文字通り、私は右も左もわからず立ち竦んでいた。この年になって迷子になるとは思いもよらなかった。今まで知った道しか歩いてこなかったせいで気が付かなかったけれど、私は方向音痴というやつなのかもしれない。
 周囲に人影はない。立ち並ぶ家はあるものの、入っていってわざわざ道を訊ねるほどでもない。これからこの街で生きていくのだから、自分の足で道を見つけたいという思いもあった。しかし、道に迷いだしてからかれこれ一時間以上は経っていた。歩き疲れてしゃがみ込み、電柱に凭れていると、意外な救いの手が差し伸べられた。

「オネーサン、なにしてるアル?」

 目の前に、チャイナ服の女の子が立っていた。晴れているというのに女の子は傘を差し、巨大な白い犬を連れていた。江戸にはこんなに大きな犬がいるのかと唖然としていると、女の子は首を傾げた。

「どっか痛いアルか?」
「あっ、ううん。ちょっと道に迷っちゃって」
「なんだ迷子アルな!どこ行きたいアルか?このかぶき町の女王、神楽様に言ってみるヨロシ!」

 神楽と名乗った女の子は、任せろと言わんばかりにドン、と自分の胸を叩く。隣の大きな犬も、わん!と鳴いた。私は持っていた地図を神楽ちゃんへ見せた。すると、神楽ちゃんは目を丸くした。

「真選組屯所?こんなところに何の用ネ?」
「知り合い?」
「ただの腐れ縁ヨ」

 まだ幼さの残る女の子と警察が腐れ縁という妙な関係性は気になったが、私は「そうなんだ」と頷くに留めた。神楽ちゃんは早速、こっちネ!と元気よく歩き始めた。重たい足を伸ばし、その後を付いていく。
 神楽ちゃんは見た目は十三、四歳だが、語彙力はその年齢を上回っているようだった。つらつらと出てくる言葉にこちらがどぎまぎしてしまう。

「オネーサンはお上りさんアルか?なんかイモっぽいアル」
「お上りさん…そうだね、一週間前に江戸に越してきたんだ」
「出稼ぎアルか?」
「出稼ぎではないかなぁ」
「じゃあ何しに来たアル?しかも真選組に用事なんて、ワケありカ?」

 興味の向くままに質問を繰り返される。しかし江戸に来てこれまで、こんなに話をするのは久しぶりだった。知り合いも全くいないのだから当然だけれど、上京してからまともに会話をしたのはアパートの管理人さんくらいだった。

「うーん、私ね、今まですごい田舎にいたんだけど、初めて自分の意思でどこかへ行ってみようと思って。誰も私を知らない場所で頑張ってみたかったんだ。真選組には女中の面接に行くんだ。ちょうど募集出てたしお給料も結構いいから」

 神楽ちゃんは、フーン、と私をまじまじと見た。傘の影になっているけれど、神楽ちゃんは肌は白いし、目は青くて大きい。とても可愛い顔をしている。地球人ではないのかもしれない。江戸に来て天人と呼ばれる宇宙人をたくさん見てきたけれど、神楽ちゃんもそうなのだろうか。
 その後も歩きながらいろいろな話をした。私に訊きたいことを訊き終えた神楽ちゃんは、自分のことを話してくれた。万事屋という頼まれれば何でもする仕事をしているということ。万事屋には他に仲間が二人いて、どちらも仕様の無い男だということ。犬の名前は定春と言うこと。傘を差している理由を聞いたら、自分が夜兎という天人で、日光が苦手なのだと教えてくれた。

「自分の居場所は自分で決める。私もそうやってここに来たネ。だから、オネーサンのこと応援するヨ」

 ニカっと笑いかけられ、私も笑顔で返す。

「ありがとう、神楽ちゃん」

 やがて、真選組屯所と看板の立てられた門前へ辿り着いた。門に立っていた隊士に神楽ちゃんは定春を預け、「ジャマするアルヨー」とすんなりと敷地内へ入っていった。本当に知り合いらしく、隊士たちも慣れた様子で見送った。私は神楽ちゃんの後を歩きながら辺りを見回した。敷地も広いけれど建物も大きい。ここで大勢の隊士たちが寝食をしているのだから当たり前か。
 神楽ちゃんは勝手知ったるといった様子で廊下を進んでいく。私はここまで連れてきてもらったのだから大丈夫だと言ったのだけれど。

「男はみんな狼アル。襲われないように安全地帯に行くまでボディーガードしてあげるネ!」

 と言われてしまい、屋内まで案内されている。警察なのだからそんな心配はいらないと思うのだが、無碍にもできず大人しく神楽ちゃんの言うことを聞いた。年相応に好奇心旺盛だが、やはり所々大人びている。しかし根は親切な子のようだ。
 神楽ちゃんはここが安全地帯だという部屋の襖を勢いよく開けた。部屋の中には、こちらに背中を向けて座っている男が一人いた。室内に充満していた煙草の匂いが広がる。突如入り込んできた外気に、部屋の主は怪訝な顔で振り返った。

「あん?なんだチャイナ娘か」
「ようトシ。女連れて来てやったアル」
「はぁ?」

 黒い髪に瞳孔の開いた目をしたその人は、意味がわからないと言った顔をしていた。確かに神楽ちゃんの説明では何の脈絡もなく、何のことだかさっぱりだろう。しかし神楽ちゃんはお構いなしに私を部屋へ押し入れる。

「コイツはまあまあマトモで話も聞いてくれるアル。じゃーあとは頼んだアルヨ、トシ」
「オイコラ、てめーなに勝手に」
「私ドラマの再放送見なきゃいけないから帰るアル!ネーサンまたナ!」

 引き止める間も無く、軽い足音が遠ざかっていく。なんとも自由な子だろう。
 しばらくその場に立ち尽くしていたが、部屋の主が深いため息をついたので、そっと振り返る。口に咥えていた短い煙草を灰皿に押しつけ、隈のできた目をこちらへ向けられる。勝手に押しかけたこちらも悪いが、不機嫌を隠そうともしないその態度はいかがなものか。

「で?アンタ、なに」

 放たれた不躾な問いに、押されぬように答える。

「ミョウジナマエです」






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