押し黙ってしまった。斯くいう俺たちも、思わず見入ってしまっていた。いつも見ている彼女の笑顔は謂わば体に染みついたもので、彼女は自然に笑えば、まるで少女のようになるのだ。そして、とてもやさしく目尻を下げる。
いたずらが成功して満足したのか、ナマエちゃんはじゃあね、と上機嫌でカウンターへ戻っていった。旦那はしばらく立ち尽くしていたが、やがて席に座り直した。後ろ首を掻きながら唇を尖らせる。
「なんだよアイツ。氷突っ込んで帰るってどんな愉快犯? ていうか、俺だって仕事だし」
ぶつぶつと文句を言いつつも、旦那は満更でもなさそうだった。自分にだけ向けられるものが——というより、構ってもらえたことが嬉しいのだろう。先程の彼女の目には、間違いなく旦那しか映ってなかった。
もう、入る余地などないのだ。隊士二人はそれを悟り、俺はなんだか惚気に当てられた気分になった。それは沖田隊長も同様で、溜め息を吐いて頬杖を着いた。
「旦那、とりあえず死んでくだせィ」
「えっなんで!?」
「イラッときたんで」
「理不尽!」
その後の旦那の仕事ぶりは言わずもがなだ。そして仕事を終えると、ナマエちゃんと並んで帰っていった。微妙な距離を空けていても、歩調を揃えて歩いていく。そんな二人の姿は、少し羨ましかった。
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