「これ、あの子に渡しといてくれるかい」

 風呂敷に包まれた四角い箱を受け取る。お登勢のバアさんの言うあの子とはナマエのことで、俺は時折、橋渡しの役目を請け負う。
 唐草模様の風呂敷を眺め、中身を問う。

「鯨肉の大和煮だよ。故郷で食べたけど最近は全然だって、この前話題に上がってね」
「そうそう食うもんじゃねーだろ」
「年寄りは若い奴の世話を焼きたいもんだよ」

 バアさんは煙草に火をつけてしみじみと言った。俺の知る限り、若かろうと猫耳年増だろうと、果てはからくりにいたるまで世話を焼きたがるのがこのバアさんだった。身近にできた娘と言って差し支えない年頃のナマエを構いたがるのは必然だろう。ナマエもバアさんのことは頼りにしており、たまにスナックに来ては日常の些細な困りごとを相談している。

「あんまり世話焼きすぎて嫌われないようにしろよ」

 風呂敷包をカウンターのテーブルに置き、猪口の酒を舐める。夕暮れ時、まだ開店前の店内には人気がない。窓から差し込む橙色の日差しが無人のテーブルを照らしていた。キャサリンは客席でふんぞり返って夕刊を読んでいて、たまはグラスを一つずつ丁寧に拭いている。傷の付いたグラスでもバアさんは捨てようとしないので、グラスは年季が入っている。この場所は、俺も含めてバアさんが拾ってきたもので溢れている。傷有りの中古品ばかりが寄せ集まっている。だからか、居心地が良い。
 しばらくの間を置いたあと、バアさんはおもむろに口を開いた。話すことを躊躇っていたかのような喋り口だった。

「あんまりこういうこと言いたかないけどね、銀時」
「あんだよ、言いたかないなら言わなくてもいいっつの」
「アンタ、あの子に何かくれてやったことあるかい?」

 俺は怪訝な顔でバアさんを見た。

「は? なに?」
「いくら貧乏の甲斐性なしでも、てめーの女に贈り物のひとつしたことないなんて、男が廃るよ」

 贈り物という耳慣れない響きに面食らう。そして、それをナマエに結び付けるのにも時間がかかった。

「誕生日でも記念日でもねえのに、そんなんするか?」

 考えてみて、何も渡したことがないと気付く。バアさんの溜め息と共に紫煙が吐き出される。

「そんなだからモテないんだ、アンタは」
「余計なお世話だ。それに今は相手いるし」
「そのナマエに愛想尽かされて捨てられちゃ、アンタに次はあるのかねェ」

 不吉なことを言いやがる。次があるのかどうかではなく、ナマエに捨てられる、のほうだ。縁起でもないこと言うなと引き攣る口端を隠すように酒を呷る。
 思い上がりかもしれないが、ナマエは俺を見捨てることはないという自負がある。不本意ではあるが、バアさんの言葉を借りるなら、貧乏で甲斐性なしの俺と一緒にいたいと宣う奇特な奴だ。愛想を尽かされるだの捨てられるだの、ありえない。……たぶん。

「女ハ定期的ニブランドモノノバッグトカ靴トカ、愛ヲ現物支給シテモライタイイキモノナンデスヨ」

 夕刊を広げていたキャサリンが口を挟む。その流れでたままで続く。

「なんでもない日に渡すさりげないプレゼントは女性の心をグッと掴むとデータに入っています。いつも飲みにくる田中さんからの情報です」
「誰だよ田中って。どうせ腹の出たおっさんだろ。それにアイツはモノで釣られるような女じゃないっての」

 それはそうかもしれないですが——。たまは口元に手を置く。そうだろう。アイツはそんなに安くないっておまえもそう思うだろ。しかし、「ですが銀時様」とたまが粘る。

「贈り物によってますます好感度を上げるという手もあります。ナマエ様も惚れ直すかもしれませんよ」
「惚れ直すも何も、惚れてるから。惚れ直す必要ねーから既に大好きだから」
「ご本人のいないところでは堂々とされたものですね。ナマエ様の前ではそんなこと」
「あーあーうるせーよ」
「グダグダ言ッテナイデ、ヴィトンノバッグ買ッテコイヤ」
「なんでオメーに買ってこなきゃなんねーんだよ!」
「倍ノ額デ転売シテヤルヨ!」

 他愛のない応酬が始まる。やがて店内が騒がしくなると、バアさんはうるせえ、と吠えた。静まり返った店内で、キャサリンと睨み合う。心地良いなんて撤回だ。灰皿に煙草を押し付け、バアさんは腕組みをした。

「月並みなこと言うけどね、結局は気持ちさね。相手を喜ばせたい、相手の笑った顔が見たい。理由なんかそんなもんでいい。あの子の喜ぶ顔、見たくないのかい」

 俺は思わず押し黙る。楽しそうに笑っている顔はよく見る。第一、ナマエは元からよく笑う。しかし、喜んでいる顔と言われれば、記憶を遡ってみてもすぐには出てこない。そういえば、あまり見たことがないかもしれない。
 所在なくブーツの中で足の指を動かす。たまが店の外へ出ていくと、飲みかけの酒の水面が揺れた。もう開店の時間だ。
 煮え切らない俺の様子を見兼ねて、バアさんは肩を竦めた。

「もっとも、あの子は期待してないだろうけどね」

 まだ日も沈み切らない時間だというのに、赤ら顔のサラリーマンが暖簾を潜ってきた。「おう銀さん」と肩に腕を回されたが、風呂敷包を抱えて早々に退散した。家賃早く払えよ、と背中に督促を受けて重い足取りで階段を上がる。
 ナマエと所謂恋人同士になってから数ヶ月が経つ。会う頻度はそう多くない。アパートが離れたため、以前よりも万事屋にナマエが来る回数も減り、神楽はそれが不満で一人で会いに行っているようだ。そこにいつの間にかお妙も混じっていて、俺としてはひと心地もない心境だった。じゃじゃ馬二人にナマエが余計なことを吹き込まれなければいいけれど。
 いつものように夕食を終えて風呂に入り、神楽が寝たあとに床に就いた。バアさんが不吉なことを言うものだから、その日は嫌な夢を見た。
 ナマエが知らない男と歩いている夢だった。





 ——いやね、別にバアさんの言葉を間に受けているわけじゃないよ。ただ、たまにはサプライズも悪くないと思うだけだよ。俺ってそういうのできちゃうから。普段、ナマエには万事屋で飯なんか作ってもらったり、神楽の面倒も見てもらったりしてるし。普段の礼のようなものだ。うん、そういうことだ。
 誰が聞いているでもない言い訳をあれこれと繰り返しながら街を闊歩する。我ながら難儀な性分だ。
 しかし、ものの五分で俺は途方に暮れていた。ナマエの欲しいものや好きなものに検討がつかない。記憶を掘り起こしてみても、ナマエがあれが好きだとかこれが欲しいとか言っているのを聞いたことがない。ナマエから物欲というものを感じたことがない。そう考えると、自分の俗物っぷりが際立ってくる。あれ、なんでアイツ、俺といるんだろう。
 目に入った女物の着物に足を止める。マネキンが着ているのは椿の黄色い着物だ。女の着物の良し悪しなんてわからない。一応、とその値段を見て、あっさり諦める。そもそも着物なんか買える金はない。

「どうしたんですかィ、難しい顔して」

 見慣れた顔が傍に立っていた。沖田くんはしげしげとマネキンを眺め、俺はあっちのほうが好みでさァと聞いてもいないのに淡い水色の着物のマネキンを指差した。着物自体に大きな柄はなく、黒い帯が大人っぽい。マネキンの頭にナマエの顔を当て嵌めてみる。似合いそうだが、少し違う。

「いや、ちょっと年上すぎね?」
「ナマエさんですかィ」
「まあ……でも金ねーから着物は無しだ。今ちょうど懐が寒いから」
「旦那の懐があったかいことなんてありやすか」
「パチンコで勝ったときとか」
「ほんと、なんで旦那なんですかねィ」

 沖田くんは踵を返して歩き始めた。俺はその後を追った。

「ねえ沖田くん。アイツ、最近なんか言ってなかった?」
「アイツって誰ですかィ」

 わかってるくせに訊いてくる。俺は顔を顰めて「ナマエ」と続ける。

「なんかって何ですかィ?」
「欲しいものがあるとか言ってない?」

 自分の中に心当たりがないのだから、この際他人に頼ることにした。日中顔を合わせていることの多い沖田くんなら、何か知っているかもしれない。前提としてそれは気に入らないのだが、背に腹は変えられない。

「さあ。そういうの聞かねえんで」
「んなことねーだろ。おまえら、俺よりよっぽどナマエと会ってんだろうが」

 詰め寄ると、沖田くんは無表情で俺を見た。

「さては旦那、愛想尽かされそうなんですかィ」
「そんなんじゃねーし! ただちょっと、なんつーかマンネリを解消したいっつーか」
「マンネリ」

 妙な言い方をしてしまった。沖田くんはやはり無表情で、俺の言葉をどう解釈したのか掴めない。しかし、懐から出したもので明後日の方向に勘違いされたことを知った。
 沖田くんに渡されたのは、どこぞの激安量販店で安価で手に入るナース服のコスプレセットだった。ピンクのパッケージと上目遣いでこちらを見上げる巨乳女の写真。沖田くんは親指を立て、こういうことでしょうと満足げだった。

「いやちげえよ! これはこれでいいけども!」
「いいのかよ」
「看護婦さんには男の夢が詰まってるだろうが! もらっといてもいいですか!」
「やっぱ返してくだせェ。鼻の下伸ばしてる旦那なんて想像したくねえや」

 沖田くんにナースセットを奪われる。沖田くんは「これはやっぱり土方さんの部屋に仕込んでおきまさァ」と上司を社会的に貶める算段をしている。
 気付けば、道を行く人の目が冷たい。真昼間から出すものではなかった。俺は咳払いをして場を取り直す。

「じゃああれだ、困ってることとか」
「俺よりも土方さんに訊いたらどうですかね」
「なんで」
「ナマエさんは土方さんの雑務を手伝うことが多いんで、話す時間なら俺より多いでさァ。あの二人、そこそこ仲良いし…………って、旦那、シワ」

 沖田くんは自分の眉間を指でとんとんと叩いた。俺は意識していないうちに寄っていた眉間の皺を伸ばした。

「誰があんなニコチンマヨラーに頼るか」
「それが嫌なら、本人に訊くのが一番だと思いやすがねィ」

 ひらりと手を振って沖田くんが去っていく。葉桜は春の陽光に照らされ、風に揺れていた。





「銀さんが一人で来るなんて珍しいこともあるもんですね」
「ゴリラでも女だからな。一応意見は聞いておこうと思って」

 スパンとハリセンで後頭部を叩かれる。どこから出したの、それ。
 お妙はハリセンを手の届く場所に置き、縁側に並んで腰掛けた。広い庭には雀が群れている。新八は買い物に出ているらしく不在にしていた。だだっ広い屋敷は小さな雀のさえずりを拾う。

「それで?どういう風の吹き回しですか?なにか用件があって来たんでしょう」

 お妙は俺の頭の中を見透かすような眼差しを向けた。上辺を整える暇もない。

「女がもらって喜ぶものってなんだと思う?」

 お妙がきょとんとした。間を埋めるように付け足す。

「あ、金はかからないやつで」
「……お金を言い訳にするのはどうなんでしょう」
「しゃあねえだろ」

 溜め息混じりにこぼす。気まずくなって庭の土を眺めていると、お妙が小さく笑った。聡い人間でなくても俺のらしくない言動を誘発させるのが誰なのかわかるだろう。閉口する俺に、お妙はやれやれといった様子で頬杖を着いた。

「手軽なもので言えば食べ物とかですかね。大体の女性は甘いものが好きですし、銀さんはお菓子作り得意じゃないですか」
「もう一声」
「髪飾りとかアクセサリーとかどうです? きれいなものを嫌いな人はいないでしょう」
「もう一声!」
「ええ? えーっと、香水とか、あとはお部屋に飾る雑貨なんかもいいんじゃないですか?」
「もう一声ェ!」
「一声とっくに超えましたけど!」

 お妙は苛立たしげに唇を尖らせた。「なんなんですか、どれも却下ですか」ぷんとそっぽを向く。
 食べ物、髪飾り、アクセサリー、香水——どれを渡してもナマエは喜ぶのだろう。ありがとうと言って笑うだろう。それで俺は満足だが、どうせならナマエが驚くようなものがいい。ナマエが欲しいものを渡したい。
 飛び跳ねていた雀が空へ羽ばたいていく。空は濁りのない青色をしている。そういえばナマエは動植物を愛でるのが好きだ。万事屋に来ると必ず定春に話しかけるくらいだし、夜道で野良猫を見ると構いたがる。部屋には愛想のない植物が置いてある。先日、花が咲いたと嬉しそうにしていた。
 庭の隅に小さな白い花が咲いている。腰を上げると、お妙が怪訝な表情を向けてくる。

「何か思い付いたんですか?」
「何も」

 悲しいかな、俺はちっともナマエのことを知らない。こんなことなら、一緒に街に出たときにナマエの視線をもっと追っておくべきだった。

「ナマエさんなら、銀さんの選んだものならなんだって喜んでくれると思いますよ」
「なんでもいいって言われんのが一番困るだろ。夕飯作るお母さんと一緒だよ」
「ナマエさんは作ってもらった料理に文句言う人じゃないでしょう」

 わかってる。だから余計に、慎重にならざるを得ないのだ。





 かぶき町の商店街を当てもなくぶらぶらと歩く。いろいろと考えてみたが、日頃使うものが一番良いんじゃないかと思い始めていた。電気屋をうろつき、電化製品は無しだと店を出た。
 次に陶器店に入り、色違いの夫婦茶碗なんかを見て想像を膨らませた。ナマエの部屋には俺の湯呑みや箸が置いてある。茶碗もあるが、色形の揃ったものではない。どうせなら揃えたい。しかし、茶碗の裏の値札シールを見てやはり諦めた。名のある陶芸家の作品なのか桁が違った。
 一回パチンコで資金を増やしてくるか。逃避に近い思考を巡らせはじめたところで、ふと煙草の匂いが鼻をついた。路上喫煙をする男は、俺の姿を認めるとすっと目を細めた。土方だ。

「平日の昼間から優雅に買い物たあ、いい身分だなニートのくせに」
「ニートじゃねえし社長だし」
「時間を持て余してるには変わらねえだろ」

 ——ナマエさんは土方さんの雑務を手伝うことが多いんで、話す時間なら俺より多いでさァ。
 ——あの二人、そこそこ仲良いし。
 沖田くんの言葉が蘇る。まるで図ったかのようなタイミングだ。意地でもこいつにだけは頼ってやるかと思っていたが、金はないし結局ナマエの欲しいものも浮かばないし八方塞がりだ。苦い唾を飲み込み、鎖骨の辺りを掻きむしる。

「土方くんさぁー、知らなかったら全然いいんだけどさぁー、ちょっとお伺いしたいんですけどもぉー」
「なんだよ、まだるっこいな」

 土方は煙草を咥えてポケットに手を突っ込んだ。こんなチンピラに女心がわかるものかと思いつつ、渋々訊ねてみる。

「なんかさぁ、ナマエが欲しいものって知らない?」
「あ?」
「知らないならいいんだよ。一向に構わねえよ。つーか知ってたほうが気持ち悪いし」

 もごもごと喋る俺を土方は物珍しそうに見ている。かと思ったら、にやりと笑った。

「さては振られそうか」
「ちっげえって! なんなのおまえら! 銀さんを傷付けて楽しいですか!?」

 沖田くんといい土方といい、真選組は俺たちを破局させたがっているのか。こっそり俺のネガティブキャンペーンとかしてるのか。

「じゃあどういう風の吹き回しだ。ケチでがめついてめーが女のためとはいえプレゼントなんて用意するとは思えん」
「ああ? 女のためじゃなくて、ナマエだからだろうが」

 女だからじゃない。相手がナマエだからこんなに悩んでる。口にしたら身に染みてきて、少し恥ずかしくなった。どうしてこんな砂の一粒ほども女心を理解してなさそうな男に相談してるんだ。
 土方は紫煙を吐き出し、腕を組む。一応は考えてみたものの、やはり思い当たるものはないらしかった。俺は溜め息をつき、これ見よがしに肩を落とした。

「役に立たねー」
「てめー叩っ斬るぞ」
「逆に普段どんな話してんの」
「仕事の話だよ。あとは世間話」
「世間話って何」
「世間話は世間話だろうが。いちいち憶えてねーよ」
「へー憶えらえないほどずっと話してるんですか。へー。それで欲しいもののひとつも聞き出せないんですか。へー」
「オイマジで斬るぞ。つーか欲しいもん聞き出そうなんて考えながら喋ってねーわ」

 そりゃそうだわな。俺だって考えてなかった。今まで率先して贈り物するような相手、いなかったし。

「サプライズでもしたいんだろうけどな、カッコつけるだけ無駄だ。本人に訊け」
「沖田くんと同じこと言いやがって……」

 男ってのはどうもだめだ。いや、俺の周りにいるのが、だめな男ばかりなのかもしれない。まともに女と付き合ったことのなさそうな奴ばかりだ。既婚者の長谷川さんは、別居中だしマダオだし。

「男にゃ女の考えてることなんてわかりっこねえんだよ」

 土方は吐き捨てる。心当たりが腐るほどある顔だった。





 太陽は次第に西に傾き始めていた。未だ手ぶらの自分の背が重い。今夜も悪夢を見るかもしれない。うんざりしていると、下半身に衝撃がぶつかる。視界の下方に、小さい頭が見えた。

「オイクソガキ、ちゃんと前見て歩け」
「あっ、ごめんなさい」

 ガキが顔を上げた。ひゅっと息を呑んだ。緑色の禍々しい般若のような顔面。見憶えのある顔だ。
 顔面を強張らせていると、脇から重い足音がした。柔和な物腰とは反対に、凶器的な風貌をした隣人が現れる。

「ああ、坂田さん。すみません。遊び相手になってやれなくて飛び出していってしまって……」
「へ、屁怒絽伯爵……」
「屁怒絽でいいですよ」

 屁怒絽ジュニアは、いつぞやに銭湯で会った子どもだ。急いで周囲を見回すが、他に同じ顔面は見当たらない。ほっとしたのも束の間、「みんなショッピングに出かけてますよ」と屁怒絽が言った。いるのかよ! と内心でツッコむ。

「そのうちに帰ってくると思いますので、よかったら坂田さんも夕食を一緒にどうです? ご馳走しますよ」
「へっ? いえいえ滅相もない! そんな家族水入らずのところに俺なんか」
「坂田さんにはいつもお世話になってるので、そんなこと気にしなくていいですよ」
「いやいやいや」

 高速で頭を振って丁重にお断りした。屁怒絽は残念そうにしていたが、なんとか屁怒絽家の食卓に並ぶことは回避できた。もしかしたら、食卓に並べられる側になってたかもしれない。

「ねえ、僕遊びに行きたい」

 屁怒絽ジュニアが屁怒絽の前掛けを引っ張る。屁怒絽はまだ仕事があると言うが、ジュニアは退屈らしく駄々を捏ねる。俺と屁怒絽の目が合う。

「坂田さん、もしよければこの子の遊び相手になってやってくれませんか」
「えっ」
「やったー! ねえ、お馬さんごっこしよう!」
「いやまだ何にも言ってねえんだけど!」

 手を掴まれ、ジュニアに引き摺られる。屁怒絽はにこやかに俺たちを見送った。笑顔すら怖かった。ここで手を振り払えば命はないと悟り、逆らうのはやめた。
 へとへとになるまで付き合わされ、結局夕方まで遊んだ——もとい、遊ばれた。屁怒絽ジュニアは見た目はともかく、感性はただの子どもと同じだった。腑に落ちないのはずっとおじさん呼ばわりされていたことだ。まだ二十代なのに。
 茜色の日が眩しい。疲労困憊で戻ると、屁怒絽が出迎えた。ジュニアは体力を使い果たし、早々に屁怒絽家に引っ込んでいった。また遊んでねと言われ、力なく手を振っておいた。

「すみませんねえ、坂田さん」
「いいえ……」

 腰は痛むしそこら中が土埃で汚れているが、解放されるならもうどうでもいい。寝不足で一日中歩き回って、最後にこの重労働。厄日だ。
 さっさと万事屋に帰ろうとすると、「待ってください」と止められる。身構えながら振り返ると、花束が差し出された。きょとんとしてそれを受け取ると、お礼ですと微笑まれた。だから、笑顔が怖いんだって。

「でもコレ、店のやつじゃないの」
「いいんですよ。お花の命は短いんです。きれいなうちに、ちゃんと人の手に渡しておきたいんです」
「はあ。じゃあ、遠慮なく」

 花束なんかもらったことあっただろうか。しかし、初めてもらうのが屁怒絽とは——。複雑な気分だ。
 寄せられた花は種類が不揃いで、しかし鮮やかで、微かに甘い香りがした。ナマエが好きそうだと思った。そう思うと、万事屋の階段を上がっていた足が止まった。顔ばかり思い浮かべていたせいか、急に声を聞きたくなった。
 今頃何をしているんだろう。どこにいるだろう。きっと俺が散々悩んでいることなんて、知らないんだろう。





 薄暮の空の下、子どもたちが駆け回っている。民家の窓からは明かりが漏れ始め、茶屋は店仕舞いをはじめていた。帰路を辿る人々の流れに逆らって歩いていると、目的の横顔を見つけた。ナマエは八百屋の前に繋がれている柴犬を撫でていた。犬は気持ちよさそうに顎を上げていてる。

「ナマエ」

 名前を呼ぶと、ナマエはきょろきょろとあたりを見回し、人混みの中から俺を認める。

「銀時。どうしたの、買い物?」
「あー、まあ」 

 ナマエは首を捻りながら、犬を撫でている。八百屋の店内には買い物客がひとりうろついている。
 どうでもいい話なら無限にできるのに、いざ言わなくてはいけないことができると言い淀んでしまう。どう切り出すか逡巡して、まだ犬を撫で続けるナマエに左手を突き出した。こちらを見たナマエが、花束と俺の顔を交互に見る。しかし、一向に手を伸ばそうとしない。

「……持てよ」
「え……はい」

 腰を上げ、ナマエが花束を受け取る。いまいちぴんときてない様子のナマエに、途端に羞恥が湧き上がってくる。欲しいものを渡したいとか、サプライズをしたいとか、いろいろ考えたくせに、いざ目の前にすると気の利いた台詞さえ出てこない。早口で捲し立てるのが精一杯だった。

「いやあのね、なんつーかあれよ、ほら、今までおまえになんかあげたことないし。いっつも神楽とか世話になってるから、日頃の感謝?ってそんな母の日的なもんじゃないんだけど、おまえこういうの好きかなーってちょっと思ったからね。別に買ったんじゃないけど、もらったんだけど、花なんかうちは飾らねーから、おまえが好きそうだし、その、喜ぶんじゃねーかと思ってだな」

 ナマエは黙って花束に目を落としている。俺は今更になって似合わない真似をしてしまったと後悔していた。いらないことも口走った気がする。今すぐに路地裏に駆け込んでポリバケツに飛び込みたい。タイムマシンがあったら過去に戻ってやり直したい。ちゃんと言う台詞を考えてくればよかった。

「これ、銀時がわたしに?」

 言い訳を聞いていたのかいないのか、ナマエはぽつりと訊ねた。俺は金魚のように口をぱくぱくと動かし、どんな顔をしていいのかわからず眉根を寄せる。「俺しかいないだろ」とつっけんどんに言うと、ナマエは目を細めて破顔した。

「ありがとう。大事にする」

 腹の底から喉にかけて、ぎゅうと熱いものが巡った。ナマエが、とても穏やかに、心の底から嬉しそうに笑うから。やさしい目をするから。熱くなる顔をごまかすように、頬を掻く。
 いつもと変わらない、なんてことない夕方。人がたくさん歩いている八百屋の前。こんなムードのない場所で、言い訳ばかりしたのに。こんなことなら、金を借りてでも着物でも髪飾りでも、ブランドもののバッグでも用意すればよかった。
 弧を描く目元に茜色が差している。堪らなくなって腕を伸ばしかけ、通行人がちらちらとこちらを窺っていることに気が付いた。八百屋のおっさんも買い物客もにやにやとこっちを見ている。おまけに犬も見上げてきている。ここが往来でなければ今すぐに抱きしめるのに。そうでもしないと、爆発しそうだ。

「……か、花瓶、買いにいくか」

 なんとか熱を押し留めた。上擦った声で言うと、ナマエが「うん」と頷く。

「誰にもらったの?」

 ちゃんと言い訳は聞こえていたようだ。余計なこと言わなきゃよかった。

「となりの屁怒絽」
「今度お礼に行こうかな」
「食われるからやめとけ」

 踵を返すナマエ。花束に顔を寄せ、いい匂いがすると微笑んでいる。
 昨夜の不安が消し飛ぶくらい、胸がたっぷりとあたたかいもので満たされている。笑顔ひとつで安心しきってしまう俺は、とんでもなく馬鹿で阿呆で単純だ。

「……なあ、おまえさ、なんか欲しいもんないの? 困ってることとかでもいいけど」
「急にどうしたの?」
「いいから」

 急かすと、ナマエはうーんと唸る。数秒ほどして、あっと声を出す。

「片手鍋」
「は?」
「取っ手が壊れちゃって。銀時、直せる?」

 現物を見ないとどうしようもないので、花瓶は明日買うことにして、ナマエの自宅へ向かった。片手鍋は簡単に直って、ナマエはありがとうと笑った。気に入ってた鍋らしく、ナマエは機嫌良く「ごはん食べる?」と訊いてきた。コイツも大概単純だと思った。

「食う。けど、他にはねえの」
「困ってること? そんなにないよ。急にどうしたの」
「べつにィ」

 そう? とナマエは首を傾げた。

「でも、何かあったら頼むね。ありがとう」
「……おう」 
 
 なんでだか、ナマエが目の前で笑うと、俺も男として捨てたもんじゃないと感じる。このままでも、悪くないんじゃねえかなと思ってしまう。バアさんが言うほど廃れてない。あ、バアさんといえば。

「ババアから預かってるもんあるの忘れてた」
「明日でいいよ」

 明日——。何気ない一言に、また安堵する。
 今夜は、よく眠れそうだ。





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