※2021年 坂田銀時誕生記念
スナックお登勢から漏れる明かりが夜道を照らしている。徐々に近付いていくと、賑やかな声も聞こえてくる。
しまった、もうお開きに近いのだろうか——心配しながら進むと、ちょうど引き戸が開いた。
予期していなかったのでお互いに一瞬固まり、しかし銀時はすぐに「言ったっけ」とこぼした。言ってないね、と私は答え、銀時を見上げる。恨めしい気持ちを込めて。
「新八くんたちに聞いた」
きょとんとしていた銀時は「余計なことを」と眉根を寄せた。
「つーか夜に一人で出歩くなって言ったろうが」
額を小突かれ、軽い衝撃に目を閉じる。銀時は私が夜に一人で出歩くことを禁じている。少女でもあるまいし心配性が過ぎるとも思うけれど、一度危ない目に遭っているので、その点については反論できない。額を撫で、体を傾ける。
「まだみんないる?」
「いるけど、おまえ入んないほうがいいよ。酒乱が暴れてっから」
店内を覗こうとすると、体で遮られた。銀時は後ろ手で戸を引き、きちんと戸を閉める。僅かに流れてきたお酒の匂いも途絶える。しかし、ほんの少し鼻腔に残るものがある。銀時から香っているものだった。
銀時はのろのろとスナックを離れ、万事屋に繋がる階段に腰掛けた。頭を俯け唸っている。
「呑みすぎた?」
「呑まされたんだよ」
隣に座り、背中を摩る。着流しの奥の背中は熱い。その熱さから、もう誕生日会は長い時間続いていることを悟る。
銀時の誕生日を知ったのは、つい最近のことだった。当日はスナックお登勢でパーティをする予定だと聞いたのは新八くんからで、私が来れば銀時が喜ぶと言ってくれたのは神楽ちゃんだった。当の本人からは何も聞いていなかった。誕生日さえ知らなかった。
これまで話題に上らなかったので仕方ないのだけれど、教えてくれてもいいのに、とは思った。でも、額面上は恋人同士だ。日が近づけば教えてくれるかと待っていた。しかし、結局当日になっても音沙汰はなく、思惑は灰になって消えた。
心地良い秋の夜風が吹き抜けた。談笑が耳に優しく流れる。何人くらい集まっているのだろう。聞き慣れた声もあるけれど、皆とても楽しそうだった。
わざとらしく恨み言を言ってやろうと画策していたものの、賑やかな声や、酔って赤らんだ顔を見るとそんな気も失せた。
「髪の毛どうしたの?」
銀時の横顔に髪が張り付いていたので避ける。髪を梳くと、白く指にべたつく感触。生クリーム? と訊きながら指を擦っていると、銀時に手を取られる。その手を口元に持っていこうとするので、咄嗟に銀時の頬を押し退けて防いだ。首を無理に曲げられ、銀時はグェっと潰れた蛙のような声を出した。
「おまえ、首折れたらどうすんだ」
「何するつもりなの」
「何って、ナニ?」
「酔っ払い……ここ外だからやめて」
言いながら自分のハンカチを出して生クリームを拭った。銀時は素面なら絶対にしないようなことを、お酒が入ると前触れもなくするきらいがある。外では手を繋ぐことさえしないのに。
「顔面にケーキ喰らったんだよ。おかしいだろ、主役にする仕打ちじゃねえよ」
銀時は不満げに首を撫でた。なるほどと合点がいってしまう辺り、ずいぶん街に慣れてきたと思う。ちょっとやそっとじゃもう驚かなくなっている。
「ケーキ食べた?」
「いくらも口に入ってねえよ」
「じゃあ買ってくればよかったか」
「あー、てかおまえ手ぶら?」
銀時はまじまじと私を見た。たしかに手土産はない。
「教えてくれなかったのは銀時でしょ」
「それは別に意図してたわけじゃなくて」
「一昨日会ったのに」
「そんときはおまえ、ちょっと話しただけだったじゃねえか」
一昨日は、仕事の買い出し中にたまたま街で出会した。立ち話をしてすぐに別れたけれど、あさって誕生日なんだ、という一言くらい言えたはずだ。
銀時が自分のことを話したがらないのはいつものことなので、仕方ないとも諦めていた。でも、やっぱり言ってほしかった。どちらも本当の気持ちで、誘われてないのだから今日は来ないでおこうかとも思った。結局、来てしまったけれど。
「私には来てほしくなかったんだ」
「いや、理由があんだよ。ちゃんとした理由が」
「いいよ。顔見れたし、もう帰るよ」
腰を上げようとすると、肩を掴まれて動けなくなった。酔いのせいで力加減ができないのか、焦っているのか、相当力強い。
ちょっとした反発と、拗ねてみただけだった。本気ではないのに、それが見抜けないのか慌てた様子で「違うんだって」と銀時が否定する。
「あれだ、別に祝われて嬉しい年でもないし、てかサ◯エさん方式で俺ら年は取らないし、こういう、大勢で酒呑んで騒ぐのおまえ嫌いだろ」
「嫌いじゃないよ」
「いやいやいやオメーは知らねんだよ。酒くせーし煙草くせーし、神楽はあるもん全部食うし、新八はメガネだし、お妙はお祝いと称してダークマター量産してくるし、ヅラは呼んでもねえのに来るし、長谷川さんなんかタダ酒だっつってここぞとばかりに呑みやがるし、おぼこ女は呑んで暴れるし、ストーカーも溢れるし新八はメガネだし」
「新八くん二回言ったよ」
「メガネが一人でも二人でもどっちでもいいんだよ! 俺が言いたいのはだな、おまえ愛想いいからすぐ絡まれるし、お人好しだからガキの世話したり……俺の誕生日なのにね!? 俺んとこ全然来ないんじゃねえかって、あっ間違えた、今のなし。だからつまり、そんなん狼の群れに子羊一匹放り出すような暴挙だと思うのよ。バケモノの巣窟におまえがいたら嫌なんじゃねえかって心配して言ってやってんの! てか! そんなん嫌なのは…………俺だけど」
怒涛の勢いから一転、銀時は萎むように小さくなっていった。肩に置かれていた手は離れ、そろそろと顔を背けていく。
何度か瞬きをした。そして、湧き上がった疑問をぶつける。
「……いつも、何も言わないよね?」
「……何が」
少しぶっきらぼうに返される。目は合わせてくれない。
私がスナックお登勢にいても、誰と話していても、銀時は文句の一つも言ったことがない。お酒の席で見ず知らずの人に声をかけられても——大概、銀時の知り合いなことが多いけれど——銀時が眉を顰めたことはなかった。江戸に何のつてもなかった私に知り合いが増えていくのは、銀時のおかげだった。銀時が私の世界を広げているのだ。
「……そりゃおまえの知り合いが増えるのはいいことだとは思うよ。身一つでこっち来たんだし。でも、あんま言いたくねえけど、面白くねえことだってあんだよ」
どこか先の方を見ながら銀時がこぼしていく。私は黙って耳を傾ける。
「ニコニコしてんなよとか、あーあのオッサン今触りやがったとか、結構思ってんだよ、内心では。小せえ男みたいで言わねえけど、って言っちまってるけど。おまえには俺だけでいいなんざ思わねえけど……いや、ちょっと、稀に思うけど。そんな過激派? みたいなこともたまに思うけど。おまえはそういう俺でも、たぶん受け入れちまうんだろうなって思うと……」
自惚れ? とようやく赤い目がこちらを向く。遠慮気味に、窺うように私の反応を見ている。自惚れじゃない、と私は首を横に振る。銀時は安心したような、呆れたような複雑な顔で息を吐いた。
「だよな。まあ、言うこと聞くかは別だけど、そういう奴だよな」
銀時のやさしい声が耳へ流れていく。正面から見つめ合っていると、後ろ首に手が回ってきて顔を引き寄せられる。ふっと触れた唇が離れると、銀時は目を伏せた。
「だから、その、なんだ……言わなかったのは、おまえと二人になりたかったからで……ここ終わったら、会いに行くつもりで……そういう腹積もりだった」
「……一言言ってくれてもいいのに」
「サプライズ的な? 誕生日でーすみたいな」
「……普通逆じゃない?」
「……逆だな」
目を合わせて笑い合う。すぐ隣の喧騒が遠くに感じられるほど、長く唇を合わせた。湿った熱い息が混ざり合い、酒気にくらくらし始めた頃、銀時が囁く。
「二階行く?」
でも、と躊躇うと、強請るように下唇を食まれる。息が抜け、銀時の肩を押す。しかし、びくともしなかった。
「みんな待ってるから戻らないと」
「おまえといたい」
膝が擦れ合い、ぎゅう、と手を握られる。籠った熱と率直な言葉に心臓が破裂しそうなほど高鳴る。緊張と動揺で頷けずにいる私の手を強く引き、銀時が立ち上がる。うまく力の入らない足をどうにか動かし、階段を上がった。鼓膜を震わせる足音と、虫たちが奏でる音色。十月十日が終わるまで、あと数時間。肝心の一言も言えていなかったと気付くのは、日を跨いでからだった。
暗い部屋の中で時計を見遣り、あ、と呟く。銀時は不思議そうに私を見る。過ぎてしまったけれど、と手を伸ばしてその輪郭を撫でた。
「誕生日、おめでとう」
銀時は表情を静止させ、眉を下げる。そうして、「遅えよ」とゆるやかに微笑んだ。
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