「仕事が長引いてまだ帰れそうにねえんだわ」

 電話口で銀時は溜め息混じりに言った。今日は朝から依頼が立て続けに入っていて、陽も暮れ始めて疲労が溜まっているようだった。

「じゃあ先に用意してるね」
「誰か来ても開けなくていいから。まあ定春がいるから平気だと思うけど、なんかあったらババア呼べよ」
「はいはい。気をつけてね」

 電話を切り、ソファの背凭れに背を預ける。足元で眠る定春の頭を撫で、いつもは賑やかな室内を見回し、私は台所へ移動した。
 冷蔵庫を開け、餃子の具材の入ったボウルと餃子の皮を取り出す。万事屋で取る久しぶりの夕食は、神楽ちゃんの要望によって餃子になった。神楽ちゃんが帰ってきたら一緒に包む手筈だったけれど、遅くなるようなら先に用意してしまおう。これから先、いくらでも機会はあるのだから。
 小さなボウルに水を入れて皮に付け、具材を乗せて包んでいく。包んだ餃子をバットに並べて間も無くして、減らない具材を見て作り過ぎたかと思い始めた。神楽ちゃんは大食漢なので多めに作ったはいいが、一人で包んでいればあっという間に夜になりそうだ。
 半分ほど作り、一旦やめようかと考えあぐねていると、浴室のほうから物音がした。定春は、ワンと鳴いて風呂場へ入っていく。私は手を洗ってそのあとを追った。

「あいたた……」

 お風呂場には藤色の長い髪の女性が蹲っていた。私は定春の後ろに隠れて女性の様子を窺う。見たことがない人だけれど、銀時たちの知り合いだろうか。なんで急にお風呂場から現れたのだろう。
 定春は威嚇するでもなく女性に近付いていく。振り向いた女性は、泣きぼくろが特徴的な美女だった。そして「あ、銀さん」と口を開いた。銀さん? と私が首を捻る間も無く、定春は一息に女性の頭に齧り付いた。





「ごめんなさい、痛くないですか? さっちゃんさん」
「さっちゃんでいいわ。それに大したことないもの」

 彼女の名前はさっちゃんと言うそうだ。銀時をはじめ、神楽ちゃんや新八くん、新八くんのお姉さんのお妙さんとも知り合いらしい。
 定春に噛まれて流血している頭部に包帯を巻いていく。

「定春くんだって私のことわかってて加減して甘噛みしたんだものね」

 さっちゃんさんが伸ばした手に定春が食いつく。それはもう、ガブリと。あっと思ったのに、なぜかさっちゃんさんは恍惚としている。

「あれ、何この食いついて離れない感覚。もしかして銀さん? 銀さんなの?」
「さっちゃんさん、噛みつかれてます」
「さっちゃんでいいわ」

 私は定春を彼女の手から引き剥がした。さっちゃんさんは涎まみれの手を摩りながら訊ねる。

「ところであなた、私の眼鏡知らないかしら」
「眼鏡?」
「どこかで落としたのかもしれないわ。眼鏡がないと私、何も見えないのよ。明日も見えないの」
「明日はともかく前が見えないのは困りますね……」

 さっちゃんさんを居間に残し、私は眼鏡を探すために浴室へ向かった。天井を見上げると、天井板が一部外してあった。まさかあんなところから入ってきたわけじゃないだろう。万事屋は新しい建物でもなさそうだし、いろいろ不具合でもあるのだろうか。なんだか見ないほうがいいような気がして、深く考えずに風呂場を見回した。
 眼鏡は空っぽの浴槽の中に落ちていた。それを拾って居間へ戻ったけれど、さっちゃんさんは姿を消していた。和室に続く襖が僅かに開いていたので見てみると、箪笥の前に座っている後ろ姿が見えた。その手には見覚えのあるイチゴ柄ののトランクスがあった。銀時のパンツだ。

「……あの」

 声をかけると、さっちゃんさんは大袈裟に肩を跳ねさせた。そしてわかりやすいほどに狼狽し始めた。

「な、何? 何にもしてないわよ何も盗ってないわよ」

 見ると彼女の手は定春の涎でびっしょり濡れている。

「それ、タオルじゃないですよ。今出しますね。さっちゃんさん、相当目が悪いんですね」
「さっちゃんでいいっつってんでしょうが……いや、もういいわ」

 差し出したタオルと眼鏡をさっちゃんさんは難しい顔をして受け取った。赤縁眼鏡は収まるところに収まったように居心地が良さそうに見える。しかし、眼鏡をかけた本人はもじもじと落ち着きがない。

「万事屋のみんなにご用ですか?」
「みんなっていうか、私は銀さんに」
「まだ帰ってこれないみたいですよ」
「か、勝手に待ってるのでお気遣いなく」
「居間で待ってたほうが……」
「ここでいいわ」

 さっちゃんさんはぷいと顔を逸らす。長い髪が揺れる。
 嫌われるようなことしただろうか。不思議に思いながら「そうですか」と言い、一旦は戻ろうとした。が、思いついて振り返る。

「あ、じゃあ、ちょっと手伝ってもらえますか?」

 台所のほうを指差す。さっちゃんさんは眉根を寄せて私を見た。

「なんなの?」
「餃子、一緒に包んでもらえますか? 思ってたよりもいっぱいになって」

 自嘲気味に笑ってみせると、さっちゃんさんは渋々腰を上げた。手伝ってくれるようで、私は密かに安堵した。みんなが帰ってくる頃には焼くだけにしておきたかったので助かった。
 さっちゃんさんに手伝ってもらい、餃子を包み始める。台所では狭いので居間に移動し、向かい合ってソファに座り、包んだ餃子をバットへ移していく。

「なんで私がこんなこと……」

 さっちゃんさんは唇を尖らせながらも、均等に具材を詰めてきれいにひだを作っている。手先は器用なのだろう。次々に餃子が整然と並べられていく。

「さっちゃんさん、すごく上手ですね。料理得意なんですか?」

 感心して言うと、さっちゃんさんは頬を赤らめた。

「このくらい朝飯前よ! それに、銀さんのためだもの。私の作ったものが銀さんの口に入るなんてもう愛を誓い合ったも同然じゃない」
「愛……」

 ぽかんとしてその単語を繰り返す。あまり耳馴染みがない。しかし、さっちゃんさんは私の様子が気に入らないようで身を乗り出してきた。

「あなたね、当たり前みたいな顔してここに来てるけど、銀さんみたいな完璧な人、そうそういないのよ。まあ銀さんの魅力に気付いてることは評価してあげるけど、きっとあなたじゃ銀さんを満足させられないわ。だってあなた、銀さんのドSプレイに応えられないでしょう」

 はあ、と間抜けな返事をする。脈絡もなく急に詰め寄られているが、さっちゃんさんが銀時へ好意を持っていることはわかった。
 整った顔立ち、艶やかな長い髪、身長が高くスタイルも良い。男性なら惹かれることは間違いないだろう。さっちゃんさんなら、背の高い銀時の隣に並んでも違和感はないはずだ。しかし、こんなに素敵な女性が身近にいると言うのに、銀時は私を選んでくれている。いったい銀時は私のどこを好きなのだろう。聞いたこともない。考えてみると不思議になってくる。
 何も言い返さない私に、さっちゃんさんは不満気にソファへ戻った。

「何よ、余裕綽々ってわけ?」
「え?」
「銀さんが他の女に靡くかもって考えないの?」
「他の女」
「そうよ。何、考えたこともないの。釣った魚に餌をやらないタイプ?」

 やれやれとさっちゃんさんは首を横に振る。他の女に靡く——。頭の中で意味を咀嚼し、少し思案した。私もさっちゃんさんも手は休めず、餃子を包み続ける。ソファの後ろで定春が寝返りを打っている。

「……銀時が他の誰かを好きになったとしたら、私はここにはいないほうがいいん、ですよね?」

 真剣に訊く私にさっちゃんさんがぴくりと眉を動かす。
 三十秒にも満たない思案の末に出た答えだった。銀時が他の誰かを選ぶときがきたとして、銀時は中途半端な気持ちをぶら下げたままではいないような気がした。私とはきちんと別れて、新しい日々を歩み出すのだろう。想像すると心苦しい。きっとしばらくは立ち直れない。けれど銀時が望むことなら私は否定はできないし、縛り付けることもできない。

「……さあ、知らないけど」

 さっちゃんさんは冷静に答える。餃子がまたひとつできあがる。

「もし……そうなったら、私は田舎に帰ると思います」
「銀さんが別の女と一緒にいるのを見るのが嫌なの? そんなんじゃマゾ失格よ」
「それもありますけど、銀時は私を突き放すようなことはしないから……気にされてしまうなら、離れたほうがいいです」
 
 一度知ってしまった温もりを失うのは怖い。以前は一人でいることが心細くて仕方がなかった。けれど、今は離れていても平気だと思える。銀時や周囲の人からたくさんの繋がりを得ることができた。もう一人ではないと胸を張って言える。繋がり方が変わっても、結ばれた縁は途切れることはない。十年前の、ほんの少しの日々を糧にしてここまで来れたように、きっと今の生活も私をつくる礎になる。
 ソファの背凭れが押される。振り返ると、寝転んだ定春がぶつかっていた。穏やかな寝顔に微笑する。

「あなた、何にもわかってないのね」

 さっちゃんさんは静かな声で言った。姿勢を戻すと、真剣な表情のさっちゃんさんが私を見ていた。

「そんなの、銀さんが許すわけないじゃない。銀さんは一度懐に入れた相手を切り捨てたりしないわ。あなたが離れていったって、絶対に追いかけるわよ。そういう男なのよ。諦めが悪くて意地っ張りで、一度護ると決めたものは何が何でも護るの。自分が傷付きたくないからっていい子ぶってんじゃないわよ。あなたはその中にいるの。だからあなたは、ちゃんと銀さんの…………」

 言葉が止まる。喉から出かかったそれを、さっちゃんさんは押し留めているように見えた。そして強く唇を結び、唐突にテーブルを叩いて大声を上げた。私は驚きで目を丸くし、バットは僅かに跳ねた。

「ああ!もう!周りにいないタイプだから調子狂うわ!」

 驚く私を睨み、さっちゃんさんは捲し立てていく。

「大体! 何なのよあなたも銀さんも! ここで一緒に夕食囲ってほんとにそれで終わりじゃない、全然イチャイチャしないじゃない! 子どもの前だからって何遠慮してんのよ、どんだけガード固いのよアンタら! 今日日の子どもはませてるから耐性あんのよ! 帰りだってあなたのこと送って行ったと思ったら銀さんったらすぐ帰ってくるじゃない! かと思ったら朝までどころか昼まで帰ってこない日もあるじゃない! 二人っきりのときはベタベタチュッチュやってるってことなんでしょ! あんなことやこんなこと、叩いたり縛ったりしてるってことでしょ! 何なのよ、想像が膨らむじゃない……興奮するわよ、正直興奮するわよ私の銀さんが他の女とやってるなんて……! そうやって焦らして楽しんでるんでしょ。でもちょっとくらい見せてくれたっていいじゃないのよ……! いつまで生殺しなのよ! いちゃつくなら目の前でしなさいよォォォ!」

 バンバンと机を叩きながらさっちゃんさんが叫ぶ。何か言ったほうがいいのかと思うのに、全く喋る隙を与えられない。結局私は、終始呆気に取られているしかなかった。
 一頻り胸の内を吐き出し終えたさっちゃんさんは、荒い息を整えて咳払いをする。取り直したつもりかもしれないが、私の中では全く整理がついていない。整理というより、所々言っていることがわからなかった。

「詰まるところアレよ。バカなこと訊いた私が悪かったけど、銀さんのこと、見くびるなってことよ」

 さっちゃんさんはふんと鼻を鳴らす。私は何が何だかよくわからないまま「ごめんなさい」と謝った。
 玄関の引き戸が開く音がする。ただいまー、と間延びした三つの声が聞こえてきて、さっちゃんさんの大声に微動だにしなかった定春が飛び起きて玄関へ向かっていく。賑やかな声が近付いてくる。

「ダイゴ〜ただいまアル」
「遅くなりましたー」

 神楽ちゃんに続き、新八くんや銀時が居間へなだれ込んでくる。おかえり、と迎えると、銀時と視線がかち合う。疲れた表情の銀時はのろのろと私の隣へ座った。

「何これ。餃子パーチー?」
「うん。あ、さっちゃんさんと」

 向かいのソファへ目を向けると、いつの間にかさっちゃんさんの姿は消えていた。

「あれ……」
「さっちゃん来てたアルか?」
「来てたっていうか、あの人は知らぬ間にいるって感じだけどね」
「おまえ何にもされてねーだろうな」

 銀時は私の顔を覗き込む。その赤い目をじっと見つめ返す。さっちゃんさんに言われたことを思い返す。
 ——銀さんは一度懐に入れた相手を切り捨てたりしないわ
 さっちゃんさんの言う通りだ。私は、そういう銀時を好きになったのだ。ぶっきらぼうなのに、優しくて情に厚い。こうして目を合わせられるほど隣にいる前から、銀時はずっと私のことを心に留めてくれていた。
 しばらく目を合わせたままでいたけれど、先に銀時のほうが目を逸らした。

「何? 俺の顔なんか付いてる?」
「なんで照れてるアルか? 気持ち悪い」
「銀さん、気持ち悪いです」

 にやにやと笑いながら新八くんと神楽ちゃんがからかう。銀時は二人を睨みつける。

「うるせえわ! おまえらちゃんと手ぇ洗ってこい! うがいもしろよ!」

 銀時に怒鳴られ、「銀さんもでしょ」と新八くんと神楽ちゃんは肩を竦めて居間を出ていった。どっちが保護者なんだかわからない。おかしくて笑っていると、銀時は小さく舌打ちして唇を尖らせる。

「てか、ほんとにさっちゃん来てたの」
「うん、餃子一緒に包んでくれた。いい人だね、さっちゃんさん」

 銀時は訝しげに表情を歪めた。しかし、すぐに呆れたように息を吐き、すっくと立ち上がった。

「まあな。悪い奴じゃねーよ」
「また来ないかな」
「悪い奴じゃねえけど、悪影響だからあんまり会うな。会うなら俺のいるときにしろ」

 いや、それはそれで面倒だな、と銀時はぼやきながら歩いていく。
 そういえば、なんでさっちゃんさんは銀時が私を送ってくれることや、帰らない日もあるなんて知っていたのだろう。考え始めて間も無くして神楽ちゃんたちが戻ってくる。早くご飯にしようと急かされ、まあいいか、と私は頭の中を流した。今度会ったら、聞いてみればいいのだ。
 




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