江戸中心街の巨大ディスプレイを見上げる。画面の中では、四角い顔のキャスターが淡々と原稿を読んでいた。内容は、最近江戸で流行っている風邪について。なんてことはないただの風邪だが、長引くことが多いので、手洗いうがいはきちんとしましょう、ということだった。
 ニュースは切り替わり、真選組が映る。街中で騒動を起こした攘夷浪士を捕らえた、というものだった。私は見慣れた顔をぼんやりと眺めていたけれど、雨風が着物に吹き付けて急いで歩を進めた。
 ——なんで白夜叉が……
 白夜叉。私を拐った攘夷志士が呟いていた。それは銀時を指していた。そんな異名があるのだろうか、あの銀時に。
 風を遮るように傘を傾けて歩いていると、女性向けの着物を売っている店の前で、煙草を吹かしている長谷川さんを見つけた。声をかけると、やあ、と鷹揚に手を上げてくれた。

「傘ないんですか?」
「急に降ってきたからね」

 その足元には雫ができていた。茶色い羽織は重そうに水分を蓄えている。私は自分の傘を差し出した。

「私のでよければ」
「気にしないでよ。止んだら勝手に帰るから」
 
 長谷川さんは苦笑している。しかし、先程から奥の店内で女性店員たちがこそこそと何か話している。背を向けているので長谷川さんは気付いていないようだ。
 私はやはり傘を長谷川さんのほうへ差した。

「長谷川さん、一緒に帰りましょう。そのままだと風邪引いちゃいます」

 長谷川さんは面食らっていたが、後頭部を掻きながら遠慮気味に傘の中へ入ってきた。

「じゃあ俺が持つよ、ナマエちゃん」

 路上の灰皿に煙草を押し付け、傘の柄を持って長谷川さんはゆっくりと歩き始めた。
 長谷川さんと初めて会ったのは、レンタルビデオ屋の前だ。銀時が看板持ちをしていて、そのとき長谷川さんは臨時店長をしていたらしい。しかし、その後すぐに店長の役目を終え、無職に戻り、新しい仕事に就いたと思ったらまた無職になり——それを繰り返している。
 仕事で買い出しに出ることの多い私は、時折街で長谷川さんと会っては世間話をする仲だ。世間話とは言っても、半分は長谷川さんの愚痴を聞いているだけだけれど。悪い人ではないのに、長谷川さんの人生は好転する兆しがない。

「こんなオッサンと相合傘なんかする物好き、ナマエちゃんくらいだろうなぁ」
「相合傘って久しぶりに聞きました」
「えっ?死語? これ死語?」

 世間に取り残されていくよ、と嘆く長谷川さん。私は小さく笑っていた。

「あ、でも銀さんには内緒にしておいてね、こんな風に俺と歩いたこと」
「どうして?」
「前にさあ、一緒に呑んだときにナマエちゃんのこといい子だって話したのよ。こんなマダオの愚痴聞いてくれるし、気立ても良いし。そしたらアンタが語るなって足踏んづけられてさぁ」

 長谷川さんは自分の足元を見遣る。怪我はしていないようたが、苦笑いしていた。

「ご……ごめんなさい」
「いやいや、ナマエちゃんが謝ることないんだけど。銀さんも若いなと。ああいう銀さん、珍しいから」

 長谷川さんと銀時は、よく一緒にお酒を呑む仲だ。ギャンブルなんかも二人揃ってするようで、飲んだくれたり一文無しになったりしては、神楽ちゃんによく軽蔑の眼差しを向けられている。年は離れているようだが、馬が合うのだろう。
 すれ違う人の腰に、刀が見えた。私はなんとなくそれを振り返った。それでも足は止めなかったのだが、長谷川さんは気が付いて「どうかした?」と訊ねる。

「いえ……」
「なに、困りごと? いつもナマエちゃんには話聞いてもらってるし、オッサンでよければ相談くらい乗るよ」

 伊達に年食っちゃいないからね、と長谷川さんが笑う。
 長谷川さんなら、知っているだろうか。迷ったものの、あまり深刻な雰囲気にならないよう訊ねる。

「白夜叉って、なんのことか知ってますか?」
「あの伝説の攘夷志士の?」

 あっさりと返答があった。そして、長谷川さんは流暢に語り始める。

「白夜叉っていや、そりゃあもうバケモノのような強さの攘夷志士さ。攘夷戦争後期に活躍した伝説の男だよ。まあ、戦争が終わってからは行方知れずで、あんまりはっきりとした素性も知られてないんだけどね……。なんでも、戦場を駆ける真っ白な姿は鬼とも言われていたとか」

 攘夷戦争。真っ白な姿。私の頭の中に、真夏の川に倒れていた血まみれの銀時の姿が浮かんでくる。予感はしていた。察しもついていたけれど、確信に触れたことはなかった。銀時が話さないことを私が踏み込んでいくことはできない。
 目を伏せた私を長谷川さんが怪訝そうに覗き込む。

「ナマエちゃん?大丈夫?」

 私はかぶりを振った。

「大丈夫です。すみません、変なこと」
「あーそうか。ナマエちゃんも真選組で働いてるんだもんな。でもあんまり、野蛮な話には首突っ込まないほうがいいよ」

 身を案じてくれる長谷川さんに微笑み、頷く。さもありなん、とでも言えばいいのだろうか。私はそれほど驚いてはいなかった。たとえ銀時がそうであっても、そんなことで手を離したりはしない。が、銀時が私との間に一線を引いていたのは、おそらくそれが起因しているのだろう。勝手な憶測なので、本当のところはわからないけれど。
 長谷川さんとは、古い木造アパートの前で別れた。今度銀時も連れて呑みにでも行こうと約束をした。
 帰路に着いている途中、携帯電話が鳴った。電話口から聞こえたのは神楽ちゃんの声だった。





 明かりのついていない万事屋は、雨空のせいもあり薄暗かった。和室の襖を開けると盛り上がった布団が一組敷いてある。そっと近付いて覗くと、銀時が固く瞼を閉じていた。

「銀ちゃんが風邪引いて、寝込んでるアル」

 神楽ちゃんは電話口でそう言った。銀時は移すと看病が面倒だと言って神楽ちゃんを新八くんとお妙さんの元へ追いやり、昨日から一人で布団に籠っているそうだ。

「昨日のいつから?」
「昼過ぎネ。バーさんが様子見に行ったりしてるけど、夜はスナックがあるから行けないし」

 バカは風邪引かないなんて嘘っぱちアル、と神楽ちゃんは呆れていた。しかし、そうして電話をかけてくるのは、銀時のことを心配しているからなのだろう。憎まれ口を叩き合っていても互いを思い遣っている。二人は不器用なところはそっくりだ。
 銀髪をかき分けて額に手を当てる。汗ばんでいて熱い。汗を拭うように指を滑らせていると、銀時の目がゆっくりと開いた。だるそうに瞬きをして、掠れた声で問う。

「あー……? なんでいんの」
「神楽ちゃんから連絡もらって。何か飲む?」
「……ん」

 のろのろと上半身を起こす銀時へスポーツドリンクのペットボトルを渡した。顔が赤い。首に襟足の髪が張り付いている。虚ろな表情の銀時に、いろいろ借りるね、と断ってから万事屋の中を歩き回った。着替えを引っ張り出して、とりあえず着替えて、と言うと、銀時は言われるがままに着替え始めた。私は部屋から出て、洗面器やタオルなど必要なものを集めた。和室に戻る頃には、銀時は着替え終わっていた。

「プリンとかアイスあるけど、食べる?」

 途中で買ってきたものを見せるが、銀時は頷かなかった。倒れるように布団に横になる銀時の額に、ひとまず冷却シートを貼り付けた。いつもならよく動く口が全く開かない。
 私は辺りを見回した。静寂に包まれる万事屋というのは初めてだった。

「定春も新八くんのところ?」
「…………おまえ、うつるぞ」
「自分の心配しなよ」

 掛け布団をかけ直すと、銀時は深い息を吐き出した。

「ほしいものある? してほしいこととかない?」
「……うつるようなこと」
「それ以外で」

 それなりに元気らしい。

「応接間にいるから、何かあったら呼んで」
「んー」

 銀時は静かに目を閉じていく。こんな姿は初めて見る。不謹慎だけれど、少し可愛いと思ってしまった。

 お粥を作って手持ち無沙汰になると、私はソファでうたた寝をしていた。目が覚めると、十八時を回ったところだった。目を擦っていると、和室のほうから咳が聞こえてくる。
 襖を開けて「銀時?」と呼びかけてみるけれど、返事はない。咳は止まっている。呼吸を繰り返すたび、体が上下している。その表情は眉間に皺を寄せて苦しげで、一度拭った汗も滲み出ている。うなされているのか、辛そうに声を漏らしている。私は尋常ではない様子に焦って、固い肩を揺さぶった。

「大丈夫?」

 勢いよく瞼が開いた。驚いた私は身を引き、銀時は弾かれたように飛び起きた。荒い呼吸を静めるように胸の辺りを押さえている。

「大丈夫……?」

 声をかけるが返事はない。やがて動悸が治まったのか、銀時は布団に仰向けに倒れた。深呼吸をして、私を一瞥する。普段と変わらない生気のない瞳だが、光もない。

「悪い、なんでもない」

 なんでもないのに、うなされることなどあるだろうか。銀時は寝返りを打ち、こちらに背を向けた。

「……おまえ、もう帰っていいよ」
「なんで?」
「もう平気だし」

 向けられた背に、手を伸ばすことさえ拒絶されているような気がした。それ以上、触れてくれるなと言われているようだった。けれど、放って帰ることなどできるはずがない。今、銀時をひとりにしてはいけないと直感で感じる。
 私は銀時に何度も助けられてきた。だから、寄りかかるばかりではなく、私も銀時の支えになりたいと願っている。なのに、銀時は背負った荷を分けてくれない。たくさんのものを背負い、取りこぼさないよう踏ん張って、いつも一人で行ってしまう。昏いものを抱え、それでも前に進もうとしている。どうしたら、その身を巣食うものを取り除けるのだろうか。
 沈黙が続いた。しばらく口を閉ざしていた銀時が、徐に掠れた声を出す。

「俺はさぁ、おまえが思ってるような奴じゃねえんだよ」

 私の怪訝な顔は、背を向けたままの銀時の目には映っていない。

「おまえに聞かせられないようなこと、腐るほどある。ひでえこともやってきたし、いつどこで野垂れ死んでてもおかしくなかった。本当は、おまえと一緒にいていいような……」

 銀時は言葉を飲み込む。聞いたことのない、辛そうな声に聞こえた。
 緩慢な動作で銀時が半身を起こす。ペットボトルを取り、スポーツドリンクを一口飲み込む。そして場を取り直すように、わざとらしく大きく溜め息を吐いた。

「悪い、なんでもない。忘れろ」

 そう言った銀時の、額の冷却シートが剥がれかけている。手を伸ばしてそれを貼り直し、そのまま大きな体に腕を回した。銀時が握り込んだペットボトルが歪な音を立てた。

「ちょっ、俺風呂入ってないから」
「いいの」

 蓋の閉まり切っていなかったペットボトルの口から液体が溢れている。それは銀時の手を伝って落ちていく。

「何も変わらないよ。銀時がなんだって、私はどこにもいかない」

 私は新八くんや神楽ちゃんのように、常にそばで同じものを見られるわけではない。真選組のように剣を取って、襲いかかるものから護ることもできない。風邪を引いたときにさえ、こうして心配することしかできない。非力な自分が嫌になることもあるけれど、それでも、そばにいたいと思っている。あの日のように、ここにいてほしいと一言、言ってほしい。私が報われるための我儘だとしても、私は手を離さないと決めた。
 布団にしみができている。体を離すと、銀時は端の剥がれた冷却シートをそのままに、唇を結んで私を見た。

「おまえ、それでいいの」
「……嫁にもらってやるって言ったのは銀時だよ」
「えっ、今それ言う? 俺の一世一代の」
「横になったほうがいいよ。疲れてるんだよ、珍しく」
「一言多いな」

 問答無用で冷却シートを剥がし、代わりのシートを手早く貼る。少し雑な手付きに、銀時は大袈裟に痛えよと顔を顰めた。雑になってしまったのは、もどかしさが先走って、自分では考えられないことをしてしまったことへの気恥ずかしさがあったからだ。自分から抱きついたことなんてなかったのに。
 銀時の肩を押し倒して布団に横たわらせ、さっさと掛け布団をかける。銀時は視線を窓の外へ向ける。雨足は弱まっていた。

「……雨だな」
「さっきから降ってるよ」
「傘、ねえだろ」
「え?」

 雨粒を垂らす傘は玄関に置いてきた。銀時は布団から手を伸ばし、私の指をまとめて握った。銀時の手は汗ばんでいた。

「うち、傘ねえからよ」
「……」
「このまま」

 雨の音は聞こえないほどだった。しかし、雨の音にも消されるほど銀時の声も小さく、最後までは聞こえなかった。銀時は気まずいのか、どんな顔をしていたらいいのかわからないのかふいと目を逸らす。
 私は、銀時のために何ができるだろう。優しくて強く、その分たくさんのものを抱えているこの人へ、私は何をしたらいいのだろうか。

「じゃあ、ソファで寝るから」
「女をそんなとこで寝かせられるか」
「さっき少し……」
「いいから、早く来い」

 巻き込まれるように布団に包まれ、あっという間に抱きすくめられた。一人用の布団に二人で寝るには、身を寄せ合わないといけない。あたたかな布団の中、私は心地良いけれど、熱のある銀時には熱いんじゃないだろうか。

「苦しくない?」
「苦しいっつーか、熱い」
「やっぱり出ようか」
「あーうそうそ。あったかくてちょうどいい」

 足が乗ってきて重い。隙間をなくすようにきつく抱き寄せられ、私のほうが寝られなくなりそうだった。やっぱり出ようか考えたが、安らかな寝息が聞こえはじめると動けなくなってしまった。





 頭に何かが乗った。まどろみの中を漂いながら、その重みの正体を感じ取る。
 重みの正体は分厚い掌だった。髪を梳くように撫で、ゆっくりと往復している。深い眠りに落ちてしまいそうになるけれど、そういえば銀時と寝たのだと思い出して瞼を上げる。
 おぼろげな視界の中に胡座をかいて頬杖を着く銀時が映る。目が合うと、銀時はなぜか慌てて手を離してしまった。
 
「……おはよう」

 寝起きのせいか、どことなく拙い発音になった。

「……おはよ」
「珍しいね、早起き」
「寝過ぎた」

 銀時は腰を上げ、和室を出ていった。私は銀時の匂いの残る布団の中で少しだけ目を閉じた。二度寝してしまいそうだったので、すぐに起きた。
 雨は夜のうちに上がり、窓の外では眩しい朝日が街を照らしていた。銀時は私が昨夜に作ったお粥を二つのお椀に入れて持ってきてくれた。朝のニュース番組を見ながら、二人で向かい合ってお粥を食べる。

「具合どう?」
「だいぶ楽になった」
「そう。よかった」
「おまえに包帯替えられてた頃思い出したわ」

 あまり過去のことを話さない銀時から昔話をされるとは思っていなかった。そして、次いだのはまた想定していなかった言葉だった。

「消毒液はくせーし染みるし、包帯の巻き方きついし」
「今更」
「いやでも、あの頃も昨日も、おまえがいてよかったと思って」

 銀時は緩やかに口角を上げた。お椀の中はもう空だった。

「一人で丸まってんのに慣れたと思ってたけど、そうでもねえな」

 ふらりと立ち上がって、銀時は台所へ消えていった。
 戻ってきた銀時は湯呑みを二つ持って、一つを私の前に置いた。

「ねえ、銀時」
「んー」
「風邪が治ったら、どこか行こうか」

 銀時はきょとんとした。そして向かいから隣に移動し、やけに距離を縮めて座る。お風呂に入ってないと気にしていたのに、一晩で心変わりしたらしい。

「なに、行きたい場所でもあんの? 金ねえよ?」
「うーん……近場でいいけど、温泉とか?」
「じゃあもちろん泊まりだな。で、一応聞くけどそれって」
「神楽ちゃんや新八くんも一緒に」
「ですよね。そうくると思ったわー」

 銀時は明後日の方向を見て不貞腐れる。わかりやすく落ちるその肩に、しなだれるように頭を乗せた。数拍置いて、銀時の手が私の頭を撫でる。テレビでは愛らしい犬の映像が流れている。そうだ、定春も一緒に行ける場所ならいい。みんなが一緒なら、何も足りないものなんてない。
 昇ってきた朝日が部屋に差し込んでいる。銀時は、私では計り知れない傷を抱えてきたのだろう。それを超えるほどの、温かくて楽しい思い出を、たくさん作ろう。あなたがたくさん、笑っていられるように。





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